mieki256's diary



2019/04/12(金) [n年前の日記]

#1 [tv][anime] 未知との遭遇は笑ってするものだろうか

NHK朝ドラ「なつぞら」を、ここのところ一応視聴しているのです。なんでも、ヒロインが後にアニメーターになるそうで、その設定ならちょっと見ておかないといかんかなあ、と。

ただ、今日の回の冒頭で、妙なシーンがあったように感じてしまって。いやまあ、一般的にはたいしたアレではないよなとも思うけど。

どんなシーンかというと…。子供時代のヒロインが、おそらくは生まれて初めてアニメーションを目にするシーン、だったのかな。たぶん。

一つ前の回で、学校の先生が、「皆さんに、まんが映画を見てもらいます」と説明して、小学生達が「…まんが映画ってなんじゃ?」と疑問をつぶやいてたりしたので、おそらく設定上は、まんが映画を見たことがない子供達ばかりがそこに居るのだろうと推測したのですが。

しかし、今回、そのまんが映画 *1 の上映が始まる前から、子役ヒロインや、モブの同級生達が、いきなり最初から満面の笑みをたっぷりと浮かべてスクリーンを見つめていて。「いやあ、コレは楽しみだなあ。どんなアニメを見れるのだろう」てな感じの楽し気な顔で…。

ソレ、ちょっとおかしいよなー、と。

例えばだけど、フツーに考えたら、以下のような光景・描写にならないか…。
  1. 「まんが映画ってなんじゃ?」「わしらはこれから一体何を見せられるんじゃ?」と怪訝・不安げな子供達の表情。
  2. 上映が始まると、「おお…。まんが映画を見たことある○吉が得意気に言ってた通りじゃ。絵が動いとるぞなもし…」的に、驚きの表情。
  3. キャラのコミカルなアクションを見て、教室のあちこちから「ハハッ」「ふふっ」と笑い声が少しずつ漏れ始める。
  4. 最後のあたりは、教室中からどっと笑い声が発せられる。全員が満面の笑みを浮かべている。
こういう感じの流れを妄想してしまうと、朝ドラのソレは、なんだか雑だなと。

どうして雑になってしまったのか。これは勝手な推測だけど、作り手世代が、自分達の世代感覚だけで、うっかり描写していた可能性がないかと。脚本家も演出家も、おそらくは子供の頃からアニメが存在するのが当たり前の世代。故に、子供がアニメを見るとなれば最初から「楽しみだなー」てな顔をするもんだろう、と思い込んでいるのではないかと。 *2

しかし、それは間違いだと思うわけで。生まれて初めて目にする、自身にとっては未知のモノを、最初から笑って見ている子供がはたして居るのだろうかと。

作り手のおじさん世代の体験で置き換えれば…。例えば、TVゲームなんかはどうだろう。子供の頃の自分が、TVゲームを生まれて初めて目撃した時、最初からニッコニコした顔で眺めてましたかと。そんなわけないですよ。「TVの中で、何だか変なものが動いてるぞ…。一体なんだコレ…」と真剣な顔でじっと凝視して、ソイツの正体を突き止めてやろうとしていたんじゃないですかね。

未知との遭遇って、そういうもんじゃないのかな。笑いながら目撃したりはしないよなと。

今回、ヒロインが、いずれはそういう職業につくわけで、コレはもう人生を変えるほどの出会いだったはず。結構重要なシーンだろうと思うわけで。それにしちゃ、描写が雑過ぎないかと。こういう重要なシーンで説得力を持たせなくてどうするのだろう。こんな調子で今後大丈夫なのか。

アニメがまだ一般的には知られてなかった時代に、それを初めて目にする子供達の姿を描けるなんて、かなり面白い仕事じゃないかとも思うわけで。自然と妄想が膨らむじゃないですか。一体どういう気分で見るんだろう。どんな顔して見てたんだろう。想像せずには居られない。でも、こんな面白いシーンを、「どうせこんなもんだろ」「ガキの反応なんてこんな感じに決まってる」的に見せちゃうのって、ソレどうなんだ。みたいな。

でもまあ、どんどん撮影していかないと放送に間に合わないですわな…。朝ドラはスケジュールが厳しいと聞いた記憶もあるし。なので、仕方ないよなー、とも思うのですけど。

まあ、そんな感じで、ちょっぴり気になってしまったのでした。「え? それでいいの? これでOKなの?」「ココ結構重要なシーンとちゃうんか?」みたいな。それだけの話です。

実写畑の甘え。 :

ちょっと失礼な話かもしれんけど、もしかすると実写畑には、役者の存在に甘えてるところがありそうだなと思ったりもして。

実写は、カメラの前に役者さんが居るので、何も努力しなくても実在感が確保できる。現実にはありえない言動でも、目の前の役者さんが演じれば、それだけでもそれなりに説得力が出てきちゃう。なので、ちょっとおかしな描写をしていても、うっかりスルーしちゃう。

これがアニメだと、そういうわけには行かない。良くも悪くも、所詮は人が描いた絵に過ぎないので…。そこに、本当に人物が居るかのような錯覚をさせるためには、細かいところで説得力を持たせる努力をしないといけない。コマ単位で、「こいつ今どんな気分になってるんだろ」と想像しながら、ちょっとした動きや表情を意識的に挿入して、視聴者の脳内で眠っている記憶を釣り上げて、「そうそう、○○ってこういうときがある」と気づかせることで感情移入を誘う、というか。そのためには、とにかく観察が必要で…。

そんな工夫や努力を、延々と、愚直なまでにコツコツやってきたのが、東映動画で育った高畑監督だったり、宮崎駿監督だったり、共に働いていたベテランアニメーターの方々、だったりするのだろうと。

今回の朝ドラは、ヒロインが将来アニメーターになる ―― それも、初期の東映動画相当に入社するヒロインということで、アニメとは何なのかを再確認する機会が密かに含まれているのかもしれん、と想像していたりするのですけど。

図らずもこういうところで、アニメだったら許されないけど実写畑ならうっかり許されちゃう、いわば実写畑の甘えのようなものを、ちらりと目撃してしまったのかもしれないな、などと思ったりもして。

まあ、そのあたり、実写の強みでもあるし、弱みでもあろうし…。便利な時もあるし、不利な時もあるのだろう、と…。

気づくための儀式。 :

完全に余談だけど。こういう時に、「高畑監督だったらこういうときどうするかなあ」みたいなことをちょっと考えてみると有効かもしれないと想像したりもして。

高畑監督ならあんな描写したかな。しないよな。あんなシーンをスタッフが作ろうとしたら、3時間ぐらいネチネチ説教されてスタッフの目がみるみる死んでいくか、無言で監督が帰っちゃって3日ぐらいスタジオに出てきてくれなかったりしそう。

まあ、別に、高畑監督を思い浮かべなくてもいいんだけど。小津監督でも黒澤監督でも誰でもいいけど、「〜監督なら、〜さんなら、コレどうするかな」みたいなことをチラリと考えたら、「む。このシーンは違うな。これじゃねえな」ぐらいは気づくんじゃないか ―― 気づけるための儀式がゲットできるんじゃないか。などと妄想したりしました。

まあ、以下の話からそういうことを妄想しただけなんですけど。

_「宮崎監督と一緒に仕事をされて何を学びましたか?」

*1: 劇中ではポパイの映像だった。
*2: あるいはもしかすると、子役の人達に、「皆さんには、生まれて初めてアニメを見る小学生を演じてもらいます」と説明しちゃった可能性もありそうだなと。もう、そんな説明をした段階でアウトだよな…。だって子役さん達は、アニメとはどんなものかを知っているのだから…。子供心に「めっちゃ楽しそうな顔を見せないとダメなんだな」と絶対に思い込むわな…。

以上です。

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