−第19話− |
1年でもっとも悲喜こもごもが渦巻く日といえば、2月14日をおいて他にはないだろう。 バレンタインデーと称される日本の菓子業界があらゆる陰謀を巡らせる書き入れ時、はばたき学園でも例にもれず女達(一部男)の熱い戦いが繰り広げられていた。 朝っぱらからハイテンションに駆け回る生徒、挙動不審に周りをチラチラ盗み見する生徒、他者を出し抜かんと画策しタイミングを見図る生徒、職員室の『チョコ受付箱』に悪態を吐く生徒、その箱の中身にちょっぴり心ときめかせている教師など、実にある意味戦場だ。 そしてここに、一人『国破れて山河在り』の境地で侘しく佇む男の姿があった。 「オイ、そんなとこに突っ立ってんじゃねえよ。ジャマんなるだろうが」 廊下のど真ん中に立ち竦む補習コンビの片割れに、鈴鹿が溜息混じりで声をかけた。 「放っとき……。オレは今人生の虚しさについて深〜く考察しとるとこなんや。この哀しみがオレの心を満たしとる限り、オレの足が動くとは思えんわ……」 「おまえなぁ……。たかがチョコもらえなかったくらいで何バカなこと言ってんだ?」 「だあぁーーーっ!!和馬、そういう時は『元気出せよ、俺がいるじゃないか』とか言って、それにオレが『キショイこというなやー!』ってツッコむとこやろ!?ホンマ気が利かんやっちゃなー」 「なんだそりゃ!?なんだって俺がおまえにんな嘘くさい励ましの言葉かけてやらなきゃなんねえんだよ!?」 「あーもう、なんちゅー友だち甲斐のないやっちゃ。そら自分はええわ、珠美ちゃんからチョコもらってハッピッピーなんやからな。杉菜ちゃんに義理チョコさえもらえんかったオレとはちゃうわ」 「紺野からって……、コリャただの義理だろ?おまえだってもらったじゃねえか」 「…………自分、このラッピングと大きさの差を見てそれ言うんか?」 「んなの、バスケ部員だから差をつけただけだろ?けど参ったな、俺、あんまり甘いモン好きじゃねえんだよな」 「…………珠美ちゃんも苦労するなぁ……」 「はぁ?」 大げさに溜息をこぼす姫条に、ゲーム中最も色恋沙汰に鈍感な男は疑問符を浮かべたままだ。 「……ホンマ、自分鈍すぎや」 「?どういう意味だよ?」 「そういう意味や。……は〜、しゃーないわ、杉菜ちゃんにチョコもらえんかったんは寂しいけど、弁当はいつもどおり作ってもらえたからそれでええことにしよ。……ハァ」 「おまえなぁ。俺からしちゃ、チョコなんかよりそっちの弁当の方がよっぽどいいぜ?紺野も言ってたけどよ、すげえ栄養バランスとれてんじゃん。つうかこんだけ弁当作ってもらって、その上チョコまで欲しいっての、すっげえワガママじゃねえか?」 「……自分に説教される日が来るとは思わんかったわ」 「悪かったな!」 「いや、けどそれもそうやな。こんだけお肌ツルツルになる食事させてもろうて、これ以上いうたら贅沢や。……あ〜せやけどやっぱ哀しいわ〜」 「しつけぇぞ、おまえ!」 どう見ても漫才にしか見えない二人の会話はこの後HRが始まるまで繰り返される事になる。 「え!?杉菜、誰にもチョコ用意してないの!?」 合同体育の時間、更衣室で藤井は驚いた声をあげた。その声の大きさに、部屋中の女生徒が注目する。注目された杉菜はと言えば、着替えながら藤井にあっさり頷く。 「うん」 「なんで?どうして?てゆーか、まさかホントに葉月の分すら用意してないわけ!?」 「うん、してない」 これには全員に動揺が走った。どうみても出来上がってんじゃないかと思われている葉月×杉菜カップルが、実はバレンタインチョコを贈る関係でなかったとは。 「ちょっとちょっと!まさか葉月とケンカしてるとか、そういうんじゃないでしょうね!?」 「奈津実ったら、そんな人のプライバシーについて聞くことはないでしょう」 有沢がたしなめるが、杉菜は大して気分を害した様子もなく藤井に答える。 「べつに」 「じゃ、なんで……」 「必要ないと、思ったから」 どよどよ、と。これまた動揺が走る。 あれだけ葉月に甘い視線を与えられながら、それを否定するかのような杉菜の言葉。何人かの隠れ葉月ラブな女生徒がごく淡い期待に眼の色を変えたほどだ。 「必要ないって、アンタ……。そういや、姫条たちもチョコもらえなかったって嘆いてたけど……ホントの本気で義理チョコさえ無し?1個も?」 「うん」 「……ちょっと杉菜、もしかして……その、姫条のこと、なんか気ぃつかってる?」 部屋の隅に連れ込んだ上で、極力声を押えてこっそりと藤井は訊ねた。 12月にわんわん泣き喚いて告白した直後、藤井は杉菜に「今までどおり姫条と接してやって」と言った。あれこれと悩んだ結果、ギリギリの妥協点はそれだった。自分には姫条を独占する権利はない。杉菜の事も然り。だからこれが限界だった。 そのせいかは知らないが、杉菜の姫条に対する態度は以前と全く変化なし。週2回の弁当は作っているし、話しかけられれば会話もする。本当に全く変わりがない。見ていて姫条が哀れになるくらいだ。 それにしたって、バレンタインという一種の年中行事まで口出しするほど藤井も図々しくはない。姫条のチョコと葉月のチョコでは意味合いが違ければ関係もないが、それでも杉菜の言は気になった。 「だからなの?……あ、言いたくないんなら、べつにいいけど」 「べつに、そういう訳じゃ……。ただ……」 「ただ?」 「忘れてたの」 「…………忘れて……って、アンタ……」 「今まで、そんなに気にした事なかったから。義理チョコとか、そういうの。だから」 あっさり言われて藤井は言葉を失う。近くにいた有沢と紺野も思わず沈黙する。 「……ちょい待ち。アンタ、まさか葉月のも実は忘れてたから、とかそういうオチじゃないでしょーね?」 「珪くんの?ううん、違うけど」 「じゃ、何で必要ないなんて言うわけ?」 「……甘いもの、そんなに好きじゃないって言ってたから。毎年、この時期は困るって」 「……それで?本人申告?マジ?」 「うん」 答える杉菜と呆れる藤井を横目に、有沢と紺野は顔を見合わせた。 「何て言うか……らしいわね……」 「うん……ふたりとも、ね……」 「……ああ、確かにそう、言ったけど」 次の休憩時間、藤井がこっそり葉月を捕まえて聞き出せば、彼はあっさり杉菜の言葉を肯定した。 本当に本人申告だったのか、と藤井は頭を押さえる。 なんなんだ、このカップルは。 文化祭の時はあれだけ見せつけるような事を堂々としときながら、こういうイベントにこのノリとは。 らしいといえばらしいが、何か間違っちゃいないだろうか。 「それが、どうかしたか?」 「いや、どうかしたっていうかさぁ……。アンタは、それでいいわけ?」 困惑しながら訊ねれば、思ったよりも落胆していない葉月が軽く頷く。 「べつに、かまわない。実際、甘いもの苦手だし、俺」 「杉菜からでも?」 「それは……あいつからなら、別だけど。けど、相手が苦手だと判ってて渡してくるような奴じゃないから。第一、行事とか興味ないだろ、あいつ」 「まあ……それはね」 さすがは葉月、ちゃんとその辺は理解している。クリスマスの時だって、前の日に葉月に会わなかったら手袋購入に至ったかどうか。ましてバレンタインのような半お歳暮・お中元的行事ではさもありなん。 だがその代わりと言ってはなんだが、その時その人に必要だと思えば出し惜しみをする事はない。その辺はとにかくカレンダーに支配されない娘なのである、杉菜は。 「でもさぁ……杉菜がアンタのチョコすら用意してないって話、バーッと広まっちゃったじゃん?そのせいで今までギャラリーだった連中で妙に浮き足立ってるヤツがちらほら出てきてんのよね。アンタのファンはもとより、杉菜に叶わぬ恋心抱いてるのとか。その辺はどーなのよ?」 おかげで先の休み時間からこっち、葉月に愛の告白をと目論んだ女生徒が押しかけてきて本人困っていたらしい。藤井が杉菜の事で話がある、と声をかけたらこれ幸いと逃げてきたものだ。 しかし葉月は藤井のセリフには表情も変えずに答える。 「……べつに、どうもしない。生半可な奴じゃ、あいつに近づけないし。近づけさせるつもりも、ないけど」 (言うなぁ、こいつ。自分の事はおいといて、杉菜のみ眼中内か〜) 藤井が苦笑すると、葉月は不思議そうな目で藤井を見た。 「ところで……どうしてそんな事訊いてくるんだ?」 「べっつに〜?親友の恋路を応援したいというピュアな心意気ゆえよ」 「親友……俺、おまえと親友だったか……?」 「なんでアンタよ!?杉菜に決まってんでしょ!」 「……冗談」 「笑えないっつーの。……ま、いろいろ理由はあるんだけどね。自分の下心とか、そりゃもうたくさんごっちゃごちゃに。でも、一番奥っこの気持ちはそれかなぁって」 窓枠に背をもたれかけて、藤井は視線を外に巡らす。2月の外気は冷たく、息でうっすらと窓が曇る。 「…………そうか」 「詳しいことわかんないけど……杉菜って、どっか違うじゃん?アタシみたいにジタバタしてるトコがないっていうか、別世界の子って感じがして、ちょっと寂しいんだよね。でもアンタといる時の杉菜って、なんかこう、『ちゃんとここにいるよ』って感じがするの。ほんの少しだけどさ。あの子自身がソレ、嫌がってる様子ないし、だったらそういう機会をもっと作ってあげたいって思って。……アタシのエゴかもしんないけどね」 抱きついて、泣き叫んだあの日。 泣き止んだ時には、何かがスッと氷解していた。姫条への恋情も杉菜への友情もどちらも大切。汚くても醜くても浅ましくても、相手を大切だと思う気持ちは変わらない。 だから、現状で自分ができる全ての事を出来る限りの力でやっていきたい。やってあげたい。 姫条に対しても、杉菜に対しても。 思う存分涙を流した後に残ったのは、そんな気持ちだった。 「けど残念〜。杉菜にチョコもらえなくてガッカリしてるアンタを拝んでみたかったのに、ケロッとしてんだもん」 シリアスモードになった自分を誤魔化すように、口を尖らせてジト目で睨む。睨まれた方はわずかにムッとした視線を返した。 「……悪かったな、期待に添えなくて」 「ホントだよ。ったくかわいげがないったら。杉菜もよくこんなのに付き合えるよね〜。アタシだったらまっぴらゴメン、おことわり」 「おたがいさまだろ」 やれやれ、というふうの藤井を視界の端に認めながら、葉月は顔を窓の外に向けて返す。 「……べつに俺、あいつに物をもらえる事が嬉しいわけじゃない」 「え?」 「あいつ……『形』にこだわる奴じゃないから。俺が嬉しいって思うのは、俺のために何かをしようと思ってくれる、そのこと。誰だって……おまえだって、そうだろ?」 「…………ま、ね。物はあくまで『目に見える形』に過ぎないもんね」 「そういう、こと。―――― ああ、授業始まるな。じゃあな、ウジキ」 「フ・ジ・イっ!!アンタ、実はわざとやってない!?……ったくホンットにもう……」 去って行く葉月に舌打ちしながら、けれどすぐに藤井は笑った。 「……ホンット、変わったよねぇ葉月。杉菜パワー、恐るべしってか?」 葉月なら、杉菜なら。 この二人なら、安心して見ていられる。 世にも稀なる美麗な男女が、お互いに少しずつ、ゆっくりと変わっていくその様子をリアルタイムで見られるのって、結構ラッキーなもんじゃない? 顔を上げて、窓越しに冬空を仰ぐ。張り詰めた冷気にフラクタルを描く灰褐色の枝に小さく見えるのは、やがて生まれ来る花芽の兆し。 杉菜は杉菜なりに。アタシはアタシなりに。 小さくたって大きくたって。早くたって遅くたって。 花を咲かせるそのことに、なんの変わりもないもんね。 「……ま、咲けば、のハナシだけど。―――― さ〜て、アンタはどんな花をいつまで抱えてるつもり?」 想い人の姿を思い描きながら、藤井は視界に映った自然の妙を眺めながら教室へ戻った。 構内の一角には中規模の、しかし本格的な造りの温室がある。 園芸部が管理するこの温室は、冬とも言えど緑豊かな植物が生い茂り、そしてまた程好い気温と湿度が保たれた絶好の休憩場所でもあった。 勿論部活の管轄施設であるから部外者はそう簡単には入りこむ事は出来ないが、どこにでも例外はいるものだ。 「―――― ああ、葉月くん。東雲さんならいつもの場所ですよ」 入口から入ってきた葉月を見て、鉢植えの手入れをしていた守村が笑顔を向ける。 「そうか」 「相変わらず、とてもよく眠ってますよ。葉月くんも、ここで休憩ですか?」 「休憩ってほどじゃないけど……避難、させてくれ」 「ああ……はい、わかりました」 入口の向こうを見た守村が、クスッと小さく笑って頷いた。 昼休み、葉月は短い昼食のあと、この温室まで必死で逃げてきたのである。 まだまだバレンタインデーは中盤戦を迎えたところ、どうやら杉菜という強敵は参戦しないと見て、彼を虎視眈々とつけ狙う女子諸君(一部男子)の熱は凄まじかった。あわよくば二人っきりで、という女子もさることながら、ドサクサに紛れてとにかくチョコを渡そうと素晴らしい腕前で葉月のブレザーにブツを忍びこませる者もいて、油断が出来ない。実際彼のブレザーのポケットにはいつ入れられたか判らないチョコレートがこんもりと詰まっていた。 園芸部に守村という知り合いがいた事を心から感謝したのは、実に今日が初めてかも知れない。研究用植物を守る為に部外者は基本的に立ち入り禁止、というこの場所にフリーパスで入れてもらえるのは、守村の好意と口添えあっての事。元々は避難場所として使わせてもらっている訳ではないのだが、別の意味でも大いに助かった。 勧められた椅子に座りながら、その本来の目的を探して葉月は温室の片隅に視線を巡らせた。 そこには何代か前の先輩が作ったというテーブルセットがちんまりと置かれていて、観葉植物に埋もれるように静かな空間を作っていた。 その椅子に腰掛けて眠っているのは件の姫君。実に気持ち良さそうに寝息を立てていて、背景と相まって一枚の絵のようだ。三原あたりが見れば、さぞかしミューズの囁きを感じずにはいられないだろう。 「……すっかり馴染んでるな」 「はい。でもこの季節に外で休ませては体に悪いですし、他の部員もみんな快諾してくれてますから。どうぞ気にしないで下さい」 「ああ、助かる」 晴れた昼休みは校舎裏で昼食→猫と昼寝、という習慣の杉菜だったが、さすがに冬になり風邪を引くだろうという事で、その場所を移動した。正しくは杉菜が風邪を引く事を心配した葉月が、守村を通じて園芸部に昼休みだけ休憩場所を借りられるよう交渉したのだ。 場所柄猫は入れられないが、ここの環境も悪くないらしく、杉菜は冬季期間中はこの温室を活用させてもらう事に決め、毎昼お邪魔しては睡眠を摂っているという次第である。葉月も交渉した甲斐があったというものだ。 葉月が杉菜を眺めていると、手入れを終えた守村がお茶を入れてきてくれた。 「……おかまいなく」 「ちょうど一休みしようと思っていたんですよ。それにこのお茶、東雲さんの差し入れなんです。せっかくだから、葉月くんも味わってください」 「……そうか。じゃあ、もらう」 日頃他の部員にも厚意をかけられているので、杉菜もお返しとして差し入れをすることが多い。部活の常としてお茶やお菓子が専らで、葉月もたまにお裾分けに預かっている。 守村に重ねて勧められ、葉月はありがたく頂戴する。飲み易いアッサムティーの中でも特に癖のないすっきりとした味わいが、彼女が選ぶのにふさわしい香気を漂わせて広がっていく。 「美味いな、これ……」 「ええ、ハルムッティー農園のものだそうですよ。東雲さんはお茶にも詳しくて、話しているといろいろ勉強になります。差し入れてくれるお茶も、クセが少ないのでみんなで飲めるものばかりですし」 「母親が、茶道の師範してるからな。それもあるだろ」 「あ、それは僕も聞きました。文化祭の時に会いましたけど、東雲さんにそっくりでしたよね。そういえば葉月くんは、東雲さんのご両親と親しいんですか?」 「……どうだろうな。世話になってるとは思うけど、そんなにちょくちょく会ってるかっていうと、そうでもないな」 平日ならともかく土・日・祝日は父王がもれなく付いてくる。彼のパワーにまだ耐性がついてないので、最低限に付き合うに留めている。本当に嫌いではないのだが、つくづく苦手なのではあった。 「でも、確か去年の葉月くんの誕生日の時……」 「ああ……あれ、見てたのか」 「ええ、あの時は思わず通報すべきか焦っちゃいました。東雲さんが一緒だったから、大丈夫かと思い直しましたけど」 「……ああいう人なんだ」 「そうでしたか。僕は少し話をしただけですが、面白そうなお父さんですよね」 「……慣れれば、そうかもしれないな」 「そうですか?確かに最初はビックリしましたが、すぐにいい人だなって思いましたよ」 「おまえ……実は結構大物?」 「さあ、どうでしょう?」 のんびりと穏やかな時間が流れる温室内とは反対に、外では2月の冷気を物ともせず様子を窺う生徒達が未だ引きも切らずあふれている。時折聞こえる黄色い声に守村が苦笑しながら言った。 「相変わらずすごい人気ですね。最近の葉月くんを見ていると、解る気もしますけど」 「……そうなのか?」 「ええ。なんというか、とても雰囲気が柔らかくなりましたよ。以前は……その、少し、印象が鋭いなぁって思うことがあったんですが、この頃はあまり感じなくなりました。そういう雰囲気が、みんなにも伝わってるんだと思います」 そこまで言って、守村はにっこり笑う。 「きっと、東雲さんがいるから、なんですね」 「…………そうだな」 葉月が肯定すると、守村は軽く頷いてやはり杉菜の方を見る。 「彼女は本当に不思議ですよね。いつも自分の揺るぎない世界を持っていて、淡々としているようなのに、一緒にいるとこちらまでホッとしてきます。……解りますか?彼女が来ると、植物たちもなんだか喜んでいるようなんですよ。いつもより更に青々として、元気になってくれるんです」 言われてみれば確かに彼女の周りは植物が生き生きしているようにも見える。生憎と守村と違って『植物会話』『植物共感』のアビリティを持っていないのでそんな気がする、という程度だが。(←何のゲームですか今度は) 「こういう言い方が合ってるのか判りませんが……彼女はちょっと、植物に似ています」 「植物に?」 「はい。植物って、そこにいるだけで自然と人の心を癒してくれたり、心を込めて世話をすると、その分とてもきれいな花を咲かせたりしてくれるでしょう?なんだか、彼女もそんなところが似ているような気がして。そうですね、たとえると……ああ、そうです!」 「ん……?」 「葉月くん、覚えてますか?中学の頃、転校していった彼女があなたにくれた、押し花の手紙。あの花ですよ」 「押し花の…………れんげ草、か……?」 中学時代、心の闇に浸っていた葉月に、ある女生徒からひっそりと押し花の手紙が贈られた事があった。名前も知らず、話した事もほとんど無かったが、彼女がくれた押し花とその意味は、小さな光になって葉月を癒してくれた。 「確か、花言葉は……」 「はい、『私は苦痛をやわらげる』です。―――何となく、東雲さんからはそんなイメージを受けるんです。あ、もちろん僕の勝手な解釈ですけど!」 慌てて守村が弁解するが、葉月はそれを否定することもなく聞いていた。 「なんというか、東雲さんの傍にいると、心にわだかまっているものが溶けていくっていうか、重くのしかかっているものが軽くなるっていうか、そういう印象を受けるって言いたいんです!心がスウッと落ち着いて、暖かい気分になるというか……ええと、その……」 「いや……わかる、それ」 「そ、そうですか?」 「ああ。………そういうところ、ある」 傍にいるだけで自然と心が癒されていくところとか、自然と心が和んでくるところとか。 藤井に言わせれば『癒し系』の一言で済んでしまうが、守村が言った『植物に似ている』というのもどこか頷ける。 そう思いながら杉菜を眺めていると、守村が穏やかに微笑んだ。 「……葉月くんも、ですよ」 「……え?」 「東雲さんといる時の葉月くんも、そんな印象を受けます。周りの人間をホッとさせるような感じが。多分、外にいる彼女たちも、そういう空気をとても強く感じているんだと思います。―――― ああ、そろそろ昼休みも終わりですね。僕、片付けてきます」 守村はそう言って空になった二人分のカップを持って温室の端にある流し台の方へ向かって行った。 それを見送ってから葉月は杉菜の元に行く。ちょうど予鈴の鳴る10秒前、椅子にもたれていた彼女がいつものようにパッチリと目を開いた。 「……おはよう、杉菜」 「……あ、珪くん。おはよう」 視線を合わせるように屈んだ葉月に、杉菜は明瞭な声で答えた。この挨拶も、すっかり習慣になってしまった。 「行こう。授業、始まる」 「うん…………あ、そうだ」 促されて立ち上がった杉菜が、ふと思い出したように荷物から何かを取り出した。 「どうした?」 「これ、珪くんにと思って。忙しそうだから、渡しそびれてたけど」 渡されたのは、軽くラッピングはされているものの本日恒例の物品とは少し違った形の小さな袋。 「……なんだ、これ?」 「この前、とても良い薫りの見つけたの。珪くん、好きだったなと思って」 よく見てみれば、アルファベットの文字が踊るコーヒーの袋だった。それも、葉月の好きなモカ。 「……よく知ってたな、おまえ」 「喫茶店に行った時、いつも飲んでるでしょ?本当は3日前には買ってたんだけど、尽がどうしても今日渡せって言うから、遅くなったの。ごめんなさい」 「そんな、謝らなくていいだろ。嬉しいし……俺。サンキュ」 数えるほどしか行ったことのない喫茶店での注文を覚えていてくれた。記憶力には目を瞠るほどの杉菜だが、興味がなければ記憶すらしない。そんな彼女が自分の嗜好を覚えてくれていただけで今の葉月には充分だった。 「そう……?なら、よかった……」 「……そういうところ、だな」 「え?」 「いや、なんでも。……そうだ、尽にも礼、言っといてくれ」 自分で断ったとはいえ少し寂しさを感じていないわけではなかったから、これは思いがけないバレンタインの贈り物だった。 「?うん」 不思議そうに首を傾げる彼女に微笑う。 俺にとってのれんげ草。確かに、当たってる。 和らげるどころじゃなく、消し去ってくれる分、こっちの方が効果あるけどな。 ……おまえにとっての俺もそうだったら、もっと嬉しいけれど。 |
|