−第2話−
 高等部の入学式の日、葉月はかつて親しんだ教会へと向かう途中で、一人の女生徒を見かけた。
 物珍しいのか、それともただ徒然に歩いているのか、周囲を見渡しながら流麗に構内を歩いている彼女を見た時、心底驚いた。
(……まさか……!?)
 自分の目的地と同方向に向かって行く彼女を追いかけて、葉月は教会へと向かう。
 確かめたかった。幼い頃に出逢った、あの子なのか。
 見間違いかも知れない。けれど、当人なのだとしたら――――。
 心なしか足が早くなり、教会が見える場所まで来ると、彼女は教会の前に立って、それを眺めていた。
 その横顔には、何の感情も浮かんでいない。そのくせ、風に髪が吹かれる度に、その細やかな飾りをまとった輪郭は、人の心を容易く奪うほど、美しく瞬く。
 憂愁を帯びた美しさ、と形容して良いのだろうか。
 思わず葉月が見惚れていると、彼女はおもむろに教会の扉を開けようと、取っ手に手を伸ばす。しかし、鍵がかかっているのか、扉はびくともしない。
 ほんの少し落胆したような表情を浮かべたのを見て、葉月は静かに彼女に近づいた。驚かせるつもりはなかったが、彼女の姿を少しでも長く見ていたかった。だから、校舎から予鈴が聞こえて、彼女が突然振り返った時、互いにぶつかってしまい、彼女が思わず尻餅をついたのは、葉月の方に責任があるだろう。
「キャッ……」
 ソプラノの、けれど耳に馴染む声が聞こえた。体格差ゆえに葉月の方は微動だにしなかったが、流石にまずいと思って、彼は自分の手を差し出した。
 差し出された手の意味を測りかねているのか、座る体勢の彼女はゆっくりと葉月の顔を見上げた。
 向けられた顔は、確かに葉月が予想した通りの人物のもの。
 ――しかし、その面は無表情。
 内心逸る心を押えて、彼は自分を見上げたままの彼女に声をかけた。
「どうした?……ホラ、手、貸せよ」
 それを聞いて、初めて彼女は、ああ、という様に彼の手を掴んで立ち上がる。スカートについた砂を払って、彼女は再び彼の顔を見て、お辞儀をした。
「……ありがとう、ございます」
 感情が籠っているのか判らないくせに、声の響きだけは軽やかだ。
「いや……俺も、悪かったし。……急いでたんだろ、入学式」
 覚えているのだろうか。俺の、昔の事を。
 今一つ測りきれないながらも、別の事を言い出す。すると彼女は、考え込むように指を顔に添える。
「……べつに。でも……人に会っちゃったし」
「…………?」
「行くね。……あなた、名前は?同じ一年でしょ?」
 覚えて、ないのか……?
 けど、俺が一年だって、何で判るんだろう。忘れているなら、先輩と間違えてもおかしくないだろうに。
 落胆と疑問が入り混じった心を隠して、質問に答えた。
「葉月、珪。……おまえは?」
「東雲、杉菜」
 確かに本人だ。だが、葉月の名前を聞いても、反応は変わらなかった。
「……あなたは、行かないの?」
 その場に立ち竦んだままの葉月に、校舎の方に足を向けた杉菜が訊いた。特に責めるような言い方ではなく、ただ疑問に思ったから訊いただけ、という風に。
「俺は……ここで、入学式」
 元々そのつもりだったから、困る様子もなく答える。杉菜はそれを聞いても大して表情を変えない。
「そう……?」
 再度、予鈴が聞こえてきた。そろそろ行かないと、式に遅刻するだろう。さすがに気になったのか、杉菜はこの会話を終わらせる事にしたようだ。
「……それじゃ。またね、珪」
「え?」
 自分が呼び捨てにされた事に驚いていると、杉菜はさっさと立ち去ってしまった。
 一人残された葉月は、しばらく黙っていた後、ポツリ、と一人ごちた。
「……あいつ、ちっとも変わってない」
 
 
 
 翌日、早くも授業が始まり、春の陽気による眠気との戦いが繰り広げられるようになる中、葉月は珍しく起きていて、窓際の席に座る女生徒を見ていた。東雲杉菜だ。
 噂によれば、彼女は編入試験をオール満点で通過して入学、辞退はしたものの新入生代表に指名されたほどの才媛で、しかも中学時代は陸上の短距離で全国大会に出たほどの運動能力の持ち主だという。
 そしてまた、極上のメランコリック系美少女ぶりで、早くも男子生徒の注目の的になっていた。実際、既に何人かの男子が声をかけているのを、葉月も目撃している。
 もっとも、そんな周囲はどこ吹く風、当の本人は必要な事だけ答えている程度。誰に相対しても変わらず無表情。男子にも女子にも、教師にさえも、同様の態度。
 そんなだから、周囲の人間が、彼女という人物を測りかねるのは、当然の事だった。
 葉月だけが、ほんの少し、理解できると言ったところか。
 昼休み、そんな彼女の事を思い返しながら、彼は校舎裏で昼食を摂っていた。懐いている猫の家族と一緒に、陽だまりの中でまったりとした時間が流れている。
 ふと、人が近づく気配があって、葉月はその気配のある方を見た。すると、そこには杉菜が立っていた。
「…………東雲?」
「空いてる?」
「……え?」
 一瞬、何を言われたのか解らなかった。
「……そこ、空いてる?」
 もう一度尋ねられて、初めて自分の隣に座っていいか、確認されているのだと理解した。
「……ああ、空いてる」
 正直に言えば、遠慮して貰いたいところだが、相手が杉菜で、しかも猫達が彼女にすり寄っていく様な素振りを見せたので、葉月は気が乗らないながらも承諾した。
「そう」
 そんな葉月には気にも止めず、彼女は澱みない動きで彼の傍に座り、自分の弁当を広げ出す。その量は、米だけでも学食の大盛り丼くらいは軽くあるだろう。おかずの方も、負けてはいないボリュームだ。ただ、その出来具合は実に見事だった。
 無言のまま箸を取り、空気に晒された弁当箱を手に持つと、杉菜は一気にそれらを流し込むように口に入れた。
「………………!!」
 目を見開き、呆気に取られる葉月をよそに、1分もかからず空になった弁当箱を膝に置き、彼女は横にあったミネラルウォーターをこれまた一気に飲み干した。
「ふう」
 息を吐きながら、空の弁当箱とペットボトルを袋に戻し、傍らに置く。そして左手首の腕時計をちらりと見ると、壁に背を預けて目を瞑る。5秒と経たない内に、完全な寝息が聞こえてきた。
「………………早」
 まるっきり無視された状態で、一連の動きに目を奪われていた葉月が、ようやく自分を取り戻したのは、寝息が聞こえ始めてから3分後の事だった。
 昔と同じどころではない。
(……エスカレート、してるな……)
 昔も食事が早かったし、寝つきも良かった。だが、これほどではなかった筈だ。
 すっかり熟睡している杉菜を、葉月はじっと見つめた。
 顔立ちだけは変わらない。かつてのように、思わず見惚れ、心を奪われるような、邪心のない面差し。絹糸のような髪も、長い睫毛も、白く透きとおった肌も、本当に綺麗だった。
(そういえば……初めて会った時も、コイツ、寝てたよな……)
 あの時は、まるで自分だけの眠り姫を見つけたような気がしたっけ。その寝顔だけで一瞬にして恋に落ちた王子のように、幼い日の自分は、彼女を一瞬にして好きになった。そうして、目を覚ました彼女と(無理矢理の様に)友達になったのだ。
(まさか、あんな性格とは思わなかったけど、な)
 当時は単におっとりしているだけなのかと思ったが、そうではなかった。彼女は齢僅かにして、既に自己の世界を確立していたのであった。そう、まさに今のような。
(……けど、本当に覚えてないんだろうか。こいつ、割と記憶力、良かったと思うのに……)
 彼女にとって、自分が大した存在ではないから、口に出さないのではないか?
 存在を気にしているなら、昨日、自己紹介した時に言うのではないか?
 そんな気持ちになって、葉月は愁眉を寄せる。
 わからない。彼女も、自分も。
 再会出来て嬉しい筈だが、それとは別に、モヤモヤした気分が沸き起こってくる。かつてと違う自分が、彼女にどんなふうに映るのか。
 それが怖くて、訊くに訊けない。
 そんな事を考えながら、それでも彼女の寝顔に見惚れていると、突然、彼女が目を開いた。
 思わず息を呑む葉月だが、杉菜は気にもかけず、荷物を持ってすっくと立ち上がる。つい5秒前まで眠っていた様子などないかのように、力強い動きで。そしてやはり葉月を無視したまま、校舎内へと歩いて行く。その歩き方は、モデルの葉月ですら感心するほどだ。
 杉菜の姿が角を曲がって見えなくなった刹那、予鈴が聞こえた。時計を見ると、確かにもうそんな時間だ。逆算してみると、杉菜が目を覚ました時間から、ピッタリ10秒経って、予鈴が鳴った事になる。
「…………やっぱり、エスカレート、してる」
 名残惜しそうに鳴く猫と一緒に座ったまま、葉月はしばし動けなかった。
 
 

<あとがき>
入学式シーン、かなり端折ってますな〜。てか、あれって主人公が男好き(笑)だからドラマチックなのであって。ボケーっとしてる子なら、単なるアクシデントで終わるよな。
どうも女版王子じゃなくて、違う方向に行きそう。ぶっちゃけ、アンジェのパクリネタ考えた時の女王候補(仮)の一人を流用する感じ。
にしても、これ、続き書くのか?私。

 
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