−第27話− |
王子は長い道のりを経て、やがてかの魔女の住むという島につづく港町にたどりつきました。 旅慣れていて、ここまで大きな問題もなかった王子でしたが、ここで困ったことになりました。 緑の森の魔女の島まで船を出してくれる者が誰もいなかったからです。 せめて船だけでも貸してほしいと頼んでも、貸してくれる者すらいなかったのです。 それどころか、人々は口々に王子を止めました。 「あの魔女に逆らってはいけない。このまま帰った方がいい」 王子を心配してくれる気持ちは嬉しいものでしたが、ここで諦めるわけにはいきません。 王子はなんとか海を越えようと、さまざまな手段を考えました。 しかしやはり難所の果てにある島へは、腕のいい船乗りが必要でした。 そんなとき、1人の男が王子の前に現れました。 「おまえさんの全財産をくれるっていうなら、船を出してやってもかまわないぞ」 その男は確かに腕利きの船乗りでしたが、強欲なことでも名高い男でした。 王子はしばらく悩みましたが、他に方法がないことを悟り、彼にすべてをたくすことにしました。 所持金も帰りの旅費もなにもかもをその男に渡して、王子は海へ漕ぎ出したのでした。 緊張した雰囲気の中、集まった面々をおもむろに眺め回して、彼は重々しく口を開いた。 「……皆の者、大儀であった」 ポカッ! 「イテッ!姫条、いきなり殴るなよー!」 「なに言うとんのや自分!せっかくの休みにみんなを集めといて、いきなりソレかい!」 「だってさ〜、一度言ってみたかったんだよ、こういうの。ほんのちょっとしたオチャメじゃん」 「まったくなぁ……。これが杉菜ちゃんの実の弟とは、なんや泣けてくるなぁ」 「しっつれいなヤツだなぁ。これ以上はないってくらいにイイ男になる予定のオレを捕まえて泣けてくるだなんて、センケンノメイってもんがないぞ」 「そんなんどうでもええわ。それより、わざわざオレらを集めて密談するっちゅう流れになったんはどういうことや。しかも何でかオレのウチやし。ホンマ、いつの間に突き止めよったんや」 文化祭を数日後に控えた休日の今日、多忙なGSメイトを召集したのは尽だ。葉月と杉菜を除いたコマンド実行コンビ達は勿論、日比谷に蒼樹まで含めたいわゆる同年代の攻略キャラの面々が顔を揃えて姫条ハウスに参集し、何とも窮屈である。 「まったくだわ。集まるのがこんな所だと判ってたら、ミズキの別荘を貸してあげたってかまわなかったのに!お掃除だって行き届いてるし、こんな倉庫何十個だって入っちゃうんだから!」 「それじゃ広すぎるんじゃあ……」 「ていうか、遠いんじゃないの?それ以前にさ」 1人暮らしの男部屋というイメージ的にむさ苦しい場所に須藤が文句を言う。もっとも持参のお茶など優雅に飲んでいる様子からすると、案外言葉ほど気にしていないのかも知れない。それとも出番があるだけマシと思っているのだろうか。 「で、アンタがわざわざアタシたちを集めたってことは、なんか杉菜の周りであったんでしょ?尽」 放っておくと話が進まなさそうだと思ったのか、藤井が早速口火を切った。2−Aの学祭委員として大忙しの彼女だから、早く話を終わらせて学校に戻りたいのである。無論杉菜に関係する事ならば学祭などはどうでもいいのだが。 「っと、ゴメンゴメン。うん、じつは奈津実おねえちゃんたちに見てもらいたい物があるんだ」 そう言って尽は傍らの紙袋をテーブルの上に置いた。ドンッ、と音を立てる程に厚みがあるそれを、皆が不審そうに見やった。 「なに、これ?」 「まさか爆弾やないやろな」 「んなわけないって。けど、ちょっと近いかも。精神的にはね」 そう言って、尽はその袋を開けて中身を取り出して広げた。何十通にもなる白封筒と、それから零れ落ちる不規則な形に破かれた写真の群れを見て、皆が目を瞠った。 例の、バラバラに千切られた杉菜の写真だった。それも封筒の数だけ何十枚も。 「な……っ、なんやこれ!?」 「ちょっと……これ、全部東雲さんの写真!?」 「ひどい……。全部めちゃくちゃにちぎられてる……」 「こっちの紙もなんなの?罵詈雑言の羅列じゃない!」 「なんてことだ……。ブラン・プリマヴェラを貶めようとする悪意がヒシヒシと伝わってくるよ……」 それぞれが顔を顰めて提示された物をしげしげと見つめた。 「尽くん、これは一体どうしたんですか?杉菜からは何も聞いていませんが……」 「アタシも聞いてない!何があったのよ、尽!?」 「修学旅行が終わったころから、ねえちゃん宛てにしょっちゅう届くようになったんだ。差出人のない封筒の中に、ねえちゃんの破かれた写真と短い文が書かれた紙切れが入ってるだけ。こないだなんかは、こんなのも送られてきた」 そう言って別に取り出したのは、紙が入っているとは思えない妙に嵩張る袋。 「なんだ、こりゃ…………って、ウワァッ!!」 「鈴鹿くん!?」 受け取って中を覗いた鈴鹿が怯えたように慌ててそれを手放した。投げ出された袋を姫条が器用に受け止める。 「なんやねん、今度は…………ッ!!」 「ちょっと、何が入ってたのよ!?」 「……尽の言うたとおりの、爆弾や。精神的なな」 中を見た姫条が、散らばった写真の残骸の上にぽてん、とそれを落とした。 「――――――!!」 「これって……」 「…………呪いの、人形……?」 「だよ、ね……。こっちのは藁人形で、こっちのは……」 「……ブードゥー人形ってヤツッスかね?ジブン、初めて見たッス……」 「感心しとる場合か!!ただの呪いの人形やったらともかく……って、ともかくやないけど、それ以前にこんだけグチャグチャになってる呪いの人形が、杉菜ちゃんに送られてきたっちゅうのがどういうことなのか、わからへんのか!?」 姫条の言葉通り、皆の中央に置かれた人形は作られた時の原形を留めていなかった。胴体の部分は押し開かれ、腕や足も引き千切られる寸前。頭部に至っては半分以上潰れている。そんな物が、全部で4つほどあった。 ただでさえ悪意の塊を示す物体が、更に無残な姿になっている、それが示すものは唯一つ。 明らかに、杉菜に対する嫌がらせだった。 「なんてこと……!ミズキのamieにこんな無礼を働くなんて、絶対に許せないわ!須藤家の力を総動員して送りつけた犯人を探し当ててやるんだから!!」 「許せない……。あの子にこんなことしていい権利なんて、誰にもないのに。絶対に見つけたらタダじゃおかない!」 「まったくや!それにしても杉菜ちゃんも水臭いで。せめてオレたちに言うてくれたら良かったんに……」 舌打ちして眉を顰めた姫条に、周りが頷く。 言葉も出ない。 こんな事を平気でするなんて。 現実のあの子を知らないで、こんな事ができる神経が許せなかった。 「……あの〜。もりあがってるとこ、悪いんだけど……」 それぞれが怒りのあまり拳を震わせているところに、尽が何とも複雑な表情をして口を挟んだ。 「なんや?」 尽以外の全員が尽に注目すると、彼は言い難そうに口を開く。 「んーと、その人形バラしたの、ねえちゃんなんだよね」 ポカン。 皆が一瞬呆気に取られた。 「……どういうこっちゃ」 「いやだからさ、それが届いた時、オレもその場にいたんだけどさ。さすがのねえちゃんも驚いてるみたいにシーンとして人形見つめてるから、ショックなんだろうなって思ったんだけど……そしたら、いきなり解体し始めたわけ、ソレ」 『なにやってんの、ねえちゃん!?』 『…………ないみたい』 『は?』 『髪の毛とか、爪とか。類比魔術と感染魔術の両方を使ってるのかなって、思ったんだけど。でも、体組織の一部がないんじゃ、感染魔術は有効じゃないし……』 『……ねえちゃん……』 『作った人の霊能力も弱いのね、全然危険な感じしない。人形もあんまり似てないし、これじゃ効果ない。魔術の基本、知らないのかな。……とりあえず、捨てておくね。素材が粘土だから、可燃ゴミで大丈夫かな……』 『…………そういう問題じゃないと思うけど……』 淡々と説明する尽の言葉を聞いて、皆は一斉に突っ伏した。 「さすが杉菜……タダモンじゃない」 「心配して損したわね……」 「何と言ったらいいんでしょうね、この場合……。やっぱり『アホらしわ』ですか?」 「いや、素晴らしいよ……。自分に向けられた悪意すら軽々と霧散させてしまう、その心の強さは賞賛すべきものだと思うよ、ボクは……」 「すごいです、東雲先輩。ジブン、まだまだかなわないッス……」 「尊敬するぜ、東雲……」 言葉とは裏腹に、怒り具合が半端じゃなかった分、脱力具合も相当のものである。力なくテーブルに寄りかかったり手近なベッドに倒れ込んだり、なかなか起き上がれない。その様を見て、尽はポリポリと頭を掻いて苦笑した。 「封書の方もそうなんだけど、なんてゆーか、ねえちゃん本人は全くこれっぽっちも気になってないみたいなんだよな〜。むしろショック受けてんの、葉月の方。まぁ現物の方は何かの証拠になるかと思ってぜんぶとってあるけど」 「……珪はこの事を知っているのですか?」 「まーね。モトを突きつめれば、あいつのファンが暴走してやってることじゃん?それ自覚してるから、なんかあったら教えろっていわれてたんだ。それにあいつ、今はすっかりねえちゃんのボディガードみたいなモンだから。必要な情報は与えとかないとね」 「なるほどな」 ようやく力が戻って来たのか、各人がのっそりと姿勢を戻した。 「ところで尽くん、送られているのは郵便だけなんですか?住所がバレてるってことは、電話番号とかも漏れているんじゃあ……」 「ああ、無言電話みたいなのあったよ。けど、ウチの電話って父ちゃんの趣味で逆探知機つけてるからさ。それで探ってみたんだけど、かけてんの、公衆電話からみたい。すぐに来なくなったけど、非通知とかよりはかえって混乱させられるよなって父ちゃんとも話したっけ」 ちなみに携帯の方は各人徹底した情報管制を敷いているので、他人には全く漏れていない。実際そちらにはかかってはきていない。 「趣味で逆探知機って……。……消印の方はどうなの?」 「いちおう調べたけど、時間も地域も共通点ナシ。ぜんぶバラバラのとこから投函されてる。ものによっては他県から。ぜんぶがはばたき市以外からだってのはわかってるんだけど、今んとこそこまでだな」 悩むように腕を組んで、ウ〜ンと尽が唸った。 「東雲さんが気にしてないっていうのが、唯一の救いかしら……」 「いや、それはちゃうで。気にせぇへんからこそ、エスカレートする可能性が大や。調子狂わした方がやる方にとっては溜飲が下がることになるんやからな」 「姫条の言うとおりよ。このままだと連中なにしでかすか知れない。……けど、参ったな。相手の姿が全然見えないんだよね。最近はアルカードにも顔出してないっていうし」 頭を押さえた藤井らを見て、尽が日比谷を振り返った。 「そこでひとつ情報があるんだけど……日比谷、例の件」 「ハイ!先輩がた、ジブンからお話があるんですが、いいですか?」 「なんだい、日比谷くん」 「えっと、ジブンは野球部に所属していて、他の高校と練習試合をすることが多いんス。先月、その打ち上げの場でたまたま葉月先輩の話になって、そこの部長さんが言ってたんっス。その部長さんのクラスメイトで、葉月先輩の熱烈なファンの女子が、他校の女子とつるんで何かしてるらしいって。小耳に挟んだところじゃあんまり真っ当じゃなさそうだってことで、葉月先輩と親しいジブンに教えてくれたんスよ」 葉月と親しいなどと思っているのは日比谷一人だけだろうが、それはともかく日比谷の話を聞いた全員が一気に緊張した顔になった。 「あ、ちなみにその部長さん、その学校での東雲先輩ファンクラブの会長さんなんスよ。さすが先輩、他校にもファンがいっぱいいるんスねぇ」 「んなことどーでもいいって。それより日比谷くん、その高校ってどこ!?」 「え?えーと、隣野……じゃなくて、向岸……じゃなくて、明和……は先々月の……」 「あーもう役に立たんやっちゃなぁ!!藤井、自分らチア部の応援で行っとらんのか!?」 「あ、そっか!待ってよ、結構あちこち行ってるから……先月の野球部練習試合の相手、相手…………」 数秒間真剣に記憶回路をフル稼動して、やがて思い出したのか藤井が叫んだ。 「―――そうだ、きらめき高校!!」 ポン、と手を叩いて藤井が言うと、蒼樹が驚いた顔で反応した。 「きらめき高校?それは僕の学校です!」 「そういえばきら高の知人も、最近葉月くんファンの子たちが雰囲気荒れてるって……」 「きっとそれだよ!きら高だったら杉菜ちゃんの情報だって伝わる距離だし、他校との交流も多いからファンの子が知り合ったりすることもあると思う。それで輪が広がったんじゃないかな?」 「そうか、それなら投函がバラバラなのも解りますよ。それぞれが示し合わせているとすれば、他県から送られたりするのも納得できます」 「そういうことかよ……。見えてきたな、なんとか。オイおまえ、蒼樹だっけ?」 「はい、解っています。すぐにでも調べてみます!」 「おお、頼むで。有沢ちゃんもそのきら高の女友だちに訊いといてや。中心になって動いてるファンのこと」 「ええ。……ただ、証拠がなければ名指しで糾弾することはできないわ。勿論調査はするけれど、無闇に相手に噛みつくのは逆に危険よ。……奈津実、それから須藤さん。あなたたちの事を言ってるのよ」 「志穂、アンタ今さらそんなことを言うつもり?そりゃ杉菜自身は何とも思ってないかもしれないけど、何が起きるかわかんないんだよ!?それなのにほっとけっていうワケ!?」 「藤井さんの言うとおりよ!このままこんなことを続けさせるなんて、ミズキには耐えられないわ!」 冷静に言う有沢に反発するように藤井と須藤が激昂した。そこを姫条が執り成す。 「落ち着かんかい、二人とも。有沢ちゃんの言うことももっともやで。こないな陰湿なことする連中や、事前に知れたら逆上してなにするか余計に判らん。オレらは情報を集めた上で、杉菜ちゃんに手出しできんようにするしかない。相手がボロを出すまでの辛抱や、ほんの少しの間我慢しい」 「少しっていつまでよ!?」 「こうやって直接嫌がらせしてきとるんや、そう長いことやあらへん。それに今は葉月が常時杉菜ちゃんの傍におるからな。敵さんもかなり爆発寸前の所まできとるやろ。……悔しいけど、今は待つしかない」 苦りきった表情で姫条が言うと、藤井達も溜息を吐いて気勢を下げた。確かに有沢の言ももっともだし、姫条のセリフも納得できる。高ぶる感情は抑えがたいが、それで杉菜に類が及んでは元も子もない。二人は気を静めるように前に置かれたお茶を飲んだ。すっかり冷め切ったお茶が渋く口に残る。 皆がひとまず落ち着いたのを見て、今まで黙っていた尽が口を開いた。 「そんなわけで、みんなにもねえちゃんのこと今まで以上に気を配っててほしいんだ。普段のねえちゃんならなんてことなくても、寝てる時や1人の時になにかされるとヤバいし。…………どうか、お願いします」 尽はそう言うと、全員に向かって頭を下げた。いつもの彼とは違った、どこまでも真剣な表情で。 「……大切なねえちゃんだから、傷ついてほしくないんだ、オレ。そりゃ、傷つかない人生なんてあるはずないけど、こんなことでそんな目にあってほしくないんだ。だから……」 「尽……」 「尽くん……」 粛然とした尽の態度に、皆が押し黙る。しばし沈黙が訪れる。 それを破ったのは、尽の隣に座った姫条だった。 「―――今さらなに水臭いこと言うとんねん。杉菜ちゃんは、自分にとって大事な姉なのと同じように、オレらにとっても大事な『友だち』や。お願いされんでも守ったる。らしくないことすんなや」 笑いながら尽の頭をポカッと叩く。 「イテッ!姫条、人のこと殴るなよ!オレの頭がバカになったらおまえのせいだぞ?」 「年長者に向かっておまえ呼ばわりするようなアホが、それこそ今さらや」 粛然とした態度は何処へやら、尽はすぐにいつもの利発で回転の早い瞳を復活させて姫条を睨んだ。それを見て、他の皆も笑った。 「姫条の言うとおりだよ、尽。アタシたちみんな、杉菜のこと大好きだもん。葉月とは違うけど、アタシたちはアタシたちのやり方で杉菜を守ってみせるから!」 「そうだぜ!こんなバカげたことで東雲に手ェ出させてたまるかってんだ!」 「わたしも、絶対杉菜ちゃんから目を離さないようにするね。クラスは違うけど、帰りとかお休みの日とか、ちゃんと見てるようにする」 「ミズキも東雲さんのためのボディガードを増員しておくわ。ああ、心配しなくてもいいのよ?ちゃんと目立たないように行動させるから」 「……今でも充分目立ってると思うけど、あの黒服集団。けど、私もできる限り情報を集めるわ。他の葉月くんのファンから訊きだせる事があるかも知れないし」 「それでは、きら高内部の事は僕が詳しく調査します。関与している人物の特定ができるよう、全力を尽くします」 「僕は東雲さんが休憩する場所を改めて確認しておきます。部員にも声をかけて、注意を呼びかけておきますね」 「うん、それがいいね。ボクは……そうだね。ミューズから贈られたこの優れた観察眼で、ブラン・プリマヴェラに近づく人物の善悪を見極めることにするよ。人というのは哀しいけれど、悪意の方がよりその存在を主張してしまう。ならばそれを逆手に取ってあげようじゃないか!」 「ジブンもいざという時には先輩の盾となってお守りするッス!絶対に先輩には指一本ふれさせないッス!」 全員がそれぞれの決意を口にする。 「サンキュ、みんな。……ホント、ねえちゃんって果報者だよな」 ま、オレのねえちゃんなんだから当然だけど。 父と同じような感想を抱いて、尽はくしゃっと笑った。 それからは具体的な打ち合わせをし、夕方になった辺りで各自解散となった。 だが、蒼樹は一人、姫条と話がしたいと言って姫条ハウスに残った。 「すみません。まどかも忙しいのに」 淹れ直したコーヒーを少し飲んでから、蒼樹は申し訳なさそうに言った。苦笑して姫条はひらひらと手を振る。 「それはええけど、その『まどか』っちゅうのやめてんか。自分は気にせぇへんやろうけど、オレはそう呼ばれるんは嫌いなんや。姫条でええ」 「あ、ごめんなさい。ついファーストネームで呼ぶ癖がついていて。日本人は友人同士でも、出会ってすぐにファーストネームで呼ばれる事が好きではないようですね。杉菜は違いましたが」 「そら杉菜ちゃんはああいうコやからな。それより、そういう話をするために残ったんと違うやろ?」 「ええ……はい。…………すみません」 突然出た謝罪の言葉に、姫条は瞬きをして蒼樹を見返した。 「何で自分が謝るんや」 「杉菜にあんな事をしている人物が、僕の高校にいた。それに気がついていなかったからです」 「……そんなん、自分の責任と違うやろ」 「いえ、僕がもう少し気をつけていれば、未然に防げていたかも知れない。そう考えると、自分の鈍さに腹が立って……」 「防げたかどうかは判らんやろ。表立ってやられとるわけやないし、気がつかんヤツは気がつかんもんや。オレが自分と同じ立場かて、気がつけたかどうかは判らん」 そう言いつつ、姫条は自分なら空気の変化には気がつけたかもしれない、そう思った。だがそれは姫条がそういう雰囲気や話題に特に敏い人間だからであって、蒼樹の非ではまったくない。 「それに、謝る必要は今んとここれっぽっちもないで。自分が謝らなアカンとしたら、自分が情報を知りながら傍観した挙句、杉菜ちゃんに害が加えられた時や。そん時はオレやのうて杉菜ちゃんに謝らなアカン。違うか?」 「傍観なんて!そんな事するはずがありません。尽くんも、それに姫条くんも言っていました。杉菜は大事な存在だと。僕にとっても杉菜は大切な人です。みすみす危害を加えさせるような真似は、絶対にしません!」 「なら、それでええやないか。今は自分ができる最大のことをすればええんや。自分やったら情報を集めて犯人を特定する、オレやったらその情報を元に杉菜ちゃんの盾になる。それでかまわんやろ」 「…………そう、でしょうか」 「そや。なんも悩むことあるかい。杉菜ちゃんを守りたい、せやから守る。……葉月やったらこう言うやろな」 「珪だったら…………そう……そうですね」 わずかな沈黙。それを掻き分けるかのように姫条が訊ねた。 「一応確認しときたいんやけど」 「何ですか?」 「自分は杉菜ちゃんのことどう思ってんねん?」 「杉菜を、ですか?―――好きですよ」 一瞬キョトンとした蒼樹だったが、すぐに明快に回答した。 「その『好き』は『like』やのうて……」 「ええ、『love』だと思います。まど……姫条くんもそうでしょう?それから、珪も」 「まぁな」 (ま、バレてて当然やろな。別段隠しとるわけやナシ、よっぽど鈍くない限りはわかるか) 姫条を見遣ってから、蒼樹は頷いて話し始めた。 「珪が杉菜に惹かれている事は初対面で解りました。珪はあまり饒舌ではありませんが、そのかわり目でものを語ります。以心伝心、というのはアメリカでは通用しません。言葉に出さなくては、自分の意思は相手に伝わりません。ですが、珪の視線はとても強くて、言葉以上にハッキリと彼の心を伝えてきます。だからすぐに解りました。僕に対する敵意も」 苦笑しながら話す蒼樹に、姫条もつられて苦笑いを浮かべた。 「まあなぁ……葉月はその視線がモデル続けるきっかけになったっちゅうくらいらしいからなぁ」 「はい。ですが、僕も杉菜を好きです。それは変わりません。慣れない場所で親切にしてくれた初めての人だから好意を持った、それは確かにあるでしょう。でもそれ以上に、話をするにつれて彼女の世界に惹きこまれていく自分がいたのも確かです。惹きこまれるけれど、研ぎ澄まされてまた現実に戻っていける、夢という名前の現実に立ち向かう勇気が湧いて来る、そんな感じがするんです。……その反面、珪には敵わないと思う自分がいるのも解るんですけどね」 「それは……解るなぁ。オレもそうやからな」 「そうなのですか?」 「ああ。せやけどあれやな、自分はそんなに切なそうな顔もしとらんのやな」 「切ない……ですか?」 「そや。いや、自分が切なくないとか、そういうことやないけど、なんちゅうか……あんまり苦しそうな顔しとらんなぁ思て。結構ポーカーフェイスな方か?」 「そんな事はないと思います。いつもすぐに思っている事が顔に出るって、学校の友だちにからかわれてますから。でも……そうですね……。それは多分、僕があの二人の傍にいないから、なんじゃないでしょうか?」 「葉月と杉菜ちゃんの傍に?」 「はい。姫条くんは高校に入ってからずっと、杉菜と珪の近くで二人を見ていたのでしょう?だから見たくないものまで見えてしまって、それが苦しい。僕は杉菜の近くにいられる事はほとんどなかったけれど、その代わり自分が見たくない二人の姿を見る事がなかった。その違いだと思います」 「………………」 「僕は深入りする前に、珪と杉菜が二人でいるところを見ました。自分で自分にブレーキをかける事ができる、そんなポジションにいた時に。もちろん杉菜の事は好きですが、それ以上に二人が一緒にいる事が自然に映る、そんな感覚なんです。でも姫条くんはそうじゃない」 「深入りしてから、あの二人が一緒にいるようになったんをリアルタイムで見とる。……なるほど、その差か」 姫条は大きく息を吐いて、背もたれにしたベッドに深く身を委ねた。 「……わかっとんのや、オレもな」 「……?」 「あの二人に入りこむ隙なんかあらへん。ずっと見てきたから、それはようわかってんねん。そら葉月も杉菜ちゃんもあの性格や、進展も遅そうやし、オレにもチャンスはあるかな思てたけど、ありえっこないっちゅうのもわかってんねん。……オレには、杉菜ちゃんを動かすことができへんからな」 葉月に対してだけ、彼女は動く。表情も、言葉も、行動も。 葉月が杉菜に対してだけ反応するように、杉菜も葉月にだけ反応している。周りの者は単なるおまけだ。 ただお互いだけがお互いを動かす。 そんな運命みたいなものに、自分が敵うはずがない。 「運命の相手……なんてアホらしい思うけど、互いが互いをそうやって無意識の内に認めたようなもんやろ。それは自分で選んだ、自分で選び取った運命や。外野が口出しできるはずもないわ」 「姫条くん……」 「口出しもできんと、ただズルズル引っ張っとんのや、オレは。判決を出されるその時を、ズルズルと伸ばしとる。答えなんか、とっくに出とるっちゅうのにな」 姫条はえいやっと体を起こした。そしてたった今までの自嘲気味な響きを消して、目の前にいる蒼樹に笑ってみせた。 「悪いな、暗いことダラダラ聞かせてしもて。詫びっちゅうたらなんやけど、夕飯ごちそうするで。ま、ごちそう言うても余りモン炒めたチャーハンが関の山やけどな」 「そんな、気を遣わないで下さい!こちらから訊き出したようなものですし……」 慌てて首を横に振る蒼樹に、気にするなとばかりに姫条が笑う。 「ええねんええねん、1人暮らし同盟の盟主命令や。同盟構成員は素直に従った方が賢明やで?」 「1人暮らし同盟……ですか?」 「そうそう。今んとこオレと自分、それから一応葉月のヤツも入れとくか、その3人ポッキリやけどな。…………男だけっちゅうのは寂しいなぁ。よっしゃ、学校で1人暮らししとる女の子にも声かけて、はばたき市1人暮らし高校生同盟を結成するか!同盟の目的としては、特売情報を交換し合ったり病気の時に看病し合ったりすることによって、1人暮らしをより快適にするっちゅうことで」 「……面白そうですね。それで、活動の中には余り物を処分するのに集まって食事をするのも含まれる訳ですね?」 「そういうこっちゃ!時代と共に消えかけとる相互扶助の精神を養うっちゅうのが最終目的やな。ええやないか、なんちゅう心暖まる話や思わんか?」 「あはは、そうですね!」 「お、自分なかなかノリがええやないか!見どころあるで〜。ほんなら、さっそく野菜刻むの手伝ってもらおうかい」 「え!?僕も手伝うんですか?」 「もちろんや!同盟員たるもの、手伝ってなんぼのモンやろ?」 「う〜ん、折角ですけど脱退していいですか?」 「アカンアカン、一旦加盟したからには永久に逃げられへんで〜。逃げよ思たら追っ手がかかるよって、覚悟するんやな」 「追っ手ですか!?それは困りました……抜け忍には死の制裁ですし……」 「いつから忍者になったんや、自分!」 互いに笑い合って、重苦しい雰囲気は吹き飛んでいった。 (…………わかっとる) もうすぐなんや。 答えが突きつけられて、それを受け入れなあかん時は、もうすぐそこまで来とるんや。 長い間溜めこんどるのは杉菜ちゃんを想う心だけやない。 何よりも。 覚悟を。 その時までは、もうすぐ。 |
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