Scene 14


 
 
 花火大会当日。予想通り、新はばたき駅周辺は花火を見に来る人たちであふれかえり、喧騒の真っ只中にあった。
 私といえば、さすがにそんな波の中に一人で飛び込む無謀さは持っていないので、うまいこと隙間を見つけて待ち合わせ場所に辿り着いた。まだ尽君は来ていないようだった。珍しい。何かあったのかな。
 うろちょろしても仕方がないので、おとなしくその場所で待つ事にした。何かあれば、携帯に連絡が入るだろう。ただ、こういう日に女が一人で立っていると、ね。ヤブ蚊よりタチの悪い連中が寄って来る事がある訳で。案の定、見るからにナンパそうな男が声をかけてきた。
「あっれぇー、キミ、スッゴイ可愛いね。何、待ちぼうけ?ダメだなぁー、そんな男放っといて、俺と花火見に行かない?楽しいぜぇ?」
 ……なんでこういう連中って、お約束な事しか言わないのかぁ。まだ、「今宵は妖精パックの魔法が満ちる夜なんだ。その魔力に囚われてしまった僕を、どうか助けてくれないかい?」とかでもいってくれた方が、相手してやるって気にもなるんだけどなぁ。いや、これもどうかと思うけど。
 ともあれ、こういう手合いに声をかけられる事が多い私は、場慣れだけはしている。相手の馬鹿面を見て、冷笑を浮かべる。
「アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコトって漢字、書けます?」
「…………は?」
「代表的な毒草十種類と、その学名及び生薬名、並びに主な有毒成分と、その作用の分類は?」
「…………え、えっと……」
「わからないんですか?」
 そしてにっこりと笑いかけてやる。
「そんな事も分からないような頭しか持ってない人に、私が時間を割く訳がないでしょう?さっさと立ち去ってくださいな」
「――なっ!人を馬鹿にすんなよ!」
 予想通りに頭に血が上ったみたい。こういう手合いは、公衆の面前で恥をかかせてやるのが、私の流儀だ。軽く片足を下げ、それと判らないくらいに構えを取る。伸びてきた腕を、逆にこっちが捕まえて、いつもの如く一本背負い――の、つもりでいたら。
 突然、背後から抱きすくめられるように引き寄せられた。
「本当にバカなんだから、しょうがないだろ?」
 首だけ振り向いて見れば、それは思った通り、尽君だった。
「尽君!」
「悪い、遅くなったな。――おまえ」
 彼は私の目の前にいるナンパ男に声をかけた。
「女に手をあげるような下郎が、こいつと釣り合うはずもないだろ?さっさと行けよ、これ以上恥かきたくないんならな」
 直後、凍るような殺気。睨まれた男の方は、気迫に呑まれて後ずさる。少しして、舌打ちをしながら男は走り去っていった。
 もっとも私は、自分の体に回された彼の腕の方が気になっていたんだけど。
「フゥ、行ったか。……あ、悪い、離すよ」
 さっきの殺気はどこへやら、尽君はいつも通りの明るい声で、あっさり私を解放してくれた。ちっ、残念。
「ううん、ありがとう。でも大丈夫だったのに。あいつ、全然隙だらけだったから吹っ飛ばすのも簡単そうだったし」
「そうだけど、一応そんな格好してるんだから、柔道技もないだろ?戦い好きなのは解るけど」
 そんな格好、確かにね。今日はこんな日だから、私は浴衣を着用していた。一本背負いの一つも炸裂させれば、いくらがっちりと着付けしたところで着崩れしかねかったかも。
「そういう尽君も、浴衣だね」
 目の前にいる男の子も、今日は珍しく浴衣を着ていた。去年まではカジュアルな洋服だったのだけど。でも、上背があるし、スタイルも姿勢もいいから、とてもよく似合っていた。ちょっと眼福。
「あ、うん。……これ、姉ちゃんに無理やり着せられたんだよ。せっかく作ったんだから、一回くらい着て見せろって。それで着付けに時間がかかって、ちょっと遅れた。ゴメン」
「なるほど……でも良いよ、許してあげる。ナンパ野郎追い払ってくれたし、珍しく浴衣姿見られたし。似合ってる」
「……そっか。なら、良かった。あ、おまえも浴衣似合ってるよ。ちゃんと女の子に見える」
「言うと思ったけど、本当に言うんだもんなぁ。――東雲先生は、一緒じゃなかったの?」
「姉ちゃんなら、葉月が家まで迎えに来た。先に来てるんじゃないかな。……会ったら、フォロー頼む。まだオレ、二人に自然に接したり、出来ないからさ」
 ちょっと表情を曇らせながら、それでも笑いかけてくる。
「うん。どんどん恩を売りつけてあげるから。尽君なら、倍返ししてくれると思ってるし」
「ホント、図太くて頼もしいよな、姐御は」
 二人とも、あの告白は無かったように笑う。今はこれでいいのだ。これくらいの関係で。
 からころと下駄を鳴らしながら、私たちは花火大会の会場に向かった。
 
 
 会場周辺はさすがに混雑の度合いが激しかった。立ち並ぶ屋台の前は、人の波、波、波。
「まだ時間があるのにね。でもまぁ、良いポジションで見たいってのは、皆同じか」
「だろ?ま、花火だけが目的って訳でも無いだろうし。日比谷、屋台でなんか買って食おうぜ。始まってからだと食べてる暇ないし」
「それもそうね。じゃあ私、焼きそばとお好み焼きの定番で。後でたこ焼きも買おっと」
「オレもそれでいこ。――すいません、焼きそば二つくださーい!」
 美味しそうなソースの匂いの元に辿り着き、目的のブツを確保する。もちろん割り勘。奢ろうか、と言われたけれど、丁重にお断りした。
「私は尽君の最大の弱みにつけこんでいるからね、それ以外の事で気を遣わせちゃ悪い」
「正直というか、義理堅いというか。普通そういう事って、秘めとくもんじゃないの?」
「秘めてどうするの。今更でしょ、それこそ。私は尽君の心のスキマを埋めてやる係なんですからね。出し惜しみはしないわよ」
「その喩え、あんまり嬉しくないなー。最後に太った黒服の男が笑ってそうでさ」
 焼きそばを頬張りながら、私たちはブラブラとその辺を歩く。途中、同じ学校の生徒も見かけたけれど、適当に挨拶をしてその都度別れる。ファンクラブの連中も一部混ざっていたけど、それは尽君がうまいこと言いくるめてたようで、特に何も言われなかった。もっとも、私の物理的ストレス発散を目撃してからは、連中もそれほど私に絡んできてはいないんだけど。
「そういえば、山田も今日は見に来るとかって言ってたな」
「山田が?誰かと一緒とか?」
「ううん。何かね、今年は氷室先生が恋人と浴衣着て見に来るっていう噂が流れてるのよ。その真偽を確かめるみたい。ついでにその相手もね。写真撮って売り捌いて、部費の足しにするみたいよ。もし相手が生徒だったら、売り捌きはしないけど、いざって時の切り札にしようか、とも言ってた」
「へぇ〜。氷室先生がねぇ。そういや、最近ある生徒と仲がいいって噂は聞いたけど。山田もよく、そんな情報掴んでくるよな。イベントと山田って言えば、あいつ結構そういう場所に行って、人気ある生徒のプライベート写真撮りまくってるっていうけど。あれ、マジ?」
「うん。これがまた売れる訳よ。あいつってそういうの、本当に上手なんだ。それに山田のコレクション、見た事ある?盗聴器や隠しカメラにピッキング道具、ナイトビジョンまで持ってるのよ。単なる収集品だって言ってるけど、どうやって手に入れてくるんだか。官憲に追いかけられない事を祈るしか、ないわね」
「って、既にそれ犯罪だろ〜。つくづくすごい女」 
 そう言って笑った後、前方を見て、尽君は歩みを止めた。つられて私も立ち止まり、前方にいる男女を発見した。東雲先生と葉月さんだ。
 振り仰ぐと、尽君の顔は少し強張っていた。私はどうしようかとも思ったけど、軽く提案をする。
「道外れる?まだ気がついてないみたいだし」
 すると尽君は、首を振る。
「いや、いい。気づかれたら、その時はその時だ」
「……解った。そのときは何とかとぼけてしまおう」
「ああ。ホント、悪いな。甘え切っちゃって」
「尽君もしつこいなー。私がいいって言ってるんだから、そっちも開き直っちゃいなさいよ。それに謝罪の言葉より、感謝の言葉の方が何十倍も嬉しいの、分かるでしょ?しっかりしてよ、自称『イイ男』さん」
「ハハ、それもそうだな。ま〜だ迷っちゃってるみたいだ、オレ」
 そう言って、再び足を踏み出す。その動きは、どこか引っかかるようなものだけれど、一歩ずつ、確実に前に進んでいた。
 少しの間、二人の後を追うように歩いていると、何気なく振り返った葉月さんが、私たちの方を認めた。すぐに、東雲先生もこっちを見る。ちょっと驚きの表情で。
「……気付かれちゃったし、行きますか。私に恥、かかせないでよ?」
「……承知」
 立ち止まって待っている二人の元に、私たちは向かった。そして、満面の笑顔で、私は二人に笑いかける。
「こんばんは、先生、葉月さん!晴れて良かったですね」
「うん、こんばんは、日比谷さん。ほんと、お天気良くて何よりだよね。風も弱いし。……珪ったら、ホラ、挨拶!」
「あ、ああ……こんばんは。……奇遇だな」
 先生に言われてやっと発言する。最後の台詞はチラリ、と尽君の方を見て。
「……よう。姉ちゃんから目ぇ離して、変な奴らに絡まれたり、させてないだろうな?」
 少し、感情を押えたような声。気まずい思いを必死で押えているのが判る。
「……ああ、そんな事、してない」
「そうだよ、尽ったら。心配しすぎ。……ね、尽、今日は二人だけなの?去年まで、玉緒君たちも一緒だったでしょ?それとも、別の所で待ち合わせ?」
 尽君に話しかけた先生は、少し腫れ物に触るような口調だったけど、それでも臆する事なく尽君を見据えた。見据えられた相手は、戸惑うように声を出そうとする。
「いや……今日は、日比谷と二人」
「そうなんです」
 言って私は、素早く彼の手を取り、腕を組む。その早さに、彼は対処できなかったみたいで、少しだけ目を見開いた。
「たまには二人きりでこういうのも楽しいんじゃないかって思って。無理やり誘いに乗せたんですよ。何しろ『厄介な敵』ですから、時には強引にいかないと」
 尽君と同じ様に目を見開いていた先生は、やがて何かに気がついたように私を見た。
「『厄介な敵』って、日比谷さん…………あ!それじゃ……」
 同時に私は、空いている方の手の人差し指を立てて、「お静かに」のポーズをする。軽くウィンクをすると、心得たように頷く。因みに葉月さんは、解ってるんだか解ってないんだか、表情も変えずに先生の隣に立っている。
「……ま、そんな訳で、オレたちも今、デート中。これ以上邪魔しないからさ。二人は二人でやっててよ。あ、葉月。姉ちゃん帰さなくてもいいけどさ、家に電話くらいは入れさせろよ?」
「〜〜〜尽ってば!」
「分かった、覚えとく……多分」
 真っ赤になった東雲先生とは反対に、葉月さんは顔色一つ変えずに返した。少しだけ、空気が笑んだ気配がしたのは、気のせいだろうか?
「それじゃ、失礼しました」
「うん、またね。……あ、尽!」
「分かってるって。オレ、葉月と違って紳士だから。送り狼にはなりませんって。じゃーな」
「尽!〜〜〜もおー!いっつもこうなんだからー!」
「よしよし、ふくれるなって。……子供みたいだぞ、おまえ」
 背後から聞こえる遣り取りに苦笑しながら、腕を組んだまま私たちは場所を移動した。しばらく歩いて、先生たちの姿が見えなくなったところで、立ち止まる。同時に、傍らから大きな吐息が聞こえた。
「ハァ〜……。スッゴイ緊張、した〜」
 それはそれは重い荷物を下ろしたかのように。見るからに安堵の表情だった。
「本当に緊張してたの?結構あっさり台詞が出てきてたから、意外と平気なのかなって、一瞬思っちゃったわよ、私」
 嘘。本当は組んだ腕にすら、激しい鼓動が感じ取れるほどだった。
「んな訳ないって!オレの方がびっくりだよ。自分でも、あんなに台詞が出てくるとは思わなかった。あんな昔みたいな態度、久しぶりにとれたよ、もう、マジで」
「そうかぁ。私のおかげ、よね?もちろん」
「……だな。やっぱり日比谷いると違うわ。腕組まれた時、真っ白になったんだよ、頭ん中。でもすぐに『恥かかせんな』って言われた事思い出してさ。そしたらもう、必死。思わず笑ってた」
「ふーん、見えなかったな。私、尽君の笑った顔が見たかったのに。つまらない」
「そりゃすまなかったな。でも、サンキュ。日比谷パワーは伊達じゃないや。お礼に何か奢ってやるよ。たこ焼き?」
 私としては、今の腕を組んでる状況自体が役得って感じで、十分なんだけどな。でもまぁ、御礼は遠慮なく受け取ってしまいましょう。
 組んでいる腕を解いて、彼の目の前にピッと指を立てた。
「たこ焼きと、りんご飴。オプションでお土産の今川焼きも、よろしくね」
「……さっきと言ってる事違うんじゃないのかぁ?」
「じゃあ、たこ焼きだけでいいからさ。ホラ、早く買ってきちゃってよ。もうすぐ花火始まっちゃう」
「そうだな。じゃ、ちょっくら行ってくる。ここで待ってろよ。くれぐれも、堅気の人間に背負い投げ喰らわすなよ」
 余計な一言を付け足した後、彼は身を翻して屋台の方に向かって行った。
 軽い溜息をついて、その後姿を見送っていると、何だか顔が弛んできてしまった。やっぱりああいうノリが彼には一番似合ってるのよね。何となく嬉しくなって、くるくると巾着を振り回す。
 戻ってきた彼の両手には、袋に入ったたこ焼きとりんご飴と今川焼き、それから二人分のウーロン茶がぶら下がっていた。
 
 

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