Scene 22


 
 
 式は、結婚式場のチャペルで行われた。本当は、学園内の例の教会でやりたかったそうだけど、何しろ第三日曜日、多くの生徒が部活だなんだで登校している中で、そんな大っぴらに挙式はできないという現実から、断念したとの事。理事長は結構ノリノリだったそうだけど。
 式次第は、何の滞りもなく始まった。式の前に、先生の所に来た葉月さんが、そのあまりの美しさに言葉を失い、しばし二人の世界を作って周りにいた人間の失笑を誘った、なんて事はあったけど、まぁそこはお約束。
 本格的な造りのチャペルの中で、精巧で優麗なステンドグラスの光に照らされて、二人は本当に幸せそうだった。この二人にとっての物語は、これからが新章。再会した王子と姫のように、いつまでも幸せでありますように、と心から祈った。
 指輪の交換、誓いの言葉、誓いの接吻などが終わり、皆が外に出て、新郎新婦を迎える。正式な教会ではない為、ライスシャワーかフラワーシャワーのどちらかをするのだとは聞いていた。今日の為に用意されたのは、籠いっぱいの生花と、クローバー。生花は須藤グループの令嬢と、そのプランスから。クローバーは発案者である姫条さんと、他の友人連からのちょっとしたプレゼントだという。
 友人や親類に祝福を受けて、外に出てくる二人の姿は、多分私の人生の中でも一・二を争う美しい光景だろう。その瞬間を逃すまいと、山田や山田の父こと元葉月珪専属カメラマンは、父娘でその腕前を競っていたが、私はただもう見惚れるばかりだった。
「日比谷。何ボーっとしてるんだ?」
 一通り花を撒き終えたところで、尽君が私に話しかけてきた。
「だって、綺麗なんだもの、東雲先生。いいなぁ、羨ましいなぁ、葉月さん。あんなお嫁さん、欲しいなぁ」
「ドレスじゃなくて、そっちかよ!?……それよりおまえ、前に行かなくていいの?ブーケトス始まるぞ?」
「あぁ、ブーケトスね。ううん、私、そういうのこだわらないから。客観的には良いなって思うけど、主観的にはそれほど」
 今まさにブーケを待ち構えている女性たちを見ながら、大して興味なさそうに言う。多分ブーケを欲しがる女性たちは、大学時代のご友人がほとんどだろう。中には親類らしき年少の女の子たちも混じっているけど。
「なんかその辺は日比谷って感じ。たまにはロマンチックな気分を味わってみたら?」
「じゃあ訊くけど、そんな気分に浸ってる私、想像つく?」
「………………つかない」
 私と同じように女性たちを見て、尽君が数秒後に言う。それがひどくしみじみとした答えだったので、私は怒るよりも前に笑ってしまった。
「でしょ?ロマンチックじゃないからこそ、私なのよ。そして、そういう私だからこそ、できる事だってあるの。私、今の自分が大好きよ。自分が好きでなきゃ、誰かに好きになってもらうなんてできないと思う。だから、今の自分を変えるつもりなんて、これっぽっちもないな」
「……そうだな。そういうおまえだから、オレも救われたんだしな」
 同時に。おろされた指先に絡みつく、自分以外の熱。
 見上げれば、目に映るのは私の好きな笑顔。ううん、もっと暖かい、愛おしいほどの微笑み。
 私たちは何も言わず、しばらくお互いを見て微笑んでいた。
 ――――すると。
「――え?」
 頭上から丸い影が降ってきて、私たちの上に躍りかかった。正確には……尽君の上に。
「!?」
 突然の綺麗な闖入者を慌てて抱き止めると、周りから、あぁーっ!という落胆の声が響いた。見れば、投げた当人である花嫁も、びっくりしたような顔をしている。ブーケは見事、その存在を無視していた者の手にその身を任せてしまった。しかも、男の手に。
 静まり返った場から、クスクスと言う笑い声と、悔しがる声が漏れ出した。やがてそれは、この日の天気のような、晴れやかな笑い声となった。
「〜〜〜ったくもう!姉ちゃん、コントロール悪過ぎ!せめて女の子の方に投げろってのーっ!!」
「そんな事言ったって〜!コントロール難しいんだよ、意外と!」
「そんな事で威張るなよ〜!あーもう、オレ泣きそう。こんなうっかりな姉が、これから上手くやっていけんのかなぁ」
「尽!!何てこと言うの〜!」
 突如起こった姉弟口喧嘩に、笑いはますます広がっていく。私も耐え切れずに吹き出してしまう。この場で大っぴらに笑ってないのは葉月さんだけかと思いきや……ツボ入ったらしい、この人までもが笑っていた。
「いやー、良かったね尽。次は君が『幸せな花嫁』だよ!」
「そうそう。せいぜい頑張って花嫁修業に勤しむのね。東雲先生に匹敵するくらいの麗しい花嫁になっておくれ」
「おっまえらはなーーっ!!」
 玉緒君や山田にまでからかわれ、ついでに近くにいた知り合い方にも遊ばれて、この数分で彼のテンションは一気に急上昇したみたいだ。触らぬ神になんとやら、怒りの矛先を逃れるように、皆はぞろぞろと、披露宴の会場方向に向かって歩き始めた。
 少しの間、ポツリポツリと人が残るくらいまで、私は尽君のそばに立っていた。からかいの言葉が消えて、彼の方も落ち着いた様子で、大きな溜息をつく。
「はぁ……。何かもう、オレ、疲れた」
「何言ってんの。これから披露宴が待ってるでしょうが。まだまだお役御免にはなってないわよ」
「あー……もうオレ、正直言って、帰って寝たいぞ。ま、そんな訳にもいかないから、付き合ってやるけどさー……。――あ、そうだ。これ、おまえにやるよ」
 そう言って、彼は先ほどのブーケを私に手渡した。
「あら、貰っちゃっていいの?」
「そんなもん、男のオレが持ってたってしょうがないだろーが。興味がないと言っても、おまえは一応女なんだし、持ってても変じゃないだろ。という訳で、オレの精神安定の都合上、貰ってやってくれ」
「そりゃくれるって言うなら貰うけど。花は好きだし」
 生花で作られたブーケは、白からピンクにかけてのグラデーションが上手く配色されていて、先生のイメージにぴったりだった。
「でも本当にいいの?先生の独身生活最後の限定品よ?一点物、レア物よ?本当に後悔しない?後で返せって言っても聞かないわよ」
「しつこいぞ、おまえも。…………そこまで言うんなら、こうするか」
 尽君はスッと私の方に手を伸ばすと、私の手に握られたブーケから、一番小さな花を抜き取る。
 ――一番小さな、ホワイトローズ。
 彼は、その一輪を愛おしそうに見つめながら、長い指で軽く一旋させた。
 そして、その花弁にそっと口付けして、自分のスーツの胸ポケットに差す。
 その一連の動きが本当に流れるようで、私は突っこむのも忘れて見惚れてしまった。
 胸に飾られた純白の花弁は、その背景の色と相まって、清々しい色彩を作り出していた。まるで、今の彼の心を写しているかのように。
「これでよし、と。だろ?」
「…………花婿と同じブートニアじゃ、余計ツッコまれるんじゃないの?」
 目の前で繰り広げられた気障な仕草のショックから立ち戻った私は、内心頭を押えながら尋ねる。けれど彼は、そんなのはお見通し、とでもいうかのように笑った。
「それは大丈夫。だって、今そのブーケの持ち主は、おまえだろ?」
「………………!!」
 ――――不覚!
 何て事だ。今までこっちがリードしてたのに、立ち直った途端にこう来るなんて。……この人、やっぱり……。
 …………面白いじゃない。今度は、正々堂々闘う相手、って訳ね。
 そうと判れば、こっちだって負けられないわ。
 得意そうに笑う彼に対して、私も同じようにニヤリと笑う。
「そうね。――光栄に思いなさい?この私が、哀れな王子の為に、その心を癒す貴重な『花』を、手ずから分けて差し上げたんですからね?」
「……そう来ましたか。今日のところはドローかなぁ。ま、いいや。皆の所、行こうぜ。――あ、日比谷。おまえ、文化祭終わったあとの週の土日、空いてる?」
「文化祭後?うーん、土曜の午後なら、空いてるかも」
「それじゃさ、二人で遊びに行かないか?カラオケで新譜制覇して、ゲーセンで荒稼ぎして、ボーリング場で夕飯かけて勝負。どう?」
 ――それは、かつて私が言ったのと同じ台詞。あれはまだ、夏前だったっけ。よくもまあ、覚えているものだ。
「いいだろ?――行きましょう、デート」
 最後の台詞も同じまま。けれど、その中には紛れもない優しさが詰っていて。私はさっきとは違う笑顔を返す。
「…………そうですね。行きますか、デート」
 その答えを聞くと、彼は私にその大きな手を差し出した。
「それでは、いざ参りましょう、姫君。野を越え山を越え、この世のはて、はるか彼方の遠つ国まで」
 迷いなく差し伸べられたその掌に、私はブーケを持たない方の手を乗せる。しっかりと握り返された感覚が、とても暖かく嬉しかった。
「ええ、参りましょう、王子様。互いの想いと絆があれば、何処であろうと羽ばたけますわ。……ついでに食料もあればね」
「あ、それ、オレが言おうとしてたのなー」
 空に溶けてゆく笑い声をまといながら、私達は一緒に歩き始める。
 どこにだって行けるよね。あなたが隣にいて、一緒に歩いて行く事ができれば。
 あなたがそうやって笑ってくれさえすれば。
 教会の中で繰り広げられるおとぎ話ではなく、教会の外で切り拓かれていく、現実のおとぎ話。
 もう一つの王子と姫の物語は、ヒロイックファンタジーなテイストでいきましょう。
 最低限の装備を整え、腰には磨いた剣を佩き、二人で馬を駆って、颯爽と国を出ていくの。
 こういうのも、悪くないじゃない?
 
 
 
 
 
Fin.
 完読ありがとうございました―――。
 
 

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