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Scene 21
すれ違う招待客に会釈をしながら、私たちは葉月さんの控え室の方へ向かった。二人とも、さっきの私たちの内緒話に興味は持ったものの、別段詮索する訳でもなかった。この辺の身の弁え方が、この二人に共通した美点かも知れない。褒めると調子に乗るから、言わないけどさ。
少し行って、廊下の角を回った辺りに、花嫁の弟の姿が見えた。品のいいネイビーのスーツを着こなし、腕を組んで壁にもたれかかっていた。私たちの姿を認めると、片手を挙げて応える。
「よ、参列ご苦労さん」
「東雲ってば、どこに行ってたの。いくら仕事無いって言ったって、せめてこんな時くらい、姉上についててやってもいいんじゃないの?」
「あのなー、あんな所にずっと居続けてみろ。どこの誰とも判らない親戚連中が、オレの覚えてない遠い過去の恥まで暴露しまくりだぜ?ただでさえ日々の激務で疲れてる頭で、そこまで気を回す余裕は、はっきり言って皆無だぞ、今」
「なるほど、逃げは逃げでも、そういう一般的な原因からか。安心したよ、尽」
「玉緒君も言い難い事はっきり言うわねぇ」
「ホントだよ。おまえ、何だってそんなに歪んだ性格になったんだろーなー。中学くらいまでは、まだまともだったのにさ。女の子の母性本能くすぐってた、あの内気さはどこ行ったんだか」
「僕は今でも内気だよ。だから、信用できる人以外に本音は言わないじゃない。――で、尽、何でこんなとこで立ちんぼしてるの?葉月さんにお祝い言ってきたの?」
単刀直入に玉緒君が訊ねる。内気、という言葉の意味を、それはもう甚だしく間違えてるような気がするんですけど。
訊かれた尽君の方は、難しい顔をして、天井を仰ぐ。
「う〜ん、それはまだ」
「まだ?何やってんの、東雲。あんたこの期に及んでこの結婚に反対、とか言うつもり?どうせなら、式場から先生抱きかかえて逃げるくらいの事やってくれないと、認めないからね。そうでなきゃネタ的にも面白くない」
「んな訳ねーだろ!!……ったく、山田、おまえ最近オレにキツくない?」
「あたしはあんたより日比谷の方が好きだし、大事だからね。日比谷があんたに甘い分と相殺して、丁度いいじゃない」
「僕も日比谷さんの方が大事だな」
「おまえら……。オレは単に、葉月に言ってやる啖呵考えてただけだっつーの」
「啖呵?」
放っておくと、いつまでも話が進まなさそうなので、私は尽君の話を優先させる事にした。
「そ。大事な姉を任せる弟としては、何か一つバシッと決めてやんなきゃ。だろ?」
「で、その啖呵が未だ決まらず、こんな所で悶々としてる訳か。情けない男だこと」
「本当だね。尽がここまで煮え切らない男だとは思わなかったなぁ。土壇場で決める才覚も無いんじゃ、将来の出世はおぼつかないよ。日比谷さん、本当にこんなのでいいの?」
「こんなのってなんだよ、玉緒!ってゆーか、おまえらにそういう事言われる筋合いねーぞ!!」
次々と毒を吐かれ、、さすがに尽君も気分が荒んできているようだ。もっともこの二人に毒を浴びせられて、それでも平気な人間がいるとしたら、それはよっぽどできた人間か、さもなければ救いようのない天然ボケだろう。
「山田さん、こんなの放っといて葉月さんの所に行こうよ」
「そうね。東雲かまってるより、その方が余程有意義だわ。日比谷、あんたはその駄々ッ子の面倒見てやって。じゃ、先に行ってるわ」
二人はそう行って、あっさりと踵を返す。あまりにも素早い呼吸の取り方に、何だか呆気にとられてしまった。あの二人、あんなに仲良かったっけ?
「誰が駄々ッ子だっつーの!ったく、あいつら日に日に性格悪くなってる気がするぞ。特に玉緒。昔のオドオドした態度はどこ行ったんだよ」
「本当よね……。強くなったというべきか、図太くなったというべきか……」
「日比谷の影響かもな」
「はぁ!?何で私のせい?」
「おまえの責任ってんじゃないよ。影響を受けるかどうかは、本人次第だろ。――ちょっと場所ずらそ。そっち、中庭行こ」
「え、あ、うん」
廊下からは、割と広い中庭に繋がっている。確かに廊下で喋っていると、知り合いの招待客がきた時の対応が面倒だ。花壇に綺麗に整えられた秋の花々が、明るい日差しを浴びて緑の絨毯に彩りを添えていた。
中庭の角、余り人に見えない所で、私たちは歩みを止めた。
「東雲先生が言ってたわ。『おめでとう』って、言えたんだって?」
「……ああ。思ったよりも、素直に出てきたよ。昔みたいにさ。ま、それくらい言えないと、オレも男として情けないからな。ついでに一言二言余計な事も言ったけど、姉ちゃん気にしてないみたいだったし、これでいいかって。言葉と同じように、あっさり出て来た。笑顔も」
重い荷物を下ろしたようなこざっぱりした顔で、尽君は言った。
「……そっか。それは何よりだ」
「うん。で、こうなったら葉月にも何か一発言っとこうと思ったんだけどさ。これがまた、なかなか出なくって。まだ時間があるのをいい事に、ずっと考えてたんだけどさ。何て言ったら一番格好良いかとか、悩んでんだよ」
「大した悩みじゃないじゃない、そんなの。格好良いとか考えずに、自分が今まで一番言ってみたかった台詞、言ってやればいいのよ」
「まぁ、それはそうなんだけどさ。でもなー、だとするとコレ、姉ちゃんと二人でいる時に言ってやった方がいいのかなぁ?それとも姉ちゃんがいない方が、牽制って意味では効果的かなぁ?」
牽制って、何考えてるのやら。姉思いの弟としては、ってとこかしら。
「何にしても、ほぼ決まってるんじゃないの。だったらこんな所で悩んでないで、本人の所に行って言い逃げしてやったら?そんな事したって、葉月さん大して反応しないと思うけど」
「……それもそうだな。よし。コレでいこ。日比谷もまだ挨拶してないんだろ、葉月んとこは。一緒に行こ」
「こんな時までフォローですか?やれやれだなぁ」
「フォローじゃなくて、証人が欲しいだけ」
証人、ね。少しは格が上がったって考えていいのかしら。でも、甘え一辺倒ではなくなったのは、良い傾向かも。
廊下に戻り、私と尽君は葉月さんの控え室に向かう。途中、先に行ったはずの姫条さんたちや、氷室先生、理事長先生なんかともすれ違う。軽く挨拶を交わして控え室に着くと、こっちもこっちで招待客の応対に追われていた。こちらは友人よりも、仕事関係の人が多いみたいで、交わされている会話も割かし堅め。応対している葉月さん、見るからに面倒くさそうだ。
……それにしても何でこの人、こんなに『王子様』なスタイルが似合うんだろ。寸分の狂いなく着こなした洒落たモーニングが、これまた良く似合っている(そう言えば、このモーニングも、東雲先生のお手製だと聞いた気がする)。ああ、本当にこの人は王子様属性だなぁ。思わず見とれてしまったわ。
「こんにちは、葉月さん。ご結婚おめでとうございます!」
「……ああ、おまえら、か」
少し人がまばらになったあたりで、私は本日の主役の片方に声をかけた。葉月さんもすぐに気がついて、私たちの方に近寄って来る。玉緒君たちはもうとっくに戻ったみたいで、控え室にはいなかった。
「大変ですね、これだけの人が来ると。既に疲れてるんじゃありませんか?」
「……実は、そう」
さも辟易したように話す。この人って、素直に感情出せないけど、結構正直よね。
「だらしないなぁ、葉月。今からそんな事で、一生姉ちゃんのフォローやってけんのかよ?」
尽君が、不敵な笑みを浮かべて言う。そこには今までのわだかまりなんて、微塵もなかった。
「……それは、別。あいつの事なら、苦にならないから。……そう言えば、おまえ、あいつに何か言ったらしいな」
「ああ、言ったぜ。『いつまでもボケっとしてドジばっかやって、葉月に愛想尽かされないようにしろよ』ってな。ついでに、『ま、そうなったらオレが一生姉ちゃんのフォローしてやるけどさ』とも、言ったかな」
思わず隣に立つ尽君を見上げる。そんな事言ったのか、この人は。
「そう、それ。あいつ、怒ってたけど、それでも嬉しそうだった。……だから、いい」
葉月さんは相変わらず無表情のまま。ほんの少し、空気は柔らかいけれど。
「そーか」
すると尽君は、片手を上げて、葉月さんの胸元をピッと指差す。不敵な笑みは、そのままで。
「この際だから、おまえにも一言言っとくぜ。――姉ちゃんを泣かせたり苦しめたりしたら、タダじゃおかない。そん時は、オレが姉ちゃんを掻っ攫っていくからな!覚悟しとけよ?」
しばし、無言。
周囲が喧騒にある中、私たちの周りだけが、音を失っていた。
音が戻ったのは、葉月さんがかすかに、フッと笑った気がした時。
「……分かってる。……それに、おまえが一番、強敵だからな」
「ヘッ、分かってんじゃん。さすがはオレの『義兄貴』だな」
クスッ、と。今度は私でも判るくらいに、葉月さんの表情が変わった。
「いや……だった、と言うべき、かな……」
葉月さんが、私の方をチラッと見たような気がしたけど、それは一瞬の事で。視線はまたも尽君の方に戻る。
「それだけか?」
「まーな。――それじゃ、オレは姉ちゃんの所に行く。葉月よりも先に、姉ちゃんの艶姿、しっっかりと拝ませてもらうぜ。行くぞ、日比谷」
そう言ってさっさと踵を返して、素早く控え室を出ていく。
「あ、ちょっと、尽君!……あ、それじゃあ葉月さん、私も失礼します」
「……ああ。……尽、頼んだ」
「……はい!」
そう答えて、私も尽君の後を追って控え室を出た。尽君の最後の台詞を聞いた時の、葉月さんの憮然とした顔に、ちょっと笑いを誘われながらも。
出てすぐの所で、彼はちゃんと待っていてくれていた。私が追いつくと、二人同じ速度で歩き始める。
「なかなか『イイ男』っぽかったわよ。というか、姉思いのイイ弟、よく表現されてたじゃない」
「言い逃げすればいいって言ったの、おまえの方だろ?」
「まぁね。でも、内容はなー。ちょっとジェラシー感じちゃった。柄にもなく」
「へぇ、日比谷でも嫉妬する事あるんだ。それは新発見だなー。ま、そのへんも計算してたんだけどさ。おまえ、全然そういうところ見せないし」
「何それ。葉月さんだけじゃなくて、私の事まで挑発してたの?やめてよね、尽君まで玉緒君化したら、私人間不信になりそうだわ」
「その喩えはないだろ。大体オレは玉緒には全然敵わねーよ。何たって『イイ男』だからな。ダークにならなくても、通用するし」
「まったくもう。落ち込みから回復したと思ったら、今度は調子に乗りすぎ。先生のドレス姿見て、また惚れ直しちゃった、とか言い出したら、今度は面倒見切れませんからね?」
「ハイハイ、そこまでやるとさすがに見捨てられそうだから、気をつけるよ」
そんな事を話しながら、私たちは先生の元に向かった。
足取りには、何の迷いも重みもなかった。
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