2022/10/11(火) [n年前の日記]
#2 [pc][mz][z80] S-OS SWORDが気になる
CP/M関係についてググってるうちに、S-OS についてもググり始めてしまった。
S-OSというのは、大昔に、Oh!MZ, Oh!X というPC雑誌上で展開されていたソフトのシリーズ、という説明でいいのだろうか。Z80 CPUが載ったPC上で、各サブルーチンを呼び出すためのアドレスを統一しておくことで、機種が異なってもアプリケーションのバイナリ自体は同じものを利用できるようにする、BIOSに近いレベルのOSで…。発想としては、CP/M や MS-DOS に少し近いのだろうか。
ただ、S-OS上で動くアプリのバイナリは今でもネットから入手できるものの、肝心の、各機種毎のS-OSのバイナリ自体が配布されてないようで。
S-OS上で動く、Fuzzy Basic なる Basic の仕様が気になるのだよな…。ググってみても命令表すら見つからないので正体不明で…。何にせよ、S-OS が無いのでは、Fuzzy Basic も動かせないわけだけど…。
余談。「CP/M 自作」でググったら、自作のZ80ボードの記事がいくつか出てきて、世の中には凄い人達が居るもんだなと。でも、どれもデカい。今なら1チップにできたりしないのだろうか。それとも、既存の手のひらサイズのボードでエミュレーションしちゃうほうが現実的なのだろうか…。
S-OSというのは、大昔に、Oh!MZ, Oh!X というPC雑誌上で展開されていたソフトのシリーズ、という説明でいいのだろうか。Z80 CPUが載ったPC上で、各サブルーチンを呼び出すためのアドレスを統一しておくことで、機種が異なってもアプリケーションのバイナリ自体は同じものを利用できるようにする、BIOSに近いレベルのOSで…。発想としては、CP/M や MS-DOS に少し近いのだろうか。
ただ、S-OS上で動くアプリのバイナリは今でもネットから入手できるものの、肝心の、各機種毎のS-OSのバイナリ自体が配布されてないようで。
S-OS上で動く、Fuzzy Basic なる Basic の仕様が気になるのだよな…。ググってみても命令表すら見つからないので正体不明で…。何にせよ、S-OS が無いのでは、Fuzzy Basic も動かせないわけだけど…。
余談。「CP/M 自作」でググったら、自作のZ80ボードの記事がいくつか出てきて、世の中には凄い人達が居るもんだなと。でも、どれもデカい。今なら1チップにできたりしないのだろうか。それとも、既存の手のひらサイズのボードでエミュレーションしちゃうほうが現実的なのだろうか…。
◎ 著作権保護期間が70年なのは良くないと思う。 :
思考メモ。
レトロPCのハードウェアは工業製品として分類されるから、20〜25年ぐらいで権利は切れるらしいのだけど。そのレトロPC上で動いていたOSやアプリはソフトウェアとして分類されるから困るのだよな…。
ソフトウェアは、おそらく最低でも発売されてから70年経過しないと権利が切れないのだろうし。あるいは、ソフトウェアの作者が誰なのか分かっていて、しかもずっと御存命だったら、死後70年は保護しましょうという話になってしまうだろうし…。どのみち勝手に配布するわけにはいかない。エミュレータがあって、アプリのバイナリが入手可能でも、その両者を繋いでくれるOSだのBASICだのが入手できないから、当時の操作感覚を試すことすらできない。
そのソフトウェアに思い入れを持っていて、「これは後世に残しておきたい」と思った人達も、著作権が切れて「さあ、配布できますよ」となった頃には死んじゃってる可能性が高く…。何ら思い入れの無い人達が、それらを後世に残すべく努力してくれるとも思えない。つまり、膨大な数の、歴史的価値を持つ著作物が、後世にちゃんと残せる形で保護されない状態に置かれて、消えていくのは間違いないよなと…。
例えば CP/Mは、「これもう商業的価値が無いソフトウェアだから学習用その他の用途で使ってもええよ」ということで、著作者は権利を手放していないけど配布はされていて、誰でも当時のPCの操作感覚を味わうことができるわけだけど。日本でもそういう流れを作れないものか…。X68K関係の一部のソフトウェアはソレに近いことができてた時期があるらしいので、条件が整えば不可能ではないのだろうけど。
レトロPC上で動いてたソフトウェアに商業的価値があるなら今も販売されてるはずだけど、そういう話はほとんど聞かないし。しかし、商業的価値が無いからこんなもんは消滅しても構わないのだと決めつけられてしまうのもおかしい話のような気がする。
現状の法律は、著作物を保護しますと言いつつ、逆に結構な数の著作物を保護できない状態に追い込んでる気がする。特定の条件に合致してしまう著作物は例外としてコレコレこういう扱いも可能にしましょう、そうすることで消滅だけは回避できるでしょう、みたいな何かが欲しい気もする…。
まあ、何もかも国会図書館あたりに入れといて、時期が来たらネット上に粛々と開放されます、とかでもいいんだけど。
レトロPCのハードウェアは工業製品として分類されるから、20〜25年ぐらいで権利は切れるらしいのだけど。そのレトロPC上で動いていたOSやアプリはソフトウェアとして分類されるから困るのだよな…。
ソフトウェアは、おそらく最低でも発売されてから70年経過しないと権利が切れないのだろうし。あるいは、ソフトウェアの作者が誰なのか分かっていて、しかもずっと御存命だったら、死後70年は保護しましょうという話になってしまうだろうし…。どのみち勝手に配布するわけにはいかない。エミュレータがあって、アプリのバイナリが入手可能でも、その両者を繋いでくれるOSだのBASICだのが入手できないから、当時の操作感覚を試すことすらできない。
そのソフトウェアに思い入れを持っていて、「これは後世に残しておきたい」と思った人達も、著作権が切れて「さあ、配布できますよ」となった頃には死んじゃってる可能性が高く…。何ら思い入れの無い人達が、それらを後世に残すべく努力してくれるとも思えない。つまり、膨大な数の、歴史的価値を持つ著作物が、後世にちゃんと残せる形で保護されない状態に置かれて、消えていくのは間違いないよなと…。
例えば CP/Mは、「これもう商業的価値が無いソフトウェアだから学習用その他の用途で使ってもええよ」ということで、著作者は権利を手放していないけど配布はされていて、誰でも当時のPCの操作感覚を味わうことができるわけだけど。日本でもそういう流れを作れないものか…。X68K関係の一部のソフトウェアはソレに近いことができてた時期があるらしいので、条件が整えば不可能ではないのだろうけど。
レトロPC上で動いてたソフトウェアに商業的価値があるなら今も販売されてるはずだけど、そういう話はほとんど聞かないし。しかし、商業的価値が無いからこんなもんは消滅しても構わないのだと決めつけられてしまうのもおかしい話のような気がする。
現状の法律は、著作物を保護しますと言いつつ、逆に結構な数の著作物を保護できない状態に追い込んでる気がする。特定の条件に合致してしまう著作物は例外としてコレコレこういう扱いも可能にしましょう、そうすることで消滅だけは回避できるでしょう、みたいな何かが欲しい気もする…。
まあ、何もかも国会図書館あたりに入れといて、時期が来たらネット上に粛々と開放されます、とかでもいいんだけど。
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以上です。