mieki256's diary



2003/03/18(火) [n年前の日記]

#2 [seiji] アメリカvsイラク

アメリカがイラクに最後通告。ブッシュは戦争という手段が最もコスト安で短期間で確実に目的を果たせる手段であると計算したのだろう。たしかに他の手段に比べれば短期間で済むかもしれない。だが、人命が失われる。「人命=高コスト」と考えるアメリカ人の大半が戦争を支持しているのもおかしな気がするが、支持するだけの勝算があるのだろうか。あるいは9・11で眼が曇ったか。

フセインはやはり最後通告を拒否してきた。ヒトラーと同じ。独裁者は大抵そうだ。命を落とすその時まで権力の座にしがみつく。国民全員を巻き込んで国に多大な損害を与える「ひきこもり」に付き合わされるイラク国民に同情する。

考えてみると意外と日本は特殊なのかもしれない。明治維新の折、無血開城により江戸を戦火に巻き込まなかった徳川慶喜しかり、本人はまだ命を失っていないのにアメリカに降伏した昭和天皇しかり。前後で致命的判断ミスをしてはいるが、彼等はある瞬間、たしかに王たるものの思考をしていた可能性がある。民を統べる者は何を優先して考えるべきか。それを知らない者が独裁者と呼ばれる。

戦争はたしかに嫌だが、かといってイラクの実状を放置しておくわけにもいかない。戦争がダメだと言うなら、戦争以外にイラクを改善できる方法を提示しなければならない。「戦争嫌い」の感情論だけを声高に叫び、しかし戦争以外の改善策を何ら提示しないなら、「イラクを放置しよう」=「フセインを放置しよう」と呼びかけてことになる。つまり、「イラクの人々がどれだけ犠牲になろうが自分達の知った事じゃない」「彼等を人柱にしてでも俺達は平和を楽しもうぜ」…そう表明しているも同じだろう。

既にフセインはクルド人相手に化学兵器を用いている。空気に含まれたそれら兵器は、関係の無い女性や子供達の全身の皮膚を焼き、内臓をも焼いた。「戦争嫌い」を主張する人々はそれら事実を知っていてもなおフセインを放置すべきと言うのだろうか。「イラクの罪のない子供達の命が」などと一見美しい言葉を吐くが、その罪のない子供達の命を既に奪い、これからも奪い続ける可能性の高いフセインを放置しようとは、随分と矛盾した話ではないか。本心から「子供達の命」を救いたいと願っているなら、何かしら対策を打たなければならないのはたしかだろう。放置などできないはずではないか。「戦争嫌い」などと呑気で非現実な感情論を口にできる状況ではない。

(とは言ってもクルド人虐殺については諸説あり。少なくとも「そんな嘘話信じやがって」と言えるぐらいに知識を持ってる人ならば、反戦を訴えるにしてもそれなりにビジョンを持ち理論武装して訴えてるはずなので何の問題も無いしむしろどんどん反戦を訴えてほしいぐらい。しかしただ単に「嫌戦」だけで反戦を訴えてる人々は、下手すると「罪のない子供達の命」を奪う側に利用されかねない可能性について自覚すべきだ。北朝鮮の首領様と同様、フセインもまた人々を騙す事にかけては一流。ふと気づいたら、サリンをばら撒いたオウムの麻原みたいな奴をかばってた、ではあまりに愚かしいではないか。)

しかし、自分も、この時期に戦争を選択することには反対だ。査察を続ける事で、完全な状況改善は無理だとしても、ある程度の状況改善が得られたはず。そうなれば仮に最後は戦争になったとしても、今より短期間で終結し損害もより少なくて済むだろう。戦争に突入する前にまだやるべき事があったはず。ブッシュは「人命」というコストについて、もっと真剣に、慎重に考えるべきではなかったか。

などと平和ボケしたひきこもりアニヲタが吠えたところで現実は何一つ変わらないわけで。更に日本という国も、具体的な軍事力・各種支援を提供するわけでもなく、国連内でも所詮は蚊帳の外。となれば、せめて早期に戦争が終結する事を祈るだけであります。

以上です。

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