《5月11日(土)》
宗教って怖いですぅ……。

  コース:石上神宮→山の辺の道→夜都伎神社→大神神社→高松塚古墳→亀石→橘寺→石舞台古墳

 今日は奈良におけるメインイベント、石上神宮を廻る日です!フィルムもバッチリ準備して、朝ご飯を食べて、よっしゃ!てな意気込みだ。因みに朝食は和洋バイキング。色々あってなかなか食べ応えもあった。1300円分食べられたかは別として。

 用意も済んで、奈良駅に向かう。JR桜井線に乗り十数分、天理市に到着。通勤時間帯にしては結構静かな駅前。神宮行きのバスは本数が少ない、と聞いていたが、タイミングよく乗れた。しばし振動に揺られていると、だな。なんだかエライもんの群れが見えてきた。……こ、これは一体……。

 そう。ここは天理市なんである。天理教の総本山・総本部である。天理教といえば中山みき氏が創始したというあの近代宗教である。故に、この市は至る所そのカラーが満ち満ちている訳なのだが……。


「なんつーか…怖かったです、ハイ。いかにも信者の方が寄って来そうな感覚、というか、そういうのがあって」
「……そんなにとんでもなかったの?」
「まずスケールがね、広大・巨大。そして建物だよ。暗灰色で鉄筋コンクリートの5〜6階建て位の建物なんだけど、何気に窓の部分とかが朱塗りって言うか、赤い屋根の神社建築混ぜてみました、って言うか……。正直申し上げて、ぱっと見て、胡乱さを禁じ得なかった。そういう建物が、何棟、いや何十棟って位に立ち並んでるの。他に信者の施設なんかも各所に林立しててさ。ついでに市役所もなんだかソレっぽい尖塔がある建物だった……。マジ、怖かったよ……」
「確かに、初めて見る人間は驚くだろうな。私も正直、あれはどんなものかと思うんだが」
「でも思ったんだけど、、古代の仏教施設っていうのも、当時の人々(庶民階級)にとってはあんなものだったのかも知れないんだよねぇ」


 母と二人、ある種の恐怖を覚えつつ(宗教がこんなに人を不安にさせていいのか?本末転倒では?)、バス停から石上神宮を目指す。人はパラパラといる程度だが、中途半端に撮影の邪魔。途中の道々を確認しつつ、参道へ。……結構山が近い、というより田舎ですね。古社には相応しい佇まいで、しかもなんだか緊迫したプレッシャーがあったりする。落ち着くんだけど、緊張する。華道とか茶道とかやってる時のあの感覚に近いかも。

 石上神宮は、神剣布都御魂剣を主に奉っている、大和でも有数の古社。布都御魂は武甕槌神の剣として、葦原中国平定時及び神武天皇東征時に功のあった神剣。物部氏によって神事が行われ、古来より武器庫としての役割もあったという。明治期に、拝殿後ろの禁足地より、多くの武具の発掘と神剣布都御魂の顕現があったという。神剣は禁足地内の本殿におわすそうで。

 これについては私は自説があるんですが、布都御魂は、私にとっては雷。またはそれを帯びた剣。『フツ』は光り輝く様、ふっつりと切れる様、両方を表わすからそう判断したのですが。発掘で顕現した『布都御魂』というのは、出土した武具の煌き、貴重さについて、そう表現したものなのでしょうね。いやね、勿論そうしたものが実際あってくれると、私としては面白いんですが、神宮域のあの清冽さを感じてしまうと、別に形にこだわんなくても良いかな〜って思って。七支刀の形は雷を写したものだと思ってますけどね、今も。何はともあれ、宗教関係者の紹介文は、迂闊に信用できませんので、左様でございますか、と言うしかないですね。

 そういえば、ここの禁足地って、拝殿裏なんだよね。私判らないで、末社の祓戸神社に続く方が禁足地だと思ってました。そこ、注連縄張ってあったし、私が想像してた『禁足地』に相応しそうな獣道になってたんだもん……(実際立ち入り禁止だけど)。本来の重要場所を調べ損なっちゃった。


「ここでは神宮の書籍と厄除けのお守りを買わせて頂きましたです」
「厄除けか。交通安全の方が有名だと思うけど。ほら、神武天皇絡みで」
「そうなんだけど、私としては、厄にはそういうものも含まれると思うのね。それに自説の布都御魂=雷に則ってさ」
「雷には破邪の力があるっていう言い伝えね」
「そういうこと。霊的に守って頂こうって事で」
「他力本願なやつ……」
「ちなみに此処にしかない『玉の緒』とかいう御守もあるらしいよ。その時は知らなかった情報だけどね」

 資料写真を撮りまくり、ここだけでフィルムほぼ一本消費(アホか!)。その後山の辺の道に入る。東海自然歩道ともいう。はっきり言って田舎道。農家やら柿の果樹園の脇の道を通る。柿の木は皆低く仕立ててありました。道はしばらく山道。アップダウンがそこそこあって、自転車ではきついかと。笠置山地・布引山地の方向を拝む。東北に比べて険峻さは少ないけれど、まさに十重二十重に続く青垣。結構深そうな森を見て、神武軍の進軍状況を想像。うん、彼らも結構ハードだよな、これは。

 途中峠の茶屋でソフトクリームを頬張りながら、なんだかよく判らない神社や夜都伎神社(ここの祭神は武甕槌神・経津主神・姫大神・天児屋根神。春日大社の若宮神社から建材等を賜ったものらしい)を見て、長柄駅で桜井線に乗る。三輪で降りたら今度は大和の最古社、大神神社だ。

 大神神社は主神に大物主神を祭り、三輪山を御神体=神奈備とする。そのため本殿が無い…とガイドブックにある。大物主神とその妻姫の神話は私も知ってますが、旦那が怒って別れた挙句奥さん箸で女陰突いちゃって死にました、なんて話だったのに、そんな神様を縁結びの神様として崇める様になっちゃって良いんだろうか。ここは巳の神杉があって、皆さん卵供えてました。何で卵なのかは知らないみたいだった。何故なんでしょう。とりあえず、白蛇が神の使いだって言う信仰はあるけどさ、蛇と卵……丸呑み?ところで一番ここで笑えたのって、「神杉に卵を投げつけないで下さい」という立て札。他に夫婦岩、とかあったけど、私がお参りしても意味が無いんでは…?

 それとさ、ここにお参り来る人って、みんな信仰心が強いんだろう、大鳥居の前で退出する際お辞儀していってたなぁ。(大鳥居は二つあったけど、これは参道の方。もう一つは巨大鳥居って言うべきかも。コンクリート製で大分山の西の方に立ってた。)
 
 次は遠く飛鳥への移動と相成った。桜井線・近鉄大阪線・近鉄橿原線・近鉄吉野線を乗り継いでえんやこら。奈良市よりこっちの方面のが栄えてるみたい。飛鳥に着くと、あらら、なんだか嫌な空模様。修学旅行の班別行動らしき中坊達と、少人数の観光客以外は静かなもんだ。飛鳥自体が『村』だし、ま、言っちゃえば田舎やね。こちら方面は初めてなので、ちょっとワクワクとしつつも、空模様に不安を覚えながら、高松塚に向け出発。レンタサイクルのおじちゃんが「今からじゃ間に合わんよ〜、自転車使いな〜。」とか言ってたが、先に続く長〜い坂道を見ると、自転車の方がきついのでは、とか思ってしまったので、徒歩に決定。私一人なら実行したかも知れんが。

 テレテレと、高松塚古墳へ。この辺はそこそこ人がいる。周りは古墳群だが、かなり整理されて公園化している。晴天時は何とも無かろうが、雲の色故に不気味。壁画館で、レプリカを見て感心しながら『ふしぎ遊戯』を回想。あ〜、なるほど、こんな風に盗掘されたから朱雀が無いのね。でも壁画館、案外狭いな。古墳周りでは観光客グループがガイドの説明を聞いてたんで、横に回って撮影。今は竹が植わってるけど、昔は松があったんだそうだ。だから『高松塚』。判りやすいな。

 天武・持統天皇陵を横目に、ガイドブックのコースをたどり、亀石まで。あら、結構でっかい。でもラブリー。そこからまた歩いていくと、聖徳太子関係のお寺、橘寺へ。ここもざっと見て、最終目的地、石舞台古墳へ向かう。道中、雨がとうとう降り出してきて、気分も陰鬱。時間的にも余裕が無くなって来た。ガイドブックのコース通りに母と二人で歩いていた訳だが……このコース、ヤバくない……?一応観光歩道として整備されてるんだが…石舞台の近くなんかさ、細い道に鬱蒼とした雑木林が覆い被さるように繁っててさ、色んな意味で、危険を感じずにはいられない道なんだよ……。これもまた怖いって言うか……。女一人での歩行はお勧めしません!!というよりJ○B!ちゃんとこういう情報も記載しとけ!!全く役に立たないぞ、コイツ。

 石舞台古墳に着いたのは、閉園15分前。カメラの電池が切れかけてる中、必死で撮る。ここって、周り何にも無いのね。農家の真ん中に石舞台保存地区があって、そこだけぽつんとしてる。『久遠』で馴染みのシーンだけど、たけちゃん、悠利、こんなとこで喧嘩してた訳ね、近所の人来るんじゃない?というくらい静かでした。ここも何気にプレッシャーがあった。天気のせいかな。石は本当に巨大。よくこんなの積んだよな、って感じ。内部に関しては…奥まで行って、鳥居書いてみたかったな……(やめろ)。

 という訳で帰路に就く訳だが、石舞台は盆地の外れなもんで、バスの本数が少ないんだよね。しばらく時間があったので、途中まで歩いて行く事に。母も私もヘロヘロ。途中万葉ミュージアムや天理教支部(これもでかかった)、甘樫丘なんかを脇目に、丁度良いバス停に到着。来たバスに乗り込み、橿原神宮駅・西大寺駅を経由してほうほうの体でホテルへ帰る。この日が一番ハードだった気がしますね。


「ちょっと欲張りすぎのスケジュールじゃないの?これは」
「私もそう思う。でもね、メインの石上神宮は外せなかったんだ。ただ、この場所だけがちょっと外れてるんで、他の何処に行こうとしても、遠距離になるのは避けられなかった。利用する路線の本数が少ないのには参ったけど」
「田舎だしね。けれど、取材という意味では良かったんじゃないか?歩く事で、スケールを体感できただろう?」
「それはまあ、勿論。結構奈良盆地も広いなぁって、実感したよ。でもスケールって言うと、どうしても天理教本部がね、インパクト強くて……。山の辺の道、しばらく歩いたじゃない?なのに、長柄駅に着く辺りでも見えてたんだよ、天理市役所の尖塔。あれも怖かったわよ…」
「……宗教は時として凶器ってか」
「今の世情を見ると、その通りかもな」


(つづく)


「後日談になるんだけど」
「何よ?」
「石舞台に行く途中の道、あまりの鬱蒼さに、証拠写真を撮ったじゃないですか」
「それがどうしたの。まさか心霊写真でも撮れたってんじゃないでしょうね」
「……撮れてなかったんだよ」
「え?」
「そこだけフィルムが極端に写ってないの〜。怖いよぅ〜」
「……………マジ?」
「別に危険な気は読み取れなかったんだろう?単に露光調節に失敗しただけだよ。心配する事じゃないな」
「う……先輩、冷静すぎ。」
「だって、布留の社の厄除けを持ってたのに、そうそう変なモノが寄ってくる訳が無い。違うかい?」
「そりゃそーだ」
「人の信心があれば、大抵の魔は祓えるよ。大丈夫」
「はい!」
「綏月には素直なヤツ……」

(つづく)

 
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