君纏う彩 1 |
周囲にボケ体質が多いが故に、すっかりツッコミ担当となって久しい我が身ではあるが。 「あのね――――鬼道でガングロに見せかける事って出来るかな?」 ――――果たしてこの台詞に、自分は一体どうツッコむべきなのだろうか。 その日の執務が何となく一区切りついた、ある日の昼下がり。 四阿の様に開け放たれた執務室の窓や扉からは心地よい風が穏やかに吹き抜けていて、那岐はその風を浴びながら、庭に出て一刻ばかり昼寝でも洒落込もうかとぼんやり考えていたのだが。 「ねえ那岐」 向かいの卓子に座っていた千尋が、女官の煎れてくれたお茶を飲みながら、やけに神妙な顔で声をかけてきた。 「何」 「訊きたい事があるんだけど、いいかな」 常ならざる神妙さに内心眉を顰めながらも、那岐はお茶をあおりながら答える。 「答えられる事ならね。何、狭井君から届いた報告書で引っかかる事でもあった?」 千尋やその身内数名がここ常世に移り住んでから大分経ったが、中つ国からは頻繁に政についての報告や指示を仰ぐ使者がやって来る。千尋は常世の皇妃ではあるが中つ国の王でもあるので仕方ない。どこぞの誰かさんと違って真面目な質なので、面倒臭いとも言わずに誠実に対応している。 ともあれ、今時分まで執り行っていた執務がまさに中つ国の政務に関する事だったので、那岐は当然それ関連の質問だと思ったのだが。 「あ、仕事とは全然関係ないんだけど」 などと返されて、じゃあ一体と首を傾げれば。 「あのね――――鬼道でガングロに見せかける事って出来るかな?」 「……………………は?」 間抜け極まりない返答しか出来なかった点については同情してもらいたい。 「…………今、何て?」 ついでに思わず聞き返さずには居られなかったのも(誰にだって?それは同じく呆気に取られて佇んでる女官にだ)。 「だから、鬼道で黒目黒髪ガングロに見せかけるって出来る?」 「誰を」 「私を」 「………………」 なに冗談言ってんだか、と返そうとしたが、しかし千尋の表情は真剣だった。 こういう顔の時の彼女が大人しく引っ込む事はあり得ない。とりあえず、呆気に取られたままの女官を下がらせて、渋々ながら話を聞く体勢を取った。 「……で、何なのさ。そのいきなりの訳解らない質問は」 「出来るの?出来ないの?」 「出来る出来ないで言えば、まあ出来るんじゃない?単に見せかけるだけなら、幻覚作るのと同じ原理だし。実際に肌や瞳の色そのものを変えるとなると少し難しいけど」 「そっか。出来るんだ……」 那岐の答えを聞いて、納得したように頷くのは別に良いのだが。 「って、こっちの質問にも答えろよ。なんでそんな事訊くわけ?」 「うん、アシュヴィンの事で、なんだけど」 その人物名を挙げられた途端、何となく嫌な予感がした。 そしてその予感は次の千尋の台詞によって的中した。 「アシュヴィンってね、私の事、一目惚れだったらしいのよ」 「……………………は?」 再び間抜けな返答しか出来なかった点についても、これまた同情してもらいたい。ただし今度は女官が居ないので、その辺飛んでる小鳥にでも良い。 呆気状態の那岐には構わず、千尋はなおも続けた。 「今もしょっちゅう綺麗だとか美しいとか麗しいとか言ってくれちゃうし」 「……何それ新手のノロケ?」 「違うよ!」 「と言われても、ノロケ以外の何物でもないようにしか聞こえないんだけど。頼むからそういう話は風早に振ってくれない?適材適所っていうだろ」 少なくともそんなザラメ吐きそうな展開の話は自分より彼の方が遥かに適任だ。きっとアシュヴィンの台詞にかこつけて自分自身でも千尋を絶賛しまくるに違いない。ああもう想像しなくても目に見える。 「だからノロケじゃなくって!」 「はぁ……何なんだよ一体。ノロケじゃないなら何だって言うのさ」 「だからね、その一連の褒め言葉の前提として、この外見があるってことなの」 「外見?」 「金髪・碧眼・白い肌」 「…………ああ、なるほどね」 挙げられて理解した。 常世の皇の妃溺愛っぷり褒め讃えっぷりは常世のみならず中つ国でも有名だが、主としてその妃の外見の美しさに対する評価が取沙汰される事が多い。 解りやすいから当然と言えば当然だが、しかし中つ国生まれ中つ国育ちの千尋、ついでに那岐にとっては、白い肌はともかく金髪碧眼という『異形』のおかげで幼少時には散々な目に合っている。ある意味トラウマに関わるだけに、ぶっちゃけ褒められた所でああそうですかという気分にならないでもなかった(千尋に関しては風早の刷り込みもあって今は大分どうでも良くなって来ているようだが)。 そんななので、真っ先に容姿を褒められたりそれに惚れられたりすると、何と言うかこう、複雑な気分になるものらしい。 魂の双子ゆえに推測した意見を那岐が提示すると、千尋は素直に頷いた。 「褒められるのは嬉しいんだけど、でもやっぱり時々不安っていうか不信っていうか。私がもし、こんな外見じゃなく普通の中つ国の人と同じ見た目、それか常世の人と同じ見た目だったら?アシュヴィンはそれでも私の事綺麗とか美しいとか言ってくれるのかしら。ううん、それ以前にそもそも好きになってくれたのかしら」 「………………」 やっぱりノロケじゃないか……。 「そう思ったら、もし私の外見が今の私の特徴とかけ離れてたらどんな風に反応するのか気になり始めてしまって」 気になるも何も、容易に予想がつくだろうが。 「……それで、ガングロ?」 「一番手っ取り早いと思わない?」 「まあ、そうだけどさ……」 「でもさすがにこっちの世界じゃ日サロも無いし」 「あっちの世界だろうとそんな場所に行くなんて言ったら、風早が泣いて止めるだろ」 ああもうこれまた想像せずとも目に見える。それこそ今の千尋の姿がどんなに綺麗で可愛くて尊くて唯一無二の物なのか、おまえ何処の狂信者かってくらい褒め讃えまくって必至に止めるに決まってる。考えただけでも鬱陶しい。 「今の常世の気候じゃ一気に日焼け出来そうな場所は無いし」 「それ以前に、千尋、日に焼けると真っ赤になるだろ。日サロでも天日でもお勧めしない」 第一そんな場所にあのアシュヴィンが行かせる訳ないだろう。千尋ベタ惚れだけあって、一度彼女が日焼けで苦しんでいるのを見て以来、日焼けしそうな場所に連れて行く時は帽子だ日傘だ衾だ移動式天蓋だなんだとてんこもりに持たせるくらいだ。ぶっちゃけ端から見てると皇の権威もへったくれもあったもんじゃない。 もっとも他の官達に言わせれば、微笑ましい、の一言で終わってしまう。いつもキビキビしている皇が奥方にメロメロなのは新鮮だとか何とかで。こっちからすればザラメ吐く体力が勿体無いだけなのだが、なかなか同意は得られない。 で、そんな微笑ましい皇のお妃はというと。 「そうなんだよね。だから、幻覚でそういう風に見せられないかなって。髪は染めれば何とかなりそうだけど、肌と目は他に方法が思いつかなくて」 丁度良いファンデーションやカラコンがある世界じゃないし、なんて真剣な顔して暢気な事言ってる場合だろうか。少なくとも、中つ国と常世の二大国を統べる王族の言とは全く思えない。 (……バッカじゃないの?) 那岐は心の底から言いたかった。 言いたかったが。 「そうですね、千尋の不安もよく解りますよ」 いつの間にか聞き慣れた声が近くまで来ていて、それ以上本音を言う機会を奪われた。 二人が振り向けば、すぐ近くにニコニコと笑みを浮かべてかつての保護者こと風早が立っていた。 「風早!?」 「なっ……ちょっとあんた、何シラッとした顔していきなり居んの!?しかも立ち聞き?もしかして」 「人聞きが悪いな。リブに借りて来てくれって言われた竹簡を持って来たら、話が偶然聞こえてしまっただけだよ」 確かに竹簡を持っている。渋面を作る那岐を他所に、風早はそれらの竹簡を傍らの台に置いて話の輪に混ざって来た。 「聞いてたの?風早……」 「ええ、すみません。聞こえて来た内容が気になったものですから」 千尋相手だと謝罪するかこの男。那岐の渋面は更に度合いを増した。 「千尋の外見も中身も素敵なのは当たり前だから、それは良いとして……」 サラッと言う辺りが風早である。千尋もすっかりスルーだ。 「確かに皇……アシュヴィンの千尋への褒め言葉は、容姿に対するものが多いですよね」 風早がそう言うと、千尋は得たりとばかりに身を乗り出した。 「そうなんだよ!もちろん嬉しいけど、そればっかり褒められてもね。歳を取って白髪になったりシミだらけの肌になったりしたらどうなのって思うの」 「ええ、そうですね」 「私って金髪碧眼しか取り柄無いの?とか」 「そんな事は断じて無いですが、でもそう思ってしまう気持ちは解ります」 「これで私以外に同じような見た目の女の子に出逢ったら、同じような事言って褒めたり好きになったりするんじゃないかとか!」 「ああ、有り得ないとは言い切れませんね」 (ああもうこの千尋のイエスマンは!) 那岐の心の叫びも知らないまま、千尋は風早の肯定によってヒートアップしていく。 (発散させるのも良いけど限度ってもんがあるだろ限度ってもんが!) 日頃多忙極まる政務だの多忙極まりで不在が多い夫だのでストレスが溜まっている千尋に対して、それを発散出来るよう仕向けるのはいつもの事で、それは構わない。むしろ変に溜め込むタイプなのでどんどんガス抜きさせた方が良い。 しかしそれも事によりけりだ。 少なくとも、自分が巻き込まれて疲れるだけの面倒事だけは起こさないで貰いたい。 などと那岐が頭を抱えている間に、二人の話は進んでしまう。 「で、見た目に関係なくちゃんと私の事好きでいてくれてるのか、確かめたくなったっていうか!」 「そうですね、そう考えるのは当然です」 千尋も一人の立派な女性ですからね。そんな事をドロ甘な口調で言いつつうんうんと風早は頷くものだから、千尋も千尋で「だよね!」とか意気込んでしまっている。 ……こうなると分が悪いのは那岐である。 「と、いうわけで」 ああもう風早が混ざった時点でこうなるのは判ってたけどさ。 「協力してくれる?那岐」 「当然してくれますよ。そうでしょう?那岐」 にっこり笑って振られた話に、那岐は重い溜息を吐いた。 なんだかんだで千尋は大事な家族、我侭を言われたら面倒を見てしまうのはいつもの事と諦めるしかない。 「……まあ、どういう反応するのか、僕も多少は気にならない事もないけどね……」 というか十中八九予想通りの反応をしそうだが、皇妃の身内兼側近として千尋の機嫌を損ねるのもよろしくないと無理矢理納得して、那岐は再びの深い溜息と共に、協力を求める(むしろ強いてくる)二つの笑顔に重々しく頷いた。 |