−第29話− |
魔女の恐ろしい姿にとても驚いたものの、王子は勇気をふりしぼってたずねました。 「姫に呪いをかけたのは、おまえか?」 「呪い?――ああ、あの姫のことかい?そうだね、少し前にそんなこともしたっけねぇ」 「彼女の呪いを解け!」 「なぜ、そんな事をしなければならないんだい?」 魔女はくつくつと笑いました。 「あの姫に今さら心なんて必要だとは、私はさらさら思わないけどね。 容姿も知能も権力もある。おまえのような者をひきつけるだけの魅力だって持っている。 恵まれるほどに恵まれた娘じゃないか、これ以上何を必要とするんだい?」 「だからといって、呪いで心を奪うことが許されるわけではないだろう!」 王子が叫ぶと、魔女は真剣な王子のその顔をぎらついた瞳で見つめました。 「……そうだねぇ。べつに私は呪いを解かなくたっていいんだがね。 久しぶりにこの島におとずれた客人だ、少しは気まぐれを起こしてもいいかねぇ」 しばらくにらみあったあと、魔女はさも面白そうに笑って言いました。 「あの姫の呪いを解いてやってもかまわないよ。ただし条件がある。 姫のもとに帰ることなくこの島で一生を過ごすというなら、姫の呪いを解いてあげようじゃないか」 「―――断る!私はかならず呪いを解いて、姫のもとに戻ると誓ったのだ」 「おやおや。呪いが解ける上に私の魔力に覆われて、何の苦労もせずに暮らせるというのにね。 それならば、せめて私を楽しませておくれ」 魔女がそう言うと、王子はいつのまにか暗闇に閉ざされた世界にひとり浮かんでいました。 「呪いはその闇の中にあるよ。 見つけ出せたらおまえの勝ち、見つけられなかったらおまえの負け。 ただしその闇はおまえの体と心を蝕む病のようなもの、見つけられなければおまえは死ぬよ。 それから覚えておおき。心は美しいものだけでできてるんじゃないってことをね」 闇に響き渡るような魔女のけたたましい笑い声が聞こえ、王子はぐるりとまわりを見わたしました。 しかし、そこには光のかけらすらなく、すべてを呑み込むような闇の海が広がっているだけでした。 11月8日。はばたき学園では例年通りの晴天の下、文化祭が賑やかかつ華々しく開催されていた。 「……こちらですね?ありがとうございまーす!――あ、いらっしゃいませ〜……って、なんだ葉月じゃん」 藤井が教室に入って来た葉月に気がついて、バイトとチア部で鍛えた完全無欠の営業用スマイルから一転して対葉月用ノーマルモードに切り替わって応えた。 「杉菜杉菜、葉月来たよ」 「え……?」 藤井が隣にいた杉菜に声をかけると、杉菜もラッピングの手を止めて顔を起こした。 「珪くん……来てくれたの?」 「ああ。忙しそうだな」 今年の氷室学級の出展はバザー。半分をリサイクル品、もう半分を生徒手作りの小物・携帯品で構成したフリーマーケットのようなもので、なかなかに盛況だ。プロデュースは個人的にフリーマーケットを幾度も経験している2−A学祭委員の藤井。人材面から、去年の氷室学級ほどの熱気は見込めない分手堅く展開したのが正解だったようで、コンスタントに客足が途切れず賑わっている。 「うん、それなりに」 「そうか……頑張れ」 すると横から藤井がいつもながらの呆れかえった苦笑を浮かべて口を挟む。 「だからさ〜葉月!アタシも一応いるんだから、せめて無視すんのだけはやめてよね!アンタだって同じことされたらイヤじゃん?」 「ん?ああ、…………お疲れ」 「ヨシヨシ。―――ところでなんかずいぶん余裕ありそうだけど、アンタ、クラスの方はいいの?」 「今年は俺、仕事少ないから」 「あ、そうなの?鈴木ちゃんのことだからてっきりまた人寄せパンダになってるもんかと思ってたよ。……あれ、そういえばF組の出展って……」 「……拝み屋」 「……鈴木ちゃんって毎年いい人材に恵まれるねぇ」 去年氷室学級を勝利に導いた鈴木女史は腐れ縁なのか今年も葉月と同じF組で、更に言えばまたも学祭委員である。 クラス分けによって無念にも去年と同じ栄光が望めず落胆した彼女であったが、今年は今年で別種の人材に目をつけた。つまりF組に所属する学内でも有名な霊能力者や強力除霊体質者、オカルトマニアなどである。彼らを見事まとめ上げ、拝み屋や心霊相談、便乗してお守りグッズなどの物販を行っている訳だ。ついでに教室の片隅ではマッサージ師を目指して修行中の男子生徒を起用して、『癒し』をキーワードに繁盛しているらしい。 ちなみに葉月の担当は物販の会計係。無愛想とはいえ彼に「ありがとうございました」と言ってもらえれば喜ぶ女子も多かろう、という鈴木女史の深謀遠慮による配置であるが、それでもシフト自体は厳しくない。鈴木自身、杉菜なしでそうそう彼を動かせるとはハナから思っていない。さすが腐れ縁、よく解っている。 「それじゃ、今年は珪くん、あんまり大変じゃなくてすむのね。よかった」 「そうだな。おまえは?」 「私も。そんなにシフト、入ってないから」 「当然じゃん!このアタシが杉菜を酷使するようなマネするわけないっしょ?杉菜の睡眠分もちゃ〜んと確保した上でみんな公平になるようにシフト組んだもんね」 杉菜のセリフに大きく頷いて、藤井が自慢げに胸を張った。この一週間というもの、頭を悩みに悩ませてベストなシフトを構成したのだから、それくらいは威張っても当然だろう。何しろ20人以上からなるメンバー数、バイトのシフトとは訳が違う。 「ふぅん……たまには頭、使うんだな」 「たまにはってなによ、たまにはって!んっとに失礼なヤツ」 サックリと言った葉月のセリフに藤井がプンスカと怒る。怒るといってもほとんどジェスチャーだけのコミュニケーションの一環だ。最近のこの二人は何となくこのような関係になってしまっている。杉菜を挟んで樹立したこの奇妙な友好関係に、お互い不思議な気分ではある。 「時間あるなら、ゆっくり見ていってね」 「そうする……。ん?それ、銀の……」 杉菜が補充しようと取り出して来た品物の中に、シルバーで作られたブレスレットがあった。細長いプレートと繊細だがスマートなチェーンで出来たそれに、葉月は興味深そうな表情を示した。 「これ?以前お父さんがもらった物なんだけど、家族の誰も要らないっていうから。……気に入った?」 「……そうだな。ユニセックスなデザインだし、品がいい。ライン、洗練されてる」 「ああ、コレね。確かにカッコイイよねー。……うん、葉月、こういうの似合うんじゃない?」 「私もそう思う。珪くんに似合いそう」 「そう、か?」 「うん」 「じゃあ……もらう」 「ありがとう。それじゃ、すぐに包むね」 対になっているケースに入れて、手早く包装紙でくるりと包む。安定性の悪い小さなプラスチックケースがみるみる内にプレゼントの如く美しい品物となった。 「器用だな……相変わらず」 「ホントホント。プラケースの軽い小物ってメチャクチャ難しいのに、こんなに綺麗に包装しちゃうんだもんね〜。さっすが杉菜」 「そう?……はい、お待たせいたしました」 葉月は代金となる実行委員会発行の金券を支払って品物を受け取る。 「サンキュ……」 「……私のセリフだと思う、それ」 「あ……そうだな」 「うん。ありがとうございました」 丁寧に頭を下げる杉菜に笑った丁度その時、入口から姫条と鈴鹿が入って来た。 「なんや、葉月も来とったんか。―――お疲れさん、杉菜ちゃん。どうや藤井、もうかってるか?」 「よっ、ジャマするぜ」 「お疲れさま、ニィやん、和馬。いらっしゃいませ」 「おっつかれー。ま、ボチボチでんな〜。そういうアンタのとこはどうよ?」 「ウチとこもボチボチやな。さすがにモノがデカイ分、去年みたいに気軽にテイクアウトっちゅうわけにはいかんよってな。まあこれからの昼飯時が勝負やな」 「けどよ、匂いは去年とたいして変わんねえだろ。タネは一緒なんだから」 「そらそうやけどな」 B組は今年も飲食系。ただし去年はたこ焼きだったが今年はお好み焼きだ。多分来年あたりはヤキソバになるかも知れない。姫条プロデュースである限り何となくその路線を外れる事はなさそうである。 「今年はそんなに勢いがあるクラスはないみたいやな。どこも平均的に客が入っとるわ」 「去年の氷室学級が異常だったんだよ」 「だよねぇ。今年は結構バラけちゃったもんね、人材が。ま、でもおかげでこっちもハード過ぎなくて助かるっていうか、他んとこ見て回れる時間も取れていいっていうか。やっぱホドホドが一番でしょ」 「欲があらへんなぁ。―――あ、そうそう。さっき蒼樹のヤツ見かけたで。来てたんやな」 「あ、うん。千晴くんならさっき顔出してったよ。ぐるっと見てから休憩時間頃にもう一回来るってさ。そんでさ……」 そう言って、藤井は姫条をちょいちょいと手招きした。言葉のニュアンスに気がついて、姫条が身を屈めて耳を近づける。 「なんや、新情報あったんかいな」 「うん。一応学内のそれっぽい連中は判ったみたい。けどどうやらパタッと動き止めてるらしくて、証拠つかめないって言ってた。あとでまた詳しく教えるって。教室出たらみんなに……アイツにも言っといて」 「……了解」 杉菜と話している葉月にチラリと目をやって、姫条は軽く頷く。 現在のところGSメイトの努力によって、杉菜には隙がない。登下校は葉月・姫条・藤井らがへばりつき、休日は尽や蒼樹、その他女性陣もついている(須藤家黒服集団も)。無論稽古事ゆえに一人の時もない事はないが、家から最寄バス停までは直行3〜5分の距離、杉菜の脚力ならば逃げられる。稽古場に隣接した森林公園内も人が多いメインストリートの横断のみ、そうやすやすと手を出せる状況ではない。 だからこそ逆に相手も苛立ちを隠せないに違いない。早く情報を集めて事前に一網打尽にしない限り、杉菜が危険な事には変わりないのだ。……本人は全然気にしていないにしても。 商品を見ながら雑談を交わしている内にわらわらと人が増えてきたので、姫条達は一旦おいとましようと杉菜に声をかける。 「ほんならまたな、杉菜ちゃん。―――そや、今年は休憩場所、ちゃんと確保してあるんか?」 「うん、去年と同じ保健室。氷室先生が前もって交渉してくれた」 渋々ではあったが、それでも考慮はしてくれたらしい。葉月が頼む以前に既に確保していてくれたそうだ。 「ああ、それやったら保健の先生も委員の子もおるし、安心して休めるやろ。藤井、くれぐれも杉菜ちゃんに無理させるんやないで」 「誰に言ってんの!」 いつもの遣り取りを交わしながら、姫条達は教室を出た。葉月の方もこれからシフトが入っているので、同時に教室を去る。それを見計らって姫条が葉月に耳打ちした。 「……とまあ、そういうとこらしいで、今はな。会合の時に蒼樹が詳しい情報持ってくるはずや」 「……わかった」 葉月は姫条の言葉に頷く。姫条達の協力のおかげで一気に相手の形が見えてきた。 ただ、こちらからも網を引き絞ろうとしている状況に、相手がどう反応してくるか。それがまだ判らない。 自分が原因でこんな事になるのは苦しかった。 杉菜には傷ついてほしくない。けれどそれを作ったのは自分。そのジレンマが痛い。 大切な人間に辛い思いをさせたくない―――望んでいるのは、いつだってそれだけなのに。 「……あんまり深く考えんとき」 頷いた後押し黙ってしまった葉月を見て、姫条は苦笑した。 「自分、どうやら自分自身を責めるクセがあるみたいやからなぁ。そら元々の原因になったんは自分かも知れんけど、それで影響を受けるのも連中があんな手段を取ったんも、それは自分の責任やない。やった方の責任や。気にすることやない。それよりすることがあるやろ?」 「…………ああ、そうだな」 杉菜を守る事。それが最優先。 「解ればええんや。まったくなんでオレが恋敵に塩送らなあかんのやろな。ホンマ、人がよすぎやオレも」 「だな」 自分に呆れたような姫条の物言いに葉月は笑って答える。 「ま、それはともかく杉菜ちゃんのガードはオレたちもガッチリ固めるよって、自分一人で背負おうなんて考えるなや。一人やったらできんことでも、大勢やったらなんとかなるっちゅうことが多いさかいな」 「……そうだな。頼んだ、俺がいない時は。……多分、ほとんどないと思うけど」 「ちょい待ち、何気にムカツクで、そのセリフは〜!」 「じゃあな」 わざとらしく怒る姫条に言い捨てて葉月は教室に向かう。 本当に不思議だ。こんなふうに誰かと話せる自分が今、ここにいる事が。 杉菜といる時とは違うけれど、こんな会話が『楽しい』と思える自分がいる。楽しめる自分がいる。 何もかも、彼女がいたから。 杉菜がいるから、受け入れられるようになって、それが楽しくて、嬉しい。 消えていた気持ちは、全て彼女によって揺り起こされる。 不思議で、心地良い感覚。 歩きながらそんな事を考えていると、ふと肩をポンと叩かれて、葉月は振り返った。そこにいた男性を見て思わず目を見開く。 「やあ、葉月くん。久しぶりだね」 「……森山さん!?」 にこやかに笑いかけているのは、中学時代に仕事で組んだ事があるカメラマンの森山だった。葉月のモデルとしての才能を強く見出して、その閉ざされた世界に働きかけた人物の一人でもあった。 「どうしてここに?海外にいるはずじゃ……」 人物写真を撮影する森山は主にファッション誌などで活躍しているが、ここ数年海外での活動が増えて日本にいる事が少ない。才能あるカメラマンとして海外での評価もうなぎのぼりで、多忙の日々を送っている。 疑問に思った葉月が訊ねると、森山は心得たように笑って答える。 「ちょうどオフで帰国したんだ。今日の事は昨日山田さんに会った時にチラッと聞いてね。久しぶりに君に会いたいと思ったし、せっかくだから来てみたんだ」 「山田さんに?」 現在葉月の専属カメラマンを務めている山田は、森山とは年が離れてはいるものの同じ師匠に学んだ兄弟弟子である。森山の後任という形ではあるが、その実力は伯仲。いいライバル兼親友兼飲み友達だと、話のついでに聞いた事がある。 「ああ。元気そうで何よりだよ。……それにずいぶんと表情が変わったな」 「そう、ですか……?」 「そうさ。グラビア自体は見ていたが、実際こうやって会ってみるとよく解るよ。そのうち機会を作って、また一緒に仕事をしたい、そう思わせるくらいのいい顔、いい瞳になってきた。何か、いいことでもあったんだろう?この2年の間に」 「…………はい」 「ハハハ、素直さも増したってところかな?―――そういえば、さっき君と話していた女の子だけど……」 「女の子?」 「さっき君がいた教室で接客をしていた小柄な子だよ」 「小柄……ああ、彼女が、なにか?」 「いや……確か以前、山田さんのところで写真を見せてもらったと思ってね」 「山田さんのところで?」 意外な言葉に葉月が驚いて瞠目した。 「去年の物だと言ってたけどね」 「去年……そういえば……」 去年の6月、偶然ロケが終わった直後に杉菜に会った時、山田がつい職業意識を働かせて二人のツーショット写真を撮った。その後ネガの方は渡して貰ったが、記念に一枚だけ現像した写真をとっておきたいと懇願され、杉菜も否と言わなかった経緯がある。山田には雑誌には掲載しなかった、けれど自分が気に入った写真を保管しておく趣味があり、そのコレクションは膨大なもの。何かの機会で彼の家に行った時、その量と質に驚いたものだ。 「東雲さん、だっけ。彼女が君を変えた張本人なんだな」 「ええ…………え?森山さん、どうして杉菜の名前……」 聞き逃しかねないほどさらりと言われた単語に、葉月がまたも驚いて森山の顔を見た。 「ん?ああ、山田さんが君の表情の変化について、この子が原因だって教えてくれたんだよ。撮影で柔らかい表情を引き出したかったら彼女の名前を出せば一発だよって、笑ってたんだ。……杉菜ちゃんっていうのか、君の想い人は」 「…………」 ほんのりと顔を赤くして俯いた葉月に森山が更に笑う。 「アハハ、ごめんごめん、ストレートに言いすぎたな。けどそうだな、あの子なら解るような気もするよ。何というか君以上に秘めているものが多い、そんな感じを受けたな。それもかなりいいものに。なるほど君のファンも納得するはずだ」 「………?俺の……ファン?」 納得するようなファン?どういうことだ? 訝しんだ葉月が繰り返すと、森山は一つ頷いて続けた。 「ああ、山田さんの家にお邪魔した時、ちょうど彼の上の娘さんが友だちを連れて来ててね。カメラマン志望なんだけど、君のファンでもあってね、山田さんが撮った君の写真を見て喜んでたんだ。その中にあった東雲さんと一緒に映った写真を見て、さっきの表情の変化の話になったんだよ」 「……その時に、杉菜の名前が話題に上った……?」 「苗字だけだけどね。その子、その写真見てうっとりしてたよ。お似合いの二人だって」 「森山さん……その、ファンって……どこの学校か判りますか?それに、いつ頃の話ですか、それ」 「え?ええと……上の娘さんと同じ学校だから……きらめき高校だったかな?」 姫条達から教えてもらった情報、その中で一番新しい単語。 「時期はそうだな……この前のオフの時だから、今年の8月頭だったかな」 8月。有沢や藤井、篠ノ目から聞いた『はば学のシノノメ』の噂が広がった時期。 (そういう、ことか…………) たとえ山田や写真を見たその娘の友人とやらにまったくそのつもりがなくても、杉菜の名前は同じ学校のファンの輪を通じて連中の耳にまで届いた。 そして、今のこの状況が生まれた。 そういう事なのか。 「葉月くん?」 不審そうに森山が話し掛けるが、葉月は自分の迂闊さを呪うように拳を握って口を閉ざしていた。 「蒼樹君」 杉菜や藤井が休憩に入ったのを見計らって合流し、はば学女性陣と廊下を歩きながら談笑していた蒼樹に誰かが声をかけてきた。見れば20歳台半ばの理知的な印象を受ける女性だが、どこか不穏な微笑を浮かべている。白衣と妖しげな実験室が実に似合いそうだ。 「え?―――ああ、先輩!先輩も来ていたのですか?」 その女性の姿を認めて一瞬驚いた蒼樹だったが、すぐに友好的な笑みに変わった。 「ええ。はばたき学園のセキュリティ網にちょっと興味があったしね」 「そうでしたか。――ああ皆さん、こちらは僕の学校の卒業生で、紐緒結奈さんと言います。電脳部の先輩で、一流グループの科学技術部に在籍している人です。先輩、こちらは僕の友だちです」 「そう。よろしくと言っておくわ。ひとまずはね……」 嫣然とした微笑の中にただならぬ空気を感じ、その場にいた杉菜以外の面々は背筋が粟立つのを覚えた。 だが蒼樹は慣れているのか大物なのか、そんな藤井らの空気にも気付かず紐緒に話しかけた。 「先輩、先日頂いたあれ、まだデータが揃っていないのです。遠距離・中距離についてはほぼ揃ったのですが、まだ至近距離についての試験をする機会がなくて……」 「かまわないわ。新規に作成した地域データのアップデートもまだ終わってないし、元々気分転換に作ったものだしね。できれば早い方がいいけど、そんなに急いでもいないから。ところで調子は良好なんでしょうね?」 「はい、それは双方共に完璧です」 「そう。まあ、この私が作ったんだから当たり前だけど……フフフ」 何の話をしているんだろう、と周りの面々が思ったのは当然だろう。蒼樹はともかく、紐緒の表情が何とも色々企んでいるように見えて仕方がないのであるからして。 「それじゃ、私はこれで失礼するわ」 「はい、本当にいつもありがとうございます」 「いいのよ。いつか私の野望の為にその手を貸してくれればね」 「はい!」 野望ってナニ。 藤井らの心の呟きは心に秘められたままだったが、不穏なものを感じた事には変わりはない。 「失礼しました、話の腰を折ってしまって」 「あっ、ううん、べつにいいんだけど……」 良くはないが、世の中には知らなくていい事がたくさんある、そう思って皆口をつぐんだ。 「―――そ、それじゃゴハンも食べたし、そろそろ杉菜は保健室ね。送ってくよ、行こ!」 「うん」 藤井が強引に話題を日常の物に戻して、周りが頷く。 現在この場にいるのは女性陣と蒼樹だけ、男性陣はそれぞれシフトが入っている最中。もっとも杉菜の休憩中には全員が一度合流して蒼樹の持ってきた情報を検証する事になっている。勿論あとで杉菜にも教える予定だが、なるべくならあまりこういう事を彼女に晒したくない気持ちが大きかった。 「…………ごめんね」 廊下を歩きながら、不意に杉菜が言った。 「え?」 驚いて全員が杉菜を見る。注目された彼女はほんの少し眉を寄せた表情で皆を見返して続ける。 「今日とか、最近。みんな、様子見に来てくれること。心配してくれるからでしょう?私のこと」 「…………えっ、と……」 杉菜の身を案じるがゆえに、藤井らは本当に露骨なくらい彼女にへばりついている。日常生活でもそうだが、今日などは各自シフトを報告し合って調整した上で休憩時間のたびに様子を見に来ている。休憩も起きている時間については藤井と完全に一緒だし、一人になる時はまずない。一般の人々が押し寄せている中に一連の犯人が混ざっていないとも限らない、念には念をというところだ。隙を見せていない今だからこそ逆に警戒を強めなければならなかった。 しかしさすがに杉菜にも不審に思われてしまったようである。 「情報源、尽。そうでしょ?」 完全にバレバレなようで、皆バツが悪そうな顔をした。 「……ん〜と、まあ、そうなんだけどさ。アンタ誰にも打ち明けてくんないし、アタシたちもちょっと神経とがらせすぎかなって思うんだけど、それでアンタが危ない目に会ってもイヤだし、さ」 「……私、大丈夫だけど」 ポツリと言ったセリフに藤井が眉を顰めた。 「大丈夫って、どうして言い切れんの?そりゃ起きてりゃアンタのことだから、ママさん直伝の回し蹴り炸裂させて逃げ切れると思うけど、眠っちゃったらどうしようもないじゃん。反応できないんでしょ?」 「それはそうだけど、でも……」 「でも、なに?」 「……私のせいで、みんなに迷惑かけたくない」 ポツリと言った杉菜の言葉に皆が一瞬シンとするが、それを破るかのように有沢が微笑った。 「バカね」 「……志穂?」 杉菜が名を呼ぶと、呼ばれた有沢はどこか苦笑したような微笑みのまま言った。 「私たち、誰も迷惑だなんて思ってないわ。それぞれが東雲さんを守りたいから動いてるの。それは迷惑とは異なるものよ。こういう言い方はなんだけど……友だちが困っていたりする時に少しでも力になれるって、とても嬉しいことなのよ?」 「おっ、志穂ってばなっかなかイイこと言うじゃん」 「ミズキも同感よ!ましてミズキの大切なamieを傷つけようとするなんて、このミズキ、ひいては須藤グループにケンカを売ってるようなものですからね。迷惑どころか犯人を見つけ出してたっぷり後悔させてあげなきゃ気が済まないわ!東雲さんが気にするようなことじゃなくってよ」 「それもどうかと思うんだけど……でも、わたしもそう。杉菜ちゃんのこと大好きだから、迷惑なんてこれっぽっちも思わないんだよ?力になりたいの、わたしたちみんな。きっと、他の男の子たちもそう思ってる。だよね、蒼樹くん」 「はい、それは勿論です。みんな、杉菜の為に何かをしたいんです。杉菜は僕たちの大切な『Pal』……親友なのですから」 「…………」 口々に言われて今度は杉菜が黙る。その顔を覗きこむように藤井がほんの少し身を屈めた。 「アンタって、人に甘えないとこあるけどさ……こういう時は甘えていいんだよ?葉月だけじゃなくアタシたちだって、アンタのこと大切だって思ってんだから。―――それともアタシたちが信用できない?」 そう言うと杉菜は少し目を見開いて首を振った。 「そんなこと、ない」 「だったらゴチャゴチャ言わない!アンタのために何かできることをしたいって思うのは、アンタにだって変えらんないんだから。それにアンタがマイペースな分、アタシたちだってマイペースにやったっていいでしょ?」 そう言ってニカッと笑う。 その言葉を数回の瞬きの内にしまいこんで、杉菜は藤井を、そして周りの面々を見回した。 見回して、やがてこくんと頷く。 「うん…………ありがとう」 「どういたしまして!」 杉菜の言葉に全員が微笑う。 (まったく、わかってないんだからなぁ) 杉菜の真正面で彼女の言葉を受け止めた藤井は心の中で呟く。 この子はどうしてか、自分が他人に好かれることが信じらんないみたいで、そこがアタシには不思議。 けど、『信じられない』と思う杉菜だからこそ、好きになったのも本当。 自分のせいで他人に迷惑がかかるのが嫌だって、そうあっさりと言える子だからこそ、友だちって思えるんだから。 (ときどき思いっきり天然でボケかましてくれるとこも含めてね) ほんのり悪戯めいた目で見ると、杉菜が小首をかしげる。可愛くて、真っ白で、天然で、時々妙に鋭くて。 まるで子供みたいだよね、そう思ったところで保健室のプレートが見えた。 「それじゃ杉菜ちゃん、起きた頃に迎えに来るね」 「ゆっくり休んで下さい、杉菜」 「おやすみなさい、東雲さん」 「なにかあったらケータイに入れるんだよ?すぐに駆けつけるからね!」 「ちょっと藤井さん、それはミズキのセリフよ!」 「うん。それじゃ」 保健室に杉菜を届けてから、藤井達はその場を離れた。さすがにこれだけの人数がいれば邪魔になるので、杉菜の睡眠時間中は養護教諭らに一任だ。誰かしらいる事は間違いないので、無闇な事も起こるまい。 「え〜と、今吹奏楽部の演奏が聞こえるってことは……」 「30分後くらいかしら、学園演劇は。今年は結構大掛かりらしいわね」 「できれば観に行きたいね〜。なんたって文化祭の華だしさ。今年は何だっけ?『チャンバラシンデレラ』?」 「あら、ミズキは『バトルロイヤルシンデレラ』って聞いたわよ?」 「あれ?『燃えよ!シンデレラ』じゃなかったっけ?」 「……私は『北斗のシンデレラ〜七つの傷を持つ女』って聞いたんだけど」 どーゆーシンデレラだ。 「……情報が錯綜してるなぁ。まぁそれはさておき、あと10分もすれば男どもも休憩入るし、今のウチに確保してたとこ行ってよう」 「それなのですが、本当に大丈夫なんでしょうか。他校生の僕が関係者立ち入り禁止区域に入って……」 「へーきへーき。実行委員の特権で借り切ってある部屋なんだから。第一アタシがいればそんなのさらさら問題じゃないもんね」 「奈津実、そうハッキリ言うのはどうかと思うんだけど。一応密談なんだし」 「有沢さんの方がハッキリ言ってると思うよ……」 「Oh,lala…どっちもどっちね。ああ、ミズキは色サマをお呼びしてくるから、ちょっと失礼するわ。それからギャリソン!今のところ異常はないんでしょうね?」 須藤が呼ぶと、どこからともなく彼女の執事・ギャリソン伊藤が現れて一礼した。 「はは、瑞希様。現在入っている報告によれば、東雲様に近づく怪しい影は見当たらないとのことでございます」 「ならいいわ、引き続き頼んだわよ。それじゃあ皆さん、a bientot!」 ギャリソンを従えて須藤は三原がいると思しき美術室へすったかさっさとスキップしていった。 「ハァ……彼女も東雲さんに負けないくらいマイペースよね。東雲さんの影響か、最近は少し角が取れてきたみたいだけど……本当に少し、ね」 「ホントホント。よくあんだけ気に入られたもんだよね、杉菜も。まるっきし正反対なのに」 「でも、案外友だちってそんなものかもしれないよ」 女性陣がそんなふうに評するのを見て蒼樹が笑う。 「杉菜は、本当にすごいですね。誰からも好かれているのがよく解ります。――――――あ、そうか」 「ん?なに?」 何かに気がついたように蒼樹が手をポンと叩いたので、藤井が訊ねた。 「確かこういうのを『総受け』って言うんですよね?」 「…………」 「…………」 にこやかに言う蒼樹に、女性三人は一瞬沈黙する。 「…………外れてはいないけど……蒼樹くん、あなた、どこでそんな同人用語学んできたの……?」 そういう有沢はどこで学んできたのか、それは誰も知らない。 氷室学級の眠り姫がいち早くノンレム睡眠の海を漂っている頃。 「失礼します……」 体育館での吹奏楽部の演奏がフィナーレを迎え、多くの喝采が校舎にも響いている中、保健室に一人の女生徒が青い顔をして入って来た。養護教諭や委員がそれに気付いて彼女を見る。 「あの……気分が悪いんで、少し休ませて欲しいんですけど……」 「あら、大丈夫?熱とかはない?」 「熱はないです。その、実は今日二日目で……薬飲んだんですけど、効かなくて」 「あ、そっちね。そうね……奥から二番目のベッドが空いてるから、そこで休んでなさい」 「はい、ありがとうございます」 パーテーションとカーテンをずらしてその女生徒は指示されたベッドに入る。 ……が、その前に教諭達には見えないようにしてから、隣――一番奥のベッドをチラッと覗いた。 そこに眠るものが誰なのかを認め、彼女は口の端でニヤリと笑った。 |
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