2009/08/02(日) [n年前の日記]
#1 [anime][neta] NHK-BS2で放送されてたガンダム特集番組を一応見終わったのだけど
なんだか、1st以外はガンダムとして認めない、という人達の気持ちがちょっと判ってきたような。
Zガンダム以降で見られる、キャラが激高するとモビルスーツが謎の光に包まれて、ビームを跳ね返したり、地球に落ちてくる小惑星を押し返しちゃったりするアレ。ある種の _「イヤボーン」 だと思うのだけど、アレってどうなんだろうなと。
1stが画期的作品と言われているのは、それまでは「所詮絵空事」と思われていたロボットアニメにおいて、「なんだかそれっぽい」と思わせることに成功したから…てなあたりは自分が書くまでもなく周知の言説だろうなと思うのだけど。Z以降は、「イヤボーン」が ―― 最後の最後で人間の意思が物理法則を捻じ曲げてしまう展開が用意されてるために、「所詮絵空事」のレベルに舞い戻ってしまった気がする。
人間は地べたを這うことしかできない生物なので、腕を一振りして空を飛べたり、念じるだけで遠くまで移動できてしまうと、それはもう人間に見えないわけで。人間に見えないものを見て、そこに感情移入していく・見ている側が自分との共通点を見出していくのは、ちょっと難しい。地べたを這うことしかできないからこそ、必死に考えて、アレコレ工夫して、不断の努力をするのだし、そうして工夫をして目的地に辿り着いたときに、その様子を見ていた観客は心を動かされる、のではないかと思えたり。
しかるにZガンダム以降のキャラは、感情を高ぶらせるだけでラスボスを倒せるし、小惑星は押し返すし、救おうとしていた彼女が謎の光に包まれてゆっくり主人公の手元に落ちてくるし。そこに至るまで「なんだかそれっぽい」と思わせるためのアレコレを大量に見せてきて、「こいつらは皆さんと同じ人間なんですよ」とせっかくアピールしてきたのに、最後の最後でちゃぶ台をひっくり返して「はーい、こいつら人間じゃありませんでしたー」となる。これで白けないほうがおかしい。
とはいえ、どうしてそうなったのかはなんとなく判らないでもないのだけど。
また、今川監督のように、そこから更に発展・進化させて、戦闘シーンにおいては生身の人間ですらありとあらゆる物理法則を捻じ曲げる、その見た目の面白さまで到達してみせた監督も居るわけだから、一概に否定するものではないのだろうな、とも思えたり。 *1 *2
感情とロボットのパワーが直結してると、見ていて判りやすい、のだろうとは思う。それこそ子供でも判る ―― 由緒正しいロボットアニメの見せ方のパターン、でもあるのだろうなと。
ではあるけれど。やはり1stとZ以降は異質だなと思ったのでした。まあ、1stも、最後のあたりでニュータイプ設定が出てきてしまってるからアレなんだけど…。
というわけで、もしかすると富野アニメは、「謎の光」を絶対に出さないという制限をつけて仕事をさせたほうが名作ができるんじゃないかと。いやいや逆に、いっそのこと最初から終わりまで超能力者しか出てこない作品を作ってもらったら、更に画期的な何かが生まれてきたのでは。「エスパーモノでも、こんなアプローチがあったのか…。さすがパターン破りのトミノ!」みたいな。嘘。
まあ、「なんだかそれっぽい」ガンダムは、他監督が作っているので、富野アニメにソレを求めなくても、という気もしてきたり。
Zガンダム以降で見られる、キャラが激高するとモビルスーツが謎の光に包まれて、ビームを跳ね返したり、地球に落ちてくる小惑星を押し返しちゃったりするアレ。ある種の _「イヤボーン」 だと思うのだけど、アレってどうなんだろうなと。
1stが画期的作品と言われているのは、それまでは「所詮絵空事」と思われていたロボットアニメにおいて、「なんだかそれっぽい」と思わせることに成功したから…てなあたりは自分が書くまでもなく周知の言説だろうなと思うのだけど。Z以降は、「イヤボーン」が ―― 最後の最後で人間の意思が物理法則を捻じ曲げてしまう展開が用意されてるために、「所詮絵空事」のレベルに舞い戻ってしまった気がする。
人間は地べたを這うことしかできない生物なので、腕を一振りして空を飛べたり、念じるだけで遠くまで移動できてしまうと、それはもう人間に見えないわけで。人間に見えないものを見て、そこに感情移入していく・見ている側が自分との共通点を見出していくのは、ちょっと難しい。地べたを這うことしかできないからこそ、必死に考えて、アレコレ工夫して、不断の努力をするのだし、そうして工夫をして目的地に辿り着いたときに、その様子を見ていた観客は心を動かされる、のではないかと思えたり。
しかるにZガンダム以降のキャラは、感情を高ぶらせるだけでラスボスを倒せるし、小惑星は押し返すし、救おうとしていた彼女が謎の光に包まれてゆっくり主人公の手元に落ちてくるし。そこに至るまで「なんだかそれっぽい」と思わせるためのアレコレを大量に見せてきて、「こいつらは皆さんと同じ人間なんですよ」とせっかくアピールしてきたのに、最後の最後でちゃぶ台をひっくり返して「はーい、こいつら人間じゃありませんでしたー」となる。これで白けないほうがおかしい。
とはいえ、どうしてそうなったのかはなんとなく判らないでもないのだけど。
- トリトンで、叫ぶと必殺技が発動する気持ちよさを見せて。
- イデオンで、人の感情がロボットの強大なパワーを引き出す設定に辿りつき。
- ダンバインで、人の感情とロボットのパワーが常にリンクしてることの簡便さに慣れて。
また、今川監督のように、そこから更に発展・進化させて、戦闘シーンにおいては生身の人間ですらありとあらゆる物理法則を捻じ曲げる、その見た目の面白さまで到達してみせた監督も居るわけだから、一概に否定するものではないのだろうな、とも思えたり。 *1 *2
感情とロボットのパワーが直結してると、見ていて判りやすい、のだろうとは思う。それこそ子供でも判る ―― 由緒正しいロボットアニメの見せ方のパターン、でもあるのだろうなと。
ではあるけれど。やはり1stとZ以降は異質だなと思ったのでした。まあ、1stも、最後のあたりでニュータイプ設定が出てきてしまってるからアレなんだけど…。
というわけで、もしかすると富野アニメは、「謎の光」を絶対に出さないという制限をつけて仕事をさせたほうが名作ができるんじゃないかと。いやいや逆に、いっそのこと最初から終わりまで超能力者しか出てこない作品を作ってもらったら、更に画期的な何かが生まれてきたのでは。「エスパーモノでも、こんなアプローチがあったのか…。さすがパターン破りのトミノ!」みたいな。嘘。
まあ、「なんだかそれっぽい」ガンダムは、他監督が作っているので、富野アニメにソレを求めなくても、という気もしてきたり。
◎ ひょっとしたらZガンダム以降のソレは高千穂先生のせいじゃないのかな。 :
高千穂先生が「ガンダムはSFじゃない」なんて言っちゃったから、富野監督は「SFって何だ…? もしかしてこういうことか?」でイデオンその他に辿りつき、勢い余ってZガンダム以降もあんなことに。嘘。
というか、イデオンってSFなんだろうか。どうなんだろう。スケールの大きさはなんだかSFっぽいと思うけど。
というか、イデオンってSFなんだろうか。どうなんだろう。スケールの大きさはなんだかSFっぽいと思うけど。
◎ 全然関係ないけどVガンダムのラストはいいなあ。 :
改めて見てみたけど、色々邪推(?)できるラストで、面白いなあ。
カテジナさんはあのまま行くと崖に落ちる、とどこかで聞いた記憶があるのだけど、誰が言ってたのだったか。そう思いながら見ていると、あの場を離れていくカテジナさんの表情は凄い。シャクティの手が「氷のように冷たい」という台詞も、何か意味が込めてあるのだろうか。いや、コンテ・演出はそう取られないような作りにしている、ようにも見えるけど。悲しいシーンなのか、怖いシーンなのか、どっちにも取れるシーンになってるあたりが凄い。
カテジナさんはあのまま行くと崖に落ちる、とどこかで聞いた記憶があるのだけど、誰が言ってたのだったか。そう思いながら見ていると、あの場を離れていくカテジナさんの表情は凄い。シャクティの手が「氷のように冷たい」という台詞も、何か意味が込めてあるのだろうか。いや、コンテ・演出はそう取られないような作りにしている、ようにも見えるけど。悲しいシーンなのか、怖いシーンなのか、どっちにも取れるシーンになってるあたりが凄い。
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以上です。