君纏う彩 2
 
「――――以上がこの半年における東部での穀物生産量の推移です。禍日神による国土荒廃以前と比べると、徐々にではありますが元の水準に達して来ています。やはり大地から得られる恵が安定しているのが効果を上げているようですね」
 宵闇が空を染め、篝火と灯火がゆるりと己が周りを照らす頃合。
 十日近くに及ぶ南部地域への視察を終えて根宮に帰還したアシュヴィンは、旅装を解いたのみで早々に執務室に入り、リブに留守中の報告をさせていた。
「そうか、それは何よりだ。民もさぞ安堵しているだろう」
 報告を聴きそれに応えつつ、溜まっていた竹簡に次々に目を通し振り分けていく器用さは、日頃から妃が羨望する技能の一つである。本人は慣れだろうと言っているが。
「や、仰る通りです。調査に行った者達も、民の笑顔が増えたと嬉しそうに話してましたよ」
「それは俺も視察に行くたびに実感しているさ。その笑顔がより永く続くよう、一層精進せねばならんとな。施療院の方はどうだ?」
 施療院とは、禍日神災害後に都下に設置された王立の病院である。病院という制度が確立していないこの常世で、その発案者は当然ながら千尋たちだ。
「地道な宣伝の効果があってか、民の認知度はかなり上がってますね。患者数も相当増加しているようで、評判も上々です。その分、そろそろ増員の必要があると院長から相談がありました」
「増員か……。土蜘蛛には問い合わせてみたか?」
「はい。即、という条件なら数名は調整可能だとエイカ殿が。土蜘蛛以外で薬師となると、確保するのは少々難儀ですね。豪族のお抱えがほとんどですから」
「ふむ。気が早いかも知れんが、以前風早が言っていた『専修学校』とやらを開設する計画、着手しても問題なさそうだな。いざという時に人員が足りずに患者を見捨てる羽目になってはまずい。リブ、適任者を見繕って素案をまとめさせろ。急ぎではないが、可能な限り迅速に、とな」
「分かりました。分野はひとまず医術・農業・土木についてでよろしいですか?」
「始めからあまり欲張ったところで破綻も早かろう。まずはその三つに絞り、後は構想に入れておくだけにして状況に応じてその都度追加する方針でいけ。ああそれと、要員には金銭感覚のまともな奴を入れておけよ。理想ばかり追い過ぎて金喰い虫になっては困る」
「それは勿論」
「他に何かあるか?」
「そうですね、西方砦の改修予算案が上がって来たようですが、こちらの予測より大分超過してまして、ご覧になったナーサティヤ殿下が一瞥するや『どこにこんなに金をかけるつもりだ、削れ』と一蹴したそうです。いずれ微細な内訳と一緒に再度上がって来るかと」
「あの砦の責任者は奢侈好みだから予想はしていたが……要所となる砦だと言うのにサティが一蹴する程とは、余程吹っかけて来たと見える」
「仕事は出来るし部下の面倒見も良くて、派手好きと金遣いの荒ささえ人並みなら、軍の中枢に居てもおかしくない実に良い人材なんですけどねえ」
「完璧な人間などそう居らんからな、手綱さえしっかり握っておけば問題あるまい」
「や、仰る通りで」
 リブが苦笑して答えると、彼の主は竹簡を傍らに置いて軽く息を吐いた。
「――――よし、こちらの竹簡は全て目を通した。再検討が必要な物は明日の朝議で官に諮る」
「承知しました。担当官に通達しておきましょう」
 リブはアシュヴィンが見終わった竹簡を確認しながら、近くに居た文官に担当官への通達を頼んだ。
 それが終わると、リブは慣れた動作でお茶を煎れ始める。報告及び竹簡の確認が済んだら小休憩を取るのは、皇の習慣になって久しい。もっとも休憩と言いつつ話が政に言及するのが常なので、実際に休憩と言って良いかは疑問だが。
「それにしても、施療院が好評なのは良い事だが、患者数が増えるのは複雑なところだな」
「仕方ありませんよ。大分復興したとはいえ、荒廃の影響はまだまだ残っています。知られずに傷病者や死者が増えるよりはまだマシだと考えるしかないでしょう」
「まあそうなんだがな。貧しい民はそうそう薬師に診てはもらえんし。戦後特例とはいえ、無料での診療が多大な効果を上げているのは俺とて評価している。ただ永続的に全て無料という訳にはいかんだろうな。財政的に立ち行かなくなる可能性がある。人員が増えれば尚更だ」
「それに関しては担当官の方でも方策を検討していますよ。『特例』と最初にはっきり銘打っておいたので、それなりに生活出来ている層には多少の融通は利きそうだと言ってましたが」
「その辺は那岐の入れ知恵に感謝しておくか。遠夜はどうしてる?」
「夜以外はずっと施療院に詰めてますよ。腕が良いので重宝されているようです」
「そうか。土蜘蛛一族には感謝してもしきれんな。こうも早く施療院が軌道に乗ったのも、連中の協力があってこそだ」
「や、まったくです。それに土蜘蛛に対する拒否反応が比較的少ないお国柄というのも幸いしましたね。中つ国の施療院は民の拒絶が未だ強くて、なかなか薬師の確保が難しいそうですよ」
「まあ、あちらはな。――――中つ国と言えば、千尋が帰って来るのは二日後だったか」
 それまで淡々と話していたアシュヴィンが、その名前を出して初めて眉を寄せた。その表情を見て、リブは面白そうに笑みを浮かべる。
「そうですね。定例のあちらでの公務に赴かれたのが五日前ですから」
 さすがに竹簡と使者の往復だけでは政が進まない。故に千尋は月に一度、一週間程度は中つ国に赴いては諸官との会議を設け、中つ国を導く女王としての存在を明示している。
 実のところ狭井君を中心とした旧臣遺臣でも回ると言えば回るのだが、放っとくとまたぞろ好き勝手にされるので、監視の意も込めて行かざるを得ないのが現状だ。毎度側近として付き合わされる那岐が「まったくあっちは面倒極まりない」と渋面を作っているのは皆の知るところである。
「やれやれ。お互い抱える物が大きいとはいえ、こうもすれ違いが多いとつまらんな」
 今回はこちらが視察で擦れ違ったが、根宮に居ても昼間は殆ど逢うどころではない。下手をすれば食事も別々、寝所でようやく顔を合わせたかと思えば、お互い疲れ切っていて短い会話だけで終わってしまう事もままある。まったくもってつまらない。
 無論、国政を蔑ろにする気は毛頭無いが、せっかく『らぶらぶ』な夫婦なのだから、たまにはまったり落ち着いて夫婦の営みに浸りたいと思う時だってある。こちとら若いのだ、仕方あるまい。
「そういえば、狭井君から皇后陛下を中つ国に返して欲しい旨の親書を頂きましたが」
「またか。適当にスルーしとけ」
「や、そう仰ると思ったので、いつものように適当にスルーしておきました」
 一応ご報告したまでで、リブはそう言って笑った。本当にいつもの事なので、お互い暢気な反応だ(ちなみに千尋達が常世に来てからというもの、彼女達が常用する現代日本の言葉の幾つかは、ここ常世の首脳陣にも日常会話に頻出するほど浸透してしまっている。時には会議時等に狙って暗号のように使う事もあるようだ)。
「つくづく、あの婆さんもよく飽きんな。俺が千尋を手放すはずが無いと、一体いつになったら納得してくれるやら」
「や、それは仕方ありませんでしょう。現時点で中つ国の王族だと確定しているのは皇后陛下だけですし」
 那岐もその容姿から王族ではないかと噂されているが、確認のしようがないので様子見されている程度だ。そもそも本人が国なんて知るかな性格で、差し迫って千尋に危険がある訳でもない現状で王になろうとか考える気概なぞこれっぽっちも持ち合わせていない。最近では一々詮索されるのを面倒がって「僕は異世界出身でこっちの王族とは一切関係ないから」とか何とか嘘八百吹かしてるらしい。
「確定していようがいまいが、あんな国に千尋を渡すつもりはさらさら無い」
 結婚後(この場合二回目の結婚式を挙げた後という意味だが)、何かの折りに風早から幼い頃の千尋に対する中つ国の仕打ちを聞かされた。
 姉による毒殺未遂の件で自分も大概身内に恵まれていないと思ったものだが、しかし父や他の兄弟との仲は疎遠とは言え悪いだけではなかったし、官や民も皇子としてだが丁重に遇してくれていた。
 だが、千尋は。
 姉と、そして風早のたった二人だけしか、彼女を彼女として、中つ国のニノ姫として見てくれる者は居なかった。実の母親でさえ冷遇し、官や釆女には理不尽なまで見下され無視されていた。ただその容姿ゆえに。
 そして、それは中つ国を救い王となった今でもそうなのだ。彼女を心から敬愛してくれるのは、かつて共に戦った兵や、触れ合いのあった民くらいしか居ない。
 だから千尋は常人の何倍も努力している。只人の王であれば許される失態も、神子であり『異形』を持つ彼女に関しては致命的な失態と見なされるからだ。
 華奢な体を時には酷使して政に勤しみ、不明があれば周りの官に謙虚な態度で訊いては理解に努め、他国に在って執政する不利を咎められないよう力を尽くす。
 風早や那岐が側近として協力しているとはいえ、激務である事は変わらない。
 それらの事実を知ってなお、誰が最愛の妻をそんな場所に追いやれるものか。一月に四分の一も行かせているだけ幸せだと思え。
「中つ国の旧臣が揃って黄泉に下っていれば、また話が違っていただろうがな」
「や、陛下、それはあまり大きな声では……」
「おいおい、些細な冗談を本気にするような頭の固い奴を側近に据えた覚えは無いぞ。……どちらにしても、大伴道臣のように千尋に理解を示す高官も居なくはないが、あれは狭井君にはまだまだ敵うまい。敵わない内は、千尋がごねようともあちらに返すわけにはいかんな。現状で我慢してもらう」
 柊が健在で立ち回ってくれていればまた少し良かったのだが、戦の後、しばらくしてからふっつりと行方が知れなくなった。散々我が君の為に云々と言っていた割には何処をほっつき歩いているんだ頼りない、と思ったところで罰は当たるまい。
「御子でも出来ればまた状況も変わるんでしょうけどねえ」
「子か……」
 王族として、次代を遺すのは義務の一つだ。自身と千尋の間に子が生まれれば、それは常世と中つ国双方を統べるべき生まれながらの王となる。確実に一人ないし二人は王となる運命から逃れられない存在が必ず出る。
 とはいえ、常世にはまだナーサティヤ・シャニといった先王の血筋が居るし、豪族を見渡せばかつては王に程近い場所にあった血筋も多い。その分権力争いが起きやすくはあるが、しかし王の血筋が絶える事を今すぐ心配する必要は少ない。その点では中つ国の方が余程切羽詰まっているだろう。
「解ってはいるが、あちらに我が子を送り出すというのは正直気が進まんな」
 女王を擁する事が尊ばれる中つ国、皇女が生まれればその子を、と請われるのは目に見えている。皇としては割り切れるが、父親としては気が揉める話だ。ましてその娘が千尋の血を色濃く引いていたらと思うと。
(……と、俺もまだ先の事で、何を今から心配してるのやら)
「気持ちは解りますが」
「まあ、その頃にはもっとマシな国になっている事を、我が妃とその臣下に期待しよう」
 無論、俺も協力を惜しまんが。
 そう結論づけたところで、アシュヴィンは政務に戻る為、飲み干された茶器を卓子に置いた。
 
 
 

<あとがき>
はい、ここらで当初のコメディ小話にする予定がすっかり崩れ去りました。どこが小話だよ中編じゃんこれ。_| ̄|○
仕事中の常世主従書き始めたら何だか存外楽しかったんだ……きっと解ってくれる人は何処かにいる……。
 
施療院云々の元ネタは某有名中国風ファンタジー小説群から拝借。多分こういう知識とかは現代組から結構横流しされてると予想。

 
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