Scene 4


 
 
 結局、今まで通り、暇ができると私は尽君を誘う事にした。一人だけ誘っているのもわざとらしいから、ついでに玉緒君も連れ出して。玉緒君は、私がいれば緩衝材になるから助かるよ、と言ったけど、その例えもなんだかな。尤も、三人とも、休日は予備校があったりして、それなりに忙しいんだけど。
 そんな事がいくらか続いた六月のある日、放課後私がいつも通り教室で氷室印のプリントと格闘していると、一人の女生徒が声をかけてきた。
「日比谷、ちょっといい?」
「あれ、山田。何か用?」
 声をかけてきたのは隣のクラスの山田。報道部の副部長で、いわゆるクールビューティ、デキルお姉さまタイプの、私の友人。友人といっても、お互いベタベタするのが好きじゃないので、用がなければ大してつるんだりしないんだけど。
「まあね。話があるの。ちょっと顔貸してよ」
「分かった。どこ行く?屋上?」
「ウチの部室。今の時間誰もいないから。行こう」
 簡単に机の上を整理して、歩き出した山田について行く。報道部の部室は、放送室の隣にあって、完全防音。という事は、あまり漏れるとまずい話ってことか。部屋に入ると、山田は外を確認してから鍵を閉める。
「何?そこまで厳重にする必要がある話な訳?」
 雑多な資料や書類、ついでに凄まじい量の写真の山にまみれた部室の、比較的空いてる部分に椅子を動かして、私は尋ねた。
「まさかあんた、私に何かしでかそうってんじゃないでしょうね?遠慮しとくわよ。私ノーマルなんだから」
「何笑えない冗談言ってんの。それに、あんたに何か仕出かそうってのは、あたしじゃなくて、他の奴。忠告しといてやろうと思ってね」
 備え付けの冷蔵庫から、わざわざお茶まで出した上で、山田は話を切り出す。……なる程ね。忠告、の一言で大体の見当がついた。
「その顔だと、あんたにも予想ついたみたいね。そう、東雲・紺野ファンクラブの連中。主に東雲のファンね。その中で、特に夢見がちで勘違い屋の乙女ちゃんたちが、どうも他の子煽動して、あんたの事糾弾しようとしてるみたい。糾弾で済めば良いんだけど、あんたって、結構僻まれ要素持ってるからね」
「……馬鹿馬鹿しい話」
 尽君に憧れる女の子は多い。特に山田が言ったような、夢見がちな――言い換えれば暴走しがちな女子には、彼の屈託ない対応や、誰にでも親切に振舞う言動がかなり効果をもたらしているようで、表面上和やかに見えて、陰では陰湿な女の戦いが繰り広げられている、らしい。
 玉緒君は玉緒君で、積極的に女子と話す訳ではないとは言え、穏やかな物腰と公平な態度でこれまた女子の人気は高い。
 二人とも、お顔の造りが良いときてるし(これが重要なんだろうけど)。
 加えて、私個人に対する反感が、女子の間にはある。自分で言うのもなんだけど、私は成績はトップクラス、運動神経は抜群、手先も器用。容姿も悪くはない。どういう訳か、男子に割と受けが良かったりするし。これで目上の人の信用も厚い優等生タイプだとすると、同性が僻む要素はたっぷり。でもほとんど自分で努力して築きあげたものだから、僻まれるとそれはそれで腹が立つ。今の自分で誇りに思ってる部分多いから、尚の事。
「うん、バカな話だと、あたしも思う。でも、それがさも一大事と思い込む連中も多いからね。最近あんた、東雲の事よく誘ってるじゃない。その辺が連中には気に入らないんでしょ。皆が同じ位置にいればいいけど、抜け駆けは許せないってヤツ。そんな、他人こき下ろすよか、自分を磨くべき方が重要なんじゃないかって、思うんだけどね」
「まったくだわ。確かに私は尽君の事誘って出歩いてるかもしれないけど、玉緒君だって一緒の時が多いわ。それに出歩くって言ったって、予備校の帰りに本屋に寄るとか、休みの日に図書館で勉強するとか、そうでなければ森林公園で短距離勝負とか、言っちゃなんだけど、色気ないわよ。そういうところは見えないんでしょうかね」
「色抜きだってのは、あたしだって知ってるわよ。あんた、確かに黙ってりゃそこそこ美少女だけど、話してみると結構男前だもん。あたし、そういうので仮面被ってる奴は判る。だからあんたの事好きなんだけど。そうじゃなきゃ、こんな忠告しようとか思わないし」
「そりゃどーも」
 男前、という単語に首は傾げたくなるものの、山田の気遣いは嬉しい。大体にして、山田が情報料の提示もなく、こういう事を言ってくれる相手なんて、そうそういない。こいつは報道部だけあって、情報というものの価値を知っているからね。
「第三者の目から見て、だけどさ。東雲って女子全般に優しいけど、一番良く話してるの、結局のところ日比谷なの。良く話すようになったきっかけがあんたの兄と東雲先生の事だったってのも知ってるけど、それにしては、随分親しそうに話すなぁっては思ってるのよ。正直、東雲って本人もレベル高いけど、相手にもレベルの高さ要求してるよ、無意識にさ。何しろ、あいつの一番身近な女ってのが、あの東雲先生だもんね。天然ぶりは到底適わないけど、あんたも表面だけ見てると、それだけのレベルはクリアしてるし、そういうのもあって、東雲が話しやすいのかもって。あたしの推察だけどね」
「単に腐れ縁が続いてるせいじゃない?小4の時から、ずっと同級生で、気心が知れてるっていうか。実際、尽君と学級委員とかのコンビ組む機会多かったし、その辺の呼吸は承知してるでしょ、お互い」
「そこよ。そういうところが気に入らない連中が多いの。あんたみたいに『そんなもんでしょ』って考えられない子がね。これであんたがヅカの男役系の美人だったら、また話は違かったろうけど、その面でその性格だからね。あたし、いざと言うときに助けには入れないと思うし、心構えだけはしといてよ」
「そういう時は、『あたしだけはいつでもあんたの味方よ』とか言ったら?嘘でもいいから」
 苦笑しながら山田に言ってみると、予想に違わぬ答えが返ってきた。
「そういうベタな事言ったら、あたしの良心が壊れるわよ」
「壊れるほどの良心、持ってたの?」
 言うと私は、空になったカップを持って立ち上がった。
「洗ってくるわ。話終わりよね?」
 山田は、ちょっと考え込むような顔をした。そして、
「その件についてはね。実はもう一つ話……というか、聞きたい事があるの。忠告料じゃないから、黙秘権の行使もOKよ。座って。そっちの話の為に、ここに連れて来たんだから」
と言った。やれやれ、まだあるのか。というか、完全防音にしてまで聞きたい話ってのが何なのか、薄々予想がついて、私は内心溜息をつく。実は結構バレてんのかしら。
 椅子に座りなおして、手酌でお茶を注ぎながら聞き返す。
「私の危機より重要な話って何?しかも黙秘権OKって、何だか悪い事してるみたいだわ」
「あたし的には悪い話ではないんだけどね。例によって東雲と、あと紺野の事かな。最近、あの二人コソコソしてる部分があるからさ、あんた何か知ってるかなって」
「何それ。そんな事のために引き止めたの?勘弁してよ。二人がコソコソしてたって、その内容まで知ってる訳がないでしょ。そこまでツーカーじゃないって」
 上手く表情に動揺を乗せないように答える。さもうんざりしたような顔で。すると山田も苦り切ったような顔で笑う。
「でしょうね。そこまであんたが首突っ込む女だと思わないし。もし万が一あの二人がデキてる、なんて言ったって、『だから?』で済ませるような女だと、確信してるよ」
「……そんな噂流れてるの?」
「乙女の思考回路は色々と屈折もしてるものなんでしょ。ま、そんな噂は中等部の頃から流れてるわよ。あの二人、正反対だけあって妙にかみ合うものね」
 確かに、裏表なく明朗でノリのいい尽君と、一見温和で実は侮れない玉緒君の組み合わせは、見事なまでの双璧を成している。
「でも、そんな事はどうだっていいのよ。あたしが訊きたいのは、最近の二人のコソコソぶりに、東雲先生が絡んでるんじゃないかって事」
 瞬間、ドキッとした。でも、表には出さないように。
「何でそう思うわけ?って言うか、だからどうしたっていう感じなんですけど」
 何ともないように言う。
「うん、そう言うと思った。あたしだって、どうしてもあんたから情報を得ようと思ってる訳じゃないのよ。ただ、彼らの情報は高く売れるじゃない?それで、色々観察してる部分も多いの。元々観察力が優れているあたしですからね、見える部分も幾つか出てくる、という訳。東雲のシスコンぶりは、はっきり言って有名よね」
「まあね」
 苦笑しつつ私は答える。なんと言っても、尽君が姉の影響を強く受けているのは、昔から彼を知っている者にはバレバレ。挙句シスコン呼ばわりだしね。それでも、べったりというほどではないから、遠巻きにされる事はないんだけど。(今思うと、それも計算の内だったのかしら?)
「だけど、2年になって、あんたのクラスの副担に東雲先生が就任して以来、あいつの調子、今一つ狂ってるように見える。違う?」
「さぁ?私は単に、構われるのが嫌で、逃げ回ってるだけかと思ってるけど」
「うん。殆どの子はそう思ってる。だけど、あたしはそれだけじゃないと見た。すっごい僅かな空気の変化。先生と話している時の東雲、ひどく緊張してる。何かを耐えてるみたいに」
「…………」
「それでさ、そんなところにあんたがまた、タイミングよく声かけるじゃない。すると、空気がね、こう、『助かった』って感じになるの。だから、もしかして、って思ったのよ。それと、あんたがよく東雲を誘ってるってのを聞いた時、ふと閃いたのよね。そういう空気の原因、あんたは知ってるんじゃないかって」
「……それ、カマかけ?」
 バレてんじゃないの、まったく!何でこう、彼の周り(私の周り、というべきか)には鋭い奴が多いかなぁ。
「そう怖い顔しないでよ。これは単なる個人的な興味、好奇心の類。もしあたしの推測が当たってたとしても、他には漏らさないわよ。そこまでデリカシーなくはないよ、あたしだって。ただ、あんたがそれを知った上であいつを誘ってるせいで、東雲ファンクラブの連中が激昂してるとしたら、そこまであいつに義理立ててやる必要があるのか、そんな理由があるのか、それが分からなくって。あたし、あんたが実は情が深いのも解ってるよ。だけど、自分犠牲にしかねない事、しないで欲しいのよ、正直なところ」
 山田はとても真剣な顔で、私を真っ向から見据えてきた。嘘のない、真っ直ぐな言葉。
 ……心配、してくれてるんだ。だから、尽君の事を持ち出してまで、忠告してくれてる。『味方だ』なんて事は口にしないくせに、もっと暖かい感情をくれる。
 ……嬉しい、と思った。
 思った、だけど。
「――それは私の問題」
 一息で言い切った。すると彼女はやれやれといったように、
「――そう言うと思った。こういう時そう言うのが、あんたって人間だから」
と答えた。私は黙って笑い返す。山田は心底脱力したように、椅子に体を預けきってしまった。
「余計なお世話だと、思ったけど。でも、言っときたかったの。それと、東雲の事情、そうと知ってる奴、本当に一握りだと思うよ、今のところ。このあたしですら、気がついたのはごく最近。熱狂的ファンの中には、ポツリポツリいるかもって思ったけど、あんたに矛先が向いてる時点で、それはなさそう。先生にくってかかれない分、あんたに八つ当たりって可能性もあるけどね。そんな訳で、忠告は、した。後はあんたの気の済むようにしてよ。私はもう、傍観者に専念する」
「……山田」
「何よ」
「ありがと。愛してるよ」
「…………病院行ってこい」
 再び空になったカップを持って、私は今度こそ部屋を出た。
 

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