Scene 5


 
 
 正直、山田の言い分も解る。私だって、山田の立場なら、放っとけって言うかも知れない。けれど、ここまで事情を知ってしまうと、何というか、哀れにもなってくるのよね。
 きょうだい。
 兄。姉。弟。妹。
 異性であった場合、それはある意味一番自分に近い『異性の他人』になる。
 私も兄が一人いるけど、当の本人があんなだから、そんな感情持った事は金輪際ない。でもひょっとすると、そういう感情が芽生える事があったかも知れない、と考えると、尽君の辛さがほんの少し、解る様な気もする。
 同情かも知れない。哀れみかも知れない。
 何にしても、私が誘って、彼がそれに付き合って、それで彼が『助かった』って思ってるなら、いいかな、とも思う。そういう関係も、ある。
 とはいえ、山田の忠告も気にはなる。もし、私や山田、玉緒君の他に気付いている子――尽君を好きな女子――がいたとしたら。彼女はきっと、その事は秘めておくけれど、今現在尽君の近くにいる私の立場を欲しがるだろう。想いが叶わなくても、自分が彼の支えになれたら、って。そして、そのポジションにいる私を恨む訳で……。
 ああ、やっぱり考えてると馬鹿馬鹿しいなぁ。本来、私はこういう事考えるの不得手なのよね。友達だから、気に入ってる相手だから、面倒みてやろうじゃないの、ってのでいいじゃないの。ただでさえ厄介な事に手を出してるのに、これ以上のトラブルは御免だわ。来たら来たで正々堂々と立ち向かってやるわよ、もう。
 とはいえ、本当になんだって、赤の他人がここまで事情通じちゃってるのやら。我ながら、分からない。
 そんな事を考えながら帰り道、商店街を通過していく。山田と話し込んでた為に、プリントも終わってないし、急いで帰ろうと足を速めると。
「きゃっ!?」
「……あ、悪い」
 突然最寄の店から出てきた男の人にぶつかってしまった。ぶつかったといっても、本当に、軽くだけど。
「あ、ごめんなさい、私、不注意でした。大丈夫ですか……、って、あれ、葉月、さん?」
 謝りながらその人を見上げると、淡い栗色の髪と、綺麗な翡翠色の瞳をした背の高い男性がそこにいた。そんじょそこらに無造作に転がっていない、見間違えようのないその美貌の持ち主は、驚いたように私を見返した。
「……ああ、おまえか。……えっと……」
「……日比谷の妹、でいいですよ」
「……そうか」
 まったくもう、何度も会ってて、こういう人だってのは知ってるけどね。せめて苗字くらいはすぐに出てきて欲しいなぁ。
「あ、本当に済みませんでした。ぶつかっちゃって」
「いや……俺もボーっとしてたし。大した事、ないし。……おまえこそ、大丈夫か?」
 何となく、お義理で聞いているような気もするけど、まあいいか。
「私は平気です、ご心配なく。……買い物帰り、ですか?」
 彼が持っている紙袋が目に入って、何となく訊いてみた。この人、こっちから話題ふらないと黙ったままだからなぁ。
「ああ……。アクセサリーの材料。切れたから、補充しに」
 そういえば、出てきたお店は、手作りアクセサリーの専門店。店構えは小振りだけど、材料などの種類はかなり豊富。以前タウン誌でも紹介されていたから知ってる。
「そうだったんですか。あ、でも、結構重そうですけど、車で来たんですか?」
「いや……歩き。車だと、眠くなるから」
 だと思った。
「でしたら、途中までご一緒していいですか?確か、家の方向同じですよね」
 試しに言ってみた。別に断られても構わないんだけどね、一応お約束って事で。
 すると意外にも。
「ああ、べつに、構わない」
という答えが。言い出したのはこちらだけど、少し驚いてしまった。先生と一緒ならともかく、一人でいる時に、こういう答えが返ってくるとは。まあ、全然知らない仲じゃないし、たまにはこういう事もあるか。
 それじゃという事で、私たちはお互いの家の方向に向かって歩き出した。その途中、ふと、どこかで見たような顔が目に入ったけど、すぐに視界から消え去ってしまった。知りあいではなかったし、ま、いいか。
「アクセサリーのお仕事、順調だって先生に聞いてますよ」
「そうか?……まあ、順調っていえば、そうかな。仕事の依頼、増えてきたし」
 しばらく前までは学生とモデルを兼業していた葉月さんだけど、今はアクセサリーの工房に勤めていて、宝飾デザイナーの卵だそうだ。モデル時代に築いたコネの功名や、本人の優れた感性の賜物もあって、彼の作るアクセサリーはなかなか評判がいい。そういう私も小さい物を一つ二つ持っている。モデルの仕事は、大学を卒業したと同時に殆どやらなくなった。今はせいぜい月に一・二回。東雲先生が撮影スタジオ隣の喫茶店でバイトをしていたからこそ、モデルを続けていたんだ、とは尽君談。
「葉月さんのアクセサリーって、洗練されてるのにどこか繊細なところがあって、私とても気に入ってるんですよ」
「それは、どうも……」
 あ、少し照れてる。う〜ん、こういうところ、普段見られないけど、可愛いかも。口には出せないけど。
「モデルのお仕事の方は、もうあまりしてませんよね。こっちはそのうち引退ですか?」
「ああ……。特にやりたい仕事って訳じゃ、ないし。今やってるのも、大学時代から引きずってるやつだから。それが終われば、やめる」
「あっさりしてますねぇ。でも、人間やっぱり好きな事してるのが一番幸せですよね。葉月さん、アクセサリーの話になると、とても楽しそうに見えますもの。月並みですけど、頑張ってくださいね」
「ん、サンキュ。……そういえば、日比谷……兄の方はどうだ?」
「兄さんですか?相変わらず、突っ走ってるんじゃないですかねぇ。あの人、勘違いしたまま猛進するタイプだから、不安なんですけど、丈夫と言えば丈夫だから。最近は忙しいみたいで、あまり連絡取ってませんけど」
「そうか」
「あ、そういえば、兄さんって高校時代に葉月さんに付きまとってたんですよね……」
「……今でも、たまに電話、かかってくる」
「げ。……頭痛いなぁ、もぅ。すみません葉月さん。ああいう人なんで、勘弁してやってくれませんか?」
「別に……以前ほど、気にしてない。それに、おまえには関係ないから」
 言葉は冷たいようだけど、暗に『気にしなくていい』って言ってくれてるのがわかる。東雲先生が惚れるのが解るよ、この人。優しい。……判り難いけど。
 それにしても、兄さんったら。今度帰ってきたら拳付きで説教してやる。
「そう言ってもらえると助かります。……でも、『以前ほど』って事は、やっぱり迷惑してたんでしょう?」
「俺より……あいつの方」
「……東雲先生にもご迷惑かけてたそうで。本当に、ふがいない兄で申し訳ないやら、です」
 すると、葉月さんは、本当に僅かに表情を崩した。
「?どうかしましたか?」
「いや……あいつが『先生』って呼ばれてるの、まだ、変な感じがするから」
「そうですか?先生、頑張って『先生』やってますよ。時々変な失敗するから、目が離せませんけど。まだ3ヶ月も経ってないけど、評判いいですし。以前から知ってるっていう贔屓目抜かしても、私、東雲先生の事好きですよ」
 これは本音。だって実際頑張ってるのが見えるから。前を見て、自分を高めていこうとしているのが分かるから。
 そういう人だから、尽君も思い切れないんだろうな、とこっそり思う。
「そう、か。……だよな」
 ほんの少し、溜息が混じったような気が、した。……何だろう?
「葉月さん?……何か、気にかかる事でもありました?」
 思い切って訊いてみる。答えを期待する訳ではないけど。
「いや……ああ、そうだな。……おまえ、あいつの弟……尽と、仲良いよな」
「尽君?……はい。小学の時からの腐れ縁ですから」
 葉月さんの言葉を聞いたら、大体予想はついてしまったんだけど、それでも、私は『他人』だから。何も知らないように、答えなくちゃ。少し、緊張する。
「……あいつ、最近尽が自分の事避けてる気がする、って言うんだ。頼まれた事はやるし、ちゃんと相手もするけど、いつも忙しくして、あまり顔をあわせてくれないって。どうしてだろうって、悩んでて、それで……。何か、知ってないか?」
 なるほど、それを訊きたくて私の誘いに乗った訳か。それにしても、先生にまで気付かれてるんじゃ、マズイんじゃないの、ホント。
 ともかく、私は何も知らないふりをして、しらっとぼけているしかない。
「う〜ん。予備校とか、生徒会とか、彼が忙しいのは確かですし。どうなんでしょう、さすがに高校生にもなると、お姉さんべったりっていうのも恥ずかしくなって来たんじゃないですか?小さい頃に仲が良すぎると、大人になって疎遠になってくるっていう事もありますし。私はそう思いますけど。良いんじゃないですか?姉離れ」
「……それだけ、だと良かったんだけどな」
「……葉月さん?」
 妙な、沈黙。……何、今の台詞。
「……いや、何でも、ない。変な事訊いた。……悪い」
「え?……え、いえ、別に変だとか悪いとか、思いませんけど」
「尽とおまえ、最近良く一緒に行動してるっていうから、訊いてみただけだから。……あ、それじゃ、俺、こっちだから」
「あ、はい、そうですね。それじゃあ葉月さん、ご機嫌よう。お休みなさい」
「ああ。……じゃあ」
 それぞれの家に繋がる交差点で、私達は別れる。真っ直ぐに背中を向けて歩いていく葉月さんを見ていたら、ふと、中学に入る頃に尽君が言っていた言葉を思い出した。
『葉月ってさ、ああ見えて結構独占欲強くてさ。姉ちゃんに好意持ってる奴とかにも敏感なんだ。男としてちょっと狭量なんじゃないかって、そんな気もするんだよな。まぁ、オレにもそういう感情がないとは言わないけど』
 ………………。
 ………………。
 …………尽君、恋敵にはバレてるみたいよ?なのに、当の本人には知られてない。
 最悪ってやつ、かしら。
 そういう事分かってしまった私も、何だか最悪な気分になってしまった。
 
 そして、最悪な気分は、翌日も続く事となった。
 

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