−第5話−
 強引に押し付けられたメモを手に、葉月はしばし呆然とした。
「……おい、これ……」
「なーに、絶対後悔するシロモンじゃないからさ。暇な時にでもちょこっとかけてみなって。あ、今回はトクベツに情報料は取らないでやるけど、べつに感謝しろとは言わないから安心しなよ。そーゆーワケで、またな、葉月!」
 メモを押し付けた小学生とおぼしき少年は、自分の言いたい事だけを言うと、さっさと走り去ってしまった。
「なんなんだ、一体……」
 人々が行き交うショッピングモールの片隅で、どうしたものかと葉月は手にしたメモに視線を落とす。
 子供らしい大らかな筆跡で書かれているのは、どうやら誰かの携帯電話の番号らしい数字。紙にはそれ以外の文字は書かれておらず、これでは誰の番号かも判らない。
「……参ったな」
 今日の仕事はモールでのロケだった。思ったより早く終わったので、適当にその辺りを歩いていたところに声をかけてきたのがさっきの小学生だ。
 初対面でいきなり『葉月』呼ばわりされてムッとしながらも、どこかで見たような顔立ちだったので、ふと足を止めてみたらメモを押し付けられた。突っ返す暇もなく、何事かまくし立て、とっととおさらばされてしまったので、何の情報もないまま、手元の番号だけが残された。
「…………とりあえず、かけてみるか」
 ここでそういう思考に至るのが彼の彼たる所以なのだろう。喧騒から離れた場所に向かい、自分の携帯を取り出して、書かれた数字をたどって押す。
 何度かのコール音の後、繋がった気配がした。
『もしもし……?』
 ソプラノの、女の声。聞き覚えのある、細い声だ。
(……まさか……東雲?)
 そう思いつつも、葉月は違う言葉を口にした。
「お前……誰だ?」
『あなたこそ、誰?』
 電話口でそれはどうかという台詞に、もっともな質問が返ってきた。
「ああ、……俺、葉月。お前……東雲、か?」
 淡々とした二言目で確信を持ったのか、葉月はすぐに名乗り、相手の苗字を指摘した。相手は次の言葉でそれを肯定した。
『うん、東雲。……どうしたの?番号……教えてないよね?』
「いや、それが、通りすがりの小学生に番号渡されて……」
『小学生?……尽かな』
「つくし?」
『弟。小学4年。身長、139pだった?」
「……いや、身長までは判らないけど。……そういえば、ちょっとお前に顔立ち似てたか……?」
『じゃあ、尽だと思う。それでかけてくれたの?』
「ああ、番号以外書いてなかったから、確認だけしとこうと思って」
『そう……。ごめんなさい、無駄に電話代、使わせちゃって』
「……電話代?」
 妙な事に気が回るものだ。
『尽に注意しておくね。……他に何か用、あった?』
「あ……いや、それだけ」
『わかった。それじゃ……さよなら』
「ああ……じゃあな」
 プツッ。電話が切れた。
 葉月はしばらくの間、携帯の画面を眺めながら考えていた。
 確かに先程の小学生――尽だったか――が言った通り、かけて後悔する相手ではなかったが、それにしても何故は彼は葉月にわざわざこの番号を教えたのだろうか。
 勿論尽サイドとしては、姉の為に何とかしたい一心でこういう手段にも出てみたのだが、その辺の内部事情は未だ葉月には判らない。
 何か釈然としないながらも、葉月は渡された番号を自分の携帯に登録した後、帰路についた。
 
 
 
「杉菜ちゃん!……自分、そういう名前やろ?」
 ある日の放課後、杉菜が教室に一人でいると、男子生徒が声をかけて来た。
 振り向いてみれば、長身で日に焼けた肌の持ち主。非常にフレンドリーな笑みを浮かべながら、彼は杉菜の席に近付いて来た。
「そうだけど……何か、用?」
「ほう、アンタか?最近、男子どもの間でかなりのウワサになってんで。そりゃもうエライ可愛いってなー……って」
 そこまで言って、彼は杉菜の顔をじっと見た。見つめられた方は、いつもと変わらない反応だが。
「……いや、こりゃホンマに可愛いわ。ウワサ通り、ちゅうか、ウワサ以上やなぁ。こんなに可愛いコ、生まれて初めて見たわ〜」
 心底感心したように杉菜の顔を眺める。
「そう……?……ところで、あなた、誰?」
「ハッ、アカンアカン、思わず見惚れてしもた。あ、オレは姫条まどか。女みたいな名前やけど、実はこう見えても女やねん」
「………………」
「……アカン、いきなり外してもうた」
「……うん、外した」
「グワッ!痛いわ自分〜。何やノリは悪い聞いてたけど、ザックリ来たわ、今の」
「そうなの……?それより、何か、私に用?」
「ん?まぁ、用ちゅうたら用やな。せっかくやからこれを機会にお近づきになれたらな、と。要はお友達になりましょうって事やけど。OK?」
 ザックリ来た割にはすぐにまた友好の表情で、姫条はニッコリと笑いかけてくる。
「構わないけど……。じゃあ、よろしく、まどか」
 例によって淡々とした表情と口調で杉菜が言うと、姫条は先程とはうって変わって戸惑った表情を浮かべた。
「あ〜……、そのな、女の子にこんなこと言いたないけど、その呼び方、キライなんや。別の呼び方にしてくれへん?それに初対面でいきなりそう呼ばれるんも、ちょっとなぁ」
 すると杉菜はほんの少し首を傾けて、姫条を見た。傾けた角度に従って、さらりと髪が揺れる。その繊細な動きに、思わず姫条は息を呑んだ。
「……徹底しなきゃ、駄目だと思う」
「…………え?」
 突然、脈絡のなさそうな言葉が彼女の口からもれた。
「さっき、名前、ネタにしてたから。ネタにするなら、徹底してないと。中途半端じゃ、駄目。されるのが嫌なら、自分で徹底して、ネタにするかしないか、決めないと」
「………………」
「……でも、呼び捨ては嫌いなのね。分かった。何て呼べば、いい?」
 傾けた顔はそのままで、やや上目遣いに見上げてくる。夕暮れに感化されかかった光が差し込んで、その光を纏った彼女の姿はともすれば空気に溶け込んでしまうような印象を姫条は受けた。
「……あ……っと、呼び捨てちゅうか、名前が問題なんや。せやなぁ、たまに『ニィやん』とか呼ばれとるし、それでもエエけど」
「じゃあ、それにする。苗字呼び、好きじゃないから」
 以前葉月に言ったのと同様の台詞で、彼女は答えた。
「他には何か、ある?」
「え?いや、今日のところは挨拶がメインの用事やったし。……って杉菜ちゃん、ひょっとして、迷惑やったんかいな!?」
「べつに……?ただ、訊いただけ。迷惑とか、思ってないよ」
 そう言って杉菜は、自分の机に広げられた書籍に目を落とした。どうやら図書館の蔵書のようだが、姫条から見ていると、単にページをパラパラと手繰っているだけにしか見えない。よもや恐るべき動体視力でそこに書かれた内容を全て認識し、記憶している最中だとは判断できなかった。
(……なんや、ホンマに不思議なコやなぁ。ま、でも可愛いからええけどな)
 そうして、彼女の横顔が見える位置まで移動する。
 春も半ばを過ぎ、放課後になっても暖かさが残る教室。窓から差し込む光は相変わらず穏やかで、けれど何処か現実的でない奥行きで室内を浮かび上がらせる。そこに只一つ、やはり現実的でない現実の存在が、そよ風のように呼吸をしている。
(……可愛いちゅうのも間違いやないけど、これはなんやもう、そういう域越えてへんか?魂奪われるような美しさとかって言い方あるけど、そんな感じや。今まで周りにこんなコおらんかったで、ホンマに……)
 ぱたん。
 しげしげと杉菜を見つめていた姫条は、本を閉じる音で我に帰った。目を瞬いて杉菜を見ると、彼女は僅かに柳眉を寄せたような表情で、彼を見返した。
「……どうか、した?」
 か細く紡がれた声と、愁いを帯びたような眼差し。雲を介して切れ切れに届く薄茜色の陽光が、その眼差しに深い陰影を刻む。
(な……なんで、そないに切なそうな瞳するんや!そないな瞳で見つめられたら、オレ……!!)
「……っと、あぁ、忘れとった!今日、ガソリンスタンドのバイトの面接やったんや!ほんじゃ、スマンけどまた今度な!!」
 湧き起こる衝動を打ち消すかのように、咄嗟に嘘を吐き出して、姫条は杉菜の顔も見ずに教室から翔けり去った。
 そして杉菜の教室から見えない所まで来ると、壁に背を預けて大きく息を吐いた。
(ハァ〜ッ……。アカンアカン!もう少しで思わず抱きしめるトコやった!初対面でそんな事したら、ただの変質者やないか!!)
 何度も深呼吸をして、息を整える。いきなり逃げ出すようにして、杉菜に悪い事をしたとは思ったが、あれ以上二人きりでいたらと思うと、姫条は自分の理性と判断力を自分で褒めてやりたくなった。
(……しっかし、ホンマにアカンて、杉菜ちゃん。なしてあんなに無防備な顔するんや。オレやから何とか抑えが効いたものの、他の男やったらどうなるか分からんわ)
 そんな衝動いきなり起こすのは君くらいだろう、というツッコミは置いといて、姫条は本気で心配し始めた。
(……あーでも、マズイわ〜。もう少しスマートな去り方できたんとちゃうか、オレ〜。絶対変に思われたわ〜!あんな別嬪さんと知り合える機会なんて、そうそうあらへんのになぁ……。アカン〜、どないしよ〜〜〜)
「な〜にこんなトコロで頭抱えてんのよ、姫条ってば」
 廊下の隅に座り込み、本気で頭を抱えて悩んでいる姫条の頭上から、快活なソプラノ声が降ってきた。
「……なんや、自分か」
「何よそのイヤそーな言い方。この藤井サマが声かけてやったのに、その反応はないでしょー!?」
「キンキンわめくな。ハァ……ついさっきまで目の保養しとったんに、なんや台無しやなぁ……」
「なんですってぇ!?ちょっと姫条!アンタアタシに喧嘩売ってんの!?調子悪いのかと思って心配してやったってのに、そのセリフはどーよ!!」
「あーもう、今日は自分に構っとる余裕ないわ。またな」
 そう言って、姫条はすっくと立ち上がり、臨戦態勢にある藤井を放置してその場から立ち去った。その後姿があまりにもしょんぼりした風だったので、その背中を見送るかたちの藤井も、何となく戦意を喪失してしまった。
「なんなのよぅ…………」
 ポソッと呟いて、ふと気がついた。
「いっけなーい!!ボーッとしてる場合じゃなかったんだ!!」
 そう叫んで、藤井は廊下を駆け出した。
 幾つかの角を曲がり、直線を駆け抜け、目的の空間に入る。そこには、一人椅子に腰掛けた杉菜が先程とは違う書籍を捲っていた。
「ごっめーん、杉菜!遅くなったなりーーーっ!!」
「あ……奈津実」
 声をかけられてようやく気がついたように、杉菜は顔を上げた。藤井は杉菜の前に来ると、パンッ!と両手を合わせて頭を下げた。
「ほんっとゴメン!こっちから約束させてたのに、待たせ過ぎだよね〜。申し訳ない!!」
「べつに……怒ってないよ。ちょっと眠い、けど」
「そう〜?マジで悪かったねー。ちょいヒムロッチに捕まっちゃったもんだからさぁ」
「……それより、用事って?」
「あ、そうそう!こないだ杉菜が教えてくれた、例の雑誌に載ってたワンピ!杉菜の言った通り、ジェスに一点だけ委託って事で入ってたよ。ちゃんと買えたから、どうしてもお礼したくってさ。ホントありがとねー!!」
「そう……?良かったね」
「ウン、マジ嬉しい!!てな訳で、これ、大したモンじゃないけど、お礼の気持ち。受け取ってよ」
 そう言って、藤井は掌大の包みを杉菜に差し出した。どうやらアクセサリーか何からしい。
「え……でも、私何もしてないし。情報だって、花椿先生から聞いたものだし……」
「そうかも知んないけど、あの花椿吾郎から情報を入手したのはアンタじゃん?あのワンピ、売り切れ続出で入手不可だと諦めてたんだよ。だから、そんな貴重な情報をアタシにくれたアンタは、恩人なの!わかった?」
「……そうなの?」
「そうなの!だから、ハイ、これ受け取って」
「……ありがと」
 ほんの少し、微笑んだような気配。それにつれて、周りの空気もほんのりと変わる。
(クーーッ、かわいい杉菜!!フツーこういうコって嫌味あるのに、なんだってこのコは違うんだろ。無心だから?無垢だから?……分かんないけど、いーや。かわいいから。女のアタシが見惚れちゃう美少女って、マジでスゴイよねー。そりゃ多少ノリは悪いけどさ。この顔で笑いかけられたら、アタシもう、なんだってしてあげたくなっちゃうよ。いや、ホント、マジで!)
「……奈津実?どうかしたの?」
 心の中で握り拳を作って何やら感慨にふけっている藤井に、杉菜が訊ねる。小首をかしげるそのあどけない仕草が、また藤井にはそそるらしい。今度は実際に握り拳を作っていた。
「……?」
「……っ……あ〜、何でもない何でもない。アンタが気にする事じゃないから。……にしても、待ってる間暇だったんじゃない?結構待たせちゃったよね」
 何とか握り拳を開いて、杉菜に尋ねると、彼女はいつもの口癖でさらりと答えた。
「べつに……。それに、話してたし」
「話してた?誰と?アタシが来た時には誰もいなかったじゃん。……あ、また男に声かけられてたとか?ダメだってばー!アンタってなんか無防備そうに見えるんだから、誰彼かまわず対応しちゃあ。世の中にはとんでもない男がいっぱいいるんだから!」
 すると、杉菜は顔を落として、指を顎に当てて考え込むような素振りを見せる。
「……じゃあ、彼もまずいのかな?そんな風には、見えなかったけど……」
「は?彼?誰?」
「さっき、話してた人。奈津実が来る少し前に、出てったけど。……知ってる?ニィやんって人」
「ニィやん〜???……って姫条のコト?姫条まどか?あの姫条!?」
「その姫条まどか。多分。まずいの?」
 そういえば、さっき廊下で会った時、目の保養がどうとか言っていた。その鑑賞対象が杉菜だとしたら、確かに目の保養だ。そういえば、最近杉菜の噂を耳に入れて、いたく関心を寄せていた気がする。とすると、あの頭の抱え具合は……。
「奈津実……?」
「……あ、ああ、その、姫条ね。……どーだろ、まずいよーなまずくないよーな……って、あ、いや、わかんないな……。まぁ……いきなり危害は加えないとは思うけど……。!!てか、アタシが加えさせないから!杉菜には特に!!」
「…………?よく……言ってる事、解らないけど、大丈夫なのね?じゃあ、いい」
 何が良いんだか解らないが、杉菜は納得したようだ。そのあっさり具合に、かえって藤井は不安を覚えた。
「……ねぇ杉菜。姫条とどんなコト、話してたの?」
「えっと……挨拶と、自己紹介、かな。彼、ガソリンスタンドのバイトの面接忘れてたって言って、慌てて出て行ったの。だから、それだけ」
「え?アイツって既にスタンドのバイトしてるよ?駅前のスタリオン石油」
「そうなの?掛け持ちかな。働き者なのね」
 それだけを言って、杉菜は素早く荷物をまとめ始めた。早く帰らないと尽が心配するだろうと、思っての事かは判らないが。
 それを見て、藤井はこっそり溜息を落とした。
(……何だか、ややこしいコトになりそ……。っていうかさぁ、杉菜ってば、姫条の事これっぽっちも特別視してないみたいで、なんかそれはそれで複雑なような……。いや、アタシとしてはその方が良いんだけどさ。……なんだかなー)
 軽く頭をポリポリと掻いて、藤井は教室を出ていく杉菜の後を慌てて追った。
 

<あとがき>
あ〜もう何だか訳解らなくなってるね!!書いてる自分で何が何やら。もうこれは理解不能な作品だという事で、決定!……終わりまで書けるのか、このペースで……。てか、誰か読んでるのかなぁ、コレ(-_-;)

とりあえずニィやん出してみた。マジで関西弁指導者、求ム!!如何せん南関東以南に住んだ事がないので、関西系の言語は怪しい。インチキ関西弁が許せない人は、どうか指導してやって下さい。
ゲーム後半で彼を登場させると、バイトの件で???と思わなくもないので、この話じゃこういう事情にしてみた。実は純情なニィやんだから、こういうのもありかな〜と。外してたらしまっただが。

今回二つのエピソード入れたから、長いったら……。ただでさえ長いのに……。
ちなみに、杉菜のイメージモデルは『観用少女』(©川原由美子)。プランツ・ドール、一人欲しい……。

 
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