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この映画は全体的な面で言ったらおそらく監督の趣向みたいのは
半分も占めてないんじゃないかと思いました。実際の発言があったのを考えました。
そう思う理由を述べたいと思うます。
1:とにかく泣ける映画を作って欲しいと頼んだのはプロデュースサイドだから。
ここで泣ける部分というのは親子愛絡みの事(主人公の成長とか)を指してると思います。この映画はそういう要望を受け入れて作った結果だと思います。
「お題で頂いた”泣ける映画”というのを苦労していれつつ〜」と言っていました。
2:この映画の原画スタッフの1人もtwitterで「感動を全面に出してますが〜」
「個人的には藤森監督の趣味の分野(背動・アクション・ギャグ)も混在してるので〜」と言ったから。「感動を全面に出していますが」という発言だと、この映画ではそれがメインという意味になります。そして「監督の趣味の分野も混在してるので」という発言だと、逆に考えると「も」と言ってるので監督の趣味とは違う分野も混在してるという意味になります。
監督とクレジットされていますが、殆どの功罪がこの監督というよりはプロデュース含む他スタッフが欠けても成り立たなかったと思います。
寧ろ一般客や視聴者の目線で言うと監督の趣向らしきものは感じなくて、普通に感動の映画だと思ってるようです。単に「可愛いキャラの感動映画」って思ってる方が多いです。
http://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493の監督本人のインタビューでも、監督の趣向やプロデュース側の要望について述べています。
映画の絵柄も誰が考えた物なのかはわかりません。
推測ですが、上の人の誰かから監督やキャラデザイナーに人に「こんな感じの絵柄でお願いします」と頼んだのかもしれません。キャラデザイナーは柳田義明氏ですが、藤森監督は共同ですが昔ポケモン映画の作画をやった事があります。
なので、藤森監督に対しても、単に「ポケモンみたいな絵柄にしてくれ」と頼んだ可能性もあります。寧ろ、そういう風な感じの映画にして欲しくてこの映画に藤森監督を起用したのかもしれませんし。上辺だけの経歴で偏見で判断したとも考えられるかと思います。もっとも絵柄だけではなく、内容面でも「この監督だったらこういう、ぬるま湯映画にぴったりだろう」という上辺だけの経歴で判断したのかもしれませんが。作者の宮西達也さんが「原作絵本と違う物にしてください」と頼まれたのもあると思いますが。
藤森監督はデザイン面で「丸っこいキャラだけど〜」「マイアサウラのお母さんのお母さんの色っぽさは想定外」と言っていますがこれだけでは藤森監督の発案かどうかわかりませんよね。
マイアサウラのお母さんについても述べたいと思います。
マイアサウラのお母さんについても監督自身が「肉食だとわかっていながら平気で育てちゃう」と言い方もしてたので、本人も多少なりとも呆れを感じてるのかと思いました。 浮世離れってのは良い意味で使われるとは限りませんので。
実際に、作中のを見る限りでは周りの足を引っ張ってばかりでしたねえ。
何食わぬ態度で草食の身内の事考えないで肉食の主人公を育てるし
その肉食の主人公にしても赤い実ばかり食わせる。
そしてその主人公がいなくなった後もちゃっかり子供を増やすという発情っぷりも発揮。この子供を産んだシーンはhttp://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493でも触れていましたね。「お母さんにも女としての性がある」という事みたいです。
肉食のボスについて、ハートをお母さんが育てた件について聞いて
「肉食は肉を食べないとダメだ。どうするつもりだったんだ?」と言われても反省もしないでちゃっかりする。
おまけに終盤になっても「ハートに対して一緒に暮らそうという」子離れの悪さを発揮する。
既にある被るので申し訳ありません。
原作はベストセラーの絵本です。
この映画版で心温まる、絵柄、お母さんの事で言いたい事があったので言います。毒舌になるかもしれませんが。
原作絵本はともかく、制作サイドを手放しに擁護するってわけでもないのであしからず。
原作者の意向もあって絵本とは違う物になったのは知っています。
http://mi-te.jp/contents/cafe/1-9-742/
映画自体は勿論、アニメージュ2011年8月号「この人に話を聞きたい」でのインタビューも読んで後、色々言いたい事が増えました。
http://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493の画像にインタビューが一部載っています。
アニメージュ2011年8月号は中古であるかもしれません。
■心温まるストーリー面について
「絵本の何冊かをまとめなければならなかった」「とにかく泣ける映画という要望を頂いた」「映画の世界観の作り方」「嘘の関係バレた後に付き合っていくかどうか」「主人公ハートが特訓してライバルと対決する」「主人公ハートのキャラ付け」「お母さんがまた子供を産むという女」「お母さんのキャスティングの質問回答」「主人公ハートの生き方を追いかけて、最終的に少しグッとくるような形に。それで考えるより動くキャラにした」「映画後半の方のアクションの指示」だけを見たら、別に「心温まる」とは違う物でも、他の路線でも、他のジャンルでも使えそうな気します。
それゆえに、この映画のメインの心温まるって所もどこまでが制作サイドの発案なのかわからない、という事です。心温まるってのも本当に制作サイドの発案なのか、最初にあった話を受け入れた上でやった結果なのか、どちらかなのかはわかりません。
■映画のキャラデザについて
上の人の誰かから監督やキャラデザイナーに人に「こんな感じの絵柄でお願いします」と頼んだのかもしれません。キャラデザイナーは柳田義明氏ですが、監督は共同ですが昔ポケモン映画の作画をやった事があります。
なので、監督に対しても、単に「ポケモンみたいな絵柄にしてくれ」と頼んだ可能性もあります。
寧ろ、そういう風な感じの映画にして欲しくてこの映画に監督を起用したのかもしれませんし。上辺だけの経歴で偏見で判断したとも考えられるかと思います。
もっとも絵柄だけではなく、内容面でも「この監督だったらこういう、ぬるま湯映画にぴったりだろう」という上辺だけの経歴で判断したのかもしれませんが。
作者の宮西達也さんが「原作絵本と違う物にしてください」と頼まれたのもあると思いますが。
制作サイドはデザイン面で「丸っこいキャラだけど〜」「マイアサウラのお母さんのお母さんの色っぽさは想定外」と言っていますがこれだけでは本当に制作サイドの発案かどうかわかりません。
■マイアサウラのお母さんについて
制作サイドも「肉食だとわかっていながら平気で育てちゃう」と言い方もしてたので、制作サイドも多少なりとも呆れを感じてるのかと思いました。
何食わぬ態度で草食の身内の事考えないで肉食の主人公を育てるし、その肉食の主人公にしても赤い実ばかり食わせる。
肉食のボスについて、ハートをお母さんが育てた件について聞いて「肉食は肉を食べないとダメだ。どうするつもりだったんだ?」と言われても反省もしないでちゃっかりする。
終盤になっても「ハートに対して一緒に暮らそうという」子離れの悪さを発揮する。
お母さんの存在も、「泣けるというお題を苦労していれつつも〜」な部分なのかもしれませんが。
映画はプロデュースサイドが「とにかく女の人が泣ける映画を作ってください」と要望を出したらしいですし。
ただ可愛いキャラでウルウルな話を作れば良いとでも思ってたのでしょうか?女の人を舐めてますね。
続きます。
何が言いたいかと言うと
この映画のプロデュース側について
「人気絵本のネームバリューを使いたかったのか」
「原作者が絵本と違う物をって頼んだのを良い事に映画を単なるお涙頂戴物にしたかったのか」って事を突っ込みたいのです。
原作者は絵本と違う物と頼んだけど
「絵本と違う物」って良い意味でも悪い意味にも
なり得るのである意味範囲が広いです。
映画は勿論監督以下スタッフ側も色々口出ししたので
彼等の意向もあるのは間違いないのですが
企画には関わってなかったかもしれませんねえ。
口出ししたと言ってもあくまでああいう企画の枠内でやっただけなのかも。
映画の絵柄についても、監督に対しても単に「ポケモンみたいな絵柄にしてくれ」と頼んだ可能性もあります。
寧ろ、そういう風な感じの映画にして欲しくてこの映画に監督を起用したのかもしれませんし。上辺だけの経歴で偏見で判断したとも考えられるかと思います。
もっとも絵柄だけではなく、内容面でも「この監督だったらこういう、ぬるま湯映画にぴったりだろう」という上辺だけの経歴で判断したのかもしれませんが。
http://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493
このアニメージュ2011年8月号のインタビューはこちらも読みましたが、映画全体を見る限りだと必ずしもインタビューで答えたスタッフの意向が全面に出てるってわけではなかったというか、プロデュース側の意向(とにかく女が泣ける映画を作って欲しい・・・)のが優先されてたって感じですねえ。
それにしてもこれは女性を舐めてますね。
単なる可愛いキャラでお涙頂戴物語を作れば良いと思っていたのでしょうか?
言い忘れました。
http://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493
わざわざこのアニメ雑誌の記事を持ち出してるのには理由があります。
なぜなら「映画全体を見る限りだと必ずしもインタビューで答えたスタッフの意向が全面に出ててないじゃん」と思いました。
本当にスタッフの意向が全面に出る映画は、例えそのスタッフの力量が足りなくてもそれっぽい形(スタッフの言う意図が形だけでも全面に出てたり)にはなりうなのですが。実際、独りよがりかに問わず、スタッフの意図が全面に出てる作品あると思いますから。
「映画を単なるお涙頂戴物にしたかたったのか」と思った理由を詳しく書くとこうと思います。
■可愛いキャラ(キャラデザ)
既に描いた通りですが、キャラデザについては監督やった人間が「お母さんが色っぽいのも柳田さんのおかげですよね。お母さんが色っぽさは想定外」「丸っこいキャラだけど格好良いアクションをやる」的な言っていました。こういった意見しか知らないのですが、これだけだと本当に監督(下手すりゃキャラデザイナーも)の意向であのデザインになったのかどうかわかりませんね。
「本当はもっと違うデザインでやろうと思ってたけど
ポケモンみたいにしろと頼まれて仕方なくやった」という可能性だってあります。
「こんなキャラだけどアクションをやってやる」という意地とかで。
・・・おっと制作サイド中心の話になってしまいました。
■狙った感じのウルウル感
映画にはいかにも「ここ泣けるだろ」みたいなシーンやBGMとかもありました。
マイアサウラのお母さんの存在もそうです。
実は肝心の制作サイドからも「肉食だとわかっていながら平気で育てちゃう」と言い方もしてたので、制作サイドも多少なりとも呆れを感じてるのかと思いました。
浮世離れってのは良い意味で使われるとは限りませんので。
実際に、作中のを見る限りでは周りの足を引っ張ってばかりでしたねえ。
何食わぬ態度で草食の身内の事考えないで肉食の主人公を育てるし、その肉食の主人公にしても赤い実ばかり食わせる。
肉食のボスについて、ハートをお母さんが育てた件について聞いて「肉食は肉を食べないとダメだ。どうするつもりだったんだ?」と言われても反省もしないでちゃっかりする。
おまけに終盤になっても「ハートに対して一緒に暮らそうという」子離れの悪さを発揮する。
このマイアサウラのお母さんの存在も、「泣けるというお題を苦労していれつつも〜」な部分なのかもしれませんが。
原作絵本も泣けると言われてるけど、原作絵本は結果的に泣けたという感じじゃないのかと思いました。
寧ろ映画の方がお涙頂戴を狙ってるのかと思ったくらいです。
「映画を単なるお涙頂戴物にしたかたったのか」って思ったのは、プロデュースサイドが「とにかく女の人が泣ける」と要望を出したらしいので気になりました。
そういった題目を苦労しながらも意識するなら、
どうしても多少なりともいかにも計算したお涙頂戴になるのではないのしょうか?(自然と結果的に泣けるとは違う)
それにこのテのうるうる系幼児映画ってのは、そういったいかにもなお涙頂戴物も多いんじゃないでしょうか?
ああいういかにもお涙頂戴のシーンは簡単に作れるので、技術の難易度自体は低かったと思いますよ。
このテの子供映画は無難に親子愛とか言っててうるうるBGMを流すだけですからチョロイ物ですね。一般映画とも違いますから。
もっともスタッフ側はプロデューサーの「とにかく女の人が泣ける映画を作って欲しい」という要望について「泣ける題目だけで1本の映画作るのに抵抗がある」「アクション物も作りたい」「世界観云々」と考えていたらしいのですが。(そもそも「自然と泣けてくる物」と「いかにもな泣かせ物」は別物なんです。絵本だって泣けると言われてますが、自然と結果的に泣けるという印象です。)
映画はスタッフが幾ら口出ししてもそれが前面に出なかったって事はそれだけ上の意向も強かったかもしれません。つまり企画段階?ではそのスタッフ陣がマトモに関わってたかどうか怪しい。
本当にスタッフの意向が全面に出る映画は、例えそのスタッフの力量が足りなかろうとそれっぽい形(スタッフの言う意図が形だけでも全面に出てたり)にはなりそうな物なっても良さそうな物ですからね。
まあこのスタッフ陣はその内のその意向に対しての憂さ晴らし出来るような作品に取り掛かれると良いですね、と他人事ながら思います(もしそれが出来が悪かったとしても)。
スタッフの自己満足なだけの作品も問題ですが、企画やらプロデューサーのゴリ押しのような作品も困り物です。要するにスタッフの意向、プロデューサーの意向とバランス取って欲しいと思います
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