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この手の話を見るときいつも思うのは、「公開する自由」が意図的にか知らないけれど、語られない点。
閉じる自由と同様に、公開する自由もあって、公的な物や営利的な物、当然情報発信をメインとした物も、進んで公開する側にまわるだろう。
公開したいと思っている人間にまで、「許可制を強要する」なんて当然ありえないし、むしろロボットが検索する無駄なリンクや情報が減って、便利になる気さえする。
そして、「誰も彼もが強制的に公開させられる」今よりも、「公開する」ことの価値も上がるだろう。
今の現状は、公開したくない人間にも公開を強要している(技術的に無知ゆえにだが)状態だ。
もっと技術がある側が歩み寄るべきじゃなかろうか?
> 「公開する自由」
興味深いフレーズ(?)であります。
他の人はどうか判りませんが、自分の場合、
意図的に語る/語らないどころではなく、
そもそもその概念(?)は意識した記憶がなくて…。
ちと別記事でまとめてみたくなったであります。
> もっと技術がある側が歩み寄るべきじゃなかろうか?
個人的には、SNSがそれかなぁ、という気もしますねぇ…
あるいは、2chのような匿名掲示板とか。
アレも、名前という情報を公開しないことで、
ある種の使いやすさを実現したような印象も。
でもまあ、技術がある側ってのはエスパーじゃないし、
モノ言えぬ赤ん坊の機嫌をとる母親でもありませんから、
使う側からの、
「こういうことがしたいのです」ぐらいの意思表明は必要な感も。
(や、商売であれば、また違ってくる感もあるんですけど。
客が何か言ってくるまで何もしないのでは商売になりませんしねぇ…)
> 「公開する自由」
公開したくなければWebに上げないか、アクセス制限を設けて
限られた人だけが閲覧できるようにすればいいだけのこと
> 公開したくなければWebに上げないか、アクセス制限を設けて
> 限られた人だけが閲覧できるようにすればいいだけのこと
あ。そういうことでしたか!
自分、ズレたところ(?)を考えてしまってたであります… (^^;
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