Scene 3


 
 
 運命、だなんてよく言う。
 確かにね、彼の秘密を知っているのが、口が固くて信頼の置ける私(自分で言うか)だって事は、それなりにラッキーな事ですけど。それにしたって、そういう台詞をケロリと言えちゃうあたり、玉緒君らしいというか。
 昼休み、お弁当を持って屋上に向かいながら、私は昨日の玉緒君との会話を思い返していた。
 実の処、「ウザイ」という気持ちには偽りはない。それは本当。
 でも、それ以外にも、やっぱり居た堪れなくなるのは確か。あの明るい尽君がわずかにでも沈んでるのを見るのは、結構辛いものがあるのよね。何だかんだ言って、私自身、彼の事が気に入ってるし。……それがいわゆる『恋愛感情』かどうかはともかくとして。
「あ〜あ、何をどうしたいんだろ、私」
 ドアを開き、目の前に広がる雲の流れを見ながら大きく溜息をつく。すると、頭上から明るい声が降って来た。
「何溜息ついてんだよ、日比谷らしくないな」
 振り向いて見上げれば、屋上出入り口の上から尽君が顔を出していた。――いつもどおりの笑顔。
「こんな所にいたの?さっき東雲先生が探してたよ。見かけたら被服科準備室に来るように伝えてくれって。急ぎの用じゃなかったみたいだけど」
 彼はそれを聞いて、ふくれっ面を浮かべた。
「またかよ。どうせ教材運ぶの手伝えとか、プリント整理手伝えとか、そんなとこだろ。まったく姉ちゃんてば、オレの事小間使いだとでも思ってんのかなー」
 私は思わず苦笑してしまった。東雲先生は確かにそういうところの要領が、お世辞にもいいとは言えない。だから、弟が自分の生徒なのをいい事に、尽君に色々と手伝わせているのは周知の事実。
「文句言う割に、最後にはちゃんと手伝ってるのはどこの誰?」
「……それは。だって、ほら、ウチの食事、半分は姉ちゃんが作ってるんだぜ。手伝わない、とか言ったら、オレの食生活がどんな悲惨なものになるか、想像したくないよ」
 今度はひどく困ったような顔。私は思わず吹き出してしまった。普段は大人っぽく振舞ってるけど、こういうところは本当に子供っぽい。分かりやすいったら。
「あ、笑うなよー。オレにとっては切実なんだぜ?」
「ハイハイ、ごめんって。ねぇ、もうお昼御飯食べたの?」
「え?あ、いや、これから。日比谷は?」
「屋上で、参考書見ながらと思ってたんだけどね。尽君がいるなら勉強にならないし、私もそっち行っていい?」
「『オレがいるなら』ってどういう意味だよ?……ま、一人でボーっと食うのもつまんないし、いいよ、登って来なよ」
「じゃ、これ先に上げて」
 私は手を延ばした彼の手に、自分のお弁当と参考書を渡す。そして裏に回って梯子に手をかけて、一気に体を上に上げる。2秒後にはあっさり屋上の最高峰に到着。実はここの梯子、迂闊には登れないように、途中まで引き上げられている。だから運動神経のない者にとっては禁足地の如き場所なのだ。
「お見事。相変わらず身が軽いよなぁ、日比谷」
「身の軽さは、絶え間ない鍛錬によって培われた筋力によるものよ。猿みたいだ、なんて思ってたら殴るからね」
「あ、バレたか」
「やっぱり思ってたか」
 ついでに軽く頭を叩いてやる。大げさに痛がる彼を見て、やっぱり笑ってしまった。
 それからしばらくは、お互い栄養を摂取するのに専念。お互い割と大食漢なものだから、あわよくば相手のおかずを掠め取ろうと狙い合う。まあ大体はドローなんだけど。でも、彼のお弁当はお姉さんの作品だから、本当に美味しいのよね。これがなくなるとしたら……確かに迂闊に手伝い要請を断れないわ、と実感。
 それにしても、こんな奪い合いしてると、ほとんど弱肉強食の世界。色気も何もあったもんじゃない。そこが、私たちの関係なんだけどさ。
「ふう、ごちそうさまでした」
 空になったお弁当箱に、手を合わせて食後の挨拶をすると、尽君は何だかおかしそうにこっちを見ている。
「何?」
「いや、日比谷ってそういうところ礼儀正しいなって感心してたんだよ。そりゃ、普段も礼儀を守るところは守るけど、細かい所もおざなりにしないっていうか、今時珍しいと思ってさ」
「……褒め言葉と取っておいていいのかしらね?」
「もちろん。故なく他人を貶したりはしませんよ、ボクは」
「なーにが『ボク』だか。私の生命活動を維持してくれる食物に対して、感謝の念を持つのは当然でしょうが。尽君こそ、ちゃんとお姉さんに感謝の気持ちを持ってるんでしょうね?」
 一瞬、それとは気付かれないくらいの沈黙があったけど、すぐに反応が返ってくる。
「そりゃ当然持ってるよ。要領悪くて見てらんないくらいボケっとしてる姉だけど、料理の腕はプロ並だからな。育ち盛りのこの時期にこれだけの物食べられるのって、幸せもんだよなーオレ、っていつも思ってるし。あ、でも、日比谷だって料理上手だよな。これだけ多彩な才能持ってるのって、すごいよ、うん」
「付け足しみたいに言わなくてもいいわよ。まあね、料理はね、私が食にこだわるが故の趣味ですから。どうせなら美味しい物食べたいし、自分の口に合う物は、やっぱり自分にしか作れないものじゃない?」
「……ふ〜ん」
 そういうと、彼は日光で暖められたコンクリートの上に横になった。そしてゆっくりと目を閉じる。
「オレ、そんな事考えた事なかったけどなー。いつも食べてる物が、自分の口に合ってたし。ガキの頃から食べてるから、一種の刷り込みかも知れないけどさ」
 その言葉の裏にあるものの事を思いやって、私は少し眉を寄せた。でも、気付かないふり、しないといけない。なんて事のないように、話を続ける。
「幸せもんよね、それ。ウチはねー、母親の味付けが大雑把だったものだから、自分で何とかしないとまともな味覚が形成されないって、幼心に思っちゃったのよ。いわば、必要に駆られて料理に手を染めたわけよ。結構はまる要素があったけどね。サイエンティフィックなところとか」
「おまえが言うと、料理が家庭的なものから、一気に化学実験の領域になるなぁ……」
 目を閉じたまま、表情がほころぶ。ふと、その顔に浮かぶ物に気付く。
「尽君、目の下、隈できてる。寝不足?」
「ん?……ああ、最近忙しかったからさ。ちょっと疲れ溜まってるかも。日比谷、昼休み、後どれくらい?」
「残り?……えっと、あと20分くらいかな」
「じゃ、オレ、それまで昼寝してる」
「でも、次は氷室先生の数学よ?ここで寝たら起きられないんじゃないの?」
「その時はうまい事言っといて。氷室先生、日比谷の事信用してるから、何とかなるだろーし」
「あのね……そりゃそうかも知れないけど」
 とかいってる内に、彼の表情は寝顔と同調してきている。……余程疲れてるみたい。仕方ないな。
「分かったわよ。時間まで付きあってあげるわ。5分前には起こすから」
「ん……サンキュ。…………いろいろ」
「……え?」
 気付かれた?思わず息を呑む。けど、彼は既にまどろみの世界に逃げ込んでいた。
 ……もしかして、玉緒君にバレてたように、尽君にも気付かれているのかも知れない。気付いている事に気付かれたかも、知れない。――でも。
 私に他に何ができるっていうの。私は、単なる尽君の幼馴染で、友達で。それ以外は結局のところ『部外者』『赤の他人』なのだから。なのに、見えてしまう。見てしまう。これは、どういう事なんだろうか。
 本当に、私は、何を、どう、したいんだろうか。
 手持ち無沙汰になって、傍らに置いてあった参考書を広げたけれど、大して頭にも入ってこない。
 こんな物見たって、人の心の役には立たないって考えたら、何だか少し、馬鹿馬鹿しい気分になってしまった。
 

【Scene2】   目次   【Scene4】