2015/12/20(日) [n年前の日記]
#2 [anime][neta] 不死設定の吸血鬼は子供を可愛いと思わないのかもしれない
思考メモ。
唐突になんとなく、「終わりのセラフ」の最初のあたりの、吸血鬼が人間の子供を蹴り飛ばしてるシーンを何故か思い出して、そこからもやもやと考え始めたり。
「終わりのセラフ」における吸血鬼にとって、人間は食料であり、牛や馬や豚や鶏みたいな存在。だから、蹴り飛ばすのはおかしくない。人間だって、例えば進路を子豚がわらわらと邪魔してたら「お前ら邪魔だ」と蹴ってどかすことはあるだろうと。同様に、吸血鬼が人間の子供を蹴り飛ばしてどかすという光景は、自然というか、あり得るよなと。
まあ、「終わりのセラフ」の場合、吸血鬼が人間を同等の生物とは全く思ってない状況を読者・視聴者に伝えたいわけだから、そこは蹴り飛ばしたほうがより効果的なので、見せ方として正解なのですが。
しかし、人間が必ず子豚を蹴り飛ばすかと言えば、そうではないわけで。何せ、これから育って食料になってくれる存在なのだから、怪我したり、その怪我が元で死んでしまったら、人間にとっては困る。だから「ハイハイ。君達どいてどいて」みたいな感じでそっと足で横によせてどかす、みたいな具合になりそうだよなと。
であれば吸血鬼も、「お前ら邪魔だ!(ドカッ)」「オイ、やめろ。乱暴に扱うんじゃない」「えー。なんでだよ」「怪我して死んだりしたら食えなくなるだろ」「ああ。それもそうか」みたいな会話はあるかもしれないよなと。ていうかそういう会話が「終わりのセラフ」にもあったような気がするけど偽記憶かもしれない。
また、人間ですら、ペットの犬や猫に対して「コイツラが人語を理解して喋ってくれたらなあ」などと妄想しちゃうわけで。吸血鬼にとっての家畜である人間達は、これはちゃんと人語を理解するし喋ることもできる面白い存在なのだから、フツーに喋って注意すれば済むわけで。故に、「ハイハイ。君達どいてどいて。おー、よちよち。よくできましたー」と口で注意するのがリアルな描写ということになるのかもしれない。
と思ったのだけど。本当にそうかなと。
人間が動物に対して接する時は、どこか子供を相手にするようなソレになるよなと。人間は基本的に、子供を可愛がる傾向がある。だから、自分達よりサイズが小さい生物を見ると、なんだか子供を見てるような感覚に陥って、「おー、よちよち」モードになるわけで。
でも、不死に近い寿命を持っている設定の吸血鬼なら、子供を可愛いとは思わないかもしれない。「おー、よちよち」みたいなことはほとんどしないかもしれない。
どうして人間が子供を可愛いと思うかといえば、それは人間が寿命を持っているからで。人間に限らず、生物はいつか死ぬ。死ぬ前に次世代を産んで育てないと種として滅んでしまう。だから、生物としての基本的なプログラムとして「子供をできるだけ作るべし」メソッドや、「子供を守って育てるべし」メソッドを持っている。そのプログラムを持ってない生物は、現役世代の個体が死んだ後、次世代がろくに存在しないことになるので、種として滅んでしまう。よって、地球上に今もその種が存在してるということは、その種は「子供を産んで保護して育てる」というプログラムを持っているということになる。持ってなければ、滅んでる。 *1
だけど、不死設定を持っている吸血鬼は、子供を作らなくてもいい。自分という個体だけでも生き残ってれば、種の存続は問題ない。ということは、「子供を作るべし」「子供を保護すべし」という基本プログラムを持ってなくて、「とにかく自分という個体を守るべし」しか持ってない可能性がある。小さい子供を見て「おー、よちよち」とは思わずに、「手のかかる面倒くさい個体が居るな。邪魔だなコイツ。殺してしまおう」ぐらいの感覚かもしれない。
まあ、漫画やアニメの場合、そんな設定ではお話にならないし。その吸血鬼というキャラの感覚を読者・視聴者が理解できるとも思えないので、フツーに愛だの恋だのにうつつを抜かす不死の生物という奇妙な描写になるわけですが、そのほうが面白いのでそれはそれで。
でも、不死設定 → 子供を作る必要が無い → 子供に対する感覚が全然違う、てなあたりを煮詰めていけば、それはそれで妙な設定の吸血鬼モノを作れるかもしれないよなと。
唐突になんとなく、「終わりのセラフ」の最初のあたりの、吸血鬼が人間の子供を蹴り飛ばしてるシーンを何故か思い出して、そこからもやもやと考え始めたり。
「終わりのセラフ」における吸血鬼にとって、人間は食料であり、牛や馬や豚や鶏みたいな存在。だから、蹴り飛ばすのはおかしくない。人間だって、例えば進路を子豚がわらわらと邪魔してたら「お前ら邪魔だ」と蹴ってどかすことはあるだろうと。同様に、吸血鬼が人間の子供を蹴り飛ばしてどかすという光景は、自然というか、あり得るよなと。
まあ、「終わりのセラフ」の場合、吸血鬼が人間を同等の生物とは全く思ってない状況を読者・視聴者に伝えたいわけだから、そこは蹴り飛ばしたほうがより効果的なので、見せ方として正解なのですが。
しかし、人間が必ず子豚を蹴り飛ばすかと言えば、そうではないわけで。何せ、これから育って食料になってくれる存在なのだから、怪我したり、その怪我が元で死んでしまったら、人間にとっては困る。だから「ハイハイ。君達どいてどいて」みたいな感じでそっと足で横によせてどかす、みたいな具合になりそうだよなと。
であれば吸血鬼も、「お前ら邪魔だ!(ドカッ)」「オイ、やめろ。乱暴に扱うんじゃない」「えー。なんでだよ」「怪我して死んだりしたら食えなくなるだろ」「ああ。それもそうか」みたいな会話はあるかもしれないよなと。ていうかそういう会話が「終わりのセラフ」にもあったような気がするけど偽記憶かもしれない。
また、人間ですら、ペットの犬や猫に対して「コイツラが人語を理解して喋ってくれたらなあ」などと妄想しちゃうわけで。吸血鬼にとっての家畜である人間達は、これはちゃんと人語を理解するし喋ることもできる面白い存在なのだから、フツーに喋って注意すれば済むわけで。故に、「ハイハイ。君達どいてどいて。おー、よちよち。よくできましたー」と口で注意するのがリアルな描写ということになるのかもしれない。
と思ったのだけど。本当にそうかなと。
人間が動物に対して接する時は、どこか子供を相手にするようなソレになるよなと。人間は基本的に、子供を可愛がる傾向がある。だから、自分達よりサイズが小さい生物を見ると、なんだか子供を見てるような感覚に陥って、「おー、よちよち」モードになるわけで。
でも、不死に近い寿命を持っている設定の吸血鬼なら、子供を可愛いとは思わないかもしれない。「おー、よちよち」みたいなことはほとんどしないかもしれない。
どうして人間が子供を可愛いと思うかといえば、それは人間が寿命を持っているからで。人間に限らず、生物はいつか死ぬ。死ぬ前に次世代を産んで育てないと種として滅んでしまう。だから、生物としての基本的なプログラムとして「子供をできるだけ作るべし」メソッドや、「子供を守って育てるべし」メソッドを持っている。そのプログラムを持ってない生物は、現役世代の個体が死んだ後、次世代がろくに存在しないことになるので、種として滅んでしまう。よって、地球上に今もその種が存在してるということは、その種は「子供を産んで保護して育てる」というプログラムを持っているということになる。持ってなければ、滅んでる。 *1
だけど、不死設定を持っている吸血鬼は、子供を作らなくてもいい。自分という個体だけでも生き残ってれば、種の存続は問題ない。ということは、「子供を作るべし」「子供を保護すべし」という基本プログラムを持ってなくて、「とにかく自分という個体を守るべし」しか持ってない可能性がある。小さい子供を見て「おー、よちよち」とは思わずに、「手のかかる面倒くさい個体が居るな。邪魔だなコイツ。殺してしまおう」ぐらいの感覚かもしれない。
まあ、漫画やアニメの場合、そんな設定ではお話にならないし。その吸血鬼というキャラの感覚を読者・視聴者が理解できるとも思えないので、フツーに愛だの恋だのにうつつを抜かす不死の生物という奇妙な描写になるわけですが、そのほうが面白いのでそれはそれで。
でも、不死設定 → 子供を作る必要が無い → 子供に対する感覚が全然違う、てなあたりを煮詰めていけば、それはそれで妙な設定の吸血鬼モノを作れるかもしれないよなと。
*1: もっとも、昆虫のように、大量に子供を作ってほとんど死んじゃうのだけど何割か生き残ればどうに種として存続していける、てな戦い方をしている生物も居るわけですが。
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以上です。