2019/10/13(日) [n年前の日記]
#1 [nitijyou] 阿武隈川が氾濫
近所を流れる阿武隈川が氾濫して、周辺が浸水したらしい。
夕方、犬の散歩のついでに若干近くまで立ち寄ってみたら、朝方よりは水が引いたけど、まだ水浸しになってる場所にぶつかってしまって、いつものコースは進めなかった。
夕方、犬の散歩のついでに若干近くまで立ち寄ってみたら、朝方よりは水が引いたけど、まだ水浸しになってる場所にぶつかってしまって、いつものコースは進めなかった。
◎ ぼんやり思ったこと。 :
子供の頃から、阿武隈川と釈迦堂川の合流地点近辺は、何度か洪水で湖のような光景になっていたので、いつかまたそうなるだろうなー、と思っていたのでやっぱりそうなったかー、てな印象も。
これでも、自分がこっちに帰ってくる少し前の時期に、かなり広範囲で被害が発生したことがあって、ソレをキッカケにして「平成の大改修」と称し比較的ガッチリと堤防その他を対策していたはずなのだけど。それでもまだ足りなかった、ということだろうなと…。
浜尾遊水地のあたりを、犬と一緒に散歩しながら、「このへん全部水没する予定なんだなあ」「でもこれだけの広さがあれば阿武隈川だってそうそう氾濫しないだろう」などと自分も楽観視していた面もあるのだけれど。あの広さを超える範囲が、こうして水浸しになっているわけで…。いやはや、なんとも。
というか、ケーズデンキだのリオンドールだのイオンタウンだの、そのへんを自転車で走るたびに、「洪水になったらこのへん全部水没するけど、こんな店を建てちゃっていいのかね」と不安になっていたわけで。もっとも、自分如きが容易に想像できるのだから、世間の皆さんだって当然そんなことは想定済みのはずで。「十数年に1回水没しても、ここに建てるメリットは十分にある」と踏んだから、それぞれ建てていたのだろう…。この程度なら予想の範囲内、知ってました、分かってました、という話ではあるのだろうなと。
これでも、自分がこっちに帰ってくる少し前の時期に、かなり広範囲で被害が発生したことがあって、ソレをキッカケにして「平成の大改修」と称し比較的ガッチリと堤防その他を対策していたはずなのだけど。それでもまだ足りなかった、ということだろうなと…。
浜尾遊水地のあたりを、犬と一緒に散歩しながら、「このへん全部水没する予定なんだなあ」「でもこれだけの広さがあれば阿武隈川だってそうそう氾濫しないだろう」などと自分も楽観視していた面もあるのだけれど。あの広さを超える範囲が、こうして水浸しになっているわけで…。いやはや、なんとも。
というか、ケーズデンキだのリオンドールだのイオンタウンだの、そのへんを自転車で走るたびに、「洪水になったらこのへん全部水没するけど、こんな店を建てちゃっていいのかね」と不安になっていたわけで。もっとも、自分如きが容易に想像できるのだから、世間の皆さんだって当然そんなことは想定済みのはずで。「十数年に1回水没しても、ここに建てるメリットは十分にある」と踏んだから、それぞれ建てていたのだろう…。この程度なら予想の範囲内、知ってました、分かってました、という話ではあるのだろうなと。
◎ 昔の街道沿いは賢い。 :
東北本線の下を潜る地下道はきっと水没してるだろうと想像していたけれど、実際に行ってみたら普通に通れて、逆に驚いてしまった。
考えてみたら、江戸時代から続く昔の街道というか、旧国道というか、ソレを繋ぐ場所に地下道の出入り口があるから、洪水で水没しない程度に、微妙に高台なのだろうなと。
そして、街道と阿武隈川の間はしっかり綺麗に水没したわけで…。
つまり、このあたりに住んでいた昔の人は、「ここまでは水が来る」「ここまでは水が来ない」と把握した上で、水没する場所は田んぼや畑にして、水没しない場所の境界に街道を作り、その周りに家を建てていたのだろうと。そうとしか思えない。
しかし、昭和になってから、田んぼを潰して、道路を引いて、家や店を建ててしまった。昔の人がこの光景を見たら、「こいつら馬鹿じゃないのか」と呆れるだろうな…。
その土地にずっと住んできた先人達が、様々な形で、色々なヒントを残してくれていたのに。ほとんどスルーして、こういう事態を自ら招いている今の日本人の姿ってなんだかな。と思ったりもして。
まあ、ウチだって、そのへんどうこう言えないのだけど。昔から近隣に住んでる人なら、「あそこは水が染み出してくる」「生えてる草の種類を見れば判る」と危険視していた場所らしいけど。そんなところに、「安いから」という理由で家を建てちゃったわけで。そりゃ湿気が凄くてシロアリも出ますわ…。茶の間の畳も半分ほど食い荒らされますわ…。
人が増えすぎたのだろうな…。わざわざ危ない場所に家を建てないと暮らしていけないほどに、この日本と言う国は、人が増えすぎてしまったのだろう…。本来、この国土なら、人が住める場所は、もっと限られているはず、なのだろうと。
考えてみたら、江戸時代から続く昔の街道というか、旧国道というか、ソレを繋ぐ場所に地下道の出入り口があるから、洪水で水没しない程度に、微妙に高台なのだろうなと。
そして、街道と阿武隈川の間はしっかり綺麗に水没したわけで…。
つまり、このあたりに住んでいた昔の人は、「ここまでは水が来る」「ここまでは水が来ない」と把握した上で、水没する場所は田んぼや畑にして、水没しない場所の境界に街道を作り、その周りに家を建てていたのだろうと。そうとしか思えない。
しかし、昭和になってから、田んぼを潰して、道路を引いて、家や店を建ててしまった。昔の人がこの光景を見たら、「こいつら馬鹿じゃないのか」と呆れるだろうな…。
その土地にずっと住んできた先人達が、様々な形で、色々なヒントを残してくれていたのに。ほとんどスルーして、こういう事態を自ら招いている今の日本人の姿ってなんだかな。と思ったりもして。
まあ、ウチだって、そのへんどうこう言えないのだけど。昔から近隣に住んでる人なら、「あそこは水が染み出してくる」「生えてる草の種類を見れば判る」と危険視していた場所らしいけど。そんなところに、「安いから」という理由で家を建てちゃったわけで。そりゃ湿気が凄くてシロアリも出ますわ…。茶の間の畳も半分ほど食い荒らされますわ…。
人が増えすぎたのだろうな…。わざわざ危ない場所に家を建てないと暮らしていけないほどに、この日本と言う国は、人が増えすぎてしまったのだろう…。本来、この国土なら、人が住める場所は、もっと限られているはず、なのだろうと。
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