2010/11/25(木) [n年前の日記]
#1 [nitijyou] 通夜に出席
祖母の通夜に出席。
13:00?14:00?頃、仙台から弟も駆け付けた。14:00から納棺との話だったので間に合いそうではあったが、来たばかりでドタバタしたまま来訪するのもなんだかアレでは、という話になり、ウチの三兄弟はやはり通夜から出席することに。また、駐車場も無い・路上駐車になってしまって場所がないため、親父さんの車に、三兄弟が同乗して向かうことになった。
17:00から経を読むはずだったが、お坊さんが早く来たとのことで16:50から開始。17:20まで、30分間経を読む形に。
13:00?14:00?頃、仙台から弟も駆け付けた。14:00から納棺との話だったので間に合いそうではあったが、来たばかりでドタバタしたまま来訪するのもなんだかアレでは、という話になり、ウチの三兄弟はやはり通夜から出席することに。また、駐車場も無い・路上駐車になってしまって場所がないため、親父さんの車に、三兄弟が同乗して向かうことになった。
17:00から経を読むはずだったが、お坊さんが早く来たとのことで16:50から開始。17:20まで、30分間経を読む形に。
◎ 印象その他をメモ。 :
内孫の人達が遅れてくるはずだからと、真ん中のあたりの席を空けていたのだけど。経が読まれる中、ズカズカ入っていくのは気が引けたとのことで、最後まで後ろのほうで経を聞いていたらしい。何かこういう時の解決策はないものか。
通夜ぶるまいでビール等のお酒も出たが、福島県内は車での移動が当たり前。故に、誰もお酒には手を付けず。少なくとも自分は運転しないだろうから家族の代表的に、と少し無理をして飲むことにしたが…。めちゃくちゃ酒に弱いので…なんだか疲れた。いや、伯父伯母の大変さに比べたら、こんなことは疲れたうちに全然入らないけれど。
内孫3人と会って、軽くショックを受ける。従姉、従弟は、すっかりお母さん、お父さんのソレ。考えてみれば、小中学生の頃の姿しか覚えてないわけで。3人の安定感と比べると、ウチの三兄弟は…。トホホ。
煙草を吸うために屋外に出た。紫煙をくゆらせながら、目の前の田畑を眺め、思いを馳せる。分家故、家を建てる土地と、ほんの少しの畑は与えてもらったらしいけど、それ以外は特になく。少しずつお金を貯めて周りの土地を買い足して、家族で力を合わせてここまで開墾してきた、祖父、祖母、伯父伯母達の、当時の姿を想像して。祖母への感謝の言葉を、暗闇に向かって小さく呟いた。
従兄の子供達3人も通夜に来てくれた。3人とも居心地が悪そう。祖父が亡くなった時のウチの三兄弟と、年齢的にもほとんど一緒であろう状態だったので、気持ちがよく分かってしまい、なんだか不憫に。高校生の長男が「お葬式なのに…」と呟いていた。たしかに、人が一人亡くなったというのに、笑顔で会話をしている親戚の姿にはゾッとするものがある、と、子供の頃の自分も思ったなと。まあ、とりあえず寿司等を食べ始めてくれたのでホッとした。
祖母の家に泊まりに来たとき、祖母は、自分達孫に向かって「これも食え」「それも食え」とドンドン料理を差し出してきた記憶がある。「いや、いいです」と言っても「遠慮なんかするな」と。実を言うと、祖母の家で出てくる御飯には時々石が混じってて、「ガキッ」と来るのが怖くて食べられなかったのだけど。何にせよ、子供がバクバクと食べる様子を見れば、祖母は安心することができたのだろう。…だから、従兄の子供達が棺に入った祖母の前でバクバクとアレコレ食べてくれれば、ただそれだけでも祖母に対するある種の供養になるんじゃないか、と自分には思えた。まだ生きてたら、あの頃の祖母だったら、従兄の子供達に向かって、「これも食え。それも食え。遠慮なんかするな」と絶対に言ってただろうなあ、と思うのだった。
通夜ぶるまいでビール等のお酒も出たが、福島県内は車での移動が当たり前。故に、誰もお酒には手を付けず。少なくとも自分は運転しないだろうから家族の代表的に、と少し無理をして飲むことにしたが…。めちゃくちゃ酒に弱いので…なんだか疲れた。いや、伯父伯母の大変さに比べたら、こんなことは疲れたうちに全然入らないけれど。
内孫3人と会って、軽くショックを受ける。従姉、従弟は、すっかりお母さん、お父さんのソレ。考えてみれば、小中学生の頃の姿しか覚えてないわけで。3人の安定感と比べると、ウチの三兄弟は…。トホホ。
煙草を吸うために屋外に出た。紫煙をくゆらせながら、目の前の田畑を眺め、思いを馳せる。分家故、家を建てる土地と、ほんの少しの畑は与えてもらったらしいけど、それ以外は特になく。少しずつお金を貯めて周りの土地を買い足して、家族で力を合わせてここまで開墾してきた、祖父、祖母、伯父伯母達の、当時の姿を想像して。祖母への感謝の言葉を、暗闇に向かって小さく呟いた。
従兄の子供達3人も通夜に来てくれた。3人とも居心地が悪そう。祖父が亡くなった時のウチの三兄弟と、年齢的にもほとんど一緒であろう状態だったので、気持ちがよく分かってしまい、なんだか不憫に。高校生の長男が「お葬式なのに…」と呟いていた。たしかに、人が一人亡くなったというのに、笑顔で会話をしている親戚の姿にはゾッとするものがある、と、子供の頃の自分も思ったなと。まあ、とりあえず寿司等を食べ始めてくれたのでホッとした。
祖母の家に泊まりに来たとき、祖母は、自分達孫に向かって「これも食え」「それも食え」とドンドン料理を差し出してきた記憶がある。「いや、いいです」と言っても「遠慮なんかするな」と。実を言うと、祖母の家で出てくる御飯には時々石が混じってて、「ガキッ」と来るのが怖くて食べられなかったのだけど。何にせよ、子供がバクバクと食べる様子を見れば、祖母は安心することができたのだろう。…だから、従兄の子供達が棺に入った祖母の前でバクバクとアレコレ食べてくれれば、ただそれだけでも祖母に対するある種の供養になるんじゃないか、と自分には思えた。まだ生きてたら、あの頃の祖母だったら、従兄の子供達に向かって、「これも食え。それも食え。遠慮なんかするな」と絶対に言ってただろうなあ、と思うのだった。
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