Scene 18


 
 
 バスが目的地に到着すると、先行のグループが待っていてくれた。当初、私の為にもう一度周辺を一緒に回ってくれる予定だったが、尽君が同行していた為、それぞれ次の目的地に分散しても大丈夫だろう、という事になった。もっとも、向こうがかなり気を遣ってくれたような気がして、ちょっと申し訳なかったけど。
 皆と別れて、私たちはまずは神護寺に向かう石段を上り始めた。
「なんだよ、ここ〜。こんなにキツイ場所だとは思わなかったぜ、オレ」
「三百五十段くらいあるらしいからね。でも運動になるじゃない。雨が降らなくて良かったわ。にしても尽君、この程度で音をあげててどうするのよ」
「体力的には辛くないけど、文句は言いたいぞ。……もしかして日比谷、日課のロードワーク出来ない分、こういう所で運動しようって計画だったとか?」
「あたり。だからホラ、今日は靴だってローファーじゃなくて、スニーカーでしょ」
「……日比谷の荷物のデカさは、そのへんの理由か……。お見それしました」
「何か気に触るなぁ、その言い方。……あ、楼門見えてきたよ」
 人に優しくない傾斜の参道を登りきり、受付で拝観料を払い、境内に入る。思ったよりも人影は少なく、学生らしき姿はちらほらと。数年前は妙に若い婦女子の割合が多かったらしいけど、今はそんな事もないようだ。
「うわー、広いねぇ。それに、楓の木がとっても綺麗。紅葉の季節はさぞ見応えあるだろうなぁ」
「だなぁ。人もすごいだろうけど。あ〜でも、何かすっきりする。マイナスイオンバリバリって感じ。こういうとこもいいな」
 深く深く息を吸い、大きく吐き出す。見るからに肩の荷が下りたような表情だ。
「うん。来て良かったぁ。早速じっくり拝観させてもらいましょう。まずはご本尊にお参り」
「ああ。基本だな」
 境内の中にある石段を再び上り、金堂に至り、国宝の薬師如来にお参りをする。その後はぐるりと境内をつぶさに見て回った。山田に押し付けられたデジカメも、忙しくその職務を遂行していた。
「そういえば、ここって厄除け祈願の『かわらけ投げ』できるんだっけ。どうする、やっていく?」
「厄除けねぇ。折角だからやっても良いか。地蔵院の方だよな。行ってみよ」
 錦雲峡を見晴るかす地蔵院の庭に赴くと、同様に考えた人々がそれぞれ楽しげにかわらけを投げていた。脇の茶店でかわらけを買って、私たちも投擲の準備をする。
「上手く綺麗に飛ばせると、願い事が叶うとも聞いたわよ、これ」
「願い事、ね……。日比谷は何か願い事込めるわけ?」
「無病息災」
「おいおい!何かそれ、若者らしくないぞ!学業成就とか、恋愛成就とか、もっとこう、青春の色合いに満ちただなー」
「そんなの、健康だったら何とかなるもんよ。体壊してちゃ、学業も恋愛も裸足で逃げてくわ」
「……日比谷らしい、逞しいお言葉。オレは……どうしようかな。願い事って言っても、どっち方向に願えば良いやら」
 まだ迷いがあるみたいだ。確かに、『弟』としては姉の幸せを願う方向だろうし、『男』としては、自分の恋心を成就させたい、というのが本音だろうし。難しい問題だな、本当に。
 でも、私はそんな事は何でもないんだ、とばかりに言ってみる。
「そんなもの、願い事が決まりますように、だって良いんじゃない?願かけって、一種自分の心に対して課題を出すようなものよ。迷ってるなら、迷いが晴らす事ができる自分になれますように、だって構わないんじゃないかな」
 尽君は、さらりと発せられた私の言葉を、ゆっくり咀嚼するように空を仰ぎ、僅かに笑む。
「……そっか。そういうのもアリだよな。じゃ、オレ、それ」
 明るい声で言ってから、かわらけを構え持つ。私も同様にして構え、風力・風向き、投擲物の重さ・形状、予想される軌道その他のファクターを頭の中で計算する。
 願わくば、厄と一緒に彼の心の翳りが飛んで行きますように。
 笑顔の翳りが、少しでも融けてなくなりますように。
 そんな思いをこっそり込めて、彼と同時にかわらけを放つ。
 宙に放たれた二つの小さな円盤は、他の人々の賞賛を浴びるほど、千仭の渓谷へと美しい放物線を描いて飛び立っていった。
 
 
 その後、三尾を練り歩き、帰途で仁和寺に寄り、私たちはホテルに帰りついた。途中で合流した玉緒君が、私に向かってにっこり笑った。これは後で借りを返さなくてはいけないかも、と考え、それはそれで頭が痛くなった。
 尽君は例によって女の子に囲まれて質問攻め。でも、何とか言い逃れはできたみたい。口が上手いからな、あの人。こういう時は。
 翌日は再び団体行動で、その次の日は、自由行動二日目。その日は朝から有志で徒党を組んで、鞍馬山横断を実行した。勿論尽君も一緒。観光用に均されているとはいえ、木の根道などの山道を進むのは結構大変で、「これじゃ牛若も足腰鍛えられるよなぁ」と言う同行メンバーの言葉にしみじみ頷いた。観光客で沸く鞍馬寺に辿り着き、休憩を取ったあと、近くのお店でふきのとう羊羹なる物を発見し、物は試しと誰かが買う。それから南下して上賀茂・下鴨神社を回り、帰途に着く。さすがに皆疲れたようで、その夜はあまり騒ぐ部屋はなかったようだ。(ちなみに、試食されたふきのとう羊羹は、食べた全員が言葉をなくすほど、摩訶不思議な味であった)
 賑やかなお祭騒ぎが終わる頃、新幹線の中は行きの喧騒とは裏腹に、兵どもが夢の真っ只中。注意に駆けずり回る事もなく、一息つこうと車内の売店に向かう。サンドウィッチと牛乳を買い、自分の車両に戻ろうとした時、尽君がこっちに向かって来た。
「よ、お疲れさま。……また食うのか?」
「お腹空いたんだもん。食欲があるのは健康な証拠でしょ」
「オレ、おまえの消化酵素が信じられない。朝、丼メシ三杯かっ込んで、さっきもデカイ駅弁平らげて、まだ食えるってのが、ホント感服。ってゆーか人体の神秘」
「そういう尽君こそどうしたの。こっち、売店しかないわよ。何か買いに来たんじゃないの?」
「いや、オレはおまえに用があってきたの。――これ、やるよ」
 そう言って、彼は私に手の平大くらいの薄い包みを手渡した。
「何これ?」
「オレからの功労賞。おまえ、まともに土産買えなかっただろ。少しは思い出になるかと思ってさ」
「見ていい?」
「うん」
 ほんの少し緊張した手つきで、それでも丁寧に包みを開ける。中からは、淡い桜色のカードが顔を覗かせた。内側には、桜の花が綺麗に立体的な切り絵で表現されていた。挟まっていた小袋から、ふわりと薫りが漂ってくる。
「綺麗……。ありがとう、尽君。……嬉しい」
 立ち上る薫りに誘われるように、嬉しさがこみ上げてきた。
「――でも、いつの間に?立ち寄ったお店では、このカード見た記憶ないけど」
「三尾行く直前。それで時間取られたのもあったんだ、実は。よかった、喜んで貰えて」
 心底安堵したように、尽君は笑った。あの息を切らした姿は、色んな意味で私の為だったんだと思うと、それだけで胸が一杯になった。我ながら、顔が弛んでくるのが解ったくらいに。
 私はニコニコ(ニヤニヤ?)笑って、改めて彼にお礼を言った。
「うん、本当にありがとう。ふふ、これ、旅行で一番の思い出になりそう。……あ、じゃあ、私も何かお返ししないとまずいかな」
「んな事気にすんなって。これはオレなりの感謝の気持ち、なんだからさ」
「そう?……ふふ、ちょっとは『イイ男』になって来たみたいじゃない?」
「ホント!?――あ、今のでいいや、『お返し』。何か……嬉しかった」
 ほんの少し、頬が赤らんだような気がした。でも、私はそれに気がつかないふりをして言った。これ以上二人でいると、思わず抱きつきたくなりそうだから。
「それは元手がかからず何よりだわ。さ、戻りましょ。いつまでも立ち話ってのもなんだしね」
「だな。行くか」
 私たちは、連れ立って自分たちの車両に戻った。戻ると、そこかしこから寝息が聴こえて、安楽な空気が満ちていた。
 まもなく、修学旅行の終わり。
 それなりに楽しく、充実した一週間が、ゆるりと心にとろけて、去っていく。
 
 

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