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Scene 17
「――――っ、よかった、間に合ったぁ!!」
「…………尽君!?」
隣に突然生じた熱に、私は心底驚いた。
修学旅行三日目。つまり自由行動一日目。御所の拝観を終えた氷室学級有志は、各自次の訪問先へと繰り出すべく一時解散となった。私は予定通り三尾方面に赴く為、バス停で山田と別れ、高雄直行のバスに乗った。行くのは一人だが、先行して知り合いのグループが同方面に行っているので、そちらで合流する予定だった。それで、おとなしく空いている席に腰かけた訳なのだけれど。
……なんで、太秦にいるはずの尽君が、駆け込むようにバスに乗り、私の隣に腰掛けてる訳!?
さすがに驚いて、物も言えないでいると、尽君は荒い息を整えて、私に向かって言った。
整い切らない息が、それまでの運動量を物語った。
「撒くのに時間、かかったからさ。すぐにおまえ見つからなかったら、バス、間に合わなかったよ。ホント、よかったー!」
???
訳が分からない。何を言ってるんだろう、彼は。
私がなおも不可解な顔でいると、ようやく落ち着いたのか、フッと笑って言った。
「単独行動は避けろって、言われてただろ?特に女子は」
「……あ、うん、言われてた、けど……。移動はバスで、向こうで合流するって事で、了解得たし……。っていうか、ねぇ、何で尽君がここにいる訳?私、今日のあなたの行動予定、太秦って書いてあったの見てるんですけど!?」
他の乗客の迷惑にならないよう、押えた声で問いただす。一週間前のまとめ作業の時、私はそれを確認していたのだ。なのに予定を無視ですか?生徒会役員がそんなでどうするの?
すると彼は、何てことないように言った。
「あれ、書き換えたんだ。正確には、書き換えさせられたんだけどさ。玉緒に」
「………………玉緒君?」
分からない。…………と、思ったのだけど、そういえば、と思い当たるふしがあった。
一週間前、玉緒君は作業中に一時的に出て行き、戻ってきたあと、私を先に帰した。それはいい。その前だ。確か彼は、私の予定表を、その体力要求度に感心するように、食いいるように凝視していた。まるで、その内容を記憶するかのように…………。
「あの日、生徒会室に玉緒が来てさ。話があるっていうから外出たんだ。そしたら、メモと白紙の予定表を突き付けてきて、『これ、日比谷さんの予定。彼女、個別行動になる事多そうなんだ。尽、ついててあげてよね。その他大勢の女の子の機嫌取りするより、日比谷さんのボディガードする方が、よっぽど有意義だよ。後で予定表、取りに行くから』って。そういう事情。大体解ったか?」
笑顔で淡々と説明する尽君の言に、私は頭が痛くなった。そういう事か……。
「…………こう来たか……。あー……それはまた、悪い事しちゃったわね」
すると、けろりと。
「そっか?でも、それもそうだと思ったし。日比谷には色々と世話になりっぱなしだからな。こういう事で感謝の気持ちを示すのもありだろ。オレ、日比谷を守れるくらいには強いぜ?」
「それは知ってるけど。でも……大体尽君、他の子、いいの?かなりの人数の女の子に誘われてたじゃないの。旅行前も、旅行中も」
「あ、それ、断ったよ。全部」
またも、あっさり。
「…………は?今、私、何か耳慣れない台詞を聴いたような気がするんだけど。空耳?」
「あのなー。断ったの、今回。女の子の誘いは全部。……何か、そういう気にならなかったからさ」
「……そうなの?…………マリッジブルー、とか」
単語の用法が間違っている気もするけど、他に浮かばないので言ってみる。東雲先生の結婚式は、あと一ヶ月後だった。
彼は少しだけ暗い色を目元に漂わせた。
「……それも少しあり。まだ、姉ちゃん見るの辛いし。でも、それだけじゃなくってさ。……なんて言ったらいいのかな。オレ、ちょっと誤解してたとこあるから、それ、改めようって」
「誤解してたとこ?」
「そ。何もさ、女の子全員に優しくしたからって『イイ男』って訳でもないんだよなってこと。自分にとって大切な人間を大事にする事が出来なければ、全然ダメなんだよなって。外面良くして誤魔化して、中途半端に女の子に希望持たせてる今って、結構最低なんじゃないかって思えてきてさ。だから。ま、当然追っかけてくる子もいたから、それを撒くのは大変だったけど」
「はあ……。……でも、じゃあ何で私を追っかけてきたの?ボディガードの為?」
「う〜ん……まぁ、いろいろ」
「……やっぱり解らないなぁ。中途半端に期待持たせてるわよ、今。気がついてる?」
「気がついてるけど、さ。でも、今から予定変更するわけにもいかないし、第一そんな事したら玉緒が怖いって。せめて今日くらいお供させろよ」
その表情が、いかにも甘え上手な子供、という風情だったので、私はとても断れなくなってしまった。もっとも彼の言う通り、今更コース変更というのも大変だし、正直一人で動くよりは全然助かる。ナンパ除けとかね。
「……仕方ないわね。よろしい、特別に付き従う事を許しましょう」
「よし、交渉成立。……ところで、目的地までどれくらいかかるんだ?オレ、時間無くて調べてきてないんだよな」
「えーと、40分ちょいってところかな。結構かかるわよ」
「そっか。じゃ、オレ着くまで寝てる。全力疾走したから、疲れたし。着いたら起こして」
そう言うなり、彼は私の肩に頭を預けて目を瞑ってしまった。
今までそんなリアクションをされた事がない私は、これまたびっくりしてしまった。
「え、ちょっと!」
「いいからいいから。これなら、余計な声かけられないだろ?」
「それは、まあ、そうだろうけど……」
狭い座席の中で、小柄な私に頭をもたせかけるのは、背の高い彼にとっては苦しいのでは、と思ったけれど、尽君は何だかとても気持ち良さそうな表情をしていた。それで私は、どうしようもなくそのままの姿勢を保つ事にした。
他に何もできないので、私は彼の顔を覗いてみる。寝顔はまだまだ子供みたい。あ、意外と睫毛長いなぁ。頬にかかる髪の毛が、思ったよりも柔らかい感触で、何だかちょっと楽しかった。
「……さっきの理由だけどさ」
すっかり深い呼吸になって、早くも眠っていると思った尽君が、突然小声で喋った。まだ起きてたのか。
「さっきの理由?」
「……日比谷といると、判るような気がしてくるから。自分がどうしたいのか、とか、どうすればいいのか、とか。……少しづつ、出口、見えてくる気がするんだ。だから、今ここにいるんだ、多分」
「…………尽君」
反応はなかった。殆ど言い逃げみたいにして、今度こそ本当に眠ってしまったようだ。
規則正しい呼吸を傍らに、私は顔がにやけてくるのを我慢するのがやっとだった。
嬉しい。嬉しい。嬉しい。
私、彼の中にちゃんといるんだ。それが恋としてかどうかは判らないけど、それでも――――。
昨夜東雲先生に言われた言葉と、今尽君に言われた言葉とが、頭の中でぐるぐる回って、私はとても幸せな気分になった。
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