−第15話−
 その後、『Café glace』は杉菜の休憩時間に至るまで千客万来であった。
 尽が紺野の弟・玉緒を含む小学校の友人達と大挙して押し寄せたり。
 休憩時間の守村が訪れた際、女子の数人が彼にメイド服を着せようと画策してみたり(有沢が必死で止めたが)。
 学校見学ついでに来たらしい角刈りの中学生男子が、異常に興奮して保健室に連行されたり。
 須藤が羨望の視線の中、衣裳提供と引き換えに得た限定ケーキに舌鼓を打ってみたり。
 仮装大会の為に純白のドレスを纏った三原が謳いながら挨拶に来たり。
 様子を観に来た天之橋理事長が「これは素晴らしいな。まるで妖精たちの舞踏会のようだよ」と絶賛してみたり。
 一緒に来た花椿が女子の姿にインスパイアされてクネクネ踊りながらアトリエに直帰してしまったり……等々。
 午前中だというのに大盛況を博している状況に、巡回に来た氷室も非常に満足そうだった。そのいつもの振る舞い振りに、藤井の話は本当だったのだろうかといぶかしんだ生徒達だったが、誰一人訊ねる勇気はなかったようだ。
 ところで、一番賑やかだったのはやはり三原が訪れた時であろう。その時はまだ東雲夫妻が在室中で、それは素敵な偶然だねと挨拶を交わした訳だが……葉月が想像だけで頭を抱えたように、実際の会話を聞いた人々は皆一様に頭を抱える羽目になった。二人の王様はすっかり意気投合し、理解不能な言語で非常に朗らかなテノールとバリトンの交声曲を奏でたものだ。ときたま須藤や桜のソプラノ声が交わったその空間は、しばし強烈な七色のオーラが漂う異次元と化していた。
 寂尊が特に気に入ったのは、三原が口にした『ブラン・プリマヴェラ』という杉菜の呼び名らしい。去り際に娘をそう讃えながら会計を済ませていった。
「やっと少し静かになったわね……」
 訪れた個性的な客がほぼ退室していってから、有沢は深い溜息を吐いた。
 午前中からこんなに疲れていて、今日一日もつのだろうか。
 そう思って嘆息すると、紺野も困ったように笑う。
「あはは……そうだね……。あ、でも、先に大変だったりする方があとが楽ってこともあるし……」
「……それもそうね。――あら、葉月くん。おかえりなさい」
 午前の休憩から帰ってきた葉月の姿を認めて、有沢が声をかけた。
「ああ……お世話様でした」
 無表情のまま、軽く頭を下げる。この辺の応答の仕方も学祭委員に指示された事である。せめて無視はするな、という程度だが。
 葉月はそのまま自分の持ち場である配膳コーナーに戻り、テキパキ動いている杉菜に声をかけた。
「東雲。次、おまえの番」
「あ……おかえりなさい、珪くん」
「ただいま。……どうした、疲れたのか?」
 少し悩んでいる様子の杉菜に、葉月は訊ねた。これだけ忙しければさすがの杉菜も疲れたのかと思ったのだが。
「べつに、そうじゃないんだけど……。珪くん、校舎裏や中庭、人、多かった?」
 その質問で、葉月はすぐに気が付いた。
「……ああ、そういうことか。そうだな……中庭はべつのクラスで使ってるし、校舎裏はけっこう裏方が走り回ってたな……。俺は屋上で昼食べてきたけど、そこも使われてた。休むのは、難しいと思う」
「そう……。わかった、ありがとう。それじゃ、休憩願います」
「あ、東雲―――」
「何?」
 その時、委員の鈴木女史が「東雲ちゃん、はやく休憩入っちゃって〜!」と呼びかけた。
「………いや、なんでもない。ほら、行ってこい。……あ、いってらっしゃい、か」
 言いかけた言葉を収めて、葉月は杉菜を促した。
「……うん。行ってきます」
 一瞬表情に疑問符を浮かべたが、杉菜は『1−A/休憩中』の手作り腕章を借りて教室を出た。ロッカーから弁当をとり出して、メイド姿のまま廊下に出る。周囲の人間が思わず注目するが、杉菜は無視……というか認識すらせず廊下を歩く。
(何だったのかな、珪くん……)
 夏からずっと、葉月が自分を見る目がとても優しいことに、杉菜は気がついていた。先日屋上で話した時も、同じような目をして微笑んでくれていた。
 杉菜の言葉が嬉しかった、と言って。
 余計なこと考えなくていい、そう言ってくれて。
 葉月にそんな風に言われるたび、自分が抱えてる何かがほぐれていくような気がしている。
 何も返せない自分に、どうしてそこまでしてくれるのかは解らない。
 しかし、彼の言葉を聞くたび、彼が微笑んでくれるたび、自分の中で何かが変わっていくような、そんな気がしていて。
 そしてそれは、戸惑いこそあるが、決して不快なものではなくて。
 不快でない、という事実が更に理解出来なくて、杉菜は考え込む。
(…………とりあえず、今は休憩しなくちゃ。けど、どこで休もう……)
 考えても答えはなかなか出ないので、まずは自分の今するべき事をしようと切り替えた。
 晴天・曇天時はいつも校舎裏が指定場所。まれに中庭や屋上が加わる。雨天時は教室が主。しかし今日は教室は使えないし、中庭と屋上は使用中。空いている教室を使うしかないが、所構わず寝るな、と以前葉月に言われたし。
 さてどうしたものか――と悩んでいると、背後から陽気な声が響いてきた。
「おっ、そこを行くは杉菜ちゃんやないか。なんや悩んどるみたいやけど、どないしたん?」
 呼ばれた声に振り向けば、たこ焼きの匂いを染み付かせた法被をたすき掛けに着た姫条が立っていた。にっこり笑って杉菜を眺めているその姿は、どう見ても高校生というより現役テキ屋のあんちゃんだ。鉢巻でもすればキャバレーの呼び込みの兄ちゃんかも知れない。実際通行人が「何者だコイツ」という目でチラチラ見ている。
「ニィやん。……あ、お疲れさま」
「杉菜ちゃんもな。氷室学級、エライ繁盛しとるらしいやんか。ウチの屋台も頑張っとるけど、さすがに杉菜ちゃんの集客力にはかなわんわ。ホンマ、めっちゃカワイイで?――これから休憩入るんやろ?どないしたんや、こんなとこで」
「うん。どこで休もうかなって思って……」
「そっか、こういう状況やしなぁ。せやけど……ウ〜ン、けっこう客入って来とるから、あんまり安全な場所っちゅうのが思い当たらへんなぁ」
 腕を組んで天井を見上げる。
 藤井から自由時間に杉菜を誘えない事を聞きガックリした姫条だったが、杉菜の健康の方が大事だと思い直した。それで空き時間の今、どこか使える場所はないものかと巡り歩いていたのだ。一般客立ち入り禁止の教室なども考えたが、荷物置場になっていたり、ここぞとばかりにフケこむ連中がいたりして、なかなか手頃な所が見当たらなかった。下手に人気がない所に休ませて、問題が起きないとは限らない。
 何としても杉菜が落ち着いて休める場所を確保してあげたかった。
「オレの空き時間が長ければ、見張り番務めさせてもらうんやけどなぁ。なにせ責任者兼稼ぎガシラやさかい、休憩も飛び飛びで短いんや。スマンなぁ」
「ううん、ニィやんが謝る事じゃないから」
「いやいや、こんなカワイイお嬢さん放っとくのは、オレの騎士道精神が許さへんねん。……と、そない言うてもなぁ……。ウ〜ン、あと思い当たるところ言うたら……」
 しばし難しそうな顔をしていたが、すぐに何か思いついたようだ。ポンと手を叩いて姫条が言った。
「そや!職員室奥の応接コーナーとかどうやろ?」
「職員室?……そう言えば、そんなコーナーあったっけ……」
 来客用の応接室はもちろん別に存在しているが、あまり大げさでない客の場合、職員室で応対する事が多い。よって奥の一角に狭いながらもソファーとテーブルがしつらえてある。姫条が言うのはその場所の事だ。
「ああ、あそこやったらソファーもあるし、何とか頼み込めば使わせてもらえるんとちゃう?オレと違って自分なら、先生もOKしてくれるやろ。な、さっそく行ってみよ!」
 我ながら名案だと思い、杉菜を促して職員室に向かおうとした。
 が。
「その必要はない」
「うぉっ!?―――ひ、氷室センセ!!」
 突然現れた氷室に、姫条がオーバーなアクションと共に驚いた。
「ビ、ビックリしたやないですか〜!人を脅かさんといてください、イケズでんなぁ」
「驚かせたつもりはない。が、結果としてそうなってしまったのなら謝ろう」
「へ?ま、まあ……ええですけど。ってそれよりセンセ、『その必要はない』てどういうことですか?」
「言葉通りの意味だ。東雲が職員室に休息場所の確保を要求しに行く必要はない。―――東雲、本日の昼食は模擬店等で確保するのか?」
「いえ……いつもどおり、お弁当です」
 そう言って、手に持った弁当袋を示した。
「よろしい。ではそれを持って私に付いて来なさい」
「…………?」
「センセ?」
「急ぎなさい。時間が勿体無いだろう」
「……はい。……あ、ニィやん。それじゃ、またあとで」
「ん?あ、ああ。ほなまた……。あ!あとで杉菜ちゃんのクラス行くからなー!」
 氷室の勢いに飲まれたように、姫条は呆然としながら手を振った。
「……何だったんや、一体。まあ、氷室センセやったら杉菜ちゃんの体質についても分かっとるやろうから、『寝るな』なんて無体なことは言わんと思うけど、なぁ……」
 一人ごちる姫条を置いて、当の二人は例によって廊下を直定規の如く真っ直ぐ歩いていく。
「……先生、一体どちらへ?」
「行けば判る」
 杉菜の問にそれだけ答え、やがて着いた先は保健室。氷室は躊躇いなくその扉をノックした。名前を名乗り、中からの返事に答えてドアを開ける。
 保健室の中には養護教諭と数人の保健委員らしき生徒が在室していた。
「お疲れ様です、先生。先ほどお願いした件ですが――」
「ええ、大丈夫です。今のところベッドを必要とする人も出ていませんし」
「それは良かった。――東雲、入りなさい」
「……はい。……あの、氷室先生……」
 どういう事かと訊ねようとした杉菜を制止するように、氷室が口を開いた。
「東雲。君の休憩時間中、保健室のベッドを一台借りられるよう交渉した。現時点から14時までの間、一番奥にあるベッドで休息を摂るように。割り当てられた休憩時間が終わったら直ちに保健室を退室し、クラス出展に復帰する事。――以上だ」
「………先生」
 杉菜は氷室を見上げる。氷室は冷静な顔を崩さず、淡々と続けた。
「本来ならば、こういった多忙な日に保健室のベッドを占有する、というのは避けたいところだが、君の体質上そうも行くまい。――勿論それを是とする訳ではない事をわきまえておくように」
「先生……ありがとう、ございます」
 杉菜が頭を下げると、氷室は決まり悪そうな顔をして、咳払いをした。
「…………礼ならば、葉月に言いなさい」
「……珪く……葉月くんに?」
「そうだ。先ほど休憩時間に私の所に来て頼んでいった。君の休息場所を確保してくれないか、と。一生徒である自分より、教師である私から交渉した方が了解してもらえるだろうから、と言ってな」
 氷室の言葉を聞くと、杉菜の瞳がわずかに見開かれた。
「…………珪くんが……?」
「……自分から頼んだとは言わなくていい、そう言われた。だが私は、本来礼を言われるべき人物を影に置いておく趣味はない」
 そう言って、ふっと柔らかく笑う。
「せっかくの葉月の心遣いだ。ありがたく受け取りなさい」
 杉菜はその言葉を聞いて、少し考え込むように俯いたが、再び顔を上げた。
「――はい。そうします。……先生も、ありがとうございます」
 礼を言って、もう一度深く頭を下げる。
「いや……私のことは気にしないでよろしい。――それでは私は再び巡回に戻る。先生、後はよろしくお願いします」
「解りました」
 養護教諭に会釈をして、氷室は保健室を出て行った。
「良かったわね東雲さん。優しい先生と友達がいて」
 既に何度もお世話になっている養護教諭が、杉菜に笑いかける。保健委員の生徒も思わせぶりな顔でニコニコ笑っていた。
「……はい……そう、ですね」
 杉菜は教諭の声に頷く。
(珪くんが……氷室先生に頼んでくれた……)
 誰よりも、親切なひと。
 こんな私に笑いかけてくれる、優しいひと。
 そんなあなたに、私は何かを差し上げる事が出来ているのでしょうか。
 
 
 
「あ、おかえり杉菜ちゃん!」
 休憩が済んで教室に戻ると、店はてんてこ舞いの忙しさだった。
「お世話様でした。ただいま戻りました。……ずいぶん混んでるのね」
「そうなの〜。前宣伝に力入れたせいもあるけど、ケーキとお茶が美味しいっていうのがバーッと広まったらしくて、お客さん次々に来ちゃって。嬉しいけど、たいへんだよ」
 紺野が悲鳴混じりの声を出すと、後ろから鈴木女史が現れた。
「あ、東雲ちゃん戻って来たのね?よかった、さっそく復帰して!も〜手が足りなくってさ」
「うん、わかった」
 頷いて杉菜は自分の持ち場に入る。持ち場には二度目の休憩に入っているはずの葉月が労働を続けていた。
「珪くん、休憩だったんじゃ……」
「……ああ、おまえか。……この状況だから、しばらく我慢しろって。おまえ、ちゃんと休めたか?」
「うん。……私が戻って来たし、珪くん、休憩入ってきて」
「そうしたいけど……無理だと思う、多分」
「4番テーブル、アッサムのミルク1つにアップルティー2つ、ベイクドチーズ2つにブルーベリーマフィン3つです!」
「1番テーブル、ダージリンのBOP2つにスコーン2つ、お願いします!」
「7番、アールグレイ3、ニルギリ1、ラプサンスーチョン1。アップルパイ2、レアチーズ2、オレンジスフレ1、シュークリーム5でーす!」
「……そうだね」
「だろ?」
 確かに次から次へと注文が来るこの状況では、とても休憩してなどいられない。杉菜も納得して、すぐさま手を動かす。ゆっくり話などしている場合ではない。
 とにかく忙しかった。絶え間なく注文の声が聞かれ、調理室と教室を往復する輸送班も接客に応じる。廊下にまで客が並び、一時はそこにまで机を用意したほどだ。
 こんな状況だろうとかまわず葉月や杉菜に声をかけようとする輩も多かったが、杉菜に関しては葉月が睨みをきかせていたし、そんな葉月に怯えて彼目当ての女子も遠巻きに眺めるに留まった。
 かなり余裕を持って材料を用意してはおいたのだが、続々と入る注文に調理室の製作班も悲鳴を上げSOSを求めてくるほど。品質に比例して価格設定が高めだったにも関わらず、短時間の内に『Sold Out』の札が入口に設けられたメニューに貼られていって、公開終了時間の1時間半以上前に全種類のケーキとお茶が売り切れてしまった。
「皆さん、本っ当にお疲れさまでしたぁ〜!!」
 予定よりかなり早い閉店を迎え、最後の客を送り出した後、鈴木女史が死屍累々と突っ伏すクラスメイトにお辞儀をした。
「ホンット、疲れたぜ……」
「マジで部活よりハードだったわよぅ……。こりゃもう明日は完全に死んでそ……」
「まぁね……。でもさ、やりがいはあったなぁ。楽しかった」
「うんうん、すげー疲れたけど充実感はあるよな。サンキュー、鈴木」
「お疲れさま、鈴木ちゃん!」
 戦を終えた兵どもが、口々に鈴木女史に感謝と賛辞を贈った。鈴木のプロデュース力・牽引力あってこそ、食文化を追及したクラス出展は完全に成功を収めたのである。後夜祭で発表される人気投票でもかなりの好成績を収める事は間違いないだろう。
「いやいや、これも皆さんのご協力があってこそ。鈴木、心から感謝いたします!―――それでは、幸運にも時間に余裕ができましたので、片付け開始までの残りの時間は皆さんのお好きなようにお使い下さい!後夜祭まで着替えるのはダメですが、それ以外は他を回ろうがお喋りしようが寝てようが、はたまた片付けやっちゃってようがどうぞご自由にー!」
 鈴木女史が宣言すると、皆がわぁっと歓声を上げた。何しろ午後は全くと言って休憩が取れず、昼食を食べていない生徒も多いのだ。その分の埋め合わせが回ってきたという事で、飢えた生徒は三々五々教室を出ていく。まだまだ廊下の先は賑やかな空気が健在だ。
「ハァ……ほんと、疲れちゃったね〜。ね、園芸部に行ってみない?ハーブティでも飲んで一息入れたいな、わたし」
「そうね、それもいいわね。東雲さんも一緒に行きましょう」
 疲れながらも充実した笑顔で笑う有沢と紺野が杉菜に声をかける。が、杉菜は首を横に振った。
「ううん、やめとく」
「え、でも杉菜ちゃん、今日は盛り付けだけじゃなくて写真撮られたり調理室の手伝いに行ったり大変だったでしょ?1時間くらい楽しんでもいいんじゃないかなぁ。それに、きっとハーブティ美味しいよ」
「そうよ。他の出展物見に行けなかったんだし、せっかくだから回ってみましょう。―――あ、それとも時間までここで眠るとか?」
「……うん、そんなところ」
 頷いた杉菜に、二人は苦笑を返す。
「……それじゃ誘えないわね。解ったわ、ゆっくり休んで頂戴」
「美味しそうな食べ物があったら、杉菜ちゃんの分も買ってくるね。それじゃ行こう、有沢さん」
 杉菜の睡眠至上体質に理解を示して二人は教室を出ていった。それを見送ってから、杉菜は未だ残っている鈴木のもとに行く。教室の端で精算業務をしていた鈴木が、杉菜に気付いて顔を上げた。
「ん、東雲ちゃん。どしたの、他のとこ回らなくていいの?」
「うん。片付けするんでしょ?手伝う」
「え。……いいの?」
「うん。休憩時間、ちゃんと取らせてもらったの、私だけだから」
「でもなぁ、東雲ちゃんのこと客寄せに利用させてもらったのはこっちの方だし。それに今の時間でみんなトントンでしょ?誰も文句言わないと思うよ?」
「このあとの片付けと後夜祭、最後までいられないし。だから、手伝う」
「ウ〜ン……そりゃ、さっさと片付けられりゃその方がいいけど……」
「東雲がそうしたいんだから、それでいいだろ」
 杉菜と同様教室に残って(というか台に突っ伏したまま寝てると思われて)いた葉月が、鈴木に話しかけてきた。
「珪くん……」
「おりょ。葉月くん起きてたの?」
「……今起きた。それより、俺も片付け班、入るから」
「え、葉月くんも!?」
「ああ。…………第一、いま外に出てくの、面倒」
 ドアの外に向けられた視線を追いかけて鈴木が得心したように苦笑する。『スタッフオンリー』の札がかけられ、クラス構成員以外の入室ができないのだが、葉月と杉菜目当ての人々が熱い視線を室内に向けていた。その中に入っていけば、間違いなく砂糖に群がる蟻の如く集ってくることだろう。
「それもそうね。――よし解った。二人とも手ェ貸して。ちゃっちゃと片付け終わらせてしまいましょ!あ、じゃあ二人とも計算早いし、売上合ってるか確認頼んじゃっていい?その間にワタシ達、布畳んだりしちゃうから」
「うん」
「解った」
 無表情に頷いて、二人は椅子に座って計算を始めた。立ち上がった鈴木はもう一人の学祭委員や同じように残った生徒と共に教室中の布を集めたり食器類を片付けたりしていく。
「……終わり。こっちは合ってる」
「……こっちもピッタリ」
 脅威のスピードで金券の計算を終えた二人が、同時にペンを置く。
「あ、もう終わったの?さっすが早いねー。それじゃ……そうだな、葉月くんは佐藤くん達と一緒に机戻しちゃっててくれる?東雲ちゃん達女子はワタシと一緒に調理室。本部に金券届けてから、そっちの後片付け入ろう。あ、終わったら休んでていいから!」
 まとめた布を教卓の上に置いてから鈴木が女子を促して教室を出る。本部には一般者立ち入り禁止区域を通って行けるので、杉菜も観客に集られずに済んだ。調理室は何クラスか共同で使っていたが、氷室学級の区画は実に格闘の後がありありと残っていた。ちなみにメインパティシエとして活躍した加藤くんは、疲労困憊して現在保健室でミイラ化中。彼には功労賞として例の限定ケーキが割り当てられている。
「にしても、お客さん入ったのはいいけど残念だよねぇ。せっかくカンパして打ち上げの時のケーキ作ろうっていって材料確保してたのに、それも全部捌けちゃうんだもん。あーなんか悔しい!」
「だよね〜。果物も全然残ってないし、あるの小麦粉と牛乳、あとバターの欠片だけじゃん。これじゃなんにも作れないって」
「ホントホント。ホワイトソースくらいだよね、こんなので作れんの。しかも全員分はムリだし!」
「あはは、ホワイトソースって、それだけじゃ食えないってば!」
 他の女子が洗い物をしながら歓談するのを眺めつつ、鈴木は食器を棚にしまいながら隣の杉菜にこっそり話しかける。
「ねえ東雲ちゃん、葉月くん、きっとワタシ達じゃなくて東雲ちゃんを手伝いたくて残ったんだろうね」
「……そう?人、いたからじゃ……」
「うん、それもあると思うんだけど。……ワタシ、葉月くんとは中学時代もずっと同じクラスでさ。イイ顔してんのにもったいない性格してるなーって思ってたのよね。けど、東雲ちゃんが編入してきてから、雰囲気とかもイイ感じになって来て、見てて惚れ惚れするっていうか……あ、恋愛感情とかじゃないけど。なんかねぇ、無敵の万能型天才野郎にもこういう面があったんだなぁと思って安心したっていうか。上手く言えないけど、東雲ちゃんってすごいなぁって思ったわけよ」
「……すごい?……自分でそう思った事、ないけど……」
「そ?ま、そういう淡白なとこが東雲ちゃんの素敵なとこだけどね。でも思うのね、他人の心を良い方に変えられる人間ってさ、頭いいとか運動できるとかより、よっぽどすごいよなって。だからワタシは……いや、みんなかな。そういう意味で東雲ちゃんのこと尊敬してるんだよ。……なんていうかねぇ、それを言いたかったんだわ、ワタシ」
 照れたように鈴木が笑ったので、周りの女子が興味を持ったようだ。
「ちょっとお鈴、なに東雲さん独占してんの〜?」
「そうそう!何の話してたのよ。あたし達も混ぜなさいって」
「だーめ。東雲ちゃんとワタシの秘密談義だから。それよりホワイトソースがどうこう言ってたみたいだけど、備え付けの塩コショウはあるんだし、他のとこからなんか材料分けてもらって、ワタシ達の分だけスープ作って飲んじゃうってのどう?片付け率先してやってんだし、水使う分手を荒らしてるわけだし、それくらいいいと思わない?」
「……鈴木、あんたホントそういうことには頭が回るねぇ。でもさんせーい!お腹空いたしね」
「あたしも。さっそく獲物をゲットしてきますかぁ。何がいいかなぁ?」
「あ、そういや2−Bのとうきび屋、手違いで多く頼んじゃったとか言ってたよ。少しくらいあまってるんじゃない?」
「それだ!奪ってこよう!」
 女子数人がバタバタと駆けて行く。それを見送る鈴木はけらけらと笑った。
「あはは、メイド服着て言うセリフじゃないよねー。……とそれにしても東雲ちゃん、お疲れさま。いろんなことさせちゃったりしたけど、本当に助かった。ありがとね」
 お礼を言われて、一瞬杉菜はきょとんとする。
「……でも私、大した事してないと思うけど……。準備も、いつも途中までだったし……」
「いいの、ワタシがお礼言いたかっただけだから。難しいこと考えない!ワタシは助かったし、嬉しかったの。それでいいでしょ。ね?」
 ――俺は嬉しかった。だから、それでいいんだ。……余計な事、考えなくていい。
「……うん」
 余計な事は考えないで。
 ただ、受け止めればいい。
「うん、そうだね――」
 頭の中に響く声に頷いて、杉菜は食器を丁寧に仕舞っていった。
 
 

<あとがき>
またも続く文化祭編。そしてまた出張るオリキャラ。鈴木、セリフ出る予定なかったのに・・・。
書きたかったのは杉菜の休憩時間のエピソード。ヒムロッチ独断にしようかとも思ったけど、王子の影が薄くなるので止めました。他キャラとの絡みももう少し入れてみたいんですけどね。
なんか難産でした、文化祭編。片付けエピソードなんかはかなり必要なかったかもですねぇ。
もう少し短くサラッと書けないものか(-_-;)

 
乙女物語・別解【14】   目次   乙女物語・別解【16】