mieki256's diary - Web Board

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Subject: 平和な時にそういう気持ちになるだけで充分すぎる気も
Date: 2005/08/08 09:29
From: mieki256

> 「二度と同じことを繰り返さないために」
> なんていう気持ちは平和なときにもてる気持ちであって

うーむ。
「平和な時に、そういう気持ちを持つ」…
…それで充分ではないでしょうか。

平和な時に、
「いざとなれば使っちまえばいいや」
という認識だったのが、
「二度と、この兵器を使ってはいけない」
という認識に変わるだけでも、
それは結構凄いことじゃないかと、個人的には想像するであります。

当人の、そういった認識の変化を導くためには、
核兵器使用時の惨劇や、使用後の展開を、
容易にシミュレーションできるだけの充分な知識を、
まずはその人が認知・取得する必要があるわけで。

それだけの知識が脳に記録されてる状態で、
なおかつ、平和な時に、「二度と〜」という信条を持つに至った状態で、
それでも戦時中に、
自分の持ちうる知識に封印をして、自分の信条を否定して、
「これはどうしても核兵器を使わねばならない事態なのだ」と、
そう判断せざるをえないだけの状況が一体どれだけあるだろうかと…
そんなことを想像したりするわけでありますが。

意識・認識の変化が、実際にその身に起きた人間であれば、
たぶん、戦時中であっても使わんと思うであります。
自国が優勢なときにはそもそも使う必要がないですし。
自国が不利になったときに使っても、
その兵器の性質上、自国の復興の障害が、
物質的にも政治的にもあらわれてしまう可能性が高いわけだし、
「使わずに済ませたほうがメリットは大きい」と、
判断することが容易だろうと。
そう判断するだけの知識を、既にその人は所有してるはずですし、
所有してなかったら、意識が変わるはずもないですし。

故に、
「平和なときに『二度と〜』という認識を持つ」だけで、
それで充分ではなかろうかと。そう思うであります。

ただ…
自分で書いててアレですが…

中途半端な知識しか持ってない状態でありながらも、
表面上は周囲に合わせて、
「二度と〜」という信条を持ってるかのように振舞ってる人のほうが、
むしろ、いざとなったとき、
使ってしまう可能性が高い気もしてきたでありますが…。

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