−第38話− |
窓から流れ込む風が心地良くて、葉月は思わず目を閉じる。 気の早い落ち葉の香りでも漂ってきそうなくらいに、風は激しさとも鋭さとも反対の空気をほのかに揺らす。 (平和だな…………) そのまま涼しげな穏やかさの懐に呑み込まれそうになったところ―――。 パコン!! 頭の上で鈍くて軽い音が鳴った。 「……痛い、鈴木」 目の前に視線を転じれば、丸めた冊子を握り持った三年A組学祭委員・鈴木が呆れ目で葉月を見ていた。 「痛くて結構、眠ってない証拠だもんね。眠りたいんだったらこれをさっさと終わらせてからにしてね」 下に顔を向ければ、机には数冊の本が開かれて置いてあり、葉月は自分のしていた事を思い出した。 「……了解。けど……なんでこんなことしてるんだ?俺」 「それは葉月くんがドイツに住んでた経験があるからよ。今回の舞台は『Das Schlafen von Schönheit』、つまり『眠れる森の美女』だもん。リアリティを出すためにはやっぱり現地を知ってる人に舞台考証して貰う方がいいじゃない?」 「……ペロー版とグリム童話版を折衷してる辺りで、既にリアルじゃないだろ」 「だってこのお話は『メルヒェン』だしさ。メルヒェンといったらドイツでしょ、やっぱ。文句言わずにさっさと進めようってば。須藤ちゃんはノリノリでおフランスチックなシーンのチェックしてくれたよ?それに早く終わらせれば東雲ちゃんとの接触時間増えるよ?」 ふぅ、と溜息を吐いて葉月はシャーペンを握り直す。別に須藤がノリノリになろうが知った事ではないが、杉菜との時間は大事。実に鈴木に操られている気がするが、かといって逆らえるはずもない。おとなしく彼女の書いた演出案や舞台美術案、そして何よりやたらと分厚い基本設定資料集に注釈や訂正を加えていく。 季節がが変わり、秋の気配が夏をすっかり凌駕した10月上旬。 つい一月ほど前には過労で倒れるなどというお約束な展開を見せていた葉月だったが、今の彼はまるで隠居じーさんのように穏やかな日々を送っていた。 週二回のアルバイトはそのままだが、その他の仕事は大部分をキャンセル又は延期し、新規の依頼も現在は受付を停止している。この辺はマネージャーが上手く交渉してくれて大過なくスルー。退院して一週間後には途中だったアパレルメーカーの仕事を再開したが、外せないインタビューや会社のセレモニーなどへの参加だけに留めて、医者の診断書を盾にあとはずらかっていた。もちろん体調の方はけろりと回復済み。自律神経の不調は精神的な枷が外れると案外回復が早いものである。 そんな状況下、杉菜とやっとのんびり出来ると思ったのだが、そうはいかじと今度は学園演劇の主役の話が舞い込んで来た。 大方の下馬評通り、出演者推薦投票で男子の一位は葉月、女子では杉菜。姫条に聞いていた通りで、杉菜はあっさり「べつに、かまわない」と出演を正式に承諾、となれば葉月が出演を拒む筈もない。何しろ一位同士の男女は主役のヒーローヒロインを演じるのが通例だからして。 そんなこんなで他のメインキャストもほぼ決まったその日、総監督の鈴木は全員を会議室に招集して、学園演劇について様々に連絡事項を伝達したり台本を配ったりしたのだが、これがまたなんとも騒然とするものだった。 「……あの〜、これミスプリントなんとちゃう?」 渡された台本らしき冊子をパララとめくって、投票で男子二位を獲得した姫条は鈴木に質問した。するとそれに続くように他の面々からも疑問又は不審の声が上がる。 「ていうかさー、なんで話の流れと『村人』とか『町の人』とかのセリフしか載ってないわけ?鈴木ちゃん、これって台本だよねぇ?」 女子三位につけた藤井が思い切り謎だらけの顔で言う。 「『姫』以外のメインキャラクターの台詞が一行も載ってないってどういう事なのかしら。今回は脚本も鈴木さんが担当だったわよね?これじゃ台本とは言えないわ」 こちらは七位の有沢。が、鈴木はあっさりしたもので。 「それ、台本だって言ってないよ?表紙に『基本設定集』って書いてあるじゃん。あとストーリーの流れ。セリフはね、これから皆に作ってもらおうと思って」 「「「作る?」」」 数名を除くほぼ全員が唱和すると、鈴木がコクンと頷いた。 「そ。最初は台詞も書いてたんだけど、ど〜にもつまらなくって。だから、この際みんなで作り上げていった方がいいと思ったんだ」 「ちょっと待ってよ!アタシたち、マナ抜かして全員まともに演劇経験ないんだよ?それをアドリブで作り上げてくなんてムリだよ〜!」 藤井が三つ隣の椅子に座った女生徒をチラリと見てから言う。確かに『劇団ほしかげ』に所属し、往年の大女優・星影千華に見出されたほどの演技の才能を持つ万の仮面を持つ少女・南島マナ以外の面子に演劇経験者は皆無だ。藤井の言に皆が頷く。 だが鈴木は再び頷き返してこう言った。 「うん。だからね、普段の反応でいいんだよ」 「普段の反応……?」 「そう。そこにある基本設定とストーリーの流れを押さえてさえくれてれば、あとは全部自分たちの普段の会話と一緒でOKなの。何しろ今回の劇におけるストーリー傾向は『コメディー&ギャグ(ちょっとラヴアリ)』なんだから」 「……コメディー?」 「&ギャグ?」 これまた再びほぼ全員が怪訝そうな顔をする。アレンジをバリバリするとは聞いていたが、この方向性だったのか。 「そういう事。だから真面目〜に役作りされちゃうと、かえって上手くいかないんだわ。ま、元々の台詞だって当て書きで作ってたんだけどさ」 「……ちゅーかそれって他のサイト様でよく書かれてる『GS版おとぎ話』ちゃうんか?」 非常にツッコんだ意見を姫条が言うが、鈴木は普通に返す。 「けどそれが『眠り姫』の場合、ヒロインは大抵葉月くんじゃない。けど、ウチには東雲ちゃんというこれ以上ない適任の眠り姫がいるんだから、これっきゃないでしょ」 少なくとも筆者の確認している限り、オーロラ姫は葉月が適任者として用いられているような気がする。 「そりゃワタシだって本当ならもう少しマニアック……あ、いやいや高尚な演目にしたかったんだよ?けど予算配分に口出しできる若旦那のこだわりがねぇ、ベタな演目に偏っちゃってて。じゃあそれなら中身は好き勝手やってやるかって事でさ、こうなっちゃったわけ」 理事長め、よほど女性陣のドレスアップが観たかったと見える。 「……なるほど、それで私が魔女役な訳か?」 それまでずっと押し黙っていた氷室が冷ややかな声で発言した。彼はずっとキャスト一覧のページから目を離していなかったようである。 「そういう訳ではありませんけど」 「ではどういう理由だ、鈴木。納得のいく説明をして貰おうか」 氷室は眼鏡でその眼差しを隠したまま質問した。 そう。氷室に振られた役はなんと姫に呪いをかける魔女(正確には仙女の一人)なのである。 さすがにしょっちゅう社会見学と称してあちこちへ連れ回している女生徒とラブラブな展開を見せる配役にしろとは言わないが、選りにもよってこの話における悪役、しかも女役とあっては承服しかねるのだろう。 そこはかとなく冷気がピキンと伝わってきて周囲の生徒は寒気を感じたものだが、問われた鈴木は何ら怯えた様子もなく答える。 「はい。氷室先生は教職員でありながら出演者投票の第三位につきました。という事はその分重要な役どころでなければいけません。それが投票者の希望ですから、まかり間違っても『村人H』などでは納得しないでしょう。メインとなる登場人物の中でそれだけ重要なキャラクターとなると魔女以外ありません。これが一点。次に、今回の劇における姫君の生誕パーティのシーンは、人数と衣裳の関係上ペロー版に沿った流れになります。ペロー版では姫に呪いをかけるのは仙女です。姫君の誕生の際に仙女が祝福を贈るのが当時の流行である、という記述がありますから、男ではいけません。これが二点目」 「しかしだな……」 氷室の反論を封じるかのように鈴木は流れるように話し続ける。 「しかもここで大切なのは、その仙女は年老いた仙女、言い換えればそれだけ強大な力と威厳、そして存在感を持った人物である、という点です。演技面でいえば、南島さんにお願いするのが妥当かも知れません。しかし、前半だけの登場で舞台全体に渡って強烈なインパクトを残す事が出来る、そんな存在感を醸し出す事が高校生にとって容易い事でしょうか?―――否!!」 バンッ!と拳で机を叩き、鈴木は真っ向から氷室を見つめた。目が据わっている。……否、据わっている演技をしている。が、氷室はそれに気付かない。 「たとえ演技が素晴らしくとも、かの仙女の存在感がなければこの劇は失敗なのです!負け戦に挑むようなものなんです!ですが、この中でただ一人、練り込まれた知性と存在感をもってこのキャラクターを演じる事が出来る人がいるのです!それが氷室先生、アナタなんです!!」 ピクッ、と氷室の肩が動く。 「私が……だと?」 「はい!氷室先生だからこそ、この仙女というキャラクターを確かな存在に昇華させる事が可能なのです。そうすれば、この劇は成功したも同じなんです!全ては先生にかかっているんです!!」 「この私に……成功が…………」 しばし考えて、やがて氷室は頷いた。 「―――君の言う事ももっともだ。何より演技をする身として、役の性別にこだわるのはナンセンスだ。よろしい、私の全力をもってこの役に挑む事にしよう!」 「ありがとうございます、氷室先生!」 真面目くさって頭を下げる鈴木と、非常に満足そうな氷室。それを見て周りの面々は笑い声を堪えるのに多大な苦労を強いられた。 「ひ……氷室の奴、すっかりノせられてんでやんの……」 「ナイス、鈴木ちゃん……!」 「さすが、影の通り名『悪の口車大王』……」 微妙に歪んで引きつった顔でこそこそ話すも当の本人は気づいていない。 確かにコメディー&ギャグを狙うと言うなら、魔女=氷室はうってつけであろう。 そこでふと、なんとか笑いを腹の内に収めた姫条がおもむろに挙手して鈴木を見た。 「せや、そないいうたら鈴木ちゃん、オレとしても一言もの言いたいねんけど、かまわへんか?」 「何?姫条くん」 「なしてオレがコイツの従者役やねん!」 ものすごい勢いで隣の席の葉月を指差す。姫の呪いを解く王子役に就任済みの葉月は葉月で嫌そうな顔をしている。 「俺だってごめん、こんな従者」 「な!ここまで利害が一致しとんのに、なしてそないなオリジナル設定入れなアカンの?べつに個人行動やってかまわへんやん。てかオレ、どうせならお姫様の父親役がよかったわ」 すると別の方向から須藤が立ち上がって猛然と反論した。 「Attendez(ちょっと)!その役を色サマ以外に演じられる人がいると思ってるの!?第一舞台の上だけのこととはいえ、あなたがミズキの相手役なんてミズキはまっぴら御免ですからね!」 「ちょっと須藤!失礼にも程があんじゃないの!?」 「ああ、ダメだよレディース。それはボク以外の誰かに王の役が務まるとは思えないけど、だからといってキミ達が争うことじゃない。解るね?」 「あ〜、藤井も三原も黙っとき。瑞希ちゃんも、オレそういう意味で言うたんと違うわ。単なる言葉のアヤや、気にせんといたってや。―――って、話元に戻して鈴木ちゃん、なしてこないな設定になったんや?」 キャスト表にズラリと並んでいる名前は基本的にGSメイトの面々のもの。一応ゲーム攻略対象キャラとされている以上、校内での人気もかなり高いものと思われるので妥当であろう。決してオリキャラの鈴木が出張ってる分の埋め合わせの為だけではない。 で、肝心のキャストだが、王子は葉月、姫は杉菜、これは既定事項である。姫の両親役には王様たる三原とお妃様たる須藤が就任。姫に呪いをかける仙女役に氷室、それをフォローする仙女に藤井。この辺はまぁ妥当な線だろう(そうか?)。その他の面々は姫の御付きの侍女だったり女官長だったり近衛兵だったり庭師だったりする。派手な役ではないが出番はそこそこある。 そして、唯一大きなオリジナルキャラとして設定されたのが、姫条演じる『王子様の従者』であった。しかも王子と一緒に茨の道まで通過するという設定になっているようだ。 原作にないキャラとはいえ、設定を見る限りでは出番も活躍(?)も多い美味しいキャラである。 「だってさ、いくら中世だからって普通王子様が一人でほっつき歩ったりするもん?迷ったとかグレて家出したとかにしたって、あまりにもありえないじゃない?封建制度の弱肉強食時代、世間知らずの坊ちゃんが個人行動なんてしてたらイイ餌食。一人くらいは付いててあげないと駄目でしょ、特にこの王子には」 「……どういう意味だ」 「そらまそうやけど」 正反対の相槌。 「そういうこと。そういう点では姫条くんがピッタリなワケ。それに姫が目覚めるのには百年って期限切ってあるじゃない?だったら百年過ぎれば魔法による茨の道だって魔力と反応速度が鈍って王子にプラス一人くらいは通しちゃうと思うんだよね。ていうか、やっぱツッコミ役は常にボケ役の傍にいないと成立しないでしょ、漫才」 鈴木、言う言う。 「漫才……」 「って事で、要はウケを取るためには必要不可欠な要素なワケよ、姫条くんの従者役は。……大体他の重要キャストっていったら氷室先生のやる役よ。やりたい?もしそうならそれでもいいけど」 後半のセリフは耳打ちするようにコッソリと。それを聞いて姫条は(判りにくいが)真っ青になって首を横にブンブン振った。 「なるほど、そらオレがその役やらんとアカンわな!ちゅうわけで頼んだで王子様、このオレがしっかりフォローとツッコミしたるさかいな!!」 もんのすごく嫌そうな顔をしている葉月の肩を無理矢理ガシッと抱いて姫条はわざとらしい笑い声を上げたが、二・三人を除いて皆心の中で頷き合った。誰がガングロ大男の女装など観たいものか。いや、色白大男の女装も大差ないかも知れないが。 「まぁそういう訳なので、メインキャストのセリフはこれから皆で作り上げていきたいと思います。各自設定資料集やストーリーボードを参照の上、自己解釈やツッコミをふんだんに入れて、愉快痛快な劇に仕上げて行きましょう!」 そんなこんなで勝者・鈴木が高らかに宣言して、早速セリフ合わせならぬセリフ作りが始まったのであった。 ちなみにこの場では一言も発言していない杉菜は、南島と二人基本設定集に目を通し、その内容を脳内に焼き付けていた。 ただ、ある部分に書かれた鈴木直筆の一文を見て、ほんの少し戸惑ったような表情を浮かべていた事に気付いた者はいなかった。 ……とまあ、こういう初っ端で学園演劇は始動した訳であるが。 「けど、やっぱり無茶苦茶だ、おまえ」 「無茶苦茶も時として必要でしょ。のんびりペースでやってばっかじゃ行き詰まる事だってあるしね。―――ん、終わった?ありがと!それじゃこれ、葉月くんの台本で直しといた部分、目を通しといて」 さっさと解放されたい一心で、葉月が怒涛のように舞台考証のチェックを終えると、数本のペンを持って台本と睨めっこしていた鈴木が満足そうに頷いてからその傍らにあった『王子専用』と書かれた台本を渡す。 大部分の女子が葉月に対して奇声、もとい嬌声をあげるかそのクール振りにムカつく中、この鈴木はまったくもってそういう事を気にしない人間であった。しかも結局六年間の腐れ縁、葉月が人見知りせずに話せる数少ない他人の一人だ。 何となく利用されてどーでもいい事までさせられるのだが、TPOをわきまえた上でしかもネチネチしてない分、葉月もそれほど鈴木の事を嫌ってはいない。確かに高等部に上がってからは杉菜絡みで色々動かされる事が多いのだが。 「なるほどね、このセットはこうした方がいいのかぁ。だとすると、この小道具はこっち持って行って……。あ、じゃあ後で藤井ちゃんに指示書出さなきゃ。えーと、とするとこっちのシーンは……」 そう言うと、別の複写式のメモに何やら書きこむ。彼女の前の机には劇の台本以外にも学祭委員会全体の書類その他がこんもりと積まれて広がっている。他の学祭委員もそれぞれ仕事はしっかりやっているのだが、とても彼女の比ではない。 「忙しそうだな……」 「忙しいよ?けど楽しいからねー。楽しい事を他人に譲るなんて御免。だから手伝いはいらないよ。気持ちだけ受け取っとく」 お人よしの葉月が何を言うのか予想していたらしい、鈴木はあっさりとその先のセリフを遮った。 「あ、そう……」 「アハハ、むくれないむくれない。その分東雲ちゃんと一緒に稽古すればいいんだし」 「……衣裳合わせの時や舞台やってる間、あいつに逢うなって言ったの、おまえだろ」 そう。葉月には鈴木のこれまた厳命で、当日のクライマックスシーンまで杉菜のドレスアップした姿を見る事が許されていないのだ。理由は以下の通り。 「そりゃ王子様には茨の道をくぐり抜けた時に初めて姫に恋して欲しいもん。まぁ現実の王子様については今更だけど、それでも惚れ直しちゃった、とかいう瞬間だってあるのとないのとでは違うでしょ?」 からかう訳でもなく、カラリとした口調で笑って言う。 「悪趣味」 「んー、まあ、現実のラブっぷりを舞台にそのまま持ち込むようなもんだしね。けどアナタたちのソレを観たいってのは全校投票という民主主義に則った公正な結果だし、だったら期待に応えないとね」 そう言って、鈴木は葉月に顔を向けた。 「葉月くんも、頑張ってよね」 「……頑張ってないって思ってるのか?相手役があいつで」 「えーと、舞台もそうだし、現実でも、かな」 鈴木は視線を宙に浮かばせながら、ペンを器用にくるくる回す。 「葉月くんと東雲ちゃんって、やっぱ似てるんだよね」 「……みたいだな」 「ああ、頭いいトコとか、顔がいいトコとか、そういう即物的なトコじゃないよ?なんていうかねぇ……二人ともアレだよね」 「なんだ?」 「自分は人並みの幸せを得る事が出来ない、って思い込んじゃってるトコ。似てるなって」 ほぼ出来上がってきた台本を見ていた葉月が、その動きを止めた。 「……なんだって?」 「言った通りの意味だよ?葉月くんについては付き合い長いからそうかなって思ってたし、東雲ちゃんは葉月くんといる時の姿観てたらそうかなって」 動揺した様子の葉月とは対照的に、彼女は変わらぬ調子でそのまま続ける。 「杉菜が……?」 「藤井ちゃんや姫条くん、それに他のみんなだって気付いてるでしょ、東雲ちゃんがそういうの抱えてるの。葉月くんと一緒にいるからこそ、そういうのが見えてきたのかも。色んなもの持ってて、でも大切なもの持ってなくて、それで最初から諦めてるようなトコ、そっくりだと思った。葉月くんにとっては過去形かもしれないけどね?」 過去形。確かにそうだ、俺には。 けど杉菜は。 まだ。 「焦ってばっかじゃいい事ないけど、だからといって無茶しなかったりするのもつまらないでしょ。夏休み、葉月くん過労で入院してたじゃない?たまたまその時期に東雲ちゃんに会ったんだけど、休み前に比べて随分変わった印象受けた。スゴイ人間らしくなった。葉月くんの無茶はハッキリ言って大馬鹿モンだけど、それがきっかけになった部分もある気がするんだ。――――――東雲ちゃんは、やっぱり『眠り姫』だよね」 回したペンを止めて、今度は別の書類に細々書きこみながら鈴木はなおも続ける。 「表面的にじゃなくて、内面的にずっと呪いにかかってるようなもの。それも多分、自分でそう思ってるんじゃないかな。ワタシ、そういうのダメなんだよね。少しでも自分の可能性、広げて欲しいんだ。自分勝手だなぁとは理解してるけど」 「……だから、『姫』のセリフだけはちゃんと書いたのか?」 メインキャラクターのセリフが各人のアドリブとその場のノリによって組み立てられている中、ただ一人『姫』のセリフだけはある一部分を除いて全て始めから記載されていた。 「ん〜、それもある。東雲ちゃんって演技は上手いけど、自分の内面を自分の意思で出す事ってできないタチだと思うんだよね。だからその助けになればいいかなぁって。要はきっかけかな。ま、あとは東雲ちゃんの普段のノリで上手くテンポ崩さずツッコむのは結構至難の技かなーと」 葉月はフッと笑った。どこか苦笑した様でもあり感心した部分もコッソリ混ぜ込んで。 「……よく見てるな、おまえ」 「東雲ちゃんだからね。葉月くんだってそうでしょ」 「違いない」 視線だけ寄越しながら鈴木がニカッと笑うと、葉月は今度は完全に笑った。 確かに俺は変わった。内面的な眠り姫……いや、姫じゃないけど、それは俺も同じだった。 やすやすと茨で覆われた道を開いてその眠りを覚ましたのは、おまえ。 今度は俺が開いていきたい。 深い場所に眠る、おまえの心を。 「ま、アレよアレ。百年経ったおかげで茨の道を通れた王子になるんじゃなくて、この王子だからこそ道を開く事が出来た、そんな王子になれるよう頑張れって事よ。舞台の上でも、現実でもね」 「もちろん。それ以外になるわけない」 鈴木の言葉に葉月は不敵に笑んで答える。 「お、言うねぇ」 「おまえもな。それよりおまえ、オリキャラのクセに出張りすぎ、本当に」 「仕方ないでしょ、現在の登場人物の中でアナタと一番普通かつ冷静に会話できるのがワタシだけなんだもん。藤井ちゃんや姫条くんだと漫才になるし、紺野ちゃんや守村くんだと相手が怯えるし、須藤ちゃんはキレるだろうし、三原くんと鈴鹿くんはこんな会話が成立すると思えないし。有沢ちゃんならいけそうけど、ワタシほどふてぶてしくはなれないだろうなー」 「……否定できないな、確かに」 思わず苦笑が漏れる。 鈴木とまともに話すようになったのは高等部に入って、杉菜に出逢ってからだ。腐れ縁とはいえ殆ど話した事のない人間とこうして話せるようになって、それが面白かったり楽しかったり、嬉しかったりする。 全ては眠りから覚めたが故に得られたもの。 外界から隔絶された場所にいては、決して得られない現実感。 時には苦しめられる事もあるが、それでもその中には確かに暖かいものが潜んでいる。 まるで、闇の世界の中に光が生まれてくるように。 全ては君に逢ったから。 「ところで……ここのシーン、まだ決めないつもりか?」 葉月が台本の最後の方を示すと、鈴木はそらとぼけたような表情をした。大部分のシーンのセリフが埋っている今、そこだけは主役二人のセリフが未だ書き加えられていなかった。 「そこねー。うん、まあ、そのシーンだけはどうしてもアドリブでやって欲しいんだ。流れに沿ってりゃどうしたって構わないんで好きにして。あ、でも例のキスシーンについては一応フリだけになってるからね。一応忘れないで」 「……けど、この注釈は……」 葉月は自分専用の台本の備考欄に書かれた一文を、眉を顰めしかしわずかに顔を赤くして示唆する。 「だから、『一応』フリだけ。全校生徒及び一般客の目の前だもん。――――建前上は、ね?」 ニヤリと笑った鈴木に何もかも見透かされているような気がして、葉月は居心地の悪さを禁じ得ず、憮然とした表情になった。 所変わって、学園演劇の稽古場に指定された第二会議室では、授業終了からずっと稽古が続けられていた。一日ごとの練習時間は短いが、その分密度が異常に濃い。 「ふあー、つっかれるー!」 姫が眠った後のシーンを通し終わった藤井が、窓枠に寄りかかってぐったりと果てたように大きく息を吐く。 「お疲れさま、奈津実。飲む?お水」 「あ、ありがと♪貰う貰う、も〜すっかり喉渇いちゃった!」 杉菜が差し出した紙コップのミネラルウォーターを、ゴクゴクと一気に飲み干してプハァーッ!!と息を吐く藤井の姿は殆どオヤジである。 「やっぱマナって芝居になると人変わる〜!演技指導キッツイのなんの。さっすが『ほしかげ』で揉まれてるだけのことはあるなぁ」 休む事なく他のキャストに指導している南島を眺めつつ、藤井は心底疲れた声で感心した。 「けど、見てて勉強になる。やっぱりすごいと思う、マナ」 「ホントホント。プロだよね、まったく。けど、そういう杉菜も演技面では問題ないじゃん。お姫様の立居振舞なんてもううっとりもんだし」 「小さい頃から礼法を教えられてたから、そのおかげ。すごいわけじゃない」 「ホント解ってないなぁ……」 苦笑して藤井は頭を掻く。人の演技を見ただけですっかりそれと同じような動きができる人間がすごくないワケあるかっつーの。 「ところで、なんか窓の外見てたみたいだけど、面白いもんでもあった?」 「べつに。ただ、ここから珪と涼が見えたから」 涼(すず)、とは鈴木のファーストネームである(今決めた)。 「どれどれ?……あ、ホントだ。鈴木ちゃんと葉月、まだやってんだー」 身を乗り出して目を凝らせば、確かに資料室の窓際で資料や台本を広げて会話している二人の姿が見えた。今日は水曜日で、姫条は生活上必須のバイトの為に既に下校している。相方がいなければ稽古も出来ないので、これ幸いと葉月は鈴木に引っ張られていったのだ。 「鈴木ちゃんもすごいよねぇ。あの葉月にまったく何のためらいもなく頼みごとして、しかもそれを引き受けさせちゃうんだから。見事な人心操縦術」 いくら杉菜というエサがいるとはいえ。 「仲、いいのね」 「仲がいいというか、どっちもお互いに好かれようなんてこれっぽっちも思ってないからこそ成立するんじゃないかしら、あの関係は」 「おりょ、志穂たちも休憩?」 「うん、やっとだよ〜」 「まったく、ミズキの完璧な演技でもまだダメなんて、南島さんも理想が高いわ。まあ理想を高く持つのは必要ですけど」 有沢や紺野、それから須藤も杉菜と藤井の傍に集まってレストタイムである。 「鈴木ちゃんって本当に葉月のこと平気だよね〜。中学の頃からケロリと話しかけてたもん。ま、用がなきゃ話さなかったけど」 「わたし、葉月くんの殺人光……あ、え〜と、視線にひるまない女の子って、高校に上がるまで鈴木さんしか知らなかったなぁ……」 「あら、ミズキは鈴木さんのこと気に入っていてよ?何しろこのミズキの素晴らしさをよ〜く理解している人ですもの、好意を持つのに抵抗はないわね」 須藤が髪を手でなびかせて得意そうに言うと、藤井達はコッソリ笑いを堪えた。 (須藤ってば、すっかり鈴木ちゃんに操られてるよー!) (知らないって、幸せよね……) (うん、そうだね) くつくつと忍び笑い。氷室をもノセてしまう悪の口車大王様にかかっては、須藤ごときはちょろいもんである。 「ま、アタシも鈴木ちゃん好きだけどね。策士のくせにカラッとしてるし、ジメジメしたとこ全然ないし」 「そうね。時々ペースに呑み込まれそうになるのが困りものだけど。いつの間にかノセられてるし」 「でも顔はきれいだよね。スタイルだっていいし、男女問わず人気あるもんね」 「そういえば彼女は去年の生徒会長と付き合ってるって、ミズキは聞いたけど?」 「あーそうそう!手塚先輩!思いだすねー、あの顔の良さに加えてあの有能っぷり!下の名前なんだったっけ、シノブ?クニミツ?」 「それ、どっちも違うと思うわ……」 何となく前者寄りっぽい気がするが、それ以前にエライ差がありませんか、その二人じゃ。(『こ○はグリーンウッド』と『テ○スの王子様』を知らない人には解らんネタですいません) 「―――あ、葉月立ち上がった。終わったのかな?」 資料室での仕事が終わったらしい、藤井の言葉通り葉月が荷物を片付けて立ち上がるのが見えた。チラリと窓の外を見て、やや空を見上げるように顔を向けると、こちら(正確には杉菜一人)に気付いたのか遠目に微笑んだのが見えた。完全に他の女性陣は眼中外のようである。 「……相変わらずこのミズキに対して失礼な人ね」 「アンタに言われたくはないんじゃない、いくら葉月でも」 「……どういう意味かしら、藤井さん?」 「べっつに〜?」 「ふ、ふたりとも、やめようよ〜!」 藤井と須藤がいつものコミュニケーションを取り始め、解っていても止めてしまう紺野がわたわたと声をかける横で、それを呆れたように観ていた有沢がふと黙ったままの杉菜に気付いた。 いつも通りの、変わらない、何の色もない表情。 けれどその視線はただひたすら一つの窓の中を見ていた。その視線の先では、葉月が何やら鈴木にからかわれているらしい、彼が狼狽している様子が窺える。 「…………東雲さん?」 小さな声で呼びかけると、杉菜はやっと有沢に気がついたように振り向いた。 「何?志穂」 「いえ、その……どうかしたの?ずっと黙ったままだし、もしかして眠いの?」 「……ううん」 杉菜は軽く頭を振って有沢の言葉を否定する。 「なんでもない」 そう。 なんでもない。 だって、こんな感じ、知らないから。 だから多分、…………なんでも、ない。 |
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