一.はじまりの朝
  
 …………また同じ、例の夢。
 幼い頃から時折見る、見る度に変らない、永劫とも言える闇の夢。
 感じるのは、限りない寂寥感と不安感、そして何より、…………孤独感。
 数えきれないほど夢に見て、これは夢だと解ってはいるのに、やっぱり今度も同じ淋しさに駆られ、耐え切れなくなって重い瞼を開ける。
 夢とはいえ、暗闇に慣れた瞳にカーテンの隙間からまぶしく朝の光が差し込み、思わず目を閉じた。再度、今度はそろそろと瞼を上げ、部屋の輪郭が明瞭になってきて初めて深い溜息を吐いた。
「……朝か」
 
 
 その途端、
「翔ちゃん、おはよう!」
 ぼんやり寝こけていた俺の上に、突如明るい挨拶と一緒に、ボディープレスが降って来た。
「うぎゃあぁぁぁぁーーー!!」
 我ながらみっともない悲鳴を上げて、俺の意識は即座に覚醒へと突進した。同時に悲鳴の原因もベッドの脇に退いた。
「……ごめん、そんなに重かった……かな?」
 予想以上の効果に戸惑った表情を浮かべ、悲鳴の原因――俺の同い年の妹の(しかし双子ではない)、歩が言った。
「ゴホ…………、おまえな……。重いに決まってんだろーが。三つやそこらのガキじゃねーんだぞ?間が悪けりゃ怪我や圧死するかも知れなかったんだぞ。反省しろ、まったく」
 上半身を起こしながら、寝癖だらけの髪を掻きあげて、不機嫌そうに言ってやると、
「……ハイ」
と、素直に答える。そんな歩を見遣って、一息ついてから俺は言った。
「また、例の夢、見たんだろ?」
 すると、歩ははっとした表情で俺を見返した。
「……お見通しかぁ。翔ちゃんも、でしょ?」
「まあな。おまえが朝イチで俺起こしに来る時は決まってそうだから」
「だって、なんかイヤなんだもん、すごく不安になっちゃうから。翔ちゃんの顔見ると落ち着くんだよ。だからかまわないでしょう?」
 すがりつくような視線に、俺は苦笑して答えた。
「ま、いいけどさ、実際俺もそんな時あるし。これに関しちゃ、お互い様ってことで。ただし、今日みたいな起こし方やめろよ?」
「うん、ごめんね。次からは気をつける」
 うなずいた歩を見て、心の中でホッと息をつき、ふとまったく別の事を切り出してみた。
「ところで歩」
「ん?何?」
「おまえまた胸がでかくなったんじゃないか?」
 次の瞬間、左頬に強烈な一撃が、バッチーン!と小気味良い音をたてて襲いかかった。
「そーゆーの、セクハラって言うのよっ!まったくもう、こっちは重くて鬱陶しいっていうのに!」
 先程のうなだれた様子と一転して、歩は憤慨の表情も露に立ちあがり、自分の部屋へ続くドアへと向かっていった。そしてキッと振り向いて言った。
「今日、東くんと約束してたの、忘れてないでしょうね?」
「東との?大丈夫、ちゃんと覚えてるって。春休み最後の日だもんな、せいぜい息抜きしとかにゃあ。確か10時だよな、待ち合わせ」
「そうだよ。だから今から寝たら間に合わないからね。翔ちゃんの二度寝、すーっごく長いんだから」
 そう言って、歩はさっさと自分の部屋へと行ってしまった。枕もとの時計を見れば、現在午前7時26分。確かに今から寝たら俺のこと、次に目が覚めるのは10時過ぎだ。さすがにそんな事をやって長年にわたる友情を傷つけてしまうのは宜しくない。俺は潔くベッドから降り、そして、続き部屋の歩の事を考えた。
(少しは不安も吹っ飛んだかなぁ)
そんな事を思いながら、カーテンを一気に開ける。光が差し込む中、深呼吸をして、俺はクローゼットに近づいて行った。
 
 
 天原 翔(まはら かける)、16歳。性別は男。公立蜻蛉島高校在学。それが俺のデフォルトだ。幼少時――と言っても赤ん坊の頃だが――に家族四人で移り住んで以来約16年間、この地で暮らしてきた。
 俺の住んでいる辺りはやや新興の住宅地に近いが、街の中心部付近は古く門前町として栄えたところで、今は大分都市整備が成されたものの、裏路地に入ればかすかに歴史の香りが感じられる。生まれ故郷は北海道だったというが、今ではこの土地の方が故郷と言っても良い。
 両親がこの地に引っ越したのは、コンピューター関係の技術者である父・芳人の転勤によるものだったそうだが、どうもそれだけではないような気配があった。
 転勤といっても2〜3年の出向程度で、単身赴任でも良かったようなものであったにも関わらず、教職に就いていた母・綾子まで、当時の職場を辞めてまで、わざわざ同行したのである。
 まあ、俺と歩、生まれたばかりの乳幼児二人の面倒を見るのは、母ひとりの手には余ったのだろうが……。(祖父母等の親戚も近くには居なかったことだし)
 その後、父はこの地で別の会社に転職、母も地元の学校の養護教諭の仕事に就き、北海道に戻る必要性が無くなった。ただそれだけなのだが、小学生の頃、父の転職の理由を聞いた時の歯切れの悪い答え方が気になった。一応、「社風が合わなかった」との答えが返ってきたのだが、子供心に何かを隠しているような直感がよぎった。
 それは多分、俺の出生に関係があるのだ、とも……。
 
 
 着替えをすませて階下に降りると、朝食のあたたかい香りが廊下までただよっていた。ダイニングに入り、キッチンで調理をしている父に声をかける。
「おはよう、父さん。今朝はゆっくりじゃない?」
 包丁片手に振り向いた父が、穏やかな笑みを返してきた。
「翔か、おはよう。今日は9時半出勤なんだ。それで少し寝過ごした。でもおまえ達も間に合うだろう?」
「うん。えーっと、火曜日だから今晩は俺が食事係だよな。街行くついでになんか材料買ってくるか。何がいい?」
「そうだなぁ、まあ、食えるものならなんでもいいさ。あ、でも卵がきれそうだから、1パック頼む」
「オッケー」
 近くに置いてあるメモ帳に書き込む。我が家の朝食・夕食は家族全員の当番制だ。一日ごとに夜と翌朝を担当する。俺の場合は幼い頃からの刷り込みが効いており大して苦にはならないが、父が家事が嫌いであったら、この制度は男性陣の身勝手な感覚によって採用されていなかったに違いない。
 そう思っていると、ドアから女性陣が二人入ってきた。歩と母である。
「おはよう、お父さん」
「ご苦労さまー、芳人さん」
 前者は明るく、後者は少し疲れて。
「おはよう、歩。綾子さん、資料のプリントまとまった?」
「んー、なんとかね。5時起きの甲斐ありました。これで今日中に生徒に渡せるわ。」
 少しくせ毛気味のショートカットの髪を掻きあげて、母がうんざりしたように言った。
「もう、お母さんたら。だから手伝うって言ったのに」
 歩が呆れたように言う。
「だーめ、これは私の仕事。私が責任持ってやらなきゃいけないんだから、歩に手伝ってもらう訳にいかないの。大丈夫、いざとなりゃ始業式の最中に居眠りしてやるから、ははは」
 ……教職にある者の言葉かね。
「お母さんったら!」
「体の心配してくれてんでしょ?ありがと歩。それじゃ、モーニングティー入れて。フォションでね♪」
「……ハイハイ」
 歩は素直に負けを認めて、紅茶を入れる。どうやら起き抜けの不安感は消えていると見えて、内心俺はホッとした。それから、ボーッとしている訳にもいかないので、父を手伝って食器を並べた。
「お、すまないな」
と言う父にスープ皿を渡し、テーブルの方へ行くと、既に椅子に座りお茶を飲んでいる母が俺の顔を見上げた。
「ちょっと翔、その前髪何とかしなさいよ。個人のファッションを云々したくはないけど、その髪じゃ、ちょっと邪魔くさいわ。第一、目に悪い。切るか整えるかしたら?」
「そうかなぁ」
 ……慣れてて大して気にならないけど。
「そうよ。まあ、似合ってない訳じゃないのが救いだけど、やっぱり見ててちょっといや。せめて後ろ髪も伸ばして髪をまとめちゃえばいいのに、前髪だけボサボサで」
「うーん……。そりゃ母さんのベリーショートから見りゃ、何だってうっとうしいかも、だけどさー」
 俺の髪型は、基本的には短髪だが、前髪だけはなんとなく伸ばしている。見ようによっては、母の言う通り、「前髪だけボサボサ」だ。……でも、本人結構気に入ってるんだよなぁ。
「……まあ、気が向いたらってことで。ダメ?」
 俺の目を見て一息ついた後、
「目に引っかからないように、よ。それだけは何とかして」
と、念を押す。そして諦めたように、今度は茶器を片付けている歩を見る。
「歩の髪も伸びたわねえ。重くない?」
 歩は笑ってそれに答えて言った。
「ううん、私の髪って細くて量少な目だし、それ程気にならないよ。邪魔な時は結べるし、大丈夫」
 うーむ、事実だけにつけいる隙が無い。母も気がそがれたようだ。
「そお?ならいいんだけど」
 そうこうしている内に父がキッチンからやって来た。どうやら朝食ができたようだ。
「はい、みんなお待たせ。少し遅くなったけど、スープの味は保証するよ。昨晩から仕込んでたからな。」
「わーい!それじゃ、いただきまーす!」
 歩の歓声を皮切りに、しばし朝食時の一般的風景が展開した。
「翔、そこのブルーベリージャム取ってよ」
「あいよ。母さんもそっちの粗塩取って。……サンキュ、やっぱりゆで卵にはこれだよなー」
「お父さん、このスープホントに美味しい!料理人の域だねぇ、これはもう」
「おい歩、袖にマヨネーズついたぞ!」
「えっ!?うそっ!」
「ほら歩、布巾使いなさい。気をつけて」
「ちょっと、芳人さんこそスープに袖が入るわよ」
「おっと、いけない。人のこと言えないなあ……」
などなどと、実に微笑ましい会話が交わされ、食事の時間が過ぎていった。
 後片付けをする父を補佐し、朝食の名残が消え去ったあと、俺と歩は部屋に戻り各自外出の用意を始めた。といってもバッグに財布やらを詰め込むくらいで、大したものではない。暇なので、壁に寄りかかりながらその辺においてあった本を手に取る。奈良・平安時代の歴史が書かれたその本をパラパラ捲っていると、中に何やらメモが挟まっていた。
「何だこりゃ。
 
『ペケちゃんへ。
 この本貸してくれて助かったよ。やっぱり古代ってロマンを掻き立てられるねー。
 学校で詳しく習えないのが残念。またそのうち面白い本探索したら教えてね。
 そんじゃ、バーイ。  
                                     ミコトちゃんより( ̄ー ̄)☆』
 
……そっか、この前この本あいつに貸したんだっけ。返してもらってからも見てなかったから、すっかり忘れてた」
 ミコトと言うのは、中学以来の俺の友人である。フルネームは如月美采(きさらぎみこと)。
名前は雅だが、性質は大幅に異なる。悪友に近いかもしれない。恋愛感情を交えずに気軽に付き合える稀有な存在の女子ではあるが……。
「なに見てるの、翔ちゃん」
 いつの間にか歩が俺を見下ろしていた。
「いや、本の間に、美采からのメモが入ってたんだけどさぁ……」
「どれどれ……。あ、ペケちゃんへ、だって」
「まったく……」
 ため息交じりに俺は言った。
「いいかげんにこの呼び方はやめろっつってんのに、あいつはぁ……。人の話を聞かねーんだから……」
「如月さん、相変わらずだなー。翔ちゃんも、こればっかりは災難ね?」
 笑い混じりに歩が言った。
 美采という人物は、確かに気軽に付き合える存在なのだが、どうも人が嫌がる事をするのが好きなのだ。
 もちろん、いかにもな悪事を働く訳ではないし、ある程度のモラルもきちんと持ち合わせている。策略家と言うほどでもなく、どちらかと言えば、他人を軽くからかうことで日常を楽しんでいるタイプ(しかもその場のノリで)。誰彼構わずちょっかいを出すわけではないが、出される方はそれなりに困ることもある。
 ちなみに、「ペケちゃん」とはヤツがつけた俺の宜しくないニックネームで、カケル→×(和差積商のアレだ)→×(バツ)→ペケ、と言う連想によるものである。まったくもって宜しくない。下手をするといじめの原因にも成りかねないという代物だ。幸い俺はそれなりに発育も腕っぷしも良好だったので、今まで事無きを得たが。(ん?日本語がおかしいか?)
 それはともかく、俺は歩に言った。
「それより、おまえの方は準備終わったのか?」
「え?あ、うん。いつでも行けるよ。早く行ってブラブラしてよっか?」
 ちょっと考えて、
「でも、10時前じゃ、店は開いてないだろ。あ、でも、時間には正確な東のことだから、多少早くてもかまわないか。じゃ、……もうすぐ9時だし、行ってるとしますか」
「そうだね。じゃあ私、荷物取ってくる。先に下行ってて。あ、それと、お父さん達ももう出たみたいだから、鍵も忘れないでね?」
「おー」
 部屋に戻った歩を見送ってから、俺は立ち上がってバッグを手にした。
 出がけに、つけられていたラジオを消す。
 外に出ると、少し冷気を帯びた空気が、ほんの少し肌を刺した。
 
 明日から高校二年になろうという春休みの最終日。
 あとから思えば、この日が始まりだったのだろう、……今生における過去の再現は。
 
 
『…………近年A市付近で続いている連続行方不明事件において、被害者の数が100人を越えた事から、当局に対する市民の不信感が高まっています。この事件の被害者の大部分が、失踪から数日以内に、極度の衰弱と記憶の欠如を伴いながらも姿を現し、保護されている為に、調査が疎かになっていたのではないか、という意見が大多数を占めています。被害者の中には未だ発見されていない方々も少数いる事から、当局は対策本部を拡張し、この事件の解明に本格的に乗り出す方針を打ち出しました――――』

 

 
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