mieki256's diary



2009/08/24(月) [n年前の日記]

#4 [neta] サンプリング文化の肯定否定云々

某シューティングゲームについての批判?記事を読んでいた際に、ちと気になる部分を見かけたり。そのタイトルで使われたBGMに、どこぞのサンプリング素材CD? サンプリングフレーズ? のソレがそっくりそのまま使われてる、みたいな一文で。

目にした後で、それって別に否定されるようなことじゃないのでは、と思ってしまったのだけど。どうなんだろうなあ。

もしかすると、そういう言が出てくる背景には、サンプリング文化肯定派と、サンプリング文化否定派の、水面下の争いがあるのだろうか。と思えてきたり。

肯定派のアレコレ。 :

肯定派の感覚からすると、サンプリングデータをそのまま流すこと自体はどうでもいいことで、要はそのデータ群の組み合わせ方が問題なのだ、という話になるのだろうなと。「こんなベタなフレーズやデータを使ってるのに曲はカッコイイ」みたいな評価をたまに見かけるし。「曲がダサイ」「使い方がダサい」という言なら判るけど、「サンプリングをそのまま使ってる」という言は、「だから何?」だよなあ…。

否定派のアレコレ。 :

サンプリング否定派は、下手するとDTMのほとんどを否定することを ―― 生演奏以外は肯定しない的な極論に容易に繋がりかねない危険性を果たしてどれだけ自覚できているのだろうか、てな不安も。

例えば、MIDI音源のドラム音は、有名なドラマーの叩いた音をサンプリングして流しているし。デジタルピアノの音は、真っ当なピアノの音をサンプリングして流してたりするわけで。つまりサンプリングを否定するということは、デジタル的な音源も否定するも同じ。

いや、「一つ一つの音に対するサンプリングはOKだけど、フレーズに対するサンプリングはNGだろう」と言い出す人が居そうだけど。その線引きの根拠が判らない。他者が出した音を自分の創作物に流用することが許せない、からサンプリングを否定してるんじゃないのかと。であれば、一つ一つの音だってNGだろうと。

もしかすると、波形を合成して生み出すシンセサイザーすら、何度繰り返しても全く同じ音が出るという、機械による完全な再現性があるが故に否定されかねないのではないか。

そこまでの危険性を自覚したうえで「サンプリングはNG」と主張してるのであろうか。どうなんだろう。

何にしても。 :

「こんなBGMじゃゲームに乗れないよ!」という言なら判らないでもないけど、「サンプリングフレーズをそのまま使ってるよ!」という言では批判に値しないよなと。仮にソレを批判として成り立たせるためには、「そもそもゲームのBGMなんて音楽ではない。その演奏の仕組みからして音楽とは呼べない。音楽と呼べるのは生演奏だけだ」ぐらいの言を唱えねばならないのではないか。しかしそんな言を唱えたら、完全に映像の再現性を持つ、ゲーム自体の存在も許せないのではないか、という話にまで。

てなことを思ったけど、ゲームも音楽も結局は嗜好品なわけで、「サンプリングフレーズを使うのは俺は“嫌い”なんだ」と言われたら「ああ、そうですか…」で終わってしまうよなと思えてきましたよ。

何故嫌いなのかを無理して説明しようとするから、どんどんおかしな話になるのかもしれぬ。特に男性にとっては難題かもしれないのだけど、時としてシンプルに、「俺はこういうの嫌いなんだ」だけで済ませておく勇気が必要なのかもしれない。

まあ、自分は、筋が通ってない言が嫌いなだけなのですが。

以上です。

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