mieki256's diary - Web Board

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[[「知らない人に挨拶してはいけません」と先生が教えるのは当たり前のことではなかろうか]]


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Subject: Re: 「知らない人に挨拶してはいけません」と先生が教えるのは当たり前のことではなかろうか
Date: 2007/03/06 18:38
From: 名無しさん

「知らない人に挨拶させろ派」っていうより、「挨拶させない派」と「挨拶させないのはどうよ派」でしょう。
「知らない人に挨拶させろ派」なんて言説はほとんどないのに、それをでっちあげて批判するのは、ちょっと空回りっぽい気も。


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Subject: 「〜派」の見極めができてないですな>自分
Date: 2007/03/07 15:37
From: mieki256

> 「知らない人に挨拶させろ派」っていうより、
> 「挨拶させない派」と「挨拶させないのはどうよ派」でしょう。

たしかに。言われてみれば…。自分の書いた内容は、
「挨拶させないのはどうよ派」に対するソレではなく、
「知らない人に挨拶させろ派」へのソレですな…。

とはいえ、「挨拶させないのはどうよ派」が、
「知らない人に挨拶させろ派」の存在を意識した上で感想を述べてるのか、
という疑念はどうも残ってしまうですが…。

「知らない人に挨拶させろ派」の子供への指導が原因で、
指導どおりに振舞った子供が被害にあってしまう一例が出てきたが故に、
現在、「挨拶させない派」が主流になりつつある状態、
だろうと自分は想像してるのですが、
であれば、
「知らない人に挨拶させろ派」の主張の是非を語らずして
「挨拶させないのはどうよ派」の主張を展開させていくのは難しい、
というか大きな穴が開いてるのではないか、てな感じもするのですよね…。

しかし、それが空回りしてるように見えてしまうということは…
「挨拶させないのはどうよ派」は、
元々どうしてその事例が起きたのか実はたいして深く考えてない、
あるいは、
その事例は極めて特例であるから考慮するに値しない、
というある種の思考停止に陥ったまま語り続けてる、
ということなんでしょうか…。

…まあ、自分も、結局のところ、「極端すぎるのはどうよ」という、
「挨拶させないのはどうよ派」と似たような結論になっちゃうんですが。
そういう意味でも空回りしてますな…。
散々書いといて結局同じかよ! みたいな。


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Subject: 「知らない人に挨拶させろ派」はズルイ気もする
Date: 2007/03/07 15:50
From: mieki256

つーか「知らない人に挨拶させろ派」が
ダンマリを決め込んでるのが、なんだかアレなんだよなぁ…。

「子供の一人二人が犠牲になったとしても、挨拶はさせるべきだ!
 なぜならこういう効果が得られるからだ!」
と主張する人が居てもいいように思うんだけどなぁ。


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Subject: 「知らない人に挨拶させろ派」の主張
Date: 2007/03/07 21:06
From: がんした

コンビニの接客マニアルによると、来客者には必ず相手の顔を見て「いらっしゃいませ」とするそうで、
顔を見て挨拶する事で相手を認知し犯罪抑止に繋がるから。
今回の『「おはよう」とあいさつした児童を殴る』でも、殴られた児童が不憫だが、
それによって潜在的不審者が認識されたので、挨拶メリットはあったのではなかろうか。
よって学校関係者は、知らない人に挨拶しても被害にあわない挨拶方法を指導するべきだ!とか主張してみたとする。

しかしながら、実の親が実の子を殺したり、顔見知りの級友からイジメを受けて自殺するよな
ご時世で、余計な事(知らない人に挨拶)をして損(殴られる)は割に合わない。
昔の人が「知らない人にも挨拶しなさい」と教えた『博愛主義』みたいな考え方は
尊ばれるべきで次世代にも受け継ぐ価値のある考え方だと思うが、時世に合わず
ボランテイア活動や社会奉仕との形を変えて、現代教育に受け継がれているから
「知らない人に挨拶させろ派」が居なくなってもイイじゃないかと。

そもそも、成年による児童への犯罪って戦後より戦前の方が多かったハズなのに「昔は良かった」とか普通に思えちゃうのは何でだろう。


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Subject: Re: 「知らない人に挨拶させろ派」の主張
Date: 2007/03/07 23:32
From: けいと

> 成年による児童への犯罪って戦後より戦前の方が多かったハズなのに「昔は良かった」とか普通に思えちゃうのは何でだろう

犯罪の中にも道徳があったからじゃないかと。

たとえば「物取り」の場合
昔は「物取り=貧乏」みたいな感覚だったものが
だんだん「物取り=所有欲」みたいな感覚になってきて
そのうち「物取り=自己満足」とか「物取り=嫌がらせ」っていう感じで
目的が手段になりはじめて
最近は「物取り=なんとなく、つい」「物取り=遊び感覚」って言う感じで悪意がなくなってきて
今は「物取り=換金して一儲け」とか「物取り=生活の足し」みたいに、
プロというか生業になってきているからじゃないかと。

殺人も
昔は「思い余って」「やむにやまれず」だったものが
最近は「ついかっとなって」「むしゃくしゃして」になって
今は「なんとなく」「気に入らなかった」「邪魔になった」っていう感じだし。

思えばここ数年「恥」という言葉が社会から消えて
「個」という言葉がやたら飛び交ってるような気がする。

挨拶って、共同体形成への第一歩なんだと思う。
みんな知ってる人にしてしまえば知らない人がいなくなる、みたいな。


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Subject: Re: 「知らない人に挨拶させろ派」の主張
Date: 2007/03/11 23:53
From: mieki256

> 『「おはよう」とあいさつした児童を殴る』でも殴られた児童が不憫だが、
> それによって潜在的不審者が認識されたので、挨拶メリットはあった

あー、なるほど。その論は結構通用しそうな気がします。
子供を、社会にとってある種のセンサとして活用、みたいな感じですかな。

とはいえ子供一人あたりにかかるコストが増大してるというか
子供を失った場合の損失が、
昔に比べて相対的に大きくなっている現状があるので
―― このへん、産婦人科医? 産婦人科? の減少と関係ありですが ――
―― 「昔は良かった」の印象論にも関係してるかな ――
故に「センサとして利用」などと口にしたらやっぱり反対されそうですな。
昔のように兄弟姉妹が6〜8人居るのが当たり前、
1人2人損失しても補填可能、な状況ならともかく…。

…しまった。
センサ云々は、別に大人が担当しても問題ないんだよな。
子供である必要性はないのか。
いやいや。そこは、センサとして警戒されにくいという効用が…
ちと無理があるか…。