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Scene 16
あっという間に旅行当日。同じ制服の集団が、同じ車両に乗り、同じ目的地に行く様は、まったくもって民族大移動。その荷物の多さ大きさ故に、難民の気分にもなれない事もない。
一日目は移動、二日目は団体行動。清水寺や東寺、慈照寺銀閣などの定番どころをカバーして終わり。
この辺り、大体の生徒はだるそうに見回っている。無理もない、旅行中の夜なんてのは、枕投げだの宴会だの怪談だのワイ談だので、教師の目を盗んでの夜更かしで忙しく、はなから気乗りのしない場所なんて、見る気力なんて湧かないだろう。
因みにどうでもいい事だけど、一日目の夜は男子部屋では枕投げ大会が催されており、あまりの騒々しさに辟易した女子数人と共に注意に行った。
勿論巻き込まれる羽目になったけど、そんなものに付き合っていられない私は、参加していた男子をほぼ全員枕の海に撃沈し、消灯時間を一方的に守らせてやった。その中には尽君もいたけれど、そういう点では贔屓はしなかった。うん(玉緒君はちゃっかり避難、終わった後に見回りにきた先生に、けろっとした顔で『皆ちゃんと寝ています』と笑顔でのたまった)。
話を元に戻して。
退屈な団体行動とはいえど、この旅行に勝負をかけている人なんかは、隙あらばお目当ての子に近づこうと、男も女もテンションが高い。尽君や玉緒君も、自分のクラスを抜け出してきた女子たちに囲まれて、記念写真を取られたり忙しそうだ。時々チラチラ私の方を見る子もいるので、牽制の意味もこもっているようだけど。
ま、直接ライバル宣言してくる気概の持った子でもなければ、私が相手をしてやるのも阿呆らしいので、私はちゃんとガイドさんや先生の説明を聴いてメモしていた。旅行後のレポートで苦しまない為の、いわば楽をする為の苦労ってとこ。
夜になると、あちこちで明日の自由行動を一緒に、という誘い合いが繰り広げられるのが目に付いた。私はというと、明日の御所拝観の最終確認の為に、氷室先生の部屋を訪れたり、一緒に拝観する人たちの部屋を回って伝達事項を伝えたり、という事をしていた。根回しと言ってもクラス内でこっそりやったので、総勢はそんなに多くない。言い出しっぺの山田だけが他クラスからの参加だ。
部屋とついでに売店を回り、自分の部屋に戻ろうとしたところ、東雲先生が、一人休憩コーナーの椅子で休んでいた。
「東雲先生、お疲れさまです」
「あれ、日比谷さん。どうしたの?」
「お腹空いたんで、食べ物確保しに。あ、先生も食べます?」
「ううん、私はお腹空いてないもん。でも日比谷さん、夕御飯結構食べてたよね……?……男の子並みに」
「大喰らいなもので、全然足りないんですよ。ウチのエンゲル係数、すごいですよ。私が医者になりたい理由の一つが、手に職持って、高給取りになって食費に困らないようにする為、ですから」
「本当!?あっ、でも、確かにある意味死活問題だよね……。あ、座って座って。時間があるし、おしゃべりしよう?」
「はい。それじゃお言葉に甘えて」
真面目に悩んでしまった先生にちょっと笑わされてしまいながらも、私は先生の隣の椅子に腰かけた。早速買ってきたばかりの冷えたウーロン茶を開ける。先生の右手にも、ペットボトルのお茶が握られていた。
「それにしても、引率ってこんなに大変だとは思わなかったなぁ。自分が学生の時って、先生の苦労をちっとも考えてなかったよ」
そう言うなり大きな溜息をこぼした。その仕草があんまりしみじみしたものだったので、私は思わず苦笑してしまった。確かに、現役でいると解らないものだ。クラス委員の立場としては、その気持ちは解らないでもないけど。
「日比谷さんみたいに自分でペース配分できる子って少ないよ。普段落ち着いてるのに、案外浮かれちゃう子が多いというか。ま、私たちの時も浮かれちゃってたけどね」
ぺろりと小さく舌を出す。
「先生も大変ですよね。人生の一大イベントの直前なのに、こんな激務ですもん。程々に怠けちゃっても良いんですよ?……って言ったらまずいかな。氷室先生に怒られちゃうな」
「ウフフ、氷室先生は怒らないよ。日比谷さんの事、すごく気に入ってるもの。『自ら興味対象を定め、それを学ぼうとする意欲が際立っている。実に素晴らしい生徒だ』ってベタ褒めだもん。それに、日比谷さんが皆のまとめ役をしてくれてるおかげで、すごく助かってるんだ。あなたがいなかったら、私もっと大変だったと思う。ありがとね」
「ありがとうございます。そう言って貰えると私も報われるなぁ」
「せめて、明日の自由行動はゆっくりしてね。どういうコースだったっけ?」
「朝イチの御所の後、バスで三尾まで。そこからホテルまで、道なりに有名所を巡ろうかと思って。仁和寺にも寄ろうかと考えてます。金堂と庭園が見たいんで」
「誰かと一緒?隣のクラスの山田さん?それとも尽や玉緒君?」
「……先生、予定表に目を通してたんじゃないんですか?」
全員分の行動予定は、一週間前に玉緒君が提出したと言っていた。氷室先生は勿論、副担任の東雲先生も、目を通してるものだと思っていたのだけど。
「それがね……目は通したんだけど、あんまり覚えてないの。時間が無くて、寝る前の朦朧とした時に見てたから。……氷室先生には内緒にしててくれると嬉しいんだけど」
「……先生ったら。あの氷室先生が気付いていないはずないと思いますけど?気遣ってくれてるんじゃないですか?最近疲れてるから大目に見ようって」
「……かなぁ。でも、それに甘えてちゃいけないんだけどね。……結婚って女の子の夢だけど、現実にそうなると色々大変だよ、うん。日比谷さんも心しておいてね。……そういえば、尽とはその後どう?」
神妙に溜息をついた後は、今度はくるりと表情を変えて、楽しそうに訊いてきた。私はなんと答えて良いやらで、曖昧な笑みを浮かべた。
「ん〜、まだまだ、ですかね。でも、私は焦ってないんです。今まで通り、対等な人間同士でいたい。闇雲に突っ走るんじゃなくて、駆け引きを交わしつつ、お互い楽しんでいければって、思います。そういう関係もありかなって。それに、何となく緊迫感があるっていうのも、面白いと思いません?」
「そっかぁ。そうだよね、そういう関係も素敵だよね。『恋は駆け引き』って言うもんね。……でも、本当に良かった、日比谷さんが、尽を好きでいてくれて」
「そうですか?」
「そうだよ。……あのね、最近、尽、少しづつ態度が変わってきてるような気がするの。確かにまだ、辛い顔、してるんだけど。でも、本当に少しづつ、何か取り戻そうとしてるような……。私ね、それって日比谷さんのおかげだと思うんだ」
「私の?」
ちょっと驚いた。先生は、とても優しい微笑と共に頷いた。
「うん。期末前の時とか、花火大会の時とか、すごく思ったよ。日比谷さんってすごくパワーがあって、一緒にいるとこっちまで元気貰える感じがするの。一見小柄で、おとなしいのかなって思うけど、たくさんのパワー、持ってる。だから、ずっと悩んでる尽にも、それってきっと伝わってる。だから、あの子も少しづつ勇気、蓄えてるんじゃないかって思う、思えるの。…………本当に、ありがとう」
「先生…………」
伝わって、いるのかな。彼の中に、私の力、ちゃんとあるかな。
伝わっていれば、いいよね。そうだと、嬉しいよね。少しでも私の存在が、彼の役に立っているなら。
そんな幸せな事は、他にはない。
「あんな困った弟だけど、日比谷さんが一緒なら安心できるよ。頑張って!」
そう言って先生は、左手で軽くガッツポーズを作る。
薬指のクローバーが、ほんのり淡くきらめいた。
まるで、ここにはいない葉月さんが、一緒に笑ったかのように。
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