2001/12/12(水) [n年前の日記]
#2 [zatta] Webと同人誌
K長さんから、
「スタッフインフォメを兼ねて、フリートークページ書いて」
と頼まれ、悩む。
ネタが無いのです。
文章に書けそうなモノは全部ココで流してるから…
今更あえて、印刷媒体に書くほどのネタは何も残ってない。
ふと、Webが普及する以前は随分不自由だった事に気がつく。
こうしてWebサイトを作れなかった頃は、自分の思ってる事を外に向けて発信する手段が無かった。
一般市民がそんなこと出来るのは、せいぜい…
同人誌(ミニコミ誌)ぐらいじゃなかろうか。
たぶん、K長さんや、他の、Webサイト等作ってない人達は、
「フリートークページを書け」
と言われても、スラスラ書けるかもしれない。
なぜなら現在、そこしか自分の思い・考えてる事を、発表する場がないから。
だから、水を得た魚のように、書き上げる事が出来るんじゃないか。
でも、自分の場合…
ここで書いてることを、再度、印刷媒体に書いても…
それって…自分自身にとっては、つまんない作業だよなぁ…
そういえば以前…
ミニコミ誌を集めてた博物館が、経済的に運営が難しくなり閉鎖を余儀なくされた、というニュースを見た記憶が。
ミニコミ誌が果たすはずの場所に、Webが入りこみ、取って代わったから…と誰かが説明してたような。
その時は「そうかなぁ…」と今一つ納得できなかったけど。
今、この瞬間なら、その説明は当たってるような気が。
同人誌とWebサイトを、個人の表現の場として見た場合…
Webのほうがメリットが多いように思うのです。
例えば印刷媒体には、以下のようなデメリットがありますよね。
それに比べると、Webはメリットが多い。
Webが印刷物に劣る点と言えば…
それでも…
個人で情報発信する分には、これでも充分じゃないかという気もする。
50〜100冊作るのに、ン万円も業者に払い…
(2回ほど印刷したら、その金額で最新PC買えますがな)
たったそれだけの部数ですら売れ残り…
押し入れの在庫を見ながら、ああ今回も赤字だなぁとガックリする…
それしかメディアが存在しなかった時代ならともかく…
既に、そういった苦痛を緩和するメディアがこうして存在するのに…
何も毎回、「赤字だ赤字だ」と言いながら、あえて苦痛を味わうメディアを選択し続けなくてもいいじゃないか…
なんて思うのだけど。
「お祭りだから」を、そのメディアをあえて選択してることの理由にするなら…
「赤字だ」のセリフは言っちゃいけないと思う。
それってもう、「お祭り」として楽しもうとしていないことじゃないかな。どこか矛盾してる。
(矛盾してないと言うなら、それはもう、別のベクトルでの「お祭り」を期待してるってことで…
その場合、発信する情報の方向性と、発信するという行為に対する意識の持ち方にずれがある。)
Webは、そういう思いをしなくていい。
例えば、同人誌の世界には「テンプラ本」があるけど…
Webにはそんなものないわけで。
Webは、コンテンツ以外の部分での、読者に見てもらうための努力を、印刷物ほど必要としない。
経済的な懸念とも無縁。
そしてその事は、ただひたすらコンテンツの充実…
「情報の中身」を良くする事にのみ、力を注ぐ事が可能な状況を生み出してくれるはずで。
逆に言えば、これまであった各種制限の無い分…
情報発信者としての能力・資質を厳しく試されるメディアでもあるけど >Web
自分の創作物が世に広まらない場合…
印刷物なら、部数が出てないからとか、お金が無いからとか、色んな言い訳ができる。
でも、Webじゃそんな言い訳は通用しない。
面白いモノは面白いし、つまらないものはつまらない。
情報の本質的なクオリティが露呈してしまうメディア。
そういえば、経済的な懸念がない分、経済的な見返りも存在しないに等しいですが。
儲けたい人は、Webにはあまり力を入れないだろうな。その分、本にして売った方が儲かるだろうし。
逆に考えれば、心の底から純粋に、
「俺の作ったものを見てくれ」「俺の考えを聞いてくれ」「皆でドンドン楽しんでくれ」
的な欲求で溢れた人にとっては、美味しいメディアかも。
それぐらいしか、その手のサイト運営の推進力にならないとも思うし。
作者側のモチベーションを維持できるかどうか、そのへんも厳しいですかね。
作らずには居られない人間と、作らなくても何とも思わない人間が…
サイトの中身や更新具合を見る事で、明確に判別できてしまう。
例えば、自分は後者だったりして(爆)
見事なまでに、絵を描かなくなっちゃったもんなぁ…
自分にとって絵を描く事は、絶対に欠かせない行為では無かったと、サイトを作った事で露呈してしまった。
某Painter使いの有名イラストレーターのように、
「描かずにいられない!」
などとは口が裂けても言えない種類の人間である事を…
このサイトを作った事により、結果的にこうして証明してしまったのでありますが >自分
えー、それはともかく…
Webというメディアに触れた人間であれば…
あえて今、印刷物として情報発信するとすれば、印刷物でしか表現できない何か…
「Webで置き換える事のできない何か」
がそこにないと、印刷物を作り上げる事に価値を見出せないんじゃないかと…
思ったりもするけど、どうなんだろう。
…例えばその「何か」は、
紙質にこだわるとか、立体物としての構成にこだわるとか、
そういった表面的な事でも充分だろうとも思うんですが。
「それ、ページをそのままjpg画像にしてサイトに置いとけば、読者にとっては同じ事じゃん」
というものを、あえて今から印刷物にするのって、なんていうか…どうなんだろう… (-_-;)
「いわゆる『同人誌』を作る意味はもう無いよ」
と言ってるわけじゃないので、そこは誤解しないでほしいのですけど。
同人誌・印刷物を作る事が楽しい人達が居るってのはよくわかってるつもりだし。
(かつての自分もそうでしたし。)
印刷物=環境を選ばず情報に触れる事の出来るメディアである事実は揺るがないわけだし。
ただ…
「自分達を表現できるメディアは同人誌以外に存在しないのだ」「これしかないのだ」
と思い込まないほうがいいんじゃないかなぁ…と。
それって、同人誌・印刷メディアの持ってる様々な可能性を、自分から狭める事に繋げてるような。
それと、人を束ねて、一つの「何か」を作る…
その「何か」にも、色んなモノがあるとも思う。
「これでなきゃいけないんだ」ってのは無いと思うのです。
とかなんとか言ってみたけど。
今現在、自分は実際に同人誌作ってないし。
せいぜい原稿頼まれてちょこちょこ描くぐらいで。
こゆことゴチャゴチャ言える立場にはないわけですが(爆)
でも、自分の描いたヘタレ原稿が印刷される過程を考えると、憂鬱になってくるのです…
編集作業、大変だろうな、とか。
今回はコピー本との事だから、コンビニとの往復や、コピー機占領も、精神的にツライだろうな、とか。
特に、実働部隊が、プライベートが忙しい人達ばかりってのもあるし…ホント大変だよなぁ、と。
で、自分の原稿を眺めた時、
「これって…そこまでの手間隙かけるほどの情報なのかな」と。
Webにペロンとアプすれば、それで終わっちゃいそうな情報なんですよね。只の静止画だし。
編集や製本に関わる人達が労力かけた分、何らかの形で結果的に報われるならいいのだけど…
これって実際どうなのよ? という不安が…
本当にこれでいいのか? このベクトルでいいのか?
そのベクトルで突き進んでていいのか? みたいな…
…あっ!! ??( ̄□ ̄;)!!
考えてみたら…この文章を原稿に書けば良かったのでは!? <今頃気付くなYO
って、同人誌にずらずら文章書いてあっても誰も読まないよね…(爆)
全然関係無い話だけど。
「お祭り」でふと思ったんですが…
インパクって、糸井氏なりの「Webメディアでの『お祭り』」を実現しようとしてたのかな、なんて今頃思ったりして。
ヲタクにとってのコミケみたいな、ああいう場・雰囲気と同様のモノを、Webの世界でも作ろうとしてたのかな、なんて。
(「糸井氏がコミケ知ってる」わけはないだろうから、糸井氏が今まで仕事してきたメディアに存在してた『お祭り』感覚なんでしょうけど。)
でも、頭固い人が多くて、そうはならなかったんでしょうかね。
政府関係の人や、企業の上の方の人達が、そういう「お祭りの雰囲気」を…肌で感じる事って無さそうだし。
感覚的に理解不能だったんじゃないのかな。そのへんに無理があったのかなぁ。
ぐはっ!
今日のは長すぎだYO… (;´Д`)
「スタッフインフォメを兼ねて、フリートークページ書いて」
と頼まれ、悩む。
ネタが無いのです。
文章に書けそうなモノは全部ココで流してるから…
今更あえて、印刷媒体に書くほどのネタは何も残ってない。
ふと、Webが普及する以前は随分不自由だった事に気がつく。
こうしてWebサイトを作れなかった頃は、自分の思ってる事を外に向けて発信する手段が無かった。
一般市民がそんなこと出来るのは、せいぜい…
同人誌(ミニコミ誌)ぐらいじゃなかろうか。
たぶん、K長さんや、他の、Webサイト等作ってない人達は、
「フリートークページを書け」
と言われても、スラスラ書けるかもしれない。
なぜなら現在、そこしか自分の思い・考えてる事を、発表する場がないから。
だから、水を得た魚のように、書き上げる事が出来るんじゃないか。
でも、自分の場合…
ここで書いてることを、再度、印刷媒体に書いても…
それって…自分自身にとっては、つまんない作業だよなぁ…
そういえば以前…
ミニコミ誌を集めてた博物館が、経済的に運営が難しくなり閉鎖を余儀なくされた、というニュースを見た記憶が。
ミニコミ誌が果たすはずの場所に、Webが入りこみ、取って代わったから…と誰かが説明してたような。
その時は「そうかなぁ…」と今一つ納得できなかったけど。
今、この瞬間なら、その説明は当たってるような気が。
同人誌とWebサイトを、個人の表現の場として見た場合…
Webのほうがメリットが多いように思うのです。
例えば印刷媒体には、以下のようなデメリットがありますよね。
- 印刷媒体は、形にするまでに時間がかかる。何人もの手を経由することが避けられない。
- 印刷費がバカにならない。カラーで印刷しようものなら予算が大変な事に。
- 修正が困難。即時性に欠ける。
- どう頑張っても、発行部数以上に、読者数を増やせない。再版も手間がかかる。
- 情報の流れとして、作者→読者への一方通行。
- 在庫を抱えると場所を取るし、経済的・精神的にも痛い。
それに比べると、Webはメリットが多い。
- 一度フォーマットを決めさえすれば、文章だけなら、制作期間はそれほどかからない。
- 発信するための料金が、印刷費に比べればはるかに安い。カラー画像も躊躇せず掲載できる。
- 修正が容易。それなりの即時性がある。
- 発行部数による読者数の制限を受けない。コンテンツが面白ければ、ほぼ無限に読者数を増やせる。
- 掲示板等設置すれば、作者・読者間で、相互にコミュニケーションがとれる。
- 在庫という概念が存在しない。
Webが印刷物に劣る点と言えば…
- どこでもいつでも、見れない。見れる環境が必要(PCとか回線速度とか)
- 情報が必ずそこにあるとは限らない。サーバ管理者にデリ食らったら終わり。
- 画像のクオリティが低い。不可逆圧縮した画像を置くのが関の山。
- 「ゲットした!」という感覚に乏しい。目の前に、実際に「ブツ」が無いわけだから。
それでも…
個人で情報発信する分には、これでも充分じゃないかという気もする。
50〜100冊作るのに、ン万円も業者に払い…
(2回ほど印刷したら、その金額で最新PC買えますがな)
たったそれだけの部数ですら売れ残り…
押し入れの在庫を見ながら、ああ今回も赤字だなぁとガックリする…
それしかメディアが存在しなかった時代ならともかく…
既に、そういった苦痛を緩和するメディアがこうして存在するのに…
何も毎回、「赤字だ赤字だ」と言いながら、あえて苦痛を味わうメディアを選択し続けなくてもいいじゃないか…
なんて思うのだけど。
「お祭りだから」を、そのメディアをあえて選択してることの理由にするなら…
「赤字だ」のセリフは言っちゃいけないと思う。
それってもう、「お祭り」として楽しもうとしていないことじゃないかな。どこか矛盾してる。
(矛盾してないと言うなら、それはもう、別のベクトルでの「お祭り」を期待してるってことで…
その場合、発信する情報の方向性と、発信するという行為に対する意識の持ち方にずれがある。)
Webは、そういう思いをしなくていい。
例えば、同人誌の世界には「テンプラ本」があるけど…
Webにはそんなものないわけで。
Webは、コンテンツ以外の部分での、読者に見てもらうための努力を、印刷物ほど必要としない。
経済的な懸念とも無縁。
そしてその事は、ただひたすらコンテンツの充実…
「情報の中身」を良くする事にのみ、力を注ぐ事が可能な状況を生み出してくれるはずで。
逆に言えば、これまであった各種制限の無い分…
情報発信者としての能力・資質を厳しく試されるメディアでもあるけど >Web
自分の創作物が世に広まらない場合…
印刷物なら、部数が出てないからとか、お金が無いからとか、色んな言い訳ができる。
でも、Webじゃそんな言い訳は通用しない。
面白いモノは面白いし、つまらないものはつまらない。
情報の本質的なクオリティが露呈してしまうメディア。
そういえば、経済的な懸念がない分、経済的な見返りも存在しないに等しいですが。
儲けたい人は、Webにはあまり力を入れないだろうな。その分、本にして売った方が儲かるだろうし。
逆に考えれば、心の底から純粋に、
「俺の作ったものを見てくれ」「俺の考えを聞いてくれ」「皆でドンドン楽しんでくれ」
的な欲求で溢れた人にとっては、美味しいメディアかも。
それぐらいしか、その手のサイト運営の推進力にならないとも思うし。
作者側のモチベーションを維持できるかどうか、そのへんも厳しいですかね。
作らずには居られない人間と、作らなくても何とも思わない人間が…
サイトの中身や更新具合を見る事で、明確に判別できてしまう。
例えば、自分は後者だったりして(爆)
見事なまでに、絵を描かなくなっちゃったもんなぁ…
自分にとって絵を描く事は、絶対に欠かせない行為では無かったと、サイトを作った事で露呈してしまった。
某Painter使いの有名イラストレーターのように、
「描かずにいられない!」
などとは口が裂けても言えない種類の人間である事を…
このサイトを作った事により、結果的にこうして証明してしまったのでありますが >自分
えー、それはともかく…
Webというメディアに触れた人間であれば…
あえて今、印刷物として情報発信するとすれば、印刷物でしか表現できない何か…
「Webで置き換える事のできない何か」
がそこにないと、印刷物を作り上げる事に価値を見出せないんじゃないかと…
思ったりもするけど、どうなんだろう。
…例えばその「何か」は、
紙質にこだわるとか、立体物としての構成にこだわるとか、
そういった表面的な事でも充分だろうとも思うんですが。
「それ、ページをそのままjpg画像にしてサイトに置いとけば、読者にとっては同じ事じゃん」
というものを、あえて今から印刷物にするのって、なんていうか…どうなんだろう… (-_-;)
「いわゆる『同人誌』を作る意味はもう無いよ」
と言ってるわけじゃないので、そこは誤解しないでほしいのですけど。
同人誌・印刷物を作る事が楽しい人達が居るってのはよくわかってるつもりだし。
(かつての自分もそうでしたし。)
印刷物=環境を選ばず情報に触れる事の出来るメディアである事実は揺るがないわけだし。
ただ…
「自分達を表現できるメディアは同人誌以外に存在しないのだ」「これしかないのだ」
と思い込まないほうがいいんじゃないかなぁ…と。
それって、同人誌・印刷メディアの持ってる様々な可能性を、自分から狭める事に繋げてるような。
それと、人を束ねて、一つの「何か」を作る…
その「何か」にも、色んなモノがあるとも思う。
「これでなきゃいけないんだ」ってのは無いと思うのです。
とかなんとか言ってみたけど。
今現在、自分は実際に同人誌作ってないし。
せいぜい原稿頼まれてちょこちょこ描くぐらいで。
こゆことゴチャゴチャ言える立場にはないわけですが(爆)
でも、自分の描いたヘタレ原稿が印刷される過程を考えると、憂鬱になってくるのです…
編集作業、大変だろうな、とか。
今回はコピー本との事だから、コンビニとの往復や、コピー機占領も、精神的にツライだろうな、とか。
特に、実働部隊が、プライベートが忙しい人達ばかりってのもあるし…ホント大変だよなぁ、と。
で、自分の原稿を眺めた時、
「これって…そこまでの手間隙かけるほどの情報なのかな」と。
Webにペロンとアプすれば、それで終わっちゃいそうな情報なんですよね。只の静止画だし。
編集や製本に関わる人達が労力かけた分、何らかの形で結果的に報われるならいいのだけど…
これって実際どうなのよ? という不安が…
本当にこれでいいのか? このベクトルでいいのか?
そのベクトルで突き進んでていいのか? みたいな…
…あっ!! ??( ̄□ ̄;)!!
考えてみたら…この文章を原稿に書けば良かったのでは!? <今頃気付くなYO
って、同人誌にずらずら文章書いてあっても誰も読まないよね…(爆)
全然関係無い話だけど。
「お祭り」でふと思ったんですが…
インパクって、糸井氏なりの「Webメディアでの『お祭り』」を実現しようとしてたのかな、なんて今頃思ったりして。
ヲタクにとってのコミケみたいな、ああいう場・雰囲気と同様のモノを、Webの世界でも作ろうとしてたのかな、なんて。
(「糸井氏がコミケ知ってる」わけはないだろうから、糸井氏が今まで仕事してきたメディアに存在してた『お祭り』感覚なんでしょうけど。)
でも、頭固い人が多くて、そうはならなかったんでしょうかね。
政府関係の人や、企業の上の方の人達が、そういう「お祭りの雰囲気」を…肌で感じる事って無さそうだし。
感覚的に理解不能だったんじゃないのかな。そのへんに無理があったのかなぁ。
ぐはっ!
今日のは長すぎだYO… (;´Д`)
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以上です。