2018/03/24(土) [n年前の日記]
#3 [anime][neta] キャラクターソフトウェアデザイン
思考メモ。
寝ていたら夢の中で、「キャラクターソフトウェアデザイン」という役職名が出てきて。目が覚めてから、「なんだその役職…」と妄想を始めてしまったり。
集団制作のアニメにおいて、各キャラの外見については、キャラクターデザインと呼ばれる役職の方がデザインをして、監督やP(プロデューサー)、原作の編集部、原作者がOKを出すのだろうけど。
各キャラが、各場面でどういう物言いをするのか、どんな行動をとるタイプなのか、つまり見た目以外の部分については…。事前に規定して、ブレがないかチェックする役職が、用意されてない場合が多いのだろうなと想像したりもして。
もし、将来、更に分業が進んでいくと、キャラの見た目のデザインだけではなく、内面部分の設定についてもまとめあげる役職が発生したりするのかもしれないなと。おそらくそれが、「キャラクターソフトウェアデザイン」みたいなものなんだろうと…。いやまあ、現状では、監督さんやシリーズ構成さんがその役を兼任、というか担当してどうにかしてるのだろうけど。最終的には監督さんが脚本やコンテをチェックして、「これは違うのでやり直し」と指示を出して解決してるのだろうな、と…。
寝ていたら夢の中で、「キャラクターソフトウェアデザイン」という役職名が出てきて。目が覚めてから、「なんだその役職…」と妄想を始めてしまったり。
集団制作のアニメにおいて、各キャラの外見については、キャラクターデザインと呼ばれる役職の方がデザインをして、監督やP(プロデューサー)、原作の編集部、原作者がOKを出すのだろうけど。
各キャラが、各場面でどういう物言いをするのか、どんな行動をとるタイプなのか、つまり見た目以外の部分については…。事前に規定して、ブレがないかチェックする役職が、用意されてない場合が多いのだろうなと想像したりもして。
もし、将来、更に分業が進んでいくと、キャラの見た目のデザインだけではなく、内面部分の設定についてもまとめあげる役職が発生したりするのかもしれないなと。おそらくそれが、「キャラクターソフトウェアデザイン」みたいなものなんだろうと…。いやまあ、現状では、監督さんやシリーズ構成さんがその役を兼任、というか担当してどうにかしてるのだろうけど。最終的には監督さんが脚本やコンテをチェックして、「これは違うのでやり直し」と指示を出して解決してるのだろうな、と…。
◎ キャラのブレ。 :
例えば、先日までBS11で放送されてた「名探偵ホームズ」などは、そのあたりの統一がされてなくて。分かりやすいのが、警部のキャラ。
片渕脚本+宮崎駿演出回では、警部はホームズを「ホームズさん」と呼んでいて。「警察が解決できない難事件を見事に解決してくれる、とても頼りになる方だから、失礼があってはならないぞ」的な捉え方をしてるのであろうことが全体を通じて感じ取れる。
対して、荒木芳久脚本回では、警部はホームズを「ホームズ」と呼び捨てにしていて。シーンによっては、「ホームズめ。またアイツか」「ホームズのヤツ」等の台詞もポンポン出てくる。警察の捜査に首を突っ込んで邪魔をしたあげく、手柄を掠め取っていく実に邪魔な奴、という認識っぽいなと感じさせるあたり、片渕脚本が提示していた警部の姿とは真逆なキャラとして脚本が書かれていたりする。
また、ホームズというキャラの捉え方も違っていて。例えばモリアーティ教授が何か酷い目に合っている時、荒木脚本のホームズは平気で「ざまあみろ」に近い物言いをする。これが片渕脚本だと、「あらまあ。彼もなかなか大変なことになってるようですな」的な、どことなくとぼけた、あるいは紳士らしさを感じさせる言い方を選んでいたりする。
てな感じで…。各キャラの見た目については、キャラクターデザインという役職の方がキャラデザ表という形でまとめてあるので、各スタッフがキャラを違う見た目で描いてしまうことはほとんどないのだけど。脚本や演出の段階においては、性格設定等を統一させる役が不在で、回によってはキャラが全くの別人になってしまう、みたいなことが集団制作ではたまにあるわけで。 *1
そういったことを考えると…。そのあたりを統一させる役職というのが、作品によっては必要になったりするんだろうなと。スタッフ全員がキャラの性格設定について統一した認識を持てるように、キャラデザ表ならぬキャラ内面表・キャラ性格表みたいなものをまとめあげる役職、あるいは、各人の成果物をチェックしてキャラの性格が統一されるように修正を加えていく役職、みたいな。作画監督・総作画監督に相当する役が、脚本や演出の部分でも用意されたりするのかもなと。
片渕脚本+宮崎駿演出回では、警部はホームズを「ホームズさん」と呼んでいて。「警察が解決できない難事件を見事に解決してくれる、とても頼りになる方だから、失礼があってはならないぞ」的な捉え方をしてるのであろうことが全体を通じて感じ取れる。
対して、荒木芳久脚本回では、警部はホームズを「ホームズ」と呼び捨てにしていて。シーンによっては、「ホームズめ。またアイツか」「ホームズのヤツ」等の台詞もポンポン出てくる。警察の捜査に首を突っ込んで邪魔をしたあげく、手柄を掠め取っていく実に邪魔な奴、という認識っぽいなと感じさせるあたり、片渕脚本が提示していた警部の姿とは真逆なキャラとして脚本が書かれていたりする。
また、ホームズというキャラの捉え方も違っていて。例えばモリアーティ教授が何か酷い目に合っている時、荒木脚本のホームズは平気で「ざまあみろ」に近い物言いをする。これが片渕脚本だと、「あらまあ。彼もなかなか大変なことになってるようですな」的な、どことなくとぼけた、あるいは紳士らしさを感じさせる言い方を選んでいたりする。
てな感じで…。各キャラの見た目については、キャラクターデザインという役職の方がキャラデザ表という形でまとめてあるので、各スタッフがキャラを違う見た目で描いてしまうことはほとんどないのだけど。脚本や演出の段階においては、性格設定等を統一させる役が不在で、回によってはキャラが全くの別人になってしまう、みたいなことが集団制作ではたまにあるわけで。 *1
そういったことを考えると…。そのあたりを統一させる役職というのが、作品によっては必要になったりするんだろうなと。スタッフ全員がキャラの性格設定について統一した認識を持てるように、キャラデザ表ならぬキャラ内面表・キャラ性格表みたいなものをまとめあげる役職、あるいは、各人の成果物をチェックしてキャラの性格が統一されるように修正を加えていく役職、みたいな。作画監督・総作画監督に相当する役が、脚本や演出の部分でも用意されたりするのかもなと。
◎ 並列処理と統一感。 :
もっともこのあたり、作り方によるわけで。例えば全話の脚本、あるいはコンテを一人で書けば、そういったキャラのブレはほぼ無くなるはず。その代わり、並列処理で脚本・コンテを用意することが難しくなって、一定の制作期間が必ず必要になるだろうけど…。
極めて短いスケジュールでとにかく早く作らねばならない、なんて時には、作業を始める前に「このキャラはこういうキャラ」とすぐ分かる何かしらをひたすら提示する専門の役が必要になるのかも、と。
もっとも、特定の一人が、全体を規定する何かを提示したり、全体をチェックして修正してしまう仕組みにすると、そこで並列処理ができなくなって、「最低限でもこの段階でこれだけの作業時間は必要」という話になるから、スケジュールが厳しくなるはずで…。
作品内の何かしらを統一しようとすると並列処理ができなくなってスケジュールが必要になるし、スケジュールを優先すると並列処理になって作品内のアレコレが統一できなくなるし。とにかく分業を進めればいいのだ…というものでもないのだろうなと。
てな感じのことを起きたばかりのぼんやりした頭でもやもやとつい考えてしまったのでなんとなくメモ。思考メモ。
極めて短いスケジュールでとにかく早く作らねばならない、なんて時には、作業を始める前に「このキャラはこういうキャラ」とすぐ分かる何かしらをひたすら提示する専門の役が必要になるのかも、と。
もっとも、特定の一人が、全体を規定する何かを提示したり、全体をチェックして修正してしまう仕組みにすると、そこで並列処理ができなくなって、「最低限でもこの段階でこれだけの作業時間は必要」という話になるから、スケジュールが厳しくなるはずで…。
作品内の何かしらを統一しようとすると並列処理ができなくなってスケジュールが必要になるし、スケジュールを優先すると並列処理になって作品内のアレコレが統一できなくなるし。とにかく分業を進めればいいのだ…というものでもないのだろうなと。
てな感じのことを起きたばかりのぼんやりした頭でもやもやとつい考えてしまったのでなんとなくメモ。思考メモ。
*1: まあ、「名探偵ホームズ」の場合、制作期間が分断されている上に、制作スタジオすら途中で変わってしまっているので、仕方ないのだろうけど…。
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以上です。