−第31話− |
「汚れてる、だって……?」 追いやられた教会の隅で、あまりにも杉菜には似つかわしくない言葉を吐き捨てた女を、葉月は顔だけで振り返った。 「なにバカなこと言ってんのよ!こんなことするアンタの方がよっぽど汚れてるじゃない!!」 無言の葉月に代わって叫んだのは藤井。だが、一味のリーダー格であるその女は嘲笑するように鼻を鳴らした。 「へぇ、あんたたち知らないんだ?その女の中学時代のこと」 「杉菜の中学時代?」 「わたし調べたもんね。その女、中学の時は何人も男誑かしててさ、卒業式の日にはそれ全部精算するのにヒドイ言葉で振ったって。その他にも担任の教師誘惑した挙句別れ話がこじれたからって、その教師に大怪我させたって話じゃない。清純そうなフリして、そんなこと平気でしてるような女、珪が守ったりする価値なんて全然ないわよ!」 「な……あなたたち――――――っ!」 あんまりといえばあんまりな誹謗中傷に、藤井達が一気に顔を赤らめて憤慨した。 「Ne jouez pas de ruse(ふざけないで)!どこの恥知らずがそんなこと言えるのよ!この東雲さんがそんなことするわけないじゃない!!」 「そんなの、おおかた杉菜に勝手に惚れた勘違い野郎が暴走したとか、腐れ教師が立場利用して杉菜にいかがわしいことしようとして抵抗されたってとこでしょ!?誰に聞いたか知らないけど、そんな悪意のある見方しかできないくせに杉菜のこと傷つけようなんて身の程知らずもいいとこだわ!!」 「そうだよ、杉菜ちゃんのこと侮辱しないで!!」 同性の糾弾を受けて、それでもなお女は続ける。 「あら、そんな話が未だに噂されてるってことは、その女に思い当たる節があるからじゃないの?―――ホラ、本人言い返したりしないじゃない!」 「ちょ、ちょっとやめなよ……」 リーダー格の女を、仲間の一人が制止しようとする。実際に葉月と杉菜の二人を見て、毒気を抜かれたようになっていた一人だ。気がつけば他の女達も先程までの気勢が消えている。たった一人、妙な事を言い出したリーダー格の女だけが、歪んだ微笑を浮かべて藤井らを見返していた。 「……杉菜……」 「…………」 何を思っているのか、杉菜は黙ったままだった。 葉月はそんな杉菜をそっと立たせて、同じように自分も立ち上がってからゆっくりと女達の前に進み出た。正確には、杉菜を誹謗した女の前。 数秒間、女の顔を凝視した後、見るからに不愉快な顔をした。 「ね?珪、そんな女ダメよ。珪には全然ふさわしくないわ。珪が相手する価値の欠片も―――」 「……おまえの顔、覚えてる」 そう言うと、何を勘違いしたのか女は嬉しそうに笑った。 「本当!?覚えててくれたのね、珪!」 だがそれを葉月は次の言葉で遮った。 「……仕事の帰り、やたらと尾行した挙句、勝手に好きだとか付き合ってくれとか喚いてきた、鬱陶しい女」 「――――――ッ!」 「尾行って、何よそれ!?」 「ちょっと、あんた抜け駆けしてたの!?」 他の女達が葉月の目の前の女に詰め寄った。どうやら仲間内でそういう取り決めがあったらしい。集団で組んでいないと何もできないくせに、そういう事だけはやたらと細かい。そういうものだ。 だがリーダー格のその女だけは違ったようだ。 「うるさいわね、邪魔しないでッ!!」 仲間に言い捨てて、異常なまでの熱のこもった目で葉月を上目遣いに見上げて懇願するように主張する。 「ごめんなさい、珪が嫌だったんなら謝るわ。尾行したりして本当にごめんなさい!」 「謝るくらいなら、始めからするな」 「―――だって、わたし珪のこと好きなのよ!?そんな女なんかより、こいつらなんかより、ずっとずっと珪のこと好きなんだから!なのに、なのにあんな言い方されるなんて……!」 「それでどうして杉菜を逆恨みする必要があるんだ!」 自分はただ正直に言っただけだ。『俺はおまえのこと好きじゃないから、付き合うことはできない』と。ただそれだけを言ってその場から去った。杉菜の事なんて何も言わなかった。 たとえ杉菜に惹かれていなかったとしても、こんなにどぎつい闇を放っているような人種を好きになる事はない、そう思ったから。 なのに。 「それはあの女が珪のこと惑わしたからよ!珪の笑顔はわたしだけの物なのに、あの女がそれを邪魔するんだもの。だから許せなかったのよ。どうしてもどうしても許せなくて、なのに何をやってもちっとも堪えやしないんだもの。だったらその最低っぷりにふさわしい舞台を用意してやろうって思ったのよ!」 それを聞いて藤井が再び女に怒鳴った。 「―――どっちが最低なのよ!勝手に思い込んで勝手に逆恨みして、それでアンタが正義のつもり!?正しいって思ってんの!?ふざけんのもいいかげんにしろ!!」 「ふざけてんのはそっちでしょ!珪に近づきさえしなければ、べつにそんな女どうでもよかったんだから―――!!」 ――――ガシャーン!!―――― 女がなおも喚きたてようとした時、全てを打ち消すように窓ガラスが割れた。いや、割られた。 割ったのは―――葉月の拳だった。 「葉月!?」 「珪!?」 「…………いいかげんにしろ」 今まで聞いた中で、もっとも深いところから生まれた声。怒りに満ちて、何もかもを壊し尽くしかねない、そんな威力を持った声で、葉月は目の前の女を睨んだ。 視線で本当に人が殺せるものなら殺している―――そんな気配が場を呑み込んだ。 「……それ以上言ったら、おまえのこともこうしてやる」 砕けて粉々になったガラスがバラバラと落ちる。原形をとどめないほど派手に割られて、名残惜しそうに聞こえる音が何かの悲鳴のようだ。 「け、珪……!」 「二度と杉菜の前に姿を見せるな!今度こんなことをしたらタダじゃおかない。解ったら、さっさと消えろ!!」 「珪―――ッ!!」 「その名前で呼ぶな。おまえらに呼ばれるような名前なんて、持ってない」 「そ、そんな…………!」 強い侮蔑の視線を投げつけて、葉月はガラスに突き込まれた左手を引き戻す。パリン、と細かく零れるガラスの破片が床に落ちては脆く形を崩す。葉月の名前と同じ物質が、儚いままに砕けていった。 皆が呆気に取られている中、いち早く我に帰った姫条が葉月に駆け寄ってきた。 「葉月、アホか自分!」 「…………かもな」 「頷いとる場合とちゃうやろ!はよ手当てせんと―――て、杉菜ちゃん?」 悪態をつきながらも葉月の怪我を心配する姫条の横合いから、杉菜が近づいて来て葉月の前に立つ。 「悪い……あんまり気分のいいもんじゃないな」 細かい破片がたくさん刺さって、左手の甲からは見る見る内に血が溢れ出てくる。輪郭を伝うように流れる血が袖口を濡らすだけでは留まらずに引力に引かれて床にぽたぽたと落ちる。 そんな状態の左手を隠そうとした葉月だったが、杉菜がそれを止めるように彼の左手首を軽く抑えた。 流れ落ちた血が、彼女の白い指にまで届いて留まる。こんな時だというのにそのコントラストがあまりにも綺麗で、葉月は一瞬息を呑んだ。 「…………杉菜……?」 「…………」 眉を寄せながらその傷を眺めていた杉菜だったが、さっき拾い上げたスカーフをポケットから取り出して、素早く葉月の手首に巻いた。 「―――つッ!」 「早く病院で手当てしてもらって。緊縛止血法だと、長く放置しておくと壊疽しかねないから」 そう言って傷口を心臓より高く上げると、杉菜は葉月から離れた。そして教会の隅で呆然としたままの犯人―――そのリーダーの前に歩いて行った。 「な、なによ!!」 「…………お返し」 「お返し?――――――キャアッ!?」 『パァンッ!!』 肌を撃つ派手な音が鳴り響いて、全員が唖然とした。葉月の時以上に度肝を抜かれたように間抜けた表情だ。無論葉月も例外ではない。 数秒後、ドサッと女が倒れ込む音でハッと我を取り戻し、自分達が今目にした光景を信じられないように反芻した。 「う……うそ……」 「……す、杉菜が人を殴った……?」 「しかも3mは軽く吹っ飛んだぜ、おい……」 ギャラリーが驚く中、倒れ込んだ女を見下ろすように、杉菜はそのまま彼女の元へと近づく。 「な……なにすんのよ!!」 「……東雲家家訓第三条、『礼儀には礼儀で、無礼には倍以上の無礼で返す事』。……私のこと殴ったの、あなたでしょ?だから、お返し。暴力で人をねじ伏せようとしたから、暴力で返しただけ。おかしい?」 いつもと変わらない無表情で淡々と述べる。が、女の目を見て柳眉を歪めた。 「……全然気がついてないのね、あなた」 「なにをよ!?」 「私はこんな事されたって傷つかない。嫌がらせとか、中傷とか、そういうの、気にならない。……そういう人間だから」 そこで一旦息をして、表情を変える。どこか何かを耐えるかのように。 「……あなたがした事で傷ついたの、私じゃない。珪くんの方なのに、それを気づこうともしないのね」 「……そっ、そんなの、あんたがいなければ済む話でしょ!あんたが珪のそばにいなければ―――」 「責任転嫁しないで。たくさんある表現手段の中で、一番珪くんが傷つく方法を選んだのは、あなた。私がいなくても、あなたは同じ事をした。それに気づかない、気づけない。…………可哀想な人」 「な…………っ……」 まるで相手を悼むような哀憫な声色で呟いて、杉菜はくるりと身を翻して葉月の元に戻った。 「杉菜…………」 「早く病院に行こう。手当て、しなきゃ」 「……ああ、そうだな……」 いつものように見上げてくる杉菜に答えて、葉月は足を踏み出した。チラリと祭壇の方を見てそこにあるものに乱れがない事を確認してから、杉菜と一緒に教会を出ようとする。 「……だって…………」 女が赤く腫れ上がった頬を押えてボロボロ涙を零しながら呟いた。 「だって……こんなことでもしなきゃ、わたしのこと、見てくれないじゃない……覚えても、くれないじゃない……他の女と一緒のことじゃ、絶対その女に敵わないじゃない……」 嗚咽の内に混じって響いてくる言葉を振り払うように、葉月はそのまま歩を進めた。二人が出て行った教会の中には、その女の泣き声だけがしばらくの間満ちていた。 「…………バカな女」 残された藤井が泣いている女を見ながら冷ややかに言った。 敵わないから、見てくれないから。 だからこんな事が許されると思っている、愚かな女。 葉月が大切だといいながら、結局は自分の事しか見えてない。大切なのは自分の心、葉月じゃない。 そんな事しか考えられない人間を、どうして他人が好きになってくれるというのか。 「…………ホント、バカな女」 その後、連絡を受けて現場に駆けつけた氷室らによって、犯人グループは生徒指導室に拘束され、その学校関係者及び保護者が呼び出された。 未遂で済んだとはいえあまりにも悪質で計画的な犯行だった事で、厳重注意では収まらず後程処分を言い渡される事が決定した。おそらく退学は免れない。特に普段から素行が悪く多くの事件に関与していたと見られる男子達は下手すると警察のお世話になることだろう。 文化祭については他校生が起こした事件ゆえに途中で中止という事にはせず、大方の生徒は何も知らないままで祭の雰囲気を楽しんでいた。倒れた大道具も既に使用した後だったし、巻き困れた生徒達も大した怪我ではなかったので、大騒ぎも割とあっけなく沈静化してしまった。盗難にあった制服も戻ってきてその件も解決したが、葉月と姫条によって男子制服については非常にヨレヨレになってしまっていたので、持ち主の男子生徒が嘆いたのは無理もない。 教会の方は散らばったガラスなどを掃除した後、すぐにまた閉鎖された。学園にとっては大切なモニュメントでもあり、取り壊すとかそういう意見は出なかったものの、こういう事件が起こった事で管理が厳しくなるのは間違いないだろう。 一般入場が終わり夕闇が近づく無人の屋上で、葉月と杉菜は校庭で行われている後夜祭の準備を眺めながら佇んでいた。 病院での手当てが終わって学校に戻って来た葉月の左手は、厚い包帯で覆われていた。 「傷、大丈夫?痛くない?」 「少しは痛むけど、平気。出血の割には傷、深くなかったし。痕も気になるほどは残らない」 「そう……良かった……」 「洋子姉さんには、怒られたけどな」 連絡を受けて病院に駆けつけた従姉の形相を思い出して、葉月は苦笑した。 後見している大事な従弟が怪我をしたと聞いて来てみれば、その怪我は従弟本人が自分で拵えたものだと言う。心配した分だけ怒りもひとしお、看護婦さんに怒られるほどに大声で「この大バカものーーーッッッ!!」と耳元で叫ばれてしまった。おかげでまだ少し耳がワンワンする。 「心配したから、でしょう?洋子さん」 「ああ、わかってる」 包帯の巻かれた左手を目の前に掲げて、その後の洋子のセリフを思い出す。 「まったくあんたって子は……!好きな子を守りたいからって、自分を痛めつけるバカがどこにいるのよ!そんな事したら、杉菜ちゃんだって哀しむじゃないの。もっと自分のことも大事にしなさいよ、バカ……!」 感情が高ぶったせいでボロボロ泣きながら、洋子は言った。 (確かにバカだな、俺……) けど、あの時はそれ以外できなかった。 杉菜を傷つける悪意の刃を止めたかった。それを止めたくて、形ある刃を使っただけ。 けど。 (…………違う) 本当は、自分が傷つきたくなかった。杉菜が傷つく事で自分が傷つくのが嫌だった。 守れなかった、無力な自分。 あれほど守ると誓いながら、何もできなかった自分。 それを責め立てられるようで、苦しかった。 相手が見えてないのは、自分も同じ。 あの女も、俺も、同じ穴の狢だ―――。 「……珪くん?手、痛いの……?」 葉月が自分の考えに没頭しかけていると、杉菜が気遣うような瞳で見上げてきた。 「いや……そうじゃない」 「…………ごめんね」 葉月の左手に視線を落として、杉菜が呟く。 「……どうしておまえが謝るんだ。被害者だろ、おまえ」 「私は、どうでもいいの。結果的に大したこと、されなかったし」 「あの女に平手打ち、されただろ」 「すぐ腫れは引いたし、残ってないもの、痕」 「……ジャケット脱がされて、触られてた」 「感覚遮断したから、何も感じなかった」 眠っていながら感覚神経を意識的に遮断できるのか、この娘は。 「だから、私はどうでもいいの。気にしないと思えば、気にならないの。それが私」 「…………」 「…………けど、私のせいで誰かが……珪くんが傷つくのは嫌だって……そう、思う」 「杉菜…………」 杉菜は葉月の左手にそっと手を触れる。包帯に近い色彩の肌を露にする袖口には、葉月の傷から流れ落ちた血の雫がわずかに茶色を帯びて残っていた。 「だから……こんなことさせて、本当にごめんなさい……」 俯いて、葉月の手を静かに引き寄せる。傷の部分には触れないように、優しく抱きしめるように。 布越しに伝わる熱。 晩秋に近い夕方の風は冷たく肌を刺すというのに、左手から伝わる熱は体中を温めるように優しく流れ込んでくる。 ……謝らなくていいんだ。 これしか、それしか方法がなかったのは、俺の方だから。 おまえを守れなくて、一番自分に苛立って、そんな自分を責めたくて。 自分を責めることで、おまえに責められることから逃げようとして、安易な方法を取った。それが尚更傷つくことになると解ってて。 けど……おまえはそれでも謝ってくれるんだよな。 こんな汚い俺を、抱きしめてくれる。受け止めてくれる。 だから……だから俺、いつも甘えてしまうんだ、おまえに。 「…………じゃあ、一つ頼みごと、聞いてくれるか?」 空いている右手で杉菜の頭をぽんぽんと叩きながら言うと、杉菜が落としていた視線を再び葉月の顔に戻した。 「え……頼みごと……?」 「ああ。……俺の名前。『くん』付けじゃなくて、名前だけで。それで呼んでくれたら、チャラ。今回の事、全部」 もともと許すも何もないけど。 しかし杉菜は首を小さく傾けて問うような瞳のまま。少しだけ、目を見開いて。 「名前……でも珪くん、以前そう呼んだら『やめろ』って……。それにさっきも……」 「……あの時とは、違うから。それに、おまえ以外の奴に名前を呼ばれるのが嫌いなんだって、気がついたから」 家族以外でただ一人、自分の名前という呪文を渡したいのはおまえだけ。 おまえだけが、俺の全てを支配できる、支配していい。 だから、呼んで欲しい。 俺を、俺そのものを。 葉月の言葉を咀嚼するようにゆっくりとその瞳を見つめ返した杉菜は、彼の微笑みの中にある強い想いを受け取ったのか、少しの空白の後に小さな声で囁くように言った。 「…………『珪』?」 広がる。 強く、優しく、愛しいぬくもりが。 体を、心を、魂を、満たす。 「……ああ」 「…………珪」 「ん……?」 「……ごめんね…………ありがとう……」 そう。 惑わされてたって騙されてたって、それでもいい。 この声だけで、他には何もいらないから。 「…………なんとか一件落着ってとこかな」 屋上のドアの内側から二人の様子を見守っていた(出歯亀?)GSメイトの面々が、それぞれに安堵の溜息を吐いた。 「それにしてもビックリしたよね。杉菜ちゃんが人を殴るなんて。あれ、やっぱり怒ってたのかなぁ……?」 「そうも受け取れますけど……どうなのでしょう。いつものように無表情でしたし。ですが、怒っていたにしても自分への仕打ちに対してではなく、珪が傷ついた事に対して怒っていた、そんな風に思えました」 何故か校内に潜り込んだままの蒼樹が言うと、それに守村が頷いた。 「僕もそう思います。それに思ったんですけど、東雲さんが起きた時、まだ時間にはなっていなかったんじゃないですか?ええとその、彼女が設定した起床時間に」 「そうね。あの時の東雲さんの休憩時間は2時間フルにとってあったもの、ミズキもまさかあそこで起きると思わなかったわ」 「やっぱ、そういうことかもね。『愛の力は偉大』ってヤツ?」 しみじみと各人が述べる。守村の言葉通り、計算した限りあの時間で杉菜が起きる予定では全くなかった。杉菜自身もそのつもりで体内タイマーをセットしていた訳ではなかったらしく、自分でも不思議だと言っていた。もっとも葉月が病院に行った直後、再び入眠して周りの友人達を大いに焦らせたものだが。 「けど連中、本当にもう手出ししねえだろうな?」 「大丈夫だと思うわ。あの場にいたほとんどの女子、東雲さんたち二人にすっかり見惚れてたもの。写真や噂話で判断した結果の愚行だって理解出来たんじゃない?」 「それも当然だね。でも、凡人というのは哀しいね。ブラン・プリマヴェラほどの優れた人ならば写真一枚でも充分にその素晴らしさを感じられようというものなのに、実際に会ってみるまでそれを読み取れないんだから。今回のことはボクにとっても心の痛い事件だったよ……」 「色サマ……元気を出してください。そういう時だからこそ、色サマの作品で生きることへの歓びを伝えてくださらなくては」 「そう……そうだね、ボクとしたことが少しばかりブルゥになってしまったよ。―――そうだ!教会での葉月くんとブラン・プリマヴェラの姿、あれをキャンバスに納めておかなくては!彩りに満ちた光の競演の中、抱き合う美しい二人の姿こそ、今まさに必要な生きることへの歓びの具現だよ!ああ、それではボクはこれで失礼するよ、さっそくアトリエに戻ってミューズと対話しなければならないからね!」 「あっ、色サマお待ちになって!」 芸術コマンドコンビが踊るように階段を降りていき、後には呆れかえった残りのコマンドコンビ's+1が残った。 「……あいかわらず、理解できねえ奴ら……」 「そうかなぁ。けっこう基本に忠実だと思うんだけど……」 鋭い意見を紺野が述べて、皆が苦笑する。 「ところで……さっきの話ですけど、僕も大丈夫だと思います。最終的には秘密裡に収めるわけではないですし、何より東雲さんのご両親があの迫力で彼女たちに念を押していましたからね」 愛娘を危険に遭わせようとした犯人にあの東雲夫妻が甘くしてやるはずがない。連絡を受けて駆けつけた二人によって生じた絶対零度の殺気を感じられないとしたら、連中は人間以前に動物としても失格であろう。 なお、杉菜の中学時代云々の話を振ったところ、二人からは明快な答えが返ってきた。 「なあに、杉菜は昔からモテモテ(古語)だったからな、思い込みの激しい勘違い青少年くん達が卒業式の日にいきなり奪い合いの喧嘩を始めてしまったのさ!もちろん杉菜は彼らに何をした訳でもないし、それ以前に興味すら持っちゃいなかったからして、丁重にお断りをしたって寸法さ!」 「それにあの担任は元々人間的に信用できなかったのよね。公立の中学校だったから差し替えるわけにもいかなくて。担任の立場を利用して、杉菜の隙を見計らっていかがわしい不埒な行為を仕掛けようとしたところ、杉菜の友だちに見つかってね」 「そうそう!慌てた奴は急ぎ逃げんと図ったものの教壇に躓いた挙句教卓に頭をぶつけて大流血、意識不明の重態という自業自得の事態に帰着したのさ!あの時ばかりはこの寛大な俺もさすがに奴の息の根を止める欲求を抑えるのに苦労したな!奥さんが裏拳で失神させてくれなかったら今頃は犯罪者だったな、ハッハッハ!」 「ウフフ、本当ね。でもその教師、他にも余罪が見つかって、今は確か刑務所に入ってなかったかしら?」 ……とまあ、友人達が信じた通り杉菜には一点の曇りもなかった訳である。 ちなみに例の女がゴチャゴチャ言った時に杉菜が押し黙っていたのは、「……なるほど、そんな見方もできるのね……」と少なからず感心していたかららしい。そんな見方があるというよりは、散文的な情報で自分に都合いいように脳内補完してしまった女に問題があると思われるのだが。 閑話休題。 「でも、あのリーダー格の子は?最後までいろいろ反抗してたし……また何かしてくるってこと、ないかなぁ……」 「東雲さんが言ってたでしょ?『暴力でねじ伏せようとしたから、暴力で返す』って。やり方としてはどうかと思うけど、一理あるわ。起きていればあれだけの強さがあるって判ってて、それでもまだ立ち向かってくるとしたら馬鹿を通り越して命知らずね」 「それ以前に、その後の杉菜のセリフが理解できないとしたらもうどうしようもないよ。そん時はこっちだって容赦してやるもんか。杉菜に敵対したこと、骨の髄まで後悔させてやる」 「奈津実、こめかみに青筋が立ってます……」 「つーか、指関節を鳴らすな、指関節を!」 「あっと、ゴメンゴメン。思い出すだけでムカツクもんだから、つい。ところで後夜祭だけどさ……」 別の明るい話題を振りながら、藤井はドアに近い壁際に目をやった。ここに居合わせながらも未だ一言も話さず、壁に凭れ掛かりながら物憂げに葉月達を見ている男に。 藤井の視線にも気がつかないように、二人を見つめている男―――姫条は心の中で一つの決意を固めていた。 雑談に興じながらもそれを感じ取った藤井が、彼の横顔をひそかに見る。 答えは、突きつけられたのだ。 消えた熱と共に。 |
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