−第21話− |
暖かな春の午後、夕暮れに近い時間帯を葉月はずり落ちそうになる荷物を小脇に抱えて歩いていた。 世にも稀なる美形の男が130cm以上はある縦長の包みを持っているのは少し妙な光景らしく、道行く人がチラチラと振り返る。これが商店街やショッピングモールのど真ん中だったらおかしくもないのだろうが、生憎ここは閑静な住宅地である。 5月5日。それは一般に『こどもの日』と称されながらその実大人がのんべんだらりとする為の国民の休日だ(例外多数アリ)。 だがそれとは別に、この妙な包みを持ち歩く葉月にとっては、個人的に重要な日であった。 5月5日。それは彼の姫君であるところの東雲杉菜の誕生日でもあるのだ。 去年のこの時期は再会したショックでそれどころではなかったが、今の葉月は一味違う。彼女へのプレゼントを抱え、当日である今日、真っ直ぐに彼女の家への道程を辿る彼はもはや愛の奴隷である。周りの目など気にするはずがない。 が、重さはそれほどでないもののやはりラッピングされた荷物は滑りやすくなっており、落とさないようにするのも結構大変だ。 (……郵送した方が良かったかもしれない) とはいえ本人に直接手渡したいのも事実だからジレンマもひとしお。それに郵送では綺麗な外観のまま届くわけがない。 (まあいいか、近いし) その客観的事実に基づいて答えを出し、諦めてツルツル滑る荷をそっと抱え直す。いっそ姫抱っこした方が楽だと思うのだが、そこまでは気が回らないらしい。 しばらく歩くと東雲家が見えてきた。開口部は大したことはないが、奥行きはある敷地だ。パッと見普通の建売住宅だが、そこかしこに改造が加えられている。なんだって一般家庭の和室の掛け軸の裏にひみつ通路が設けられているのやら。そういえば廊下にはどんでん返しもあった気がする。 そういう事を思い出しながら玄関の方に回ると、ある見知った人物が佇んでいた。 「……姫条」 「ん?―――なんや、葉月か?」 声をかけるとその人物――姫条は振り向いた。 「なんでおまえがここにいるんだ?」 「―――そんなん決まっとるやろ。今日は杉菜ちゃんの誕生日やん、お祝いに来たんや」 葉月の殺人光線、もとい射抜くような視線を受けてムッとしながらも姫条が答える。その腕には確かにプレゼントらしき箱が大事そうに抱えられていた。 「…………」 「自分かてそうやろ?そないなデカイ包み、わざわざ抱えてくるくらいやからな。……けど驚いたわ」 「何が」 「自分、今日は杉菜ちゃんと出かけとる思うとった。違かったんやな」 「……用があるって、言ってた」 「ふーん」 そう、元々は杉菜をデートにでも誘うつもりだったのだが、本人の返事はノー。 姫条の場合も用があると言われたので、すっかり葉月と先約があったかと思ってガッカリしていたのだが、そうではなかったようで少しだけ気が晴れた。となるとそれはそれで葉月を振るほどの『用』とやらが気になるのだが、そこは黙っておく。 「……にしてもでかいプレゼントやなァ。それ、一体何やねん?」 「……抱き枕」 「抱き枕ァ?」 「あいつ、寝るの好きだから」 体質上かなりの睡眠時間を必要とする杉菜だが、なんだかんだ言って睡眠自体は好きだ。とにかく空き時間があれば寝る。眠くなったらどこででも寝る葉月といい勝負だ。 睡眠グッズについても葉月と議論を交わす(?)くらいには関心が強いらしい。葉月がプレゼントに選んでも何ら不思議ではない……が、何となく彼の趣味が大きく入っていると思うのは気のせいだろうか。一体何を彼女に求めているのだろう、葉月珪。 「……なんや色気ないようなあるようなワケ分からん気ぃするけど、自分らしいっちゃ自分らしいか。ま、ええわ。こんなとこで睨み合っててもしゃーないし、さっさとお姫さまにご登場願いましょか。―――ごめんくださーい」 そう言って姫条はインターホンを押す。本音を言えば1対1で祝福を述べたかったが、かち合ってしまっては仕方がない。おとなしく男友だちの1人としてこの場は乗り切るかと思ったところで、インターホンから声が聞こえてきた。 『はい、どちらさまでしょう?』 その声を聞いて二人は同時に怪訝な顔をした。声の持ち主は男、しかも寂尊のバリトン声や尽のソプラノ声とはまるで違った柔らかい響きのテノールだ。 「あ、えーと、杉菜さんの学校の友だちで姫条……と、葉月いいます。杉菜さん、いらっしゃいますか?」 怪訝ながらも姫条が言うと、すぐに答えが返ってきた。 『ああ、残念ながら杉菜は外出中です。……でも、今、葉月って言いました。珪も、そこにいるのですか?』 逆に質問してくるややたどたどしさを秘めた声音に、葉月は今度はハッキリと眉を顰めた。 「ん、何や葉月、知っとるヤツか?」 「……多分」 『その声は珪ですね!待ってください、今鍵を開けます』 ガチャリと音がして出てきたのは、同年代らしい1人の青年だった。真っ直ぐな短髪で、何故か和服を着こんでいる。 「こんにちは、珪!久しぶりです。一体どうしたのですか?」 葉月の姿を認めてにっこりと笑いながらその青年が口を開いた。 「……それは、こっちのセリフ。蒼樹、おまえこそ、どうしてここにいるんだ……?」 不愉快な面を隠さないまま、葉月は一月ほど前のことを思い出した。 春休みが終わる前、葉月は杉菜を森林公園に誘った。普段は杉菜のバイオリンの稽古の帰りに合わせて赴くという、デートというには少し異なる形式を取っていたが、ちょうど桜並木が見頃を迎えているしと思って電話をかけたところ、あっさりOK。待ち合わせて観桜の運びと相成った。 森林公園の桜並木は本数もさることながら、その種類の多さで名高い。早咲きの寒桜や江戸彼岸から定番の染井吉野、遅咲きの御衣黄や鬱金に至るまで実に40品種は下らない。おかげで約1ヵ月という長い期間に渡って美しさを堪能できるというものだ。管理事務所は掃除が大変でそれどころじゃないが。 今年は例年より暖かいために開花も早く、すでに染井吉野の淡い花びらががはらはらと地面に散っていた。時折吹く風にしゃらしゃらと花房が音を立てて擦れ、そのたびにたくさんの花弁がサァッ……と天上から降りそそいでくる。見上げれば空を満たすかのような桜の花と薫り。こんな極上の春の宴を満喫しないのはまことにもったいない。 「桜吹雪って、本当に雪みたいだな……」 「太陽が当たって、きらきらしてる。今しか観られない光景ね……」 「ああ……。俺、桜好きなんだ……」 「……桜貝……」 「え?」 「桜貝、敷き詰めたみたい」 地面に広がった薄淡い花びらの絨毯を見て、杉菜が言った。幾重にも重なった儚い色の花びらは、確かに彼女が喩えたものによく似ている。 「ああ……言われてみれば、そうかもな」 「うん。似てると思う」 「不思議だな。語源は逆のはずなのに、その表現の方が、しっくりくる」 「うん。それに散っていない花弁、散る直前の方が赤が濃くなってるの。色、ずっといい」 仰いだ視界には言われた通りの色が広がっていて、本当に桜貝のようなグラデーションで空を染めていた。柔らかく、優しく、けれどほのかに上品に。 「……本当だな。真っ白なのも好きだけど、この色も好きだ、俺」 咲いている花の時間の中で最も刹那的な、美しい貴重な色。 「桜、毎年観てるのに……今日、初めて気が付いた。おまえ、よく見てるな」 「そう?」 「ああ。……桜貝、か……。そうだ、夏、海に行ってみるか?」 「海?」 「そう。今年は花火、見にいけないだろ?そのかわりに、潮干狩り。桜貝、探しに」 去年無理をさせた経験から、今年の花火大会は諦めていた。けれど潮干狩りなら日のある内に帰れるだろう。 「でも、人多いよ?珪くん、人込み嫌いでしょ?」 「海水浴場じゃなければ、そんなに混んでないだろ。臨海公園からは少し離れるけど、いい場所知ってる」 「そう……?なら、行こうかな……」 桜の天蓋を仰ぎながら、ゆっくりと歩く。話すのは他愛のないこと。ポツリポツリと交わされるそれは舞い散る桜の速度にも似て穏やかだった。 「潮干狩り、好きなの?」 「そうだな……嫌いじゃない。小さい頃、よく祖父さんに連れてってもらったな……」 「お祖父さん?」 「ああ、母方の。ドイツ人で、日本語あんまり上手くなかったけど、いろんなこと教えてくれたり、いろんな場所連れていってくれたりした。俺の親、仕事で留守がちだったから、祖父さんに育てられたっていっても間違いじゃないな」 「……とてもいいお祖父さんだったのね。珪くん見てると、わかる」 「……そう、か?」 「うん。だから、珪くんがこんなに優しい人になったんだって思う」 「……優しいか?俺」 限定1名だと思うのだが。 「うん、とても」 「そう、か」 祖父を褒められたのと自分を褒められたのとで照れくさくなって、葉月は杉菜から視線を逸らす。自分の方こそ桜貝みたいになっているかもしれない、そんな事を思いながら桜並木を通り抜けた。通り抜けた先には芝生公園が広がっている。気温の高さに誘われてか、ここの芝生も充分に緑の絨毯を形作っていた。 「芝生……いい色になってきたな」 「うん。お弁当食べたら、お昼寝したい」 「賛成……」 眠り王子と眠り姫、この点については全く異論はない。杉菜が作った弁当を広げ、芝生の色濃い部分に座ってゆったりと寛ぐ。春休みの平日ではあるが丁度昼飯時、会社員や子連れの主婦のグループなどが同様に桜を見ながら食事をしているのが見える。 「これ、美味い……。野菜料理、上手だ、おまえ」 「そう?良かった。珪くん、あまり野菜摂ってないみたいだから……」 「……面倒で」 「……そういえば、カイワレ、食べられるようになった?」 去年の秋、たまたま今日と同じように弁当を食した時、葉月はカイワレに忌避感を示したものである。『生野菜の苦いヤツ』が嫌いな彼にとっては、添え物のそれですら辛かったらしいが、メインのおかずと一緒に食べるようにとの杉菜の指導で何とか受け入れたのである。決して『カイワレ君攻撃』が杉菜の口から炸裂した訳ではない。 「……まだ、単品だと辛い」 「そう。……思ったんだけど、カイワレって辛味成分のイソチオシアネートの方が顕著だから、苦いっていうのとは違う気がするんだけど……」 「……そうかもな」 「うん。だから、苦い野菜じゃなくて辛い野菜が駄目なんじゃ……」 「どうだろう……。苦いのも好きじゃない、俺」 「そう……。苦手な物があったら、食べなくていいから。無理しないで。好き嫌いないから、そういうの解らないし、私」 「いや……嫌いなだけで、食えない訳じゃないから。それに、おまえの料理だと平気」 「そうなの?」 「ああ」 端から聞いてるとラブラブバカップルな会話にも聞こえなくもないが、当人同士の感情の発露が乏しいせいか非常にのんびりしたものである。杉菜も摂食スピードこそ変わりはないが、葉月に合わせるように水はゆっくり飲んでいる。珍しいこともあるものだ。 「……あ」 ふと、ある方向を見た葉月が眉を顰ませた。箸を止めて持っていた弁当箱を地面に下ろす。 「珪くん?」 どうかしたかと顔を覗こうとする杉菜の肩を抱いて、突然葉月は彼女を押し倒すように地面に身を伏せた。 「―――珪、くん?」 「しっ……」 「……?」 口に指を当てて黙るように指示した葉月に従って杉菜が黙ると、若い女の声が近寄ってくるのが聞こえた。 「あぁ、もう!!見失っちゃったよ〜!どこに消えちゃったんだろう?」 「絶対今の、葉月 珪だったよ!この公園にときどき来るって、雑誌に書いてあったもん!」 悔しがる彼女達の言葉を聞いた杉菜が、口の動きだけで葉月に問いかけた。 (……珪くんの、ファンの人たち?) (ああ、多分……) 2人組らしき女性の声は少しの間近くに留まっていたが、丈長の草に隠れた二人には気づかずやがて足跡と共に遠ざかって行った。 「……行った、か?」 しばらく気配を窺っていた葉月は、聞き耳を立てながら杉菜に確認した。 「待って――――うん、大丈夫。100m過ぎた。平均的日本人なら、この距離で判別はできないと思う」 「………………ふぅ」 「……ねえ、そろそろ起き上がって、いい?」 「……あ」 溜息をついて疲れたような表情をした葉月だが、杉菜を組み敷いたままなのに気付いて慌てて体を起こした。 「悪い、いきなり。……重かっただろ」 「ううん、平気。でも、少し驚いた……。人気あるのね、珪くんって」 「……べつに」 「……でも、大変ね。いつもこんな調子じゃ……」 「……そうだな……。すまなかったな、俺に付き合わせて……」 いつもはバイオリンというお供がある。杉菜のストリートパフォーマンス(?)はすっかり有名になっていて葉月以外にも常連の聴衆がいるほどだ。寝っ転がって聴いている葉月に気付かない人間は案外多い。 それでつい忘れていたが、ファンに声をかけられることが決して少ないとは言えない自分が少し迂闊だったかも知れない、と反省した。自分だけならともかく、それに杉菜を巻き込みたくはないからだ。 ……特に、最近は―――。 「謝ることない。不可抗力、でしょ?」 「ああ、けど、な……」 なおも申し訳なさそうな顔をする葉月に、杉菜は少し考え込むような顔をして言った。 「……スパイ映画」 「え?」 「今の状況。少し、そんな感じがした。違う?」 「スパイ映画って、おまえ……」 「何?」 「……ヘンな奴だ。おまえ」 「ヘン?……じゃあ、サバイバル物」 「……違う」 「そう?近いと思ったんだけど……珪くん、匍匐前進の体勢だったし」 いや、そうではなく。……と思ったが、口にしたのは別のこと。 「ああ……言われてみれば、あながち外れてもいない……のか?」 「……どうだろう」 「おまえが言い出したんだろ?」 真剣に考え込むような仕種の杉菜を見て、葉月は笑ってツッコむ。 「……あ、水……」 杉菜の言葉に気がつけば、押し倒した時に手放したペットボトルが数10p先で中身を地面に染み込ませていた。 「あ……悪い……」 「ううん、ただの水だから、土壌汚染にはならないと思うし」 「それはそうだけど。―――ちょっと待ってろ、俺、新しいの買ってくる」 「え?べつにいいけど……」 「ぶちまけさせたの、俺だから。すぐ戻る」 サッと立ち上がって、葉月は自販機のある方へと走り去った。少し離れた場所にあるそこに辿り着いて、ミネラルウォーターを買うやいなやすぐにとって返して杉菜の元へ戻っていく。長く1人にしておくとナンパ野郎が声をかけることがあるからだ。杉菜ほどの美少女だと逆に気後れするのか決して多くはないが、その分タチが悪かったりするので葉月も気が抜けない。 走りながらさっきのちょっとしたアクシデントを思い出す。 そう、ああいうところ。 優れたセンスや感性を窺わせる観察眼を持っているくせに、たまにさっきみたいな妙にらしからぬボケ発言をしたりする。 本人は自分に感情がないというが、それを錯覚させる程の独特の世界を持っている。 無表情な面差しに、いつのまにか和まされて、癒されて、笑ってる。 自分の中にあるとは思わなかった暖かい感情は、生まれてきたものなのか、目覚めてきたものなのか。 ―――それとも? そうやって口元に笑みを湛えながら揺れる視界に杉菜の姿が見えた時、葉月は彼女の目の前に立つ男に気がついた。 杉菜ににこやかに話しかけていたので早速ナンパかと思って気色ばんだが、どうやらそうではないらしい。杉菜が彼と普通に会話していたからだ。 それを見て葉月は少しムッとした。相手の男は高校生くらいで、どう見ても杉菜に好意を持っているような顔だったからだ。 「――――杉菜!」 牽制の意味もこめて彼女に呼びかけると、杉菜はすぐに振り返って葉月の姿を認めた。向かいあった男の方も同じように葉月を見る。 「あ、珪くん。おかえりなさい」 「ああ、悪かった、待たせて。……知り合いか?」 杉菜に謝ってから、葉月は彼女の隣に立つ青年に目をやった。身長は葉月より8pばかり低いが、整った顔立ちは温和さとその奥にある意思の強さを秘めている。葉月の刺すような視線に対しても、友好的な笑みを浮かべていた。 「うん。会ったから、挨拶してたの。千晴、彼がさっき話した珪くん」 「ああ、そうでしたか。初めまして。僕は杉菜の友だちで、蒼樹千晴と言います。どうぞよろしく」 にっこり笑って蒼樹と名乗った青年は手を差し出してきた。握手のつもりらしい。 「……葉月、珪。杉菜の……同じく友だち」 やや戸惑って、しかし葉月も手を差し出して握手をした。蒼樹は手を握り返しながら葉月の顔をじっと見た。 「……なんだ?」 「あ、いえ、僕はあなたを見かけた事があると思って。どこだったでしょう……?」 「珪くん、モデルのお仕事してるから」 「――ああ、そうです!僕はあなたを雑誌の表紙で見ました!それで覚えがあると思ったんです。――ああすみません、ジロジロ見てしまって。日本人はあまり凝視されることが好きではないと聞きました」 「べつに……。……おまえ、杉菜と友だちって言ったけど、どこで知り合ったんだ?」 記憶にある限り、この顔を学内で見たことはない。同じくバイオリンを習っているのかとも思ったが、蒼樹の指はバイオリンをしている者の指ではない。 不思議に思った葉月の質問に、蒼樹は苦笑いをした。 「それが……街でうっかりぶつかってしまったのです」 「ぶつかった?」 「はい。僕はきらめき高校に通っているのですが、本来はアメリカ生まれ・アメリカ育ちの留学生なんです。去年の春に日本にやって来たんですが、その頃は地理も日本語も解らなくて」 それで休みのたびに街を散策していたのだが、目的の場所に辿り着けずにフラフラと余所見をしていたら、うっかりにも杉菜に派手にぶつかった挙句突き飛ばしてしまったらしい。 安否を尋ねようとしたものの自分の日本語が通じるかと不安になり、思わず押し黙ってしまったところ、けろりと立ち上がった杉菜が次のように言葉を発した。 「What's the matter?...Can it talk, if it is English?(どうかした?……英語なら、話せる?)」 あまりにも自然に流れ出た言葉に蒼樹は思わず彼にとっての自国語で返していた。 「Yes!Ah...sorry, is it OK? Wasn't there any injury?(はい!あ……ごめんなさい、大丈夫ですか?怪我はないですか?)」 「OK. Never mind. ...Is something looked for?(大丈夫。気にしないで。……何か探してるの?)」 「Eh? Oh, yes. Municipal central library.(え?ああ、はい。市立中央図書館を)」 「Well...I'll also just be going to go there, so I'll show you.(そう……なら私も行くところだから、案内する)」 とまぁ筆者も調べるのが面倒なのでこれくらいにしておくが、トントンと話が進んで目的地に同行することになった。 その時は簡単に事情を説明し、最後に蒼樹がお礼を言って終わったのだが、その後も時々地理に疎い蒼樹に遭遇、そのたびに道を教えてあげる現象が続いた。しょっちゅうそんなことがあったので、今ではすっかり顔見知りを卒業して会えば世間話や身の上話をする友人に昇格したらしい。 「……よく判ったな、英語圏の人間だって。日本人顔だろ、どう見ても」 「持ってた本、日本語の教本と英語の原書だったから」 「はい。それに偶然って重なるものなんですね。僕が日本に来てから家族に送ったメールがあるのですが、アドレスを間違えてしまったんです。それが届いたのが驚いたことに―――― 」 「杉菜だったのか?もしかして」 「いえ、マイケルです」 「…………マイケル……寂尊さん、か……?ひょっとして」 「お父さん、海外のプロバイダにもアカウント持ってるの。千晴のお父さんのと一文字違いだったんだって」 「そうなんです。間違いメールにもかかわらず、マイケルは丁寧な返事をくれました。お詫びのメールで僕がアメリカからの留学生だという事を教えると、自分も留学経験があるから他人事とは思えない、これも何かの縁だろう、困った時には相談に乗ると言ってくれました。今ではすっかりいいメールフレンドです」 にこやかに話す彼を、葉月はちょっぴり尊敬した。あの人物をこうも当たり前に受け入れている人間にはあまりお目にかかったことはない。……どうでもいいが留学しようがすまいがあの人物が調子を崩すことはまずないと思われる。 「そのうち、僕と同い年の娘がいるということを聞きました。何かの機会にその話を杉菜にしたら、彼女のお父さんだったということが判りました。それから杉菜に彼を紹介してもらって、たまにマイケル本人とも会っています。面白いです、彼は」 一語一語丁寧にしっかりと話す蒼樹の言葉のある一節に葉月は少し眉を顰めたが、他の二人は気が付かなかったようだ。 一通り自己紹介をして、蒼樹はふと時計を見た。 「ああ、もうこんな時間ですね。杉菜、それに……ええと、珪、でいいですか?」 「ん?……ああ、かまわない。何だ?」 「はい、僕はこれで失礼します。杉菜、マイケルと桜によしなに。See you!」 「うん、さよなら」 答える杉菜に明るく手を振って、蒼樹はその場から去っていった。 「……珪くん、どうかした?」 「いや……なんでもない。……いい奴そうだな、あいつ」 自分的にはなんでもない訳ではなかったが、杉菜に気にかけさせる事でもないと思って秘めたままにした。 「うん、いい人。けど、優秀で、とても努力家。自分の夢のために、単身日本に来たんだって。だからってそのために周りに迷惑かけたりしない人。とても真っ直ぐで、意思が強いの」 「ふうん……おまえがそう言うなら、そうなんだろうな」 その答えを聞いた杉菜は、やはり少し首をかしげて葉月を見上げてきた。 「……珪くん、やっぱり何かあった?表情、固い」 「そうか?…………少し、な」 「?」 「当たり前なんだけど、おまえにも俺の知らない友だちがいるんだよなって思って。それだけ。気にするほどのことじゃない」 一抹の寂しさを感じただけで。 そして、強い独占欲が浮かんだだけで。 …………そして。 「……珪くんにも、いるでしょ?私の知らない友だち」 『友だち』と限定すればいないのだが、その辺は適当に流して答える。 「ああ。だから『当たり前』なんだ。――悪い、こんな天気のいい日に考えるようなことじゃない」 「……うん」 「……なるほどなぁ、世の中狭いわ、ホンマ」 簡単な説明と紹介をしてから、納得したように姫条が頷いた。 「せやけど、なんで杉菜ちゃんの誕生日に自分はそんな服着てここにおるん?」 「僕はずっと日本の伝統文化に関心がありました。先日そのことを杉菜に話したら、桜――杉菜の母親ですね、彼女に茶道を指導してもらえばいいと言われました。それで、桜の都合がいい今日、教えてもらっていたのです」 偶然性と出来すぎの感はあるものの、蒼樹の説明は明快だった。 「それと、杉菜の誕生日が今日だということを、僕は今日この家に来て初めて知りました。ですから、杉菜の誕生日について特に何があったと言うわけではありません。知っていたら、何かプレゼントでも持って来れたんですけど」 「ほ〜……まあなぁ、オレらも知ったのは結構後になってからやったしなぁ。―――ところで、肝心の杉菜ちゃんはどこ行ったんや?」 「ああ、マイケルとデートです。毎年この日は二人でデートだと言っていました」 にこやかな蒼樹の台詞を聞くと、片方は諦観の、そして片方は瞬時に眉を吊り上げた表情を浮かべた。 「……誰やねん、マイケルて。葉月、自分知っとる?」 「杉菜の……父親」 「―――ホンマかい!?杉菜ちゃんのオヤジさんて外人さんなんか!?」 「いや、こてこてのジャパニーズ。……けど、本名が『ジャクソン』」 「……どういうこっちゃ」 「だから……」 「あ、ちょうど帰ってきたようですよ。マイケル、杉菜!」 蒼樹が葉月たちの後ろにある人物を認めて手を振る。それにつられるように姫条は興味津々に、葉月は溜息交じりに振り向く。すると予想通り高らかなるバリトンヴォイスが近所中に鳴り響いた。 「ハッハッハ、ただいま帰還したぞ!ハル、出迎えご苦労だ!―――おや、こいつは驚いたな。珪くんじゃないか!なんだかちょっぴり久しぶりだな?いやだが来てくれて嬉しいぞ!そしていやはや、こちらの青年は何者だ?」 「おかえりなさい、マイケル、杉菜」 「ただいま、千晴。……珪くんに、ニィやんも、どうしたの?」 王様・その友・姫君が3者3様に口にする。 「杉菜、珪くんの隣の彼もおまえの友だちか?」 「うん。隣のクラスの、姫条まどかくん」 「ああ、君が杉菜のお弁当をゲットしているラッキーボーイ(死語)だな?―――フムフム、なるほど、うん。君もなかなかいい目をしているな。さすがは俺の娘、人を見る目があるというものだ!」 「は、はじめまして……姫条まどか、いいます」 「ハッハッハ、堅い挨拶なんざ俺には必要ないさ!まあそれはともかく、こんなナイスガイが2人揃ってどうしたんだ?ああ、そうか!マイスウィートプリンセスの記念すべきバースディを祝いに来たということだな?それはわざわざありがたい!まったく果報者だな杉菜。まあ俺の娘だから当然か、ハッハッハ!」 何だかこの人物がいるだけで話が勝手に進んでしまうのだが、オリキャラが出張りすぎると読者さまも飽きるだろうことをいち早く察した姫条が気を正して杉菜ににっこり笑った。 「そや!杉菜ちゃん、お誕生日おめでとう!自分の好み、よう判らんかったけど……祝福の気持ちや、受け取ってや」 「俺も……今日はおまえが生まれた、特別な日だから……」 姫条が杉菜の前に出ると、負けじと葉月も進み出る。 1対1でない上に寂尊や蒼樹がいるからどうしてもロマンチックな展開にはなり得ないが、杉菜がどちらのプレゼントを先に受け取るか―――それが瞬時に2人の脳内に渦巻いて、ついでに空気を帯電させたりもした。 「……なんだか痛いですね、空気」 「フッ、これも青春の1ページさ。さすがは杉菜、これほどのナイスガイをこうも魅了するとはなぁ」 蒼樹と寂尊がこっそり観察する中、当の花1輪と蜂2匹はしばし無言。 「……ありがとう、2人とも……」 かなりの沈黙の後、杉菜がようやく口を開いた。と、なれば。 果たして彼女はどちらを先に選ぶのか―――? 葉月と姫条が思わずゴクリ、と唾を呑み込むと、突然思ってもいなかったダークホースが現れた。 「ったく、玄関先でなにやってんだよ〜!蒼樹は戻ってこないし、父ちゃんもねえちゃんも入ってこないし、葉月と姫条は火花ちらしてるし。やんなら家ん中でやりなよ、近所迷惑だろー?」 家の中から草履をつっかけてひょっこりと現れたのは東雲家一の常識人・尽の君であった。何故『君』かというと彼も蒼樹と同様和服を着ているからである。どうやら彼も蒼樹に付き合わされていたらしい。 「あ、尽、ただいま」 「おっかえりー、ねえちゃんにとうちゃん。ホラホラ葉月も姫条も、荷物こっちよこしなって。ねえちゃんへのプレゼントなんだろ?オレが部屋まで運んでやるからさ〜。まったく、ねえちゃんも荷物持ってんのに気が利かないったら」 そう言って葉月と姫条から杉菜へのプレゼントを奪うように預かって、尽はさっさと家に入ろうとする。 「なにやってんの。さっさと家に入りなよ。ねえちゃんがせっかくケーキ買って来てくれたんだから、お茶にでもしよーよ」 入りざまに振り向いてサラッと言った後、再び家の中に戻っていく。呆気に取られていた葉月と姫条がハッとして杉菜を振り返れば、確かに尽の言う通り、彼女の手にはケーキ箱(7号ホールサイズ)の取っ手がしっかりと握られているではないか。 「…………」 「…………」 2人とも、実に迂闊である。 その後特に用のなかった葉月と姫条は、辞去しようとするも寂尊に家の中に連れ込まれ、なし崩し的にケーキとお茶をごちそうになった挙句夕飯までご相伴してようやく解放された。ちなみに蒼樹は家が離れている為先におさらば。家の方向が同じ色白王子と色黒王子は何となく一緒に帰る羽目になった。 「なんちゅ〜か……自分が溜息混じりやったの、よう解った。あの娘であの父親やったら、そら溜息も出るわな」 ドッと疲れが溜まったような顔で、姫条が話し掛ける。 「……そうか」 「けどオレのこと覚えてたっちゅうのは驚いたわ。ま、『たこ焼き屋の陽気なあんちゃん』ちゅう覚えられ方がいいのか悪いのかは微妙なとこやけど」 去年の文化祭で大繁盛のたこ焼き屋(姫条プロデュース)を遠目に見て覚えていたらしい。杉菜ほどではないが、東雲夫妻の視力と記憶力も大したものだ。 「……覚えられてただけ、いいだろ。あの人たち、興味ない物は見えないらしいし」 「そらまた……。その辺はやっぱり杉菜ちゃんの親か。杉菜ちゃんいうたら、またもビックリしたけどな」 例の如く19時をもって夢幻の世界に旅立ってしまう現場を、姫条は今回初めて見たのである。あまりに周りが平然としている為、驚くにも驚けずただ呆然としていただけであったが、ビックリした事には変わりない。 「……あいつ、毎日あれ。さすがに慣れた」 「……ほう。自分、慣れるほどあの家行っとるんか?」 「ときどき。寂尊さんに会うと、まず拉致されるし」 「……そか」 ふと沈黙が訪れる。街灯の明かりがぼんやりと地面を照らす。 てくてくと、不規則に2種類の足音が路面を鳴らし、やがて岐路となる小さな公園に辿り着く頃、姫条がポツリと訊いた。 「……自分、杉菜ちゃんのこと好きなんやろ?本気の本気で」 ぴた。 足音が止まった。 ややあって深い場所から浮かび上がるように強い肯定の仕種と言葉が響く。 「ああ。……悪いか?」 葉月より数歩先にいる姫条は、そのまま背を向けたまま答える。 「いや。オレも杉菜ちゃん好きやから。本気の本気で」 「……知ってる」 「せやろな。お互い解りやすいわ、ホンマ」 立ち止まり、姫条は闇の色濃い夜空を見上げて息をフゥッ……と吐いた。 「なぁ。誰かを好きになるって、自分自身でも止められへんよな?」 「…………ああ」 「オレな、最初は杉菜ちゃんの外見に惹かれた。あの顔で、笑ってほしい思た。……今日杉菜ちゃんのオカンに会うたやろ?杉菜ちゃんにそっくりで、よう笑って、こっちもほんわりする人や。せやけど……やっぱダメや。杉菜ちゃん本人やないと」 そこまで言って、姫条はくるりと振り向いた。 「悔しいけど、今んとこあの子に一番近いんは自分や。それは認めたる。けどな、オレも諦められへん。諦めたくないねん。そこんとこは、譲れへん。……オレ自身かて、止められへんのやからな」 暗闇に閉ざされてその表情は見えない。だが葉月が今まで聞いた中で、一番真剣な姫条の声。最後の言葉には、少し自嘲が混ざっているような気がした。 その自嘲に少し共感したように、葉月は軽く頷いた。 「…………わかってる」 「ハア……わかっとるんやったら、も少しソフトな視線を向けろっちゅうねん。気持ちはようわかるけど、自分ココロ狭すぎや。杉菜ちゃんには杉菜ちゃんの付き合いちゅうもんがあるやろ。今日のことにしたって、恋敵ながらヒヤヒヤしたで」 大げさに嘆息をして姫条は『お手上げ』のジェスチャーをした。 「……おまえだって、睨んでた」 「ほ、なんのことやろなぁ。それがホントでも、自分よりはソフトだったっちゅう自信はあるで」 「……五十歩百歩」 「へ〜ん」 「いや……目糞鼻糞を笑う、か」 「自分で落としてどうすんねん。―――ほな、ここで」 「ああ、じゃあな」 明かりのない互いの家への分かれ道に差しかかり、2人は言葉だけで別れを告げた。そのまま歩み去っていく姫条の後ろ姿を眺めながら、葉月はふとひとりごちた。 「睨んでた……か」 確かにな。 姫条の言う通り、葉月は彼―――蒼樹にいい感情を抱いていない。 蒼樹にしてみれば言われもない(と思われる)八つ当たりというか恨みを抱かれているようなものだが、これもまた葉月自身にも止められない感情だった。 杉菜と親しいことも。 杉菜の家族と親しいことも。 杉菜の体質や習慣に慣れていることも。 勿論自分だってそうだし、自分以外の人間が自分とは共通でない人間と付き合うのは当たり前なのに、その当たり前がどうしても悔しく思えてしまう。 そして―――何より気になったのは、呼び方だった。 杉菜は同年代の人間に対してはファーストネームの呼び捨てが基本。相手が異議を申し立てた時だけ、相手の意思に沿った呼び方になる。葉月や姫条、それに須藤などがそうだ。 反対に、彼女を呼び捨てにする人間は実は少ない。本人は全く気にしないが、周りはそうではないらしい。身近なところでは彼女の両親・葉月・藤井くらいのものだった。中には一般的でないあだ名をつけている人物もいるがそれはそれ。 しかし蒼樹はいとも自然に杉菜の名前を呼び捨てにしている。葉月に対してもそうだったから彼もそれがデフォルトなのだろうが、お互いに名を呼びあっているのが、ほんの少しだけ、気にかかった。 最初に呼び捨てにするな、と言ったのは自分。 それは再会したばかりで心がざわついて仕方がなかったからだ。 けど、今は? 今の俺は、どう呼ばれたい? 今の俺は、あいつの『声』を受け止められるだけの存在になっているだろうか? 『俺を示す記号』じゃなくて『俺そのもの』を、今の俺はあいつに受け止めてほしいと、願ってるんだろうか? 「…………バカだな、俺……」 答えなんて、とっくに出てるのに。気になったというのは、そういうことなのに。 ひらり、とどこからか迷いこんだように花びらが舞い降りてきた。街灯の光を浴びて、淡白く揺らいでいる。 それをそっと手の平に受けて、眺める。 言葉のピースのような小さな花びら。けれど、そのピースはとても重い。 儚いようで、心を強く縛るもの。 手に、入れられたら。 もっと、愛しさは増すんだろうか。 それとも、もっと苦しさが増すんだろうか。 「心……狭いな、確かに」 けれど、それもすべて君の為だけに生まれるものだから。 だから―――自分でも止められなくて。 |
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