−第28話− |
少し時間は遡り、姫条ハウスで尽を筆頭とする面々が頭をつき合わせている頃。 葉月は何故か繁華街にあるボーリング場に来ていた。同行しているのは勿論杉菜。……と、東雲家の家長及びその細君。 「いや、本当に君はいろんな才能に恵まれているな!まぁ俺にはまだまだ敵うべくもないが、充分過ぎるほど及第点だ。奥さんもそう思うだろう?」 「本当ね。見事だわ、珪くん」 「……どうも」 喜色満面で話す二人の褒め言葉を、葉月は何とも微妙な表情で受け止めていた。 「すごいね。3回連続でストライク」 いつも通りのペースで賞賛を口にする娘には、葉月も苦笑して返す。 「おまえだって、似たようなもんだろ」 「ハッハッハ、杉菜なら俺達の娘だから当然さ!それにしても誘って良かった、こんなに楽しいゲームができるのは久しぶりだからな!そりゃあマイスウィートプリンスもなかなかの腕前だが、体格が発展途上だからな。それはそれで5年後が楽しみだが」 呵々大笑としながら、寂尊が惜しげもなく自分の子供達を褒める。 文化祭前の休日の今朝、葉月は杉菜からの電話を受けた。彼女から電話が来る事など非常に珍しい事なので胸ときめかせて出たところ、暇であるのならボーリング場に行かないかとのお誘い。急で悪いけれど、との事だが彼女の頼みならば葉月が断るはずもない。 しかし喜び勇んで赴いてみれば、どうやら家族レクリエーションの一環だったらしい、例によって東雲夫妻がどどんと待ち構えていた。 「いやなに、先日ここのタダ券(期限付き)を4人分貰ったのはいいのだが、なかなか行く暇がなくてな。今日しか空いていないところに尽が用があると来た。なので君に声をかけたという訳だ!休日に呼び出して悪かったが、なぁに、杉菜という麗しの姫君の傍に仕えられる絶好のチャンスだと思って存分に楽しんでくれたまえ!」 出会い頭にそう言われ、そのまま車で拉致されるが如く現地に到着、流されるままにゲームを始める事に相成った。 当初は相変わらず度肝を抜かれた葉月であったが、さすがに何度も会っている内に慣れてきたのか諦観の念を持って自分に降りかかった状況を受け入れて、今は2チームに別れてボーリング勝負の真っ最中。極めて高スコアで競われるそれは周りのギャラリーも白熱するような好試合となっていた。 「……今日、つきあってくれてありがとう」 ビリヤード場で、杉菜が葉月に礼を言う。 何ゲームかを終わって休憩をしているところで夫妻は友人らしきグループとかち合い、彼らとしばらくゲームをする事にした。その為葉月と杉菜はその場を離れ、同じ建物の中にあるここへと移動していた。 「いや、どうせ暇だったし、いい気分転換になった。こっちこそ、サンキュ」 「……そう?なら、よかった」 キューを持ちながら微笑う葉月に杉菜がホッとしたように言う。それを見た葉月が更に笑った。 寂尊のセリフではないが、愛しい姫君の傍に仕えられる絶好のチャンスを葉月がみすみす逃すはずもない。杉菜が思っている以上に葉月は今日のハプニングを楽しんでいた。 このところ杉菜の護衛として彼女と行動を共にする事が多いせいか、必然的に彼女の家族と接する機会も多くなった。度々巻き込まれるかのように夕食をごちそうになったり遊びに引っ張り出されている内に、どうも感覚が麻痺して来たらしい、今では「まあ、いいか……」という気分の方が増えてしまった。かえって謙虚にされている方が調子が狂う辺り、一種のカタルシスになっているのかも知れない。人生とはそんなもんである。 「……久しぶりだな、ビリヤードやるの。ナインボールでいいな?」 「うん」 お互い準備が整ったようで、基本的な玉の挙動など頭にすっかり入っているこの二人、今さら教えたりノートを開いたりという必要もなくサックリとゲームに入る。始めたら始めたであっさり進んでしまうのも予想できよう。何度かブレイクを取ったり取られたりのゲームが続いた。 何周目かのプレイ中、カコン、と葉月が撞いた手玉が最初の的玉に当たったついでに次の的玉にぶつかって、上手い具合に二つの的玉がポケットに入った。 「……っと……」 「……キャノンショット。すごいね、一度に二個もポケットするなんて」 「いや、ラッキーだっただけ……」 パン、パン、パン、パン……。 杉菜の前で恥をかかずに済んで葉月が内心ホッとしていると、何処からともなく乾いた拍手が聞こえてきた。 「さっすが今をときめくトップモデル。顔がいいだけじゃないなぁ」 音が聞こえた方を振り返ると、一人の若い男が壁に寄りかかって笑いながら葉月達を眺めていた。同い年くらいの背の高い美青年だが、その笑顔には好意的とは正反対の意味合いを多く含んでいた。 「……あんた、誰?」 「ひでぇなぁ……ま、葉月珪ともなれば蹴落としたライバルの顔なんていちいち覚えてねぇか」 その悪意に満ちた物言いで、葉月には大体の検討がついた。もっとも葉月の事、ライバルだから覚えていないという訳ではないのだが(というより杉菜周辺以外は覚えていないと推察される)。 「……愚痴なら他所でやれよ」 「おいおい、そりゃねぇだろ?『はばたきウォッチャー』の表紙(トップ)人からカッさらといて?」 ここ数ヶ月、こういう手合いが増えてきた。葉月の仕事が忙しくなるという事は、それだけ既存の相手を蹴落としているという事に繋がる。無論葉月自身にそのつもりはないが、蹴落とされた形の方としてはあまり愉快なものではないだろう。言われてよくよく見てみれば、確かに仕事絡みで見た顔だ。はばたきウォッチャーの仕事を始める前にマネージャーから提示された雑誌の表紙を飾っていた顔。今まですっかり忘れていたが、それなりに人気もある売出し中の新進モデルだ。 (けど、何もこんな時に……) せっかく杉菜と一緒にいる時に。 葉月が眉を顰めて小さく溜息を吐くと、当の杉菜がついっとその男の前に進み出た。 「……杉菜?」 葉月が不審に思って訊ねたが、杉菜はそのまま男に向かって言った。 「……そういうこと言うのやめて、悠」 「なに君、オッカケのコ?健気だねぇ〜…………ん?」 男はそのまま目の前に来た杉菜を見て―――その嫌味な笑いをピタリと張り付かせた。 「……え、君、もしかして……」 「悠でしょ?」 「……知ってるのか?こいつのこと」 自分も男に近寄って、葉月が二人に対して問いかける。そういえば目の前のモデルはそんな名前だったかも知れない。だが葉月のモデルの件にも興味がなかった杉菜が他のモデルに興味を持つものだろうか? そう葉月が考えていると、『悠』と呼ばれた相手の男はそれと解るくらいに目を見開いた。 「……さっき、杉菜って……え、まさか杉菜か!?本当に!?本物の東雲杉菜!?」 「そう、本物」 「おまえ、はばたき市に戻って来てたのか?全然聞いてなかったぜ!?」 どういう事か今一つ理解できないが、どうやら二人は知り合いだったらしい。 「……おい杉菜、こいつ、知ってる奴なのか?……」 「うん。小さい頃隣に住んでた、同い年の子」 杉菜が振り返って頷くと、男はハッとしたように慌てて杉菜を止めようとした。 「お、おい!言うな杉菜!」 「幼稚園年長組の時、通りすがりのOLのスカートをめくったら、逆にズボンを下着ごと下ろされてそのまま泣きながら家に走って帰って行ったことがあった……よね?」 「…………」 「…………余計な事、覚えてなくていいって……」 何気に注目していたギャラリーを含めて重く沈黙が流れる。 哀れ、クールさとニヒルさを売りにしているはずの人気モデル・U(名前をそのまま英語表記)は、幼い頃のこっ恥ずかしい記憶をあっさりと暴露されてしまい、もはやカッコつけようが何しようが取り返しのつかない状況になってしまい、体を震わせながら頭を抱えた。ちょっぴり涙声になっているのは多分気のせいではないだろう。 「杉菜……おまえ、全然変わってねぇのな……」 しばらくその姿勢のままでやがて搾り出すように悠が言った。 が、彼女の答えはこれまた何ともはやなもの。 「悠は性格悪くなったね」 「…………」 「…………」 いつも通り淡々と、さらりと言ってのけた杉菜に極上の美形モデル二人は押し黙る。 「口調、嫌な感じがした。そういう言い方、やめて」 怒っている訳ではないように見えるが、そうとも受け取れる発言をして杉菜は葉月を振り返った。 「中断してごめんなさい。続けよう、ゲーム」 「……あ、ああ」 「―――ま、待てよ杉菜」 何とも呑まれた感じで頷いて、戸惑いつつも杉菜と台に戻ろうとしたところ、ようやく立ち直ったのか悠が声をかけた。 「まだ、何か用?」 「杉菜おまえ、まさか葉月のオッカケやってんのか?」 「……オッカケ?」 オッカケと言うなら葉月の方がよほどオッカケなのだが、事情を知らない彼は続ける。 「やめとけよ、そいつ追っかけたって、いいことなんて一つもないぜ。傷つくのがオチだって」 そこまで言って今度は葉月を見た。 「あんまり罪なことすんなよな、葉月も。どうせ付き合う気なんかねぇだろ?なぁ、そうだよなぁ?おい杉菜、そいつにフラレたコ、何人いるか知ってんのか?この間もアイドルの……」 「オイ!!」 「ヒッ!?」 負け惜しみでどうでもいい事をベラベラ話そうとする悠を斬り捨てるかのように、葉月が彼を睨んだ。 「……こいつにくだらないこと言うな。話があるなら、聞いてやる。……表に出ろ」 「……な、なんだよ、マジになりやがって……ア、アホくせぇぜ!」 葉月の視線に著しく恐怖を覚えた悠がそれでも何か言おうと口を動かした時、入口の方から堂々たる美丈夫と嫋々たる美女が入って来た。 「待たせたな、杉菜そして珪くん!ちょっとばかり友情を固めるつもりが予想以上に熱く血潮を滾らせてしまってな!ついつい時間を忘れてしまってウッカリさ!……ん?おや、そこにいるのは―――」 「あら……ゆー坊?」 「ゲッ、ジャクソン!?」 「おお!これはこれは、ゆー坊じゃないか!こいつは驚いたな、なんてステキな偶然だ!」 「ひ、人違いだよ!そ、それじゃな!!」 実に怯えたような顔をして悠は寂尊達の脇をすり抜けるように走り逃げ去ってしまった。今度はどんなネタをバラされると思ったのだろうか。 「なんだあれは。せっかく久闊を叙そうと思ったというのにな!」 「きっと久しぶりに会って照れくさいのよ。でも……ちょっと走る姿勢がなってないわね」 寂尊達が不審そうに逃げた男の背を見遣っている内に、葉月は杉菜に耳打ちをした。 「……悪かったな……」 「ううん、珪くんのせいじゃないし」 「……気になるか?あいつの言ったこと……」 「……気になるといえば、そうかも……」 「…………そう、か」 「アイドルがモーションかけるくらいに仕事で来る機会があるなんて、はばたき市って一体どこにあるんだろうって……」 「…………」 そっちか。 ホッとしたような残念なような複雑な気分になった葉月だが、ふとある事に気がついて杉菜を見た。 「……杉菜、おまえ……」 「……どうかした?」 「…………おまえ、以前はばたき市に住んでたのか……?」 掠れたような声で、やっとの事で言葉を紡ぎ出す。 おまえ、さっきの男が幼馴染だって、覚えてた。 そりゃ、隣同士なら覚えてても不思議じゃないくらい交流もあっただろうけど。 けど、俺は? おまえ、俺のことは、本当に覚えてないのか……? 「……そういえば、言ってなかったね。うん、小さい頃。お父さんの転勤で引っ越したの。高校に入る時戻って来て…………どうか、した?」 葉月の表情を見て、杉菜がやや眉を顰めた。 「………いや、なんでもない」 「本当に?疲れてるんじゃない?」 「平気。……気にするな」 無理矢理のように微笑って答える。 今更だけど。 これほどおまえに惹かれているのに、本当に今更だけど。 それでも。 幼い頃の思い出の中に。 おまえを作ってきた思い出の中に。 俺は、残っていないのか。 ほんのひと欠片も。 (…………当然、かもな……) 出会った時期は短かった。出会った回数も少なかった。 そんな中で、俺を覚えていてくれている方が奇跡なのかもしれない。 いつまでも覚えていて、今になってもおまえに捕われている俺の方がおかしいのかもしれない。 「………珪くん?」 軽く袖を引かれてハッと気づく。 「本当に、大丈夫?」 柳眉をわずかに寄せた顔が心配そうな色で見上げていた。 「…………ああ」 覚えられていないだろう自分、それは確かに哀しいけれど、でも。 「大丈夫。おまえが……いるから」 「……?」 ここに、こうして、おまえがいてくれること。 それには変わりがないから。それが、紛れもない事実だから。 だから、大丈夫。 おまえがいれば。 「おまえがいれば……なんだって大丈夫だ、俺」 俺に差し伸べられる手。 それさえ、ここにあるのなら。 海にこぎ出してしばらく進むと、難所が前方に待ちかまえていました。 渦巻く海流とたくさんの岩が広がる先に、遠く水平線の近く、島の影がうっすらと見えました。 「あれが魔女の島さ。ここ何十年とこの難所に守られてだれも近づくことができない」 まあ、俺ならこのていどの難所、簡単に越えてみせるがな」 船乗りの男が王子に言いました。 それで王子は不安な心を押しとどめて、行く手を見ている内に、不思議な気分になりました。 魔女の島、という言葉にはふさわしくないほどに、その島の周りは澄んでいる気がしたのです。 まるでまがまがしいはずの島そのものが、澄んだ空気を世界に送っているような感じがしたのです。 王子はしばらくそんな気分に捕われていました。 そうしている内に、船乗りがふと、櫂を動かす手を止めました。 どうしたのかと振り返る王子でしたが、答えのかわりに落ちてきたのは彼自身の剣でした。 とっさにかわして船乗りを見ると、船乗りは殺意を込めた目で王子を見下ろしていました。 「なにをする!」 「金はたんまりもらったんだから、こんな難所を越えなくても、おまえを殺せばすむだけさ。 なぁに、世間知らずが身を滅ぼすってことを学べた分の謝礼と思えば、安いもんだろう?」 そう言って、船乗りはなおも王子に斬りかかりました。 せまい船の上で、王子は船乗りの剣をかわしながら逃げようとしますが、なかなか隙を見つけられません。 海に飛び込む以外道はない、そう思った王子でしたが、船乗りに転ばされて絶体絶命になりました。 しかし、王子が自分に下ろされる剣の切っ先に思わず目をつぶった、その時。 とつぜん海が荒く波立って、小さな船を激しく揺らしたのです。 「な、なんだ!?うわぁーーー!!」 いきなり船が転覆して、船乗りは、そして王子は海に投げ出されてしまいました。 その上海流に呑み込まれて、王子は息もできなくなり、そのまま意識を失いました。 しばらくたって気がつくと、王子はどこかの砂浜に打ち寄せられていました。 くらくらする頭を振ってまわりを見わたせば、そこは緑濃き森に支配された島でした。 船乗りがいないことを確認すると、王子は力ない足を引きずるように歩き始めました。 「ここは、もしかして魔女の森なのか……?」 人影一つない島をゆっくりと歩きながら王子が呟くと、島の奥の方から何やら妙な音が近づいてきます。 「……これは珍しい。この島に人が訪れるなど、ずいぶんと久しいこと」 王子はしわがれたような声で王子を出迎えたその女性を見てギョッとしました。 幾百もの鱗に覆われ、まがまがしい黄色い目を光らせた、毒蛇のような姿をした女性。 この島を統べ、王子の愛する姫に呪いをかけた魔女が、そこにたたずんでいました―――。 |
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