−第46話− |
「皆さん、本当にお疲れさまでした〜!!」 会場からの拍手が鳴り止まない中、鈴木がキャスト・スタッフ全員に向かって深々と頭を下げた。それに応えるように、キャスト達からは鈴木に労いの拍手が贈られる。 あんな無茶苦茶な舞台だったにも関わらず、なぜか観客は大ウケしてくれたようで、カーテンコールが終わっても拍手と喝采が続いていた。幾度ものアンコールの最後に葉月と杉菜が(命令されて)二人だけで優雅に一礼した時なんぞ、全校から人が集まったのではないかという程に大歓声が飛んだものだ。この分なら後夜祭での人気投票第一位はまず間違いないだろう。 「さて時間も詰まってるし、一旦引き上げるとしましょうか。あ、恒例の撮影会があるから、キャストの皆は衣裳着ててね。特に王子様・お姫様と一般客とのツーショット撮影には事前からかなりの問い合わせがあったんで、よろしくね……って何やってるの、葉月くん」 鈴木が主役二人に目を向ければ、王子様はお姫様を抱きしめるように、否、お姫様に抱きとめられるように、立ったまま――――寝ていた。 「……寝とんで、コイツ」 「あ〜も〜。杉菜、重いでしょ?いーからその辺に転がしときなって」 「え、でも、そういう訳にはいかないし……」 劇で疲れきったのか、それともあるとは思えない緊張の糸が切れたのか、はたまた杉菜禁断症状がプッツン振り切れた結果のリバウンドなのか、最後のアンコールから戻ってくるや否や、葉月はほとんど無意識の内に杉菜を腕の中に閉じ込めて、そのままグッスリお休みになっていた。 「Incroyable(信じられない)!ただでさえ東雲さんにあんな無礼を働いておきながら、まだ足りないなんて!」 「しょうがないなぁ。この調子じゃ葉月くんはダメだね。じゃあ東雲ちゃん、彼の分も働いてもらえるかな?撮影会」 主役級とはどちらか一方のみとの撮影、という計画だったので、杉菜には悪いが寝こけている葉月の割り当ても回すしかない。 が、鈴木がそう言うと、葉月は非常に眠そうながらも顔をゆっくり上げて鈴木を睨んだ。 「待て……起きる、今」 「お、起きた起きた。やっぱり効くねー、東雲ちゃんの名前出すと」 「鈴木ちゃん……アンタやっぱ策士だよ」 「アハハ、褒め言葉として受け取っておきましょう。さ、じゃあ王子様、まだまだ仕事は待ってるよ。東雲ちゃんもいい?」 いつもの調子で確認を求めると、杉菜は葉月を支えながらふと考え込むようにしてから首を横に振った。 「……やめとく」 「――――――え?」 「撮影。キャストの集合写真だけなら、いいけど。一般の人との撮影は、やめとく」 「「「えぇ!?」」」 周りにいた全員が驚きの声を上げた。普段の杉菜なら「べつに、かまわない」とさらりと言ってくれるはずなのだが。 「……珪ほどじゃないけど、私も眠いから。それに……騒がしいの、避けたい、今」 アナタ、さっきまで寝ててまだ眠いんですか。そう言いたくなるくらい、ついでに先ほど舞台の上で見せた天女の微笑みはどこへやら、スッカリいつもの杉菜スタイルに戻ってしまった彼女は淡々と言った。 「どうしてもやらなきゃいけない仕事じゃ、ないよね?」 杉菜にしては珍しく念を押すように言ったので、鈴木はおもわず瞬きをした。だが、数秒間思考を巡らせたあと納得したように頷いた。 「……ウン、まぁね。やれたらやるかのイレギュラーイベントだから、別にしなくたってかまわないよ。……OK、東雲ちゃんは一般客との撮影は不参加でいいよ。となると葉月くんもだね、こりゃ」 「……いいのか?」 「その方がいいんでしょ。ま、不機嫌極まりないムスッと王子とのツーショット撮らせるのも相手に悪いし。あーでもその代わり二人のツーショット写真はいくつか撮らせてよ?必要経費分、確保しなきゃならないんだから」 一般客(生徒含む)との撮影会で充て込んでいた撮影料は、実行委員会の懐に入ったあと、人気投票の上位団体への打ち上げ費助成等に回される予定だ。即日入金とはいかないが、後日実行委員会&報道部によって行われる写真販売での売上を見込んでか、鈴木は思ったよりあっさりと杉菜の要望を受け入れた。 「うん、それはかまわない」 「……俺も、そのくらいなら」 「よしよし。それじゃあ、とりあえずは皆さんここを出ましょう。次の出し物の準備もあるしね」 鈴木が仕切って、片付けスタッフが動くと同時にその他手の空いた面々は舞台裏から校舎の方へと移動した。 「ねえちゃ〜〜〜ん!!」 校舎の廊下を練り歩きつつ撮影場所を探していると、たくさんの生徒が出待ちをしていた。その中をくぐりぬけるように、小柄な体と子供の声が近づいてきた。 「あ、尽」 「ねえちゃん、すっごいすっっごいキレイだったよー!オレ、ホントに感動しちゃった〜!」 その身軽さで人垣を上手くすり抜け、尽は自分の姉の胸に飛び込んだ。もちろんそれを見て「羨ましいヤツ……!!」と思ったのは葉月だけではない。 「そう……?」 「そうだよ!髪が長いのは母ちゃんの昔の写真でこんな感じかなって思ってたけど、やっぱ違うな。ねえちゃんはねえちゃんでやっぱりキレイだ。オレ、ホント鼻が高いよ」 ゲームと違ってエライ褒めようですね、尽くん。 姉のドレスアップを間近にしてときめき度大アップの尽だったが、しかし横にいる薄汚れた衣裳の葉月を認めて、一気にその表情が険しくなった。 「葉月!おまえなぁ〜、誰の許可を得てねえちゃんのクチビル奪ってんだよ!!第一、いくらなんでもあんな大勢が見てるところですることじゃないだろ!?」 まったくだ。 「許可…………あえて言うなら、本人?」 鈴木による事前のリサーチによって承諾は得ていたし、確かにそれは間違ってはいないが、だがしかしそう言い切ってしまうのはどうだろうか。 「本人って……おまえな〜!!ねえちゃんもそんなにケロッとしてないで怒ったらどうだよ〜!」 「怒る……どうして?」 「……ねえちゃん」 実にトホホな顔で尽が嘆くが、当の本人は訳が解っていない様子である。 「……そうは言うけど、そもそも一番最初にけしかけたの、おまえだったろ」 「〜〜〜ッ、それとこれとは話がべつだって!」 表の王子と影の王子が33pの段差で睨み合っていると、人込みが自然に開いてできた道を、東雲家の家長と細君が笑いながら近づいてきた。 「コラコラいかんぞ尽、往来でそんな野暮な事を喚くものじゃあないな!少なくとも俺も奥さんも反対しとらんからな、本人同士で合意を得ていればノープロブレムさ!」 いえ、本人同士で直接合意を見た訳ではないんですが。 「そうよ。それに『据え膳食わぬは武士の恥』って言うでしょう?珪くんの気持ちは良く解るわ。私だって杉菜くらいに可愛い姫があんな風に眠っていたら思わず手を出してしまうもの」 それって貴女がいうべきセリフじゃないと思うんですが。 ギャラリーが内心同じツッコミをしている中、顔を赤らめて明後日の方向を向いた葉月と、いつもの無表情で両親を見返す杉菜を行きつ戻りつ眺めながら、寂尊と桜は再び顔を見合わせて微笑み合った。 「どうやら中途半端に解けちゃったみたいね」 「なーに、中途半端でも一度解けてしまえばこっちのものさ。あとは時間の問題だな!」 「それもそうね」 二人がにこやかに言うと、そのスウィートチルドレンは揃って「???」な顔をした。 「……何の話?」 「父ちゃんも母ちゃんも、自分たちだけで話してないでよ〜。オレにも分かるように言ってくれない?」 「自分にはま〜だまだ早いわ、それ以上訊かんとき」 東雲家ご一行の歓談に、姫条がさりげなく混ざってきた。 「マイケル、どうせやからこの後の撮影会に混じっていったらどうです?別嬪さんの数は多ければ多いほど楽しさも増すっちゅうもんやし、なんやったらオレらの衣裳も貸しますで。桜さんと一緒に『勇者と姫君』やるんもオツですやろ」 「フム、成る程それはいいアイディアだ!どうだい奥さん、俺達もしばしヒロイックファンタジーな世界の住人をやってみるかい?」 「そうね、面白そう」 「あー!だったら杉菜とママさんのツーショットをぜひ!ねね杉菜、家族相手だしそれくらいはイイっしょ?」 「あ、うん。それならかまわない」 すると三原がゴージャス衣裳のまま大きく腕を広げて提案した。 「ああ、それなら森の方に行ってみようよ!校内ではこの美しいボクたちの姿に似つかわしい場所が見つからないからね。美しい者は美しい場所にあってこそ輝きを増すものだろう?」 「それは素晴らしいですわ!――――そうだわギャリソン、大至急森に撮影用のテントを張ってちょうだい!撮影会はそこで行いましょう。色サマのおっしゃる通り、色づいた落葉の降りしきる中でこそ、ミズキたちの華麗さはなお一層際立つんだから!いいわよね?鈴木さん」 「Bonne idéeだね、須藤ちゃん!OKOK、そういうのはワタシ大好きだよ。皆、早速校庭の方に大移動!」 「え、で、でも、ドレスの裾とか、汚れるんじゃ……」 「紺野さん?Ne vous inquiétez pas au sujet de banalités(細かい事を気にするものじゃないわ)!ギャリソン、撮影現場まではちゃ〜んと赤い絨毯を敷いておくのよ、いいわね?」 「は、承知しております瑞希様」 いかにもな格好の一行がぞろぞろと大移動を開始すれば、それに伴って他の生徒や一般客も移動する。目玉のお姫様は人垣に囲まれて見えないが、それでもカメラ付き携帯などで隙を見て撮影しようとする者も多い。当然ながらそういう輩は葉月の殺人光線と杉菜親衛隊の牽制、そして何より「無断撮影は罰金1万及び即カメラ没収&即粉砕だからね♪」という鈴木の脅しによって追っ払われた。 その後の撮影会も賑やかに過ぎ、他の出展も滞りなく終えて、日が暮れる頃には一般客も帰途に就いて祭りの終わりが近づいていった。 「あれ?杉菜は?」 後夜祭のキャンプファイヤーが日の落ちた空を赤く染める時間。藤井はキョロキョロと周りを見渡してから、友人達に訊ねた。訊かれて守村がにっこり笑って答える。 「ああ、東雲さんでしたら葉月くんと一緒に教室にいますよ」 「せっかくの後夜祭なのに、二人して眠っているわ。気持ち良さそうだったし、そのまま起こさないで来たの」 「まったくもう!東雲さんもあそこまで葉月くんに付き合うことないのよ。演劇部門で主演女優賞を取ったっていうのに、葉月くんに付き合って授賞式は欠席だもの。Eh bien...(まったくもう……)」 大方の予想通り、学園演劇は見事人気投票で総合一位を獲得した。(何故あれで、と思う読者も多いかも知れないが、作品内の事なのであまり気にしてはいけない) 各部門別の人気投票では、演劇部門の主演男優・主演女優賞は当然のように葉月と杉菜に贈られた。また、助演男優賞は意外にも見事なバカ殿ぶりとシリアスさの両方を演じきった三原であったが、助演女優賞にはなんと、あの素晴らしいまでのギャグキャラぶりを発揮してくれた氷室がその栄冠に輝いた。後者はどう見てもシャレで選んだとしか思えないが、本人はそれなりにご満悦のようなのであえて水を差す事もないだろう。 しかして主演の二人は、着替えて飲食系のクラスで一服した後は教室に戻ってそのまま入眠。揺すっても怒鳴っても起きないが故に授賞式でその姿が見られない事を、生徒達は非常に嘆いたものである。 それはともかく、不貞腐れた表情の須藤を見て藤井は苦笑して言った。 「今さら何言ってんだか。アンタだって三原くんの傍を離れようとか思わないじゃん?それとおんなじ」 「それはそうだけど、相手はあの葉月くんよ?東雲さんは大切なmon amieだから彼女の選ぶことに異を唱えるつもりはありませんけど、相手があの葉月くんっていうのはどうしても理解できない、信じられないわ」 「まだ言ってやがるぜ、須藤のヤツ……」 「う〜ん、葉月くん、以前に比べれば全然優しくなったと思うけどなぁ。この前、荷物が一杯で大変だった時なんか、何も言わないのにわざわざ運ぶの手伝ってくれたんだよ。思わずビックリしちゃった」 「その辺は杉菜の影響っしょ。ホンット杉菜サマサマ」 あーだこーだとGSメイトが駄弁っていると、バタバタと足音が聞こえてきて姫条が話の輪に混ざってきた。 「おっ、よっしゃ!まだダンスは始まっとらんな!」 「うっわ、アンタソース臭ッ!」 「しゃーないやろ!撮影会終わった直後から今の今まで焼きソバ作っとったんやから。しかもそのままにしとく訳にもアカンから、片付けまで済ませてきたトコや。実行委員会の方から夜食分まで頼まれて完売御礼なのはエエねんけど、さっすがに疲れたわー……って、杉菜ちゃんと葉月、おらへんの?」 「え?教室にいなかった?二人して寝てるって守村くん言ってたけど」 「いや、おらんかったで。せやからこっちに来とるんやろな〜思て急いで来たんや。お姫様が帰る前に一曲お相手願いたかったんやけどなぁ」 「アンタそんなことしたら葉月に殺されるって。でも、だとするとどこ行ったんだろ。帰る時はメールでいいから連絡入れなって言っといたのに」 藤井が腕を組んで悩み顔になったのを見て、今度は有沢が苦笑した。 「放っておいても大丈夫でしょ。葉月くんが一緒じゃない訳ないし、彼がいてどうにかなるって事もないでしょうし。……彼が何かをする可能性はない訳じゃないけど、東雲さんは拒まないんじゃない?」 「有沢さん……それ、説得力ありすぎ……」 その頃、話題の二人は屋上にいた。校庭が見える方のフェンスに寄り掛かって、ぼんやりと晩秋の夕風に浸っていた。既にとっぷりと日は暮れて、天上の星が遠く海面に映りこんでは地上の星と繋がって輝いていたが、未だ地上から人の声が絶える事はない。 そんな時間を眺めながら、葉月は傍らの杉菜に顔を向ける。 「寒くないか?」 「平気。……珪は?」 「俺も平気。昼間暖かかったし、まだそんなに冷え込んでないしな」 「暖流の影響、本当に強いね」 「だな。けど、寒くなったら言えよ?」 言ったら間違いなく人間カイロでもやってくれそうだが、生憎と彼の想い人はそういう事に気が付く性格ではない。 「うん。珪も、寒かったら言って」 「わかってる」 ほとんどの生徒や教師が校庭に集まっている中、校舎は閑散としている。教室でもゆっくり休めない事はなかったが、少し外の風を吸いたくなって、校舎内以上に人気のない屋上にやって来た。もしかしたら他の場所にシケ込んでいる連中もいるかも知れないが、とりあえずここには二人以外に人影はない。 「文化祭も、ようやく終わりだな……」 「そうだね。あとは受験、かな」 「ああ。それと、恒例のクリスマスパーティか?けど、おまえが来ないのに行くのもな……」 だったら杉菜の家で夕食をごちそうになっていた方が余程良い、そう思ったのだが。 「ん……けど、理事長先生、今年は時間を早めるって言ってた」 「……そうなのか?」 「うん。気遣ってくれたの、私のこと。同じ在校生なのに、他の生徒と同じように楽しめないのはつまらないだろうって。……私は、気にしてなかったんだけど……」 「そうか……。けど、なら一つ増えた、楽しみ」 「え……何?」 「秘密」 今更秘密にしなくてもバレバレなのだが、どうにも杉菜の方は気付いてないようで首をかしげている。その様子を見て、葉月は既にデフォルトになった微笑みを浮かべた。 校庭を見下ろせば眼下にはキャンプファイヤーの光が煉瓦の校舎を更に赤く染め、薪のはぜる音が時折激しく飛び上がっている。その周りを制服姿や発表時の衣裳のままの生徒達と教職員が入り混じって、祭りの最後の時を惜しむかのように賑やかな笑い声を上げていた。 「……どうした?」 しばし訪れた穏やかな静寂の中、校庭に向いた杉菜の視線が固定したままなのに気がついて、葉月はそっと声をかけた。 「うん……綺麗だなって、思って……」 「綺麗……キャンプファイヤーか?」 「うん。踊ってるみたいで、綺麗」 「……そうだな。綺麗だ」 決して同じ姿を留めない不可触の形。落日後の暗闇の中、見下ろす火はまるで咲き誇る華のようにその花びらを揺らしていた。 その強さが移り変わるたび、それを見つめる杉菜に届く光も揺れる。一際強く輝いた炎の色に彼女の唇が一層赤く染まったのを見て、葉月は思わず目を逸らした。 「……そういえば……本当に、悪かったな……」 「え……?」 「その……劇。例の、シーン」 思い出したからか、顔をうっすらと赤くして葉月は視線だけを逸らせて杉菜に言った。 鈴木からからかわれていた事もあるし、何より本人の意思を直接確認した訳ではなかった。だから絶対に耐え抜こうと思ってはいたのである(つまり耐え抜こうと思わなければいけないくらいの理性の限界が来る事は自覚していた、と)。 いたのではあるが、いざ本人を間近にしてしまったらそんな理性はどこへやら、ほとんど無意識にキスしていた。姫条の怒声が入るまで、ハッキリ言って劇の最中だと言う事も忘却していたくらいだ。さすがゲームきっての天然エロ王子である(そういう問題か?)。 だが、杉菜は舞台の最中に口にしたのと大差ないセリフを返した。 「べつに……本当に、悪いって思ってないけど……」 「けど……初めて、だったんだろ?」 撮影会の時、寂尊に耳打ちされてそうだと知って、嬉しかったもののヤバかったかも……と気になっていたのである(いや、間違いなく嬉しさの方が先に立ったのだが)。 しかし杉菜の表情にも答えにも変化はなく。 「うん、そうだけど。……あ、でも厳密に言うと、初めてじゃない、かな」 「……初めてじゃ、ない?どういうことだ?」 セリフの後半部分に多大な引っかかりを覚えて、葉月は眉を顰めて訊いた。 すると。 「小さい頃の尽に、何度かされた事があったから」 「…………尽……」 この瞬間、葉月の心に尽への殺意が渦巻いたのは確実である。 「お父さん達がしてるのを見て、真似したかっただけだと思うけど。あの子が2〜3歳の頃かな」 「ああ……そういう事……」 なるほど、そのくらいの年齢ならそういう事もあるだろう。理屈では解ったが、感情を付いて行かせるのに葉月は内心かなりの苦労を強いられたようだ。杉菜に見えない方の拳を固く握ってブルブルと震わせている様子が、その葛藤を実に雄弁に物語っている。 ちなみに東雲家は幼少時からスキンシップによるコミュニケーションが当たり前だったので、杉菜もその辺に関してはあまり頓着していない。そうでなければ葉月によるセクハラまがいな引っつきに、ここまで寛容になれるものだろうか。いや、なれまい(キッパリ)。 「…………それよりも……」 「え?」 「その事よりも……私……あの時、本当にちゃんと笑えてたの……?」 杉菜が少し話題を変えて訊いてきた。 「あの時……?」 「劇の、クライマックス。アドリブシーンの最後」 「ああ、あそこ……」 「表情筋が動いてるのは自覚してたけど、ちゃんと笑えてたかどうか、判らないから。皆は笑ってたって言うけど、私、今までそういうの、なかったから……」 あれだけの喝采を浴びながら、それでも自身では信じられないと話す杉菜に、葉月はほんのり呆れを交えて、けれどあの一瞬を反芻するように吐息を零して笑いかけた。 「……初めて見た、俺」 「え?」 「おまえの笑顔。とても……綺麗だった」 このまま時が止まってしまえばいいのに、そう思うほど。 それぐらい綺麗で、優しくて、愛しくて。 思わず抱きしめそうになるの、舞台が終わるまで必死で耐えてたの、解ってるか? 笑いながらそう言うと、杉菜はほんのわずか逡巡したように口を開閉させてから軽く息を吐いた。 「…………珪が相手、だったからだと思う」 「……俺?」 「そう。珪、いつも私に笑ってくれるでしょ?あの時も笑ってくれてた。だから、自分では判らないけど、笑えてたっていうならそのおかげ、だと思う。……前に言ってた、『嬉しい』って感覚。珪が笑ってくれると、その感覚が生まれてくる感じ、するから」 「……杉菜」 いつも通りにさらりと言う姿に偽りは欠片もなくて、葉月は思わず苦笑した。 「珪?」 「…………おまえって、本当に無防備っていうか、天然だな」 「……天然?」 苦笑しながら言った葉月に杉菜はキョトンと瞬きをする。 本当に、解ってないんだから。 俺の心、これ以上奪ってどうするつもりなんだ? 今、かなり俺の理性を壊すような発言したの、全然気付いてないだろ? そんな葉月の胸中も知らず彼を不思議そうに見上げていた杉菜だったが、ふと何かに気付いたように再び校庭に目を落とした。 「……ワルツ、始まったみたい」 「ん?……ああ、もうそんな時間か」 恒例の、フォークダンスの3曲目に流れるワルツのイントロが、穏やかに屋上まで届いてきた。となれば杉菜の下校時間が近づいたという事。 「そろそろ帰る用意、しないと」 「だな。それじゃ、教室戻ろう」 「待って。先に奈津実に連絡入れるから」 「ああ、わかった。…………そうだ、杉菜」 ポケットから取り出した携帯で、素早く藤井にメールを入れている杉菜に、ふと思いついたように葉月が声をかける。 「何?」 「手、貸せよ」 パタン、と携帯を閉じた杉菜の目の前に、葉月の手がスッと伸ばされた。 「……?」 「王子役と姫役だったのに、踊ってなかっただろ、ワルツ」 「ワルツ……?」 「そう。二年振りのワルツ。せっかくだから、踊っていこう」 促すように指を軽く動かすと、杉菜は数回の瞬きの後、こくんと頷いて彼の手に自分のそれを乗せた。 「うん。踊っていこう」 小さな手を、大きな手が優しく包む。笑い声と一緒に響いて来る三拍子に乗って、屋上に静かな風が踊る。風を生み出すたびに揺れる髪の流れを眺めながら、葉月はある事を考えていた。 ……なあ、気付いてるか? さっきおまえが言った言葉。 ――――うん……綺麗だなって、思って……。 かつてのおまえの言葉と違ってるの、気が付いてるか? ――――……綺麗……そう、だね。綺麗、なんだろうね、多分……。 ……気が付いてなくても、いいか。 確かにおまえの中で、少しづつ何かが生まれて、変わってきてる。 『つーまーりー、アレよアレ!ジェラシーとかヤキモチとか嫉妬!』 ああ、それでもかまわないな。 おまえの中で生まれて来るもの。そして、俺の中に届くもの。 その全てを愛しいと思う事に変わりはないから。 だから。 「――――本当に、君には改めて礼を言わなきゃならんな」 「え……?」 舞台終了後の撮影会の場で、寂尊が葉月にこっそり話し掛けてきた。 「もちろん、マイスウィートプリンセスの事さ。君と出逢ってからのこの2年半で、あの子は本当にたくさんのものを学んで来てる。俺達には教えられなかった、とても大切なものをな。そりゃあ、人の心には綺麗一辺倒なんて事はない。色んな影や闇の部分もあるさ。そういうものすら含んで、やっと一人の人間だ。あの子はようやくそれを手に入れ始めた。――――君のおかげでな」 視線の先では、彼の愛妻と愛娘、それから愛息が周りの歓声を浴びながら写真を撮られていた。それを穏やかに眺めながら寂尊はなおも言う。 「今はまだまだあの子にかかった魔法は持続してるが、それでも解けかけている事には違いない。悩んだり苦しんだりしながら、それでも魔法を解こうと頑張ってる。無意識であってもな。そしてそれは君の為なんだ、きっと」 「俺の……為?」 「俺が奥さん以外の女性に心を動かされなかったように、杉菜も君以外に心を動かされない、そういう事なんだろう。父親としては切ない限りだが、あの笑顔をまた見られるっていうのなら、それもまた楽しみが増えたってものさ」 己の愛する者を、心から慈しむ瞳。それを惜しみなく捧げる事になんの躊躇いもなく彼は語った。 「寂尊さん……」 「そういう訳だ、君にはまだまだ期待しているからな!――――自分の愛する者と交わすようにと、俺ですら我慢したあの子のファーストキスを奪ったんだから、それくらいの覚悟はしてくれないと困るぞ?」 二年前の今日、俺は自分の『心』を手に入れた。 そして二年後の今日、俺はおまえの『心』を見つけた。 小さな光。その確かな存在。 まだ、上手く言葉にできないけど、いつか、近い将来、おまえに伝えたい。 俺が感じた、受け取った、おまえのこと。 そして、訊きたい。 あの時言った俺のセリフに、目を見開いて、戸惑った理由を。 魔法が解ける、その時に。 ――――私の心は、あなたのもの あなたは、私の心の幸いなのです―――― 「あ、杉菜からだ。……『今から先に帰ります』だってさ。あいっかわらず簡潔なメールだなぁ」 ワルツの最中、メール着信の音が聞こえて、藤井は踊りながら器用に自分の携帯を取り出してディスプレイを見た。それを聞いて、相方の姫条はステップを踏む足を止めずに大げさに嘆息した。 「ハァ〜……ホンマ残念やなぁ。王子役はムリやったけど、せめてワルツくらいは杉菜ちゃんと踊りたかったわ〜。なしてオレ、自分なんかと踊っとるんやろ」 「まだ言ってんの?仕方ないじゃん、志穂も珠美も須藤もみぃ〜んなお相手いるんだから。あぶれモン同士ミジメにポツンと立ってるんは寂しいしな〜、なんて言って誘ってきたの、アンタの方じゃん。声かけてきたコ、結構いたのにさ」 「しゃあないやろ、どっかの誰かさんが捨てられたチワワのような目でオレのことジ〜〜〜ッと睨んで来よるんやから」 「アンタねぇ!……睨まれんのがイヤだったら、それこそ王子サマ探しに校内一周の旅に出りゃよかったじゃないの、従者サマ?」 「冗談やないわ、オフの時間まで奴のフォローしたくはないで。第一お姫様との愛の語らいをジャマしたら、ただでさえ少ない給料が大幅カットされること間違いナシや」 「ってアンタ、給料貰ってたんだ?初耳〜」 「おう、オレも初耳や」 「ちょいと何ですか、このオニーサンは……。あ〜でも、これで文化祭も終りかぁ。大学行かないし、正真正銘学生生活最後の文化祭、なんだよねー」 「せやなぁ。そう考えると一抹の切なさっちゅうのも感じるけど、ま、最後にふさわしい楽しい文化祭だったんとちゃう?」 「まあね。杉菜の笑顔も見られたし」 「おう、それはもう一生オレの心のメモリアルに燦然と輝く宝物NO.1やで」 「さんせーい!あーでもアレだよね、葉月はこの先何度でも見る機会あるんだろうなー。羨ましいったら」 「まったくや。せやけど、そんなに羨ましがらんと、自分は自分でオレ様の笑顔っちゅう世にも素晴らしいものを見られる可能性があるんやから、そないにひがまんとエエんちゃうか〜?」 「なっ、何バカなこと言ってんのよ!アンタのニヤケ顔の一体どこが素晴らしいかっての!!」 「お、言いよったなこの女!あ〜あ、自分が観たい言うてた映画の招待券ゲットできたよって、次の休みに誘ったろか思てたんやけどな〜、どないしよっかな〜」 「――――え?何ソレ!マジで!?それならそうと早く言えっての!!」 「あのなぁ、それが誘ってもらう方の態度かい。杉菜ちゃんとまでは言わんでも、もう少しおしとやか〜にできんのかい――――――なぁ、奈津実?」 「――――――ッ!!あ、アアアアンタッ、いきなり耳元でそれ反則!」 「アッハハハ!自分真っ赤やで〜?おもろいわ、ホンマ!」 「こンの……アンタ絶対遊んでるでしょーーーッ!?」 ワルツの優雅な響きにこれでもかと言わんばかりに逆らった勢いで喋る二人に、周りの友人達はそれはそれは深い溜息を落とした。 「おい、誰か止めてやれよ。すっげえ恥ずかしいぜ……」 「Tout a fait ainsi(まったくだわ)!せっかくの優雅な一時が台無しよ!」 しかしそうは言うものの、誰一人として二人を止める者はいなかった。 「バカップルに付き合っても、こっちが馬鹿を見るだけよ。放っておくのが一番だわ」 全員の思考の総括たる有沢の手厳しい意見が、火のはぜる音と混じって笑った。 |
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