Scene 9


 
 
「まさか、ここまで開き直るとは思わなかったな、僕」
 例の騒動から数週間、学期末試験の勉強をしながら玉緒君が言った。図書室はクーラーが効き過ぎているため、私たちは山田に頼んで報道部の部室を借り受けている。試験前と期間中は、原則として部活が休止になっているけど、様々な資料に埋もれたこの部屋は、自己調節可能な冷暖房完備・お茶飲み放題(セルフサービスだけど)・おまけに人気が少ないって事で、勉強には割と適しているので、よく学習室として利用させてもらっている。ノートを広げる場所の確保が大変だけど。
「で、開き直った女の人がここまで強くなるとは、思わなかったな」
 各々テキストを開きつつ、その実会話の内容は自分たちの現実の事。
「今更分ったの?遅すぎ。女に対する認識が甘いわよ」
「そうみたい。やっぱり、一例だけ見てても駄目なんだね。サンプリングとモデリングは出来るだけ多数の方がいいってことか。当たり前だけど、抜けちゃうなぁ。……あ、山田さん、食糧自給率の資料、ある?」
「それなら、アンタの後の棚、Aの5番って貼ってあるファイル。……ちょっと日比谷、ここの解き方分かんない。こっちの公式使えばいいの?」
「どれ?……問8?あー、違う違う、教科書58ページの、公式3。そこから出た解を、このxに代入するの。そうするとあとはあんたでも解ける。……う〜ん、この文訳解らないな。物理だからって、日本語解らない奴に問題文作らすなっての」
「あ、あった。散らかってる部屋の割にファイリング整ってるよね」
「一言多いっつの。文句あるなら別んトコでやれって」
 部室内にいるのはこの三人だけだから、こんなノリでも通っちゃう訳で。
「文句じゃなくて、事実の再確認だよ。……で、さっきの話。結局日比谷さん、尽に事実は告げてないわけだよね、何一つ」
 やっぱりそこに戻るのね。ま、この面子でこの部屋だし、仕方ないか。
「ええ、言ってないわよ。言ったってどうなるものでもないものね。ジワジワと、長期戦で行くしかないでしょ?私も、尽君も」
「長期戦、ねぇ。確かに、今までの時間が時間だから、一気に逆転って事は無さそうだもんね。それにしても、僕、正直驚いたんだよ。あれからの日比谷さん、短期間で変わったもん。言ってる事と、矛盾してない?」
「あたしも同感」
 チラッと、二人を上目遣いで見やる。この二人、いつの間にか情報を交換しあって共同戦線を張ってしまった。
「矛盾してないわよ。敵は17年間ほぼ毎日彼の傍にいたんだもの、今更私がひっきりなしに傍に居たって、接触時間じゃ敵わないじゃない。でもだったら、その接触時間を有効利用して、私のインパクトを強くする方が効果的でしょ。まだまだ効果、ないけどね」
「それでも、周囲には効果あったみたいだけどね」
 二週間前、私は約束通り尽君と『デート』をした。場所が商店街だから、当然ウチの生徒も多く出歩いている。
 そして、その中には無論前の騒動で私に絡んできた連中もいた。散々吊るし上げ(させ)てやったのに、それでも懲りずに尽君と遊んでいる私に、立腹の念を持つのも当然。山田の物証なんのその、二日後の月曜日の朝、またもお呼び出しがかかったのは、予想済み。
「あの時、僕は絶対に日比谷さんを怒らせない様にしなきゃって、固く決意したよ。それくらい、怖かった」
 その前の週、自分のファンに途方もないブリザード地獄を味合わせた男の言う事とは思えないわね。
「怖いっていうか、あれが日比谷の本領発揮ってとこでしょ。あたし知ってたもん、日比谷が怒ると、そりゃもう危険だって。以前怒られた時、あたしよく生きてられたな、って思ったもんね」
「たかだか机一つへこませたくらいで、そんな事言われるの、納得できないんだけど」
「日本語の使い方を間違えるな。あれは『へこませた』ではなく『潰した』だ」
「あ、今の氷室先生の真似、似てるよ。上手いね」
 やれやれよ、本当。
 予想済みのお呼び出しだったし、今回はまともにつき合う気がないから無視しようと思ったんだけど、それでも懲りずにゴチャゴチャ言ってくるもんだから、ついキレた。って、今度は物理的に。その時手近にあった机をね、こう……バキィッ!!……と。天板は真っ二つ、当然使用不可、即燃えないゴミ行き決定。
 沈黙と畏怖が場を支配する中、私はそれはそれは優しそうに微笑んで、
「あなたたち、私が怒ってない内に退散した方が身の為よ?自分の身は、自分で守らなくっちゃ、ねぇ?」
と、慈母の如き寛大さで言ってやった。
 すると、連中は「あ、え、えと、な、なんでもないの、ご、ごめんなさいーーー!!」と言う、負け犬に相応しい叫びを残して去っていったさ。小柄な女だと侮るから、そういう目に会うのよ、ふん。
 そのあと?ちゃんと先生に『机が』壊れた事を報告したわよ。腕にはかすり傷一つついてなかったし、良かった良かった。
「大体私は平和主義者なんだから、それを怒らせる方が悪いのよ。普段冷静な人間が取り乱した時どうなるかなんて、想像すれば判る様なものじゃない」
「想像できないからあんなつまらない事しか思いつかないんだよ。可哀想なくらいだよね」
「言うよね、紺野も。東雲とコンビ組んでるのが信じられない」
 すると、玉緒君はシャーペンを顎に当てて、う〜ん、と考え込むように唸ったあと言った。
「尽はね、真っ直ぐだから。色々大人びたような所あるけど、基本は良い子だろう?そういう人間には、僕みたいなちょっとひねくれてる人間は敵わないんだよね。敵わないなら、味方として一緒にいた方が得策ってやつ。人生の面白味も、正反対の相手が目の前にいる方がバリエーションに富んで面白いでしょう?」
「「ちょっとか?」」
 山田と二人、ハモる。そして計算づくな付き合いな訳?あなたたちの付き合いって。
「そうだよ。まあね、尽とつるんでるの楽しいってのは本当だから、それについてはどうこう言われたくないな。僕たちの問題だし。だから、それは今はいいんだよ。日比谷さん、本当にこのまま君の言う『長期戦』で行くわけ?それで、辛くない?」
 玉緒君は、真っ直ぐに私を見てきた。私は……なんと答えるべきだろうか。
 いや、もう決めた事なんだから、答えに窮する必要もないんだっけ。
「辛いか辛くないかは、私の問題。でしょ?」
 そういうと、二人ともお手上げ、といった感じでシャーペンを下ろす。
「処置なし、ですかね」
「ま、腹据えたこの子に、何言っても通用しないって事よね」
「そういうこと。よっぽど一人で手が回らなくなったら、あなたたちも引きずり込んでやるから、覚悟して。――と、いったところで、私、職員室行って来るわ。この問題文、マジで解らないから質問してくる。ついでにちょっと脳に酸素入れてくるから、後は二人で盛り上がってて」
 そう言って私は筆記用具片手に席を立つ。
「ハイハイ、いってらっしゃい。ご要望通り、あんたを肴に盛り上がっててやるからさ」
「あ、日比谷さん、戻って来る時でいいから購買で野菜ジュース買ってきてよ。お金、後で払うから」
「Oui、かしこまりー」
 私はそう告げて、外開きの扉を開け、職員室へ至る廊下に出た。雨の気配はないけど、割と蒸し暑い。期末試験が終わって、梅雨が明ければ、いよいよ夏本番。
 今年の夏は、どんな夏になるんだろうか。
 

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