2011/09/05(月) [n年前の日記]
#1 [anime] うさぎドロップアニメ版5話を見たのだけど
やっぱりアニメ版を見た後で原作を読むのがベストだなと再認識。原作を先に読んでしまうと脳内に理想の映像が出来てしまって、ツライ…。「えー、これは端折り過ぎだろ」とか「キャラの心情が全然分からねえじゃん」とか気に入らないところが多々出てきてしまって実にツライ。
アニメ版を見ていてなんとなく思ったけれど。どうやら、キャラのモノローグを徹底的に排除して映像化する、という方針がありそうな気がした。原作は、少女マンガやレディースコミックの文法で作られているので、キャラの心情・苦悩を逐一モノローグを使って細かく解説するやり方が積極的に使われている。なので、アニメ版でそのあたりをバッサリ削除してしまうと、その時々でそのキャラが一体何を考えていたのか、何について悩んでいたのか、そういった情報が視聴者にまったく伝わってこない。ただ、その代わり、キャラの会話のみが延々と続く映像になっているので、キャラ達の振舞いを傍からボーッと眺めているような感覚で視聴することになる。つまり、パッと見はリアルっぽくなる、のであろうと自分は捉えているわけだけど。
モノローグ多用、モノローグ排除、どちらを選ぶかは、実はどうでもいい。問題は、モノローグ排除に伴って失われた、「その時キャラが何を考えていたのか」という、読者・視聴者への情報開示を、別の方法で実現しようという意思が全く見られなかったこと。
モノローグが無くても、最低限、「キャラがその時何かを悩んでいる・考え込んでいる、らしい」ということぐらいは、振舞いなり台詞なりを原作のソレから積極的に改変していくことで充分伝えられるはず。だが、そういう工夫がアニメ版にはまったく見られない。各キャラの行動も、台詞も、原作とほぼ同じ。トレースに近い。しかし、心情解説はバッサリ省かれている。
個人的には、それじゃダメじゃないかなー、と思う。漫画におけるキャラの心情解説は、読者がキャラに感情移入していくための呼び水。そこを省いてしまったら、見る側の感情移入を誘えない。感情移入を誘えない娯楽コンテンツはマズい。娯楽コンテンツにならないだろう…。例えば石川賢の漫画のように展開でグイグイ引っ張るタイプならともかく、キャラの心情変化を見せることが肝になってるこの手のジャンルの作品で、それはマズかろうと。
このあたり、作り手の属性によるのかな、と邪推したりもする。例えば、少女マンガの類をほとんど読んだことが無い人にとっては、モノローグはただひたすらウザいもの、としか思えないのかもしれない。だからバッサリ削除してやろう、という判断になったのかもしれないと。でも、モノローグのそれぞれは、無駄に挿入されているわけじゃない。ここでキャラがこういうことを悩んでると教えておかないと、後で出てくる行動が読者にとって理解できない、等々、ある種シリーズ構成にすら絡んできたりもする。…そういうところまでちゃんと考えたうえで、モノローグ排除を選択したのか? 排除したことで失われたモノを一切補完しようとしないのは何故ですか? とスタッフに問いたい気分になったわけで。
要するに…ちゃんと原作を読み込んだ上で作ってるのかなあ、なんだか怪しいなあ、と。
でもまあ、
アニメ版を見ていてなんとなく思ったけれど。どうやら、キャラのモノローグを徹底的に排除して映像化する、という方針がありそうな気がした。原作は、少女マンガやレディースコミックの文法で作られているので、キャラの心情・苦悩を逐一モノローグを使って細かく解説するやり方が積極的に使われている。なので、アニメ版でそのあたりをバッサリ削除してしまうと、その時々でそのキャラが一体何を考えていたのか、何について悩んでいたのか、そういった情報が視聴者にまったく伝わってこない。ただ、その代わり、キャラの会話のみが延々と続く映像になっているので、キャラ達の振舞いを傍からボーッと眺めているような感覚で視聴することになる。つまり、パッと見はリアルっぽくなる、のであろうと自分は捉えているわけだけど。
モノローグ多用、モノローグ排除、どちらを選ぶかは、実はどうでもいい。問題は、モノローグ排除に伴って失われた、「その時キャラが何を考えていたのか」という、読者・視聴者への情報開示を、別の方法で実現しようという意思が全く見られなかったこと。
モノローグが無くても、最低限、「キャラがその時何かを悩んでいる・考え込んでいる、らしい」ということぐらいは、振舞いなり台詞なりを原作のソレから積極的に改変していくことで充分伝えられるはず。だが、そういう工夫がアニメ版にはまったく見られない。各キャラの行動も、台詞も、原作とほぼ同じ。トレースに近い。しかし、心情解説はバッサリ省かれている。
個人的には、それじゃダメじゃないかなー、と思う。漫画におけるキャラの心情解説は、読者がキャラに感情移入していくための呼び水。そこを省いてしまったら、見る側の感情移入を誘えない。感情移入を誘えない娯楽コンテンツはマズい。娯楽コンテンツにならないだろう…。例えば石川賢の漫画のように展開でグイグイ引っ張るタイプならともかく、キャラの心情変化を見せることが肝になってるこの手のジャンルの作品で、それはマズかろうと。
このあたり、作り手の属性によるのかな、と邪推したりもする。例えば、少女マンガの類をほとんど読んだことが無い人にとっては、モノローグはただひたすらウザいもの、としか思えないのかもしれない。だからバッサリ削除してやろう、という判断になったのかもしれないと。でも、モノローグのそれぞれは、無駄に挿入されているわけじゃない。ここでキャラがこういうことを悩んでると教えておかないと、後で出てくる行動が読者にとって理解できない、等々、ある種シリーズ構成にすら絡んできたりもする。…そういうところまでちゃんと考えたうえで、モノローグ排除を選択したのか? 排除したことで失われたモノを一切補完しようとしないのは何故ですか? とスタッフに問いたい気分になったわけで。
要するに…ちゃんと原作を読み込んだ上で作ってるのかなあ、なんだか怪しいなあ、と。
でもまあ、
- 「この手のアニメは所詮原作漫画のCM映像。あるいはグッズ商品。映像作品としてガチで見るほうがおかしい」とか
- 「とにかくりんさえ可愛く描けたら成功ッス! りんに萌えるためのアニメなんです!」とか
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以上です。