2014/10/17(金) [n年前の日記]
#2 [anime][neta] ジブリ病
コレ、前にも書いてたかな…。確認するの面倒臭いから、もう一度メモしちゃおう。あくまで思考メモですけど。
米林監督とゴロー監督が出てるNHKの番組を見ていた時になんとなく思ったのだけど。ジブリ病って呼称・概念はどうかなと。既に誰かが別の定義で提唱してるかもしれないけど。
番組を見ているうちに、二人とも、そこにこだわってどうするんだってところでリテイク出してる感じがして。そういったコストパフォーマンスの悪さが、ジブリの制作費増大に繋がってきたのかなあ、みたいな想像を。
例えばゴロー監督は、山の上の砦の地面が坂になってないとおかしいと言い出して。その場所が坂になると、接地モーションの調整作業が増加するので、3DCG班はやりたくないわけですよ。しかしゴロー監督は熱弁。「山の上だよ? 坂になってなきゃ不自然でしょ?」
自然か不自然かなんてどうでもいいよ。心底どうでもいい。リアルがイイなら実写で作れや。なんでアニメ作ってんの。と思ってしまったりして。
アニメの各カットにおいてリアルを追求するのは、あくまで手段に過ぎなくて。リアルにすることで観客の心理をある方向に誘導できる効果が期待できるからリアルにするわけですよ。逆に言えば、観客の心理に大した変化を与えられないなら、そこで苦労する意味無いですよ。だけどジブリ関係者は、どうもリアルにすることが手段じゃなくて目的になってる節があるよなと。おそらく宮崎駿監督から日頃徹底的にダメ出しされ続けて、そうしなきゃいけないと思い込んでるのだろうけど。
砦の地面が坂だったら、視聴者の子供達の気持ちには何か変化があるのかと。ねえよ。全然ねえよ。そんなどうでもいいことに拘るより、砦に滑り台つけて主人公を滑らせたり、家畜小屋の横に小窓付けて「おはよう! ○○ちゃん!」と挨拶させたり、露天風呂置いて母娘に夜空を見上げさせたりしたほうが良くね? 秘密基地っぽい感じをガンガン増して、見てる子供達に「こういうところに住んでみたいなあ」と夢を見させろよと。砦の地面が坂だったら子供達は夢を見るのか。見ねえよ。てことは、そこは拘らなくていい場面ですわ。もっと効果的な拘り方を探すべきで。と思うわけなんですけど。
米林監督は、またちょっと違う、変な拘り方をしてて。とあるカットで、ヒロインの背景の草を動かしましょうとリテイク出してたのですけど。それらの草を、手描き動画で動かせと。
いやいや、そこはCGで動かせば済むでしょ。何で手描きで動かすの。手描きなら動きの制御がしやすいんだと言われそうだけど、そのカットは単に「背景の草がヒロインの心情と一致して動いているのです」と記号で伝われば十分なカットなんだから、正確な動きの制御とか要らない・アニメーターの手を煩わせる必要はないだろうと。宮崎駿監督の真似して何でも手描きで動かさなくていいよ。俺達ファミコン世代なんだからコンピュータ使おうぜ。みたいな。
米林監督はアニメーター出身だから、どうも手描きで動かすコストを安く見積もり過ぎてる気もするし(いざとなれば自分で描いちゃえば済むから…)。手を動かせば動かした分、観客に何かが伝わるはずだと信じ込んでる節もありそうで。たしかに伝わることは伝わるけど、ドカンと伝わる場面とちょっぴりしか伝わらない場面があるんじゃないかなあと。投入したリソースに見合うリターンが期待できるかできないか、その手法を選ぶことで見てる人達の気持ちをどんな風に動かせるか、考えているのか怪しいよなと。
まあ、ジブリアニメも、ローニャも、こんなに拘って作ってますよ、どうです、凄いでしょう、と思わせられないと番宣の意味が無いのでアレなのでしょうけど。自分はそれらの拘りを見ていて、「無意味なことやってんなあ。コストパフォーマンス考えてないよなあ」と思ってしまったのでした。で、そういうアレコレを「ジブリ病」と称したら楽かなあ、と思ったりしました。
とは言え、ローニャの3DCG映像見て、影が不自然だなと引っ掛かってしまった自分も居て。演出意図がそこにあるわけでもなく、見てる人に引っかかりを持たせちゃうのも、良くないよなあ…。
でも、ソレって、叩かれないように、叩かれないようにと、ビクビクオドオドしながら作ってる状態に近い気も。何かこう、一点豪華主義みたいな作りだってあってもいいよなと。…ナウシカやラピュタの頃は、○点豪華主義みたいな作りだった気もするけど。
とりあえず、「ココを坂にすれば子供達大爆笑だよ? だから坂にしようよ」とか「ココを手描きで動かせば号泣間違いなし! だから手描きで」とか、見てる人達の表情を想像しながらリテイクを出す出さないを決めてかないとキリがないだろうなと思ったけれど、まあ、難しいですよね。「この粗を直さないと、また怒られる…」みたいな思考が癖になってそうだし…。
米林監督とゴロー監督が出てるNHKの番組を見ていた時になんとなく思ったのだけど。ジブリ病って呼称・概念はどうかなと。既に誰かが別の定義で提唱してるかもしれないけど。
番組を見ているうちに、二人とも、そこにこだわってどうするんだってところでリテイク出してる感じがして。そういったコストパフォーマンスの悪さが、ジブリの制作費増大に繋がってきたのかなあ、みたいな想像を。
例えばゴロー監督は、山の上の砦の地面が坂になってないとおかしいと言い出して。その場所が坂になると、接地モーションの調整作業が増加するので、3DCG班はやりたくないわけですよ。しかしゴロー監督は熱弁。「山の上だよ? 坂になってなきゃ不自然でしょ?」
自然か不自然かなんてどうでもいいよ。心底どうでもいい。リアルがイイなら実写で作れや。なんでアニメ作ってんの。と思ってしまったりして。
アニメの各カットにおいてリアルを追求するのは、あくまで手段に過ぎなくて。リアルにすることで観客の心理をある方向に誘導できる効果が期待できるからリアルにするわけですよ。逆に言えば、観客の心理に大した変化を与えられないなら、そこで苦労する意味無いですよ。だけどジブリ関係者は、どうもリアルにすることが手段じゃなくて目的になってる節があるよなと。おそらく宮崎駿監督から日頃徹底的にダメ出しされ続けて、そうしなきゃいけないと思い込んでるのだろうけど。
砦の地面が坂だったら、視聴者の子供達の気持ちには何か変化があるのかと。ねえよ。全然ねえよ。そんなどうでもいいことに拘るより、砦に滑り台つけて主人公を滑らせたり、家畜小屋の横に小窓付けて「おはよう! ○○ちゃん!」と挨拶させたり、露天風呂置いて母娘に夜空を見上げさせたりしたほうが良くね? 秘密基地っぽい感じをガンガン増して、見てる子供達に「こういうところに住んでみたいなあ」と夢を見させろよと。砦の地面が坂だったら子供達は夢を見るのか。見ねえよ。てことは、そこは拘らなくていい場面ですわ。もっと効果的な拘り方を探すべきで。と思うわけなんですけど。
米林監督は、またちょっと違う、変な拘り方をしてて。とあるカットで、ヒロインの背景の草を動かしましょうとリテイク出してたのですけど。それらの草を、手描き動画で動かせと。
いやいや、そこはCGで動かせば済むでしょ。何で手描きで動かすの。手描きなら動きの制御がしやすいんだと言われそうだけど、そのカットは単に「背景の草がヒロインの心情と一致して動いているのです」と記号で伝われば十分なカットなんだから、正確な動きの制御とか要らない・アニメーターの手を煩わせる必要はないだろうと。宮崎駿監督の真似して何でも手描きで動かさなくていいよ。俺達ファミコン世代なんだからコンピュータ使おうぜ。みたいな。
米林監督はアニメーター出身だから、どうも手描きで動かすコストを安く見積もり過ぎてる気もするし(いざとなれば自分で描いちゃえば済むから…)。手を動かせば動かした分、観客に何かが伝わるはずだと信じ込んでる節もありそうで。たしかに伝わることは伝わるけど、ドカンと伝わる場面とちょっぴりしか伝わらない場面があるんじゃないかなあと。投入したリソースに見合うリターンが期待できるかできないか、その手法を選ぶことで見てる人達の気持ちをどんな風に動かせるか、考えているのか怪しいよなと。
まあ、ジブリアニメも、ローニャも、こんなに拘って作ってますよ、どうです、凄いでしょう、と思わせられないと番宣の意味が無いのでアレなのでしょうけど。自分はそれらの拘りを見ていて、「無意味なことやってんなあ。コストパフォーマンス考えてないよなあ」と思ってしまったのでした。で、そういうアレコレを「ジブリ病」と称したら楽かなあ、と思ったりしました。
とは言え、ローニャの3DCG映像見て、影が不自然だなと引っ掛かってしまった自分も居て。演出意図がそこにあるわけでもなく、見てる人に引っかかりを持たせちゃうのも、良くないよなあ…。
でも、ソレって、叩かれないように、叩かれないようにと、ビクビクオドオドしながら作ってる状態に近い気も。何かこう、一点豪華主義みたいな作りだってあってもいいよなと。…ナウシカやラピュタの頃は、○点豪華主義みたいな作りだった気もするけど。
とりあえず、「ココを坂にすれば子供達大爆笑だよ? だから坂にしようよ」とか「ココを手描きで動かせば号泣間違いなし! だから手描きで」とか、見てる人達の表情を想像しながらリテイクを出す出さないを決めてかないとキリがないだろうなと思ったけれど、まあ、難しいですよね。「この粗を直さないと、また怒られる…」みたいな思考が癖になってそうだし…。
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以上です。