mieki256's diary - Web Board

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Subject: Re: 槇原敬之に「999」盗作騒動
Date: 2006/11/12 11:01
From: mieki256

> 槙原氏側がその様な表現を使った
> = 自ら盗作である事を告白したと考えられませんか?

いや…まったくそのようには考えられませんが…。
「『この“仮説”が認められるとこのような問題が生じる』
 …という「仮定」の話を口にした」=「“仮説”は真である」
というのは全然ロジックになってないと思うのですけど…。
何故そのような飛躍ができるのか、ちょっと理解に苦しみます。

なんとなくですけど、ひょっとして結論を先に決めてませんかね…。
「こういう可能性はないか」とアレコレ想像・予想してみるその前に、
「こうに違いない」と早々に結論だけを決め、
その結論にとって都合のいい文節を各所からついばんでいるだけ…
そんな印象を受けたのですが。

いかんせん私自身も、松本氏が生んだというその台詞を知らなかったので…
自身の体験に基づいて考えてしまうと、
槇原氏がその台詞を知らなかった、という可能性は否定できないんですね。
オリジナルを否定する・しない以前の話で、
オリジナルの存在を知らなかった可能性があるよなと。
まあ、それを言うと、
「自分は知ってた。故に、槇原氏も知ってたはず」
という言も通用することになるのですが。
とはいえ、どちらも可能性としては、同等・等価だろうと思います。
どちらも「自身の体験」に基づく話に過ぎませんから。

…が、しかし、等価の可能性がそこにあるのに、
「槇原氏は盗作した」という結論のみを提示して
相手を非難するのは、どうも奇妙な感じが。

いやまあ、単に、「自分はこう思った」という感想・感情の範疇であれば、
ロジックになってようがなってまいがどうでもいいこと、
かもしれんのですけど。
でも、単なる感想レベルの話で非難される槇原側は悲惨だなぁ、
という別の感想も生まれてくるような気がしないでもないのでありました。