二.邂逅
 
「……だからね、この映画が面白いんだって。演出が凝ってて、見応えあるって」
「でもなー、俺はあんまりそーゆーのは好きじゃないんだよな。サスペンス仕立てのラブストーリーだろ?やっぱり却下」
「でも翔ちゃん、話題作かアクション物しか見ないじゃない。たまには違うジャンルも見てみたら?何か発見があるかもよ?」
「興味の無いもの見たって、絶対途中で寝るって。テレビならともかく、映画館で金出してまでそれは勿体無いぜ」
「それ問題がずれてない?」
 午前10時20分。約束の時間に待ち合わせの相手は見えず、しょうがないのでタウン誌を見ながら歩と雑談をする羽目になった。
 待ち合わせの相手、つまり俺達の幼馴染み兼マブダチの東、フルネームは長谷尾東(はせおあずま)という男は、非常に時間に正確なヤツで、約束を確実に守る今時仁義に篤い好漢である(と思う)。とはいえ、ガチガチの頑固野郎でもなく、結構軽い人格を有し、少年期は俺と組んでそれなりに大暴れした仲である。フェミニストというか、多分に女好きの気があるのがちと問題であるが。
 それはともかく、その、時間にうるさい奴が時間通りに現れなかった。奴の家に電話したところ、既に家は出たようであった。事故なども考えられたが、以前に幾度となく、道すがら困っている女性に手を貸すなどして遅れた事があったため(どうやら時間よりは女性の方が奴にとっては優先順位が高いようだ)、「しばらく待っていよう」との結論を歩と出し、待ち合わせ場所のここ、繁華街にほど近い広場の時計塔の近くで歩と駄弁っている訳である。
 10時を過ぎたあたりから、通りを行き交う人も増え、春休み最終日を満喫しようと繰り出す若者の姿も多くなってきた。この付近には高校もあれば大学もあり、学童年齢の人間がいつも屯っている。これでは補導員も大変だろうなあ、誰が学校サボったり家出してたりするか、見分けつかねーもんな、などと、埒もない事を考えた。
「それにしても、遅いね、東くん。これはペナルティーものだね」
 歩が息を吐いて言った。
「だな。昼飯の一部、ヤツ持ちだな」
「ふふ、何食べよっかなー」
 ほくそえみ、昼飯の事に思いを馳せらす歩を見て、こっちも笑う。
 正直、今朝の俺は例の闇夢のことで気分的に落ち込んでもいたのだが、歩といると、その気分がいつのまにか和らいでいることに気付く。そういう意味で、例の夢を見た朝、一番に歩の顔を見ることは、俺にとっても落ち着き、心休まるものではあるのだ。
 あの、闇を漂う夢。
 なぜか、幼い頃から、俺と歩はあの夢を同時に見る。
 一緒に寝ると稀にそういう事もあるとは聞くが、成長して、部屋も別になってからも続いている現象なのだ。兄妹とはいえ、血縁ではないはずなのに……。
 
 そう、俺と歩には血の繋がりは無い。
 正確に言うと、多少の繋がりはあるらしいが、血縁的には二親等の関係にはない。これは両親が再婚者同士とか云う訳ではなく、俺が天原家の養子だからだ。
 両親が北海道にいて、母が歩を出産する少し前、母方の親類の女性が一人の男の子を生んだ。それが俺だ。
 しかし、実の母親は産後の肥立ちが悪く俺を生んでまもなく他界、実の父親も俺が生まれる前に既に故人となっていたらしい。挙句、母方の親類はほとんど彼岸の人で、俺は生後一週間も経たない内に孤児となってしまった。
 そこを救ってくれたのが、歩を出産したばかりの現母・綾子と、その夫の現父・芳人なのである。
 もともと二人は大の子供好きで、子供はたくさん欲しい、と願っていたのだが、歩の出産で次の妊娠が難しくなったそうで、そのせいもあって、幸運にも俺が歩の兄として、天原家に迎え入れられる事と相成った訳である。それから程無く、父の転勤に伴ってこの地に来た。
 尤も当時の事など覚えてないから何とも言えない。分別がつく年頃にその事実を教えられたものの、両親の扱いは何ら変わりなかったし、周りの人間にそれを言いふらすようなことも無かった。何より俺自身が両親を好きだったから、格別問題が起こりはしなかった。…………まあ……、さすがに中学生の頃は思春期の反抗期というヤツで、少しは(?)荒れた事もあったが。
 
 それはそれとして、もう10時半を過ぎてしまった。東のヤツは何をやっているというのだ。
 通りは先刻にも増して人で溢れ、街本来の喧騒を醸し出している。待ち合わせ場所の近くもかなり人が増えてきた。と、同時に、その辺を通過していく若い男の幾人かが俺達に、いや、正確には歩に目を向け、こそこそと話し合ったりしている。
 無理もない。
 俺が言うのもなんだが、歩は顔立ちはかなりかわいい部類に入る。詳しくは美人系の入った可愛らしさ、とでも言うか、小さい頃から整った顔立ちで、多くの男子の関心と憧れを背負っていた。
 それにプラスして、歩は結構グラマーな体型で、特にその89センチのEカップを誇るバストの大きさは、多感な年頃以上の男どもにとっては、かなりの魅力を感じるものらしい(え、何故サイズを知ってるかって?それは歩が胸の重さ故の悩みでよく愚痴を言ってくるからだ)。そのため、結構な数の交際の申し込みがあったり、スカウトの誘いがあったりと、本人の悩みとは反対のところで皆騒いでいたりする。
 今すれ違いざま振り向いていった奴らも同じだろう。もっとも歩は昔から俺にベッタリで、誰とも交際しなかった『ブラコン』の人間だが。
 とりあえず、俺というコブが傍にいるので、不届き者は声を掛けてこない様で、内心やれやれ、護衛役も長きに亙るなあ、などと考えていた矢先、
「ねぇ翔ちゃん……、あれ、女の人、絡まれてない?」
と歩が、やや離れた所にいる同年代のグループらしき連中を示した。
「どれ、……ホントだ」
 五人組の男達が、一人の女性、こちらも同い年位だが、その彼女を取り巻いている。どうやらナンパの一環のようだが、女性の方は明らかに拒否の素振りを見せている。路ゆく人々は、それを遠巻きに一瞥するだけで、助けようとはしない。
「……この辺はああいう手合いが多いからな」
「翔ちゃん、ねえ……」
 心配そうに見上げてくる歩に向かって俺は言った。
「解ってる。放っては置けないもんな。ちょっと待ってろ」
「……うん!気をつけてね?」
「ああ」
 歩の頭を軽くたたいて、俺は連中の方へ少し用心しながら歩いて行った。
 
 
「いいじゃん、少しくらい付き合ってくれたってさぁ?」
 近づくにつれ、会話が明確に聞こえて来た。
「道わかんないんだったら、俺達あとで案内してやるからさー、一緒に遊ボーって。絶対楽しいから」
「そーだぜ、おもしろい所教えてやるからよぉ、いこーぜ、なあ?」
 声にも表情にも野卑な響きが張り付いている。体つきも悪くはない。そんな連中に周りを囲まれては、女性だったらさぞ萎縮してしまうだろうに。更に近づいて声を掛けようとした時、被害者的立場にいるその女性の声が響いた。
「そこを退いてもらえないかな」
 凛とした、張り詰めた声。
 台詞は柔らかいが、怯えた様子も臆した様子も感じられない、強さそのものの、声。
 一瞬、周囲の男達が沈黙する。
 その間隙を縫うように、再び女性の言葉が聞こえた。
「そこを退け、と言ったんだ。私は君達に関わっていられる程暇じゃない。怪我をしない内に早く行った方がいいよ。後悔したくはないだろう?」
 目の前の連中など恐怖の対象にははなからなり得ない、とでも言うような自信が、こちらにも伝わってくる。気の弱い人間なら、多分その声だけで態度を改めるような、そんな声だ。
 声の主の姿が、男達の隙間から見えた。やや背高の細身の女性。すらりとした立ち姿には隙がなく、その体には余分な肉もついていない。
 この女は何か――武術を修めている。しかもかなりの腕前だ。そう俺は直感した。
 栗色のショートヘアに覆われた顔は端整で、その双眸には底知れない強さと理知の光が宿っていた。中性的ともいえるその雰囲気は、どこか鋼の刃を思わせた。思わず目を吸い寄せられ魅せられる、その澄みきった鋭さが。
 
           ―――――――フツメ―――――――
 
 突然、言葉がよぎった。
 ……フツメ?何だろう。わからない単語だ。なのに、どこかで知っているような気が…………。
 すると、五人組の一人が、
「な、な〜に言ってんだよっ!後悔だと?俺達の親切が受けられねーってのかよっ!!」
と彼女に挑みかかった。ほかの奴らもその男に同調した態度になった。もっともその態度には、彼女の気迫に飲まれているのを隠す虚勢ぶりが表れていた。しかし、奴らはその場を去る様子がない。
(相手の力量も読めないのかよ。数の有利を信じてるんだとしたら、お前らみんな馬鹿だぜ)
 そう思ったあと5歩の距離で、一人が彼女の雰囲気に耐え切れなくなったかのように右手を彼女の方に伸ばす。その瞬間、彼女の『気』が変わった。
 ――――――まずい!
 思ったと同時に俺は一気に距離を縮め、伸ばされた男の手首を横合いから掴んだ。
「なっ……っ!?」
 振り向いた男につられて、他の連中も俺の方を見る。
「女一人に男五人ってのは卑劣なんじゃないか?」
 シラッとした顔で言ってやる。五人は一瞬呆気にとられたものの、どこか解放されたような顔で、今度は俺を睨みつけた。
「な、何だよ、おまえは」
 別の一人が言った。だが明らかに気力が削がれている。なら、話は早い。
 俺はせいぜい落ち着き払った顔で奴らを見渡して
「人の連れにちょっかい出してんじゃねぇよ」
といってから、彼女の方に顔を向けて言った。
「悪かったな、東。遅れちまって」
 話しかけられた彼女は一瞬警戒の気配を見せたものの、次の瞬間にはその静かで鋭い視線を驚きのそれに変えた。
(…………通じなかったかな?)
 だがそれもまたすぐに変化し、今度はとても友好的な微笑みになった。
「……まったくだね。約束の時間を忘れたのかと思ったよ。案内役のくせに、だらしがないな」
 口調も中性的に、彼女は口裏を合わせてきた。それを聞いて、周りの五人は急にホッとしたようなため息を漏らし言った。
「な、何だ、待ち合わせしてた男がいたんじゃねーか」
「野郎付きじゃ、手は出せねーよな」
「おい、お前、手ぇ放せよっ!」
 おっと、いけない。
「ああ、ほら」
 俺は男の手首を放すと、奴らに向かって言った。
「女性はもっと丁寧に扱えよ、お前ら。自分の首を締めることになるぞ――ほら、行った行った」
 手をヒラヒラさせて追い払った。五人はふてくされながらも素直に通りの向うに歩いていく。
 ……何とか、済んだかな。
 連中の姿が視界から消えてから、俺は女性の方を振り返って尋ねた。
「大丈夫か、怪我とかない?」
 あるわけないかと思いつつも聞いてみると、彼女は柔らかく笑って、
「心配には及ばないよ」
と言った。
「あの人数なら素手でも追い払えたんだけどね。これでも武術を修めてるから」
 そう言って彼女は軽く息を吐いた。
「うん?ああ、まあ、腕は立つと思ったけど、わざわざ事を荒立てることもないだろ?」
 すると彼女はクスリと笑った。
「……それもそうだね。助けられたのは事実だし、礼を言うよ。ありがとう」
「いや、いいよ。この辺時々タチの悪い連中がうろついてるから、気をつけて。それじゃ。」
 彼女に別れを告げて、歩の所へ戻ろうとした背中に、引き止める気配があった。
「あ、迷惑ついでに教えて欲しいんだけど」
 振り向いて答える。
「何?」
「この辺りで一番大きな神社って、どう行けば良いのかな」
「神社?」
「ああ。方向は判るんだけど、道が判らなくて。引っ越してきたばかりだから」
 ……若い女性にしては珍しい場所を聞くなぁ。歴史好きなんだろうか?もしくは信心深いとか?まあ俺には関係ないが。
「なるほど。それで迷ってたら、さっきの奴らに絡まれたって訳か」
「ははは、そんなところだね」
 口調も態度も快活な彼女に、俺は神社への道を教えた。彼女はそれを聞くと、ふむ、と納得したように笑い、再び「ありがとう」と言った。
「それじゃ、もういいかい?」
「ああ、助かったよ。私は名雲綏月(なぐもたつき)というんだ。縁があったらまた会おう」
「そうだな。俺は天原翔。じゃあ、さよなら」
「さよなら」
 そして彼女は俺の教えた道を歩いて行った。よどみなく颯爽と歩く後姿を見送って、俺は心配そうにずっとこちらを見守っていた歩の処に戻った。
「ほい歩、一丁あがり」
「翔ちゃん……。大丈夫?」
「見てただろ。騒ぎにならなくて良かったよ」
 不安そうな歩に笑いかけると、歩も安心したように笑った。
「良かったー。でも、私見てるだけで、ごめんね?」
「ばーか。そんなのいいって」
 言ったついでに頭をグシャグシャしてやる。
「あぅーっ、何すんのよーっ」
 これでしょんぼり感は無くなったに違いない。手を放してニヤニヤ笑っている俺を見て、膨れ顔を作って睨んでいる。
 歩が口出しをする方が危険度は高い。それを解ってんのかな、こいつは。……って、俺も結構な『シスコン』だったりするなぁ、ふう。
 なーんてことを考えていると、
「おぉーい、翔、歩ぅ!」
 聞きなれた軽い声が聞こえてきた。ふと時計を見る。10時40分を回っている。東め、メインディッシュはヤツ持ちに決定じゃ。
「悪い悪い、二人とも。こんなに遅れちまって」
 息を切らして駆け寄ってきた東に、冷たく言い放つ。
「今日は何が起こったんだ?その血色の良さと表情からすると、大事件発生、と言う訳ではないみたいだなぁ。よって、昼飯はお前のおごりだ。ちなみに決定事項だからな」
「げっ!オレに破産しろってか!?今日はな、家を出た後、具合を悪くした上品な老婦人に出くわして、彼女を病院までお送りしてだな、電車で綺麗なOLのお姉さんに痴漢行為を働いた下衆を鉄道警察にひき渡してだな、駅の構内で迷子になった4歳のお嬢さんを交番まで届けて母親が迎えに来るまで相手をしてだな、それから…………」
「もうえーっちゅーんだ」
 やっぱり予想通り、女性がらみの理由であった。まったく……(そういう俺もさっきの件はあるが、コイツ程まめではない)。
「いくらなんでもちょっとやり過ぎじゃないか?」
 返答を予想しながらも言ってやると、まったく予想通りの答えが返ってきた。
「馬鹿野郎ーッ!!か弱い女性が困っているのに見捨ててしまっては、人類の雄としてのレゾンデートルが崩壊してしまうじゃねーかっ!翔、お前はそんな冷たい人間だったのか!?」
 ……やーれやれ、何度言えば気が済むのかね。でもまあ、どっちにしても、だ。
「東くんの考えは立派だと思うよ。でも、遅れた事と、私たちが随分待たされたのは、紛れもない事実なの。だから、そのお詫びと反省の意味で、おごってちょーだいね?」
 おお、的確な代弁ありがとう、歩。
「……あぅ。確かにそれは悪かった。時間に関しちゃ、オレ自身守れなかった負い目を感じてるしな、……しゃーない、今日はおごりますよ」
 素直に負けを受諾。
「やったぁー、じゃ、よろしくねっ!」
 破顔一笑。
「そーかそーか。な〜に食おうかな〜」
 不敵な笑み。
「言っとくけど、そんな高いもんはダメだぞ。オレは万年金欠病なんだから」
「わかってるって。長年の付き合いだ、財布の中身も知れとるわい」
「ふふふ、私も大体判ってるよーん」
 そして俺達はベラベラとどうでもいい事を語りながら、休日を満喫する為に通りの人の波に飲み込まれていった。
 
 
 
「…………この地に坐す天神地祇よ、我が役目の故に我の此の地にあるを赦し給え。彼の者に護りの祝の有らん事を、そして彼の封じられし神の死返り黄泉返りを数多の力以て防ぎ給え……」
 街にほど近い古さびた神社の拝殿に、一人の娘が佇んでいた。人気のない境内で、彼女は長い間祈りを捧げている様にも見えた。しばらく、何かを呟いていたかと思うと、彼女は晴れ渡った空を見上げ声に出して言った。
「祖父君、今生での彼に逢えました。多分近くに彼女も居たでしょう。私はしばらくこの地に留まり、お言葉通りに彼らを見守りましょう。それが今の私の役目ですから。それに……」
 一旦、息を吐く。
「それに、今生はどうやらかつての役者が揃っている様子。その気配を感じます。油断は致しませぬが、祖父君方もしばしご留意の程を」
言葉を切ったそのとき、周囲の風が渦巻き、彼女の脳裏に声が響いた。全てを薙ぎ倒し、切り伏せるほどの、圧倒的な存在感――――――。
『諾………………心せよ………………』
 そして再びの静謐。
 彼女は地上に目を向け呟いた。
「また鳴動を始めるか……。でも、解っているのかな。自分達が何に手を出そうとしているのかを――――――」
 皮肉な笑みを浮かべ、彼女はその栗色の短い髪を掻き揚げると、参道を鳥居の方へと歩き始めた。
 
 

 
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