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> 最近の若い人達って漫画絵とか異様に上手いけど。
それで飯が食えれば言う事なし、だと思いますよ。
生き方が2つあって、
ひとつは「こんな感じの絵を描いて欲しいな」といわれたときに
「はい分かりました」と答えられるか。
お客さんの要求に応えられない絵描きどんなにうまくてもダメ。
もうひとつは「俺の画風を世間に認めさせてやる」といって
がんがん売り込む。
売れれば天下、売れなければただの人。
プロとアマの違いはその辺でしょう。
要するにお金になる能力かどうか、と言う事です。
かんちがいしやすいのは
「どこかの会社に所属して、描きたい絵だけを描いてサラリーを貰う」
というような生活がどこかにあると思っている人が多すぎ。
(まぁ、今騒動の元になっているマスコミなんて言う人種はこれに該当するんんで、
マスコミ志望の人が履いて捨てるほどいるんだけど。
しかも高給取りだから、みんなうらやましがるし妬みの元になるんだけどね)
ゆとり教育の悪いところは
こういう「お金にならない人」をおだてたまま
社会に放り出してしまうと言うことだと思いますよ。
結局困るのは本人なのに、能力を過信して
「オレは音楽以外の仕事はしねぇ」とか
「私は漫画以外描かない」とかいってて
「いつかそんな仕事が降って沸いてくるに違いない」と思っている事。
本当にその仕事で食っていくんなら自分で売り込め、と言うことでしょう。
サラリーマンなら嫌な仕事でも引き受けられる能力を身につける。
個人事業者なら自分の持ってる能力や商品を売りまわる。
どっちかしかないわけです。
芸能界が見せている
「ある日突然スターダム」「シンデレラストーリー」
は見せ方が上手なだけで、実はものすごい下積み生活のうえに
成り立っている事のほうが多い。
今のお笑いブームだって、若手と呼ばれる人ですら
「芸歴7年」「芸歴10年」なんていう人たちばかり。
しかもそれですら万に一つの確率。
自分が万に一つの確率でいられるかどうかの見極めをするため、
自分のポジションや能力を見極めるための「競争」だと思いますよ。
(人によっては「諦めるため」と言う人もいるようですが)
つまり、その「万に一つ」に残りたい、と言う意欲が
ゆとり教育では育たない、と言う事です。
最近の芸能人は
「あと3年経ったら芸能界やめてお店開くの」
なんて言う人が増えています。
よく言えば、芸能界を生き抜いていく事の厳しさを知っている、
身の程を知っていると言うことですし、
悪く言えば、勝ち残るための努力はしない、
できる範囲でやっていく、という事でもあるでしょう。
> ゆとり教育の悪いところ=「お金にならない人」をおだてたまま社会に放り出す
「おだてたまま」という言い方が、個人的にかなりしっくりきました。
そういうことだよなぁ…。
でも、ちょっと気になるのは…
その流れは「ゆとり教育」が作ってるものなのだろうか、という疑問も。
なんとなく、「ゆとり教育」が提供(?)してるのは、
「自由に使える時間」ぐらいじゃなかろうか、という印象が自分にはあって…
「勝ち負けを明確にすることを子供達の目の前から隠す」とか、
「競争心・ハングリー精神の欠如」とか、
「自分には隠れた才能がある云々の勘違い」とか、
それら問題は、また別のところから…
「ゆとり教育」の枠外というか、社会風潮とか、
そのへんから提供されてる感が。
なので個人的には、世間の、「ゆとり教育=悪」という論調に対して、
「ゆとり教育だけ悪者にしてれば解決する話じゃないような…」
という印象?がありますです。
なんていうか、
「ゲームを無くせばゲーム脳も無くなって、いい世の中に」
「エロ本を無くせば性犯罪も無くなって、いい世の中に」
みたいな話と同種の危うさを感じる…
というか、
「学力測定で国際的に下がっちゃったから、『ゆとり教育』を見直し」
という過程が、なんだか???で。
方針を決めるにあたっては必ず「理念」が存在するはずだけど、
その理念の是非や、実現方法が適してたかどうかの検証は、
どこに行っちゃったんだろう…
元々無かったのかしら。「子供が可哀相だから」等の感情論や、
「俺達が子供の頃は野山を走って遊んでたもんだ」等の老人達の郷愁で
決められた方針だったのだろうか。うーん。
…まあ、自分、教育現場に居るわけでもないし、
子供を育ててるわけでもないんで、アレなんですけど(爆)
先生や親が考えて「これで行く」と言ってるんだから、
それでいいんだろうなぁ…
> 才能を持ってるという勘違い
コレ、難しいですね…。
娯楽コンテンツ制作・提供に携わるか、
生活に必要な商品・サービスの制作・提供に携わるか、
どちらを念頭に置くかで話が変わりそうではありますが…
裾野を広げないとその分野で優れた才能は出てこないし。
そのためには、「ひょっとしたら俺も」と勘違いさせてでも
その分野への勧誘を試みないといかんのかもなぁ…と思ったり。
娯楽コンテンツって、人が生きていくうえで必須なものじゃないし。
それで飯を食おうというのだから、本来めちゃくちゃキツイ世界なはずで。
とはいえ「こんなにキツイぞ」と正直に言っちゃうと裾野は広がらない…
しかし裾野が広がったら広がったで、負けて、放置される人達が増えてくる。
うーん。難しいですな…
> 「自由に使える時間」ぐらいじゃなかろうか
ここで本当は、さまざまな社会勉強をしたり
学校の授業では学べないことについて勉強をしていく、というのが
理想形なんですが…
実際はほとんど寝ているか遊んでいるか。
まぁね当然ですよね。
夏休みの宿題だって計画的にきっちりこなすような人とか
宿題以上に自主学習なんてやる人は一握りで、
ほとんどは宿題以外しなかったり、
塾に通って煽られるからこそがんばると言う事です。
その辺の精神力も大人になればある程度は鍛えられますが、
それでも気が緩むわけですから、
子どもはもっと守れないですよね。
> 元々無かったのかしら。
先にも話したとおり、私は何もないと思っています。
ただ単純に学校の先生が週休二日したかったからだけ。
「ゆとり教育」は後からつけられた理由だと思っています。
たしかに「詰め込み教育」の弊害はあったものの、
戦後日本は一貫して
「資源のない日本は教育で世界と渡り合う」
事を国是として教育をしてきたわけで、
実際世界に誇れる教育水準の高さだったことは
欧米やアジア各国も認めているところです。
「詰め込み教育」で問題になったのは
「丸暗記」「受験テクニック」がすべてになってしまったことです。
つまり、最終的には「いい大学」に入るための勉強だった、
と言うだけです。
いまはむしろ「いい大学に入っても…」と言う世の中ですから、
昔のように「受験テクニック」だけの勉強にはならないような気がします。
試験方法も今は多様化していますから、
案外何とかなるんじゃないかなぁ、と思います。
> 裾野を広げないとその分野で優れた才能は出てこないし。
私は順番が逆だと思いますよ。
「入る余地がないと入らない」という発想が
やっぱり「成功を保証された人生」を求めているのであって、
今求められているのは、
入る余地を自分で作って、そこを自分のフィールドにできる人です。
本当に絵描きで食っていきたかったら
他人を押しのけてでも自分の居場所を確保する、
と言うハングリー精神です。
> 「こんなにキツイぞ」と正直に言っちゃうと裾野は広がらない
それで落ちこぼれるような人は所詮それまでの人です。
大成はしないでしょう。
映画だって漫画だって、
誰かが始めたからここまで広まったわけですし、
自分が初めての人になってやろう、って言うぐらいの
意気込みが欲しいわけです。
> ただ単純に学校の先生が週休二日にしたかった
仮にそれが本当の目的だったとすれば、
「ゆとり教育」の撤回はありえない気もしますね…。
一度、週休二日制になった状態から、
その後「やっぱり戻す」というわけにはいかないような気も。
土曜日だけパートで教員を増やすとかできないかしら。<オイ。
本来は、自治体や地域住民がそれら「パート教員」的存在に
相当するはずだったのかな。
でも、現実には、地域住民のほうが教員や子供達より忙しくて
それどころじゃなかったと(爆)
> 資源のない日本は教育で世界と渡り合う
あー。それはたしかに。それしか道はないですわな…。
> 昔のように「受験テクニック」だけの勉強にはならないような気が
なるほど。自分、単純に「ゆとり教育の撤廃」=「昔の詰め込み教育の再現」
かと思い込んでました(爆)
改善される見込みがあるなら、変革?に反対する理由はないですな…
> 入る余地がないと入らない
> 他人を押しのけてでも自分の居場所を確保する
> 大成はしない
うーん。余地云々とは違う気もするなぁ… >裾野。
なんていうか…勧誘する側の視点と、勧誘される側の視点の違いというか…
勧誘する側は、余地があろうとなかろうと関係なく
勧誘するものだと思うのですね。
また、その中で競争があっても、勧誘する側は意に止めないだろうと。
「裾野を広げて〜」といった思考は、
実務に従事してる人間ではなく、それら業界・分野から上がってきた成果を
利用する立場に居る人間の思考というか…
例えば、漫画家と編集者が居た場合、編集者側の思考になるのかしら。
裾野云々を意識するのは編集者であろうし、
また、編集者にとっては、漫画家が大成しようがしまいが関係なくて。
子供達に対する教育方針ってのは、
どこか編集者みたいな視点で行われてる感が自分にはあるのだろうなぁ…
それで裾野云々を書いたんだろうけど…
でも、けいと様は、勧誘される側・漫画家側の視点で見て、
入る余地があるのかないのかに着目した…ということなのかしら…。
…まあ、何か違う感じがした、というだけの話ですが(爆)
> 成功を保証された人生
うーん。成功を望まない人は居ないと思うわけで…
つまりそのへんは、
「ハイリスク・ハイリターン」「ローリスク・ローリターン」の
どちらを良しとするか、という感じの話なのかなぁ…
しかし、「ローリスク・ハイリターン」を望むのは問題、
ということですかね。そんな上手い話はないよ、と。
…なんだか話がグチャグチャになってきてる感がしないでもない(爆)
起きたばかりなので頭の回転がちょっとアレでして>自分。スイマセン。
> 漫画家と編集者が居た場合、編集者側の思考になるのかしら
どうなんでしょ?
私はこの文を読んだ瞬間、
「編集者って言うよりは出版社側の思考だよな」
と思ってしまったんですが。
ただ、どこの出版社も「新人漫画家募集」なんてやらないですよね。
よほどの事がない限り。
なのに、新人の頃から
出版社から「ぜひうちに描いてください」って来るまで待っている感じなのが
違和感を感じるところなんですよね。
そんなことしてたら一生こないよ、って。
一流の大先生ならばこそ「ぜひうちで」ってなるんですけど、
どんな大先生も最初は新人だったわけで。
> 「ハイリスク・ハイリターン」「ローリスク・ローリターン」
なんていうんでしょうね?
昭和の時代みたいに
「オレは大卒なんだ、ハイリターンは確定だろ」
っていうのが先にあって、
その次に
「大卒のオレがリスクをリスクを負えだと?ふざけるな」
っていう感じですかね。
残念がったり、くやしがったり、昔の人をうらやましがるのはわかるけど、
いまはそんな時代じゃないよ、って言う事です。
意地悪な言い方をすれば
「ハイリスク・ローリターン」「ローリスク・ノーリターン」
の時代だよって言うことです。
まぁ、私から言わせれば、
上のほうの美味しい部分は特権階級だけで独占しますから、
お前らは素直に奴隷やってろ、って言われているようにしか見えませんけどね。
そんな事言われたらやる気なくすし、
誰がお前らのために働くか、って思う気持ちもわからんではないし。
今はその辺の「富の配分」に偏りが出る事を良しとする
社会になってきたんでしょう。
> 編集者って言うより出版社側
あ。なるほど。なんかそっちのほうが近い感じがするかも…。
『編集者』だと、人によって違いがありそうですしね…
> 出版社から「ぜひうちに描いてください」って来るまで待っている感じ
そのへん、ひょっとすると、「クリエイター志望」の人達に、
↓こういう思想があるんでしょうかねぇ…
http://www.gtvnet.co.jp/watanabe/h_book.html
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%D2%A4%E9%A4%AD%A4%B3%A4%E2%A4%EA
いや、わかんないんですけど。
ていうかこの方は「作品作らなきゃ話にならないよ」と主張してたような
気もするので、ちょっと違うか。
> ノーリターン
うーん。さすがにそれは… (^^;
> 「富の配分」に偏りが出る事を良しとする社会
社会 or 共産主義国家が崩壊する以前であれば、
「社会 or 共産主義に移行することで富は平等に配分される!」
なんて夢想できて、「革命を!」なんて話もあったのかもしれないけど、
(いや、日本人(の一般大衆)は革命なんか起こせないけど。
外国と違って、今まで起こしたことないし。)
今となっては『ビジョン』すら存在しない…手詰まり状態ですよね。
偏りを良しとはしてないけれど、打つ手もなくて、
ただそちらに流れてるだけ、という状態…なのかしら。
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