Scene 13


 
 
 夏休みが、始まった。
 前の期末試験で見事総合一位をとり、氷室先生に「エクセレントだ、日比谷!」と言われ、続く予備校の模試でも予想以上の点を取れた事で勢いづいた私は、かなりのハイテンションで勉学に勤しんでいた。もちろん、体力を維持する為に、スポーツクラブや森林公園のアスレチックコーナーに通う事も怠りなく。
 あの後、尽君とはあまり外出していない。避けてる訳ではなく、ただ、彼が今どうしたいのかを自分で決められるまで、少し見守ってやろうか、という程度の距離を持っただけ。話しかければ会話もする。その会話内容だって、今までと変わりはしない。ま、言ってしまえば、色気のない世間話みたいなものだ。
 彼の方はといえば私と同様に、期末でワンツーフィニッシュを決める結果を叩きだし、模試でも大差ない点数をゲット。二人して周囲の感嘆を誘った。あんな事があったから、少しは点数が落ちるかとも思ったけど、私の喝が効いたのか、それはなかったようだ。
 夏休みに入って一週間が経った頃、私は玉緒君と学校にいた。希望者に限り、夏季課外授業が開催されていたからだ。もちろん主催者は氷室先生。予備校も良いけれど、できる事なら経済的に勉強したいものだしね。部活指導の関係上、午前だけの課外なので、それが終わった今は報道部の部室で麦茶を飲んで涼んでいた。山田は外出中だが、合い鍵を預かっているので、いつでもここには入れる、と言う訳。
「いっそのこと、報道部の部員になった方が良いかしら。人がいないとはいえ、部外者が入り浸るのはまずいかな」
「構わないんじゃない?山田さんはそんな事気にする人じゃないし。大体ここのボス、実質的には彼女だし。彼女がいいって言うんだから、僕たちが言葉に甘えたって問題ないよ。それに日比谷さん、今でさえ忙しいのに、部活に入ったらもたないんじゃないの?入ったら、きっとこき使われるよ」
「体力は自信あるけどねー。それも面白そうかとも思うけど、やっぱ辞めとくか。泣きつかれたら入ってやろ」
「泣きつく事なんてしないでしょ、あの人。脅す、ならやりそうだけど。でも、日比谷さんには通用しないって解ってるだろうし、無駄な事はしないと思うよ。賭ける?」
「それ、賭けにならないって」
 カラン、と氷の入ったグラスを回す。少しづつ氷が溶けて、麦茶のセピア色に淡いマーブル模様を作っている。
 夏の色だなぁ。音まで涼しげで、結構な事だ。
「尽君は何やってるの、今。課外は出てたよね」
「生徒会じゃない?あれでも有能な書記だからね。引っ張りだこで仕事やらされてるって、ぼやいてた。でも、生徒会楽しそうだよ。修学旅行の行き先をを三択に出来ないのが残念って言ってたけど」
「あぁ、修学旅行ね。そっかぁ、夏休みが終わったら、怒涛のようにそっちの準備が大詰めを迎える訳かぁ。面倒臭いなー」
「頑張ってね、学級委員長さん」
「そっちもね。副委員長さん」
「うん。――日比谷さんは、生徒会には入らないの?」
 玉緒君が麦茶をグラスに注ぎながら訊いてきた。私はちょっと考え込む。
「生徒会ねぇ。別にどっちでも良いかな。内申上げようとするなら、やった方が得でしょうね。わざわざ立候補してまでやりたい訳でもないけど、推薦があれば、やってやらない事もないかな」
「じゃあ、僕が推薦してあげるよ。日比谷さんの公正な態度って、生徒会、というか議長向きだと思うし」
「公正かしら」
「公私のけじめがきくっていう意味で。フォローも上手だと思うし、実際」
 カラン。再度、氷がターンする。
「僕のジュースを買って来ないで戻ってきたあの日以来、尽も東雲先生もちょっと変わった。それも、良い方に。そこまで両方に影響力があるのって、日比谷さんしか思いつかないな。僕の頼み事を袖にしただけの事はあるよね」
「しつこいってば。戻った時、散々嫌味言ったくせに」
「嫌味?僕そんなつもりなかったけど。でもそう思ったんだとしたら、ちょっとは気にかかってた訳か。ならいいや」
「本当にダークよね、玉緒君って」
 そういうと、彼はどこ吹く風で微笑んだ。彼の方こそ、他人の前で仮面被って、皆を欺いていると思う。タチ悪いって、本当に。
「日比谷さんには裏表のない自分を見せたいからね。僕だって、自分からダークになった訳じゃないよ。昔は内気だったし。ダークな要素があって、それが強く顕われてくるようになったのは、一概に僕の責任とは言えないって。でも、社会との折り合いをつけないと、苦労するのは自分自身だから。安心してよ、僕は日比谷さんが嫌いだから地を出してるんじゃないから。――むしろ、地を見せてるのは、僕が、日比谷さんの事が好きだから」
「あ、そう。それはありがと」
 グラスに口をつけて、残った麦茶を一気に飲む。あんまり入ってなかったけど。
「あ、今冗談だ、って思った?本気の告白だったんだけど。ちょっとショックだな」
 そういう割に、微笑みは崩れてない。私がどういう反応するか、予想してたようだ。
「じゃあ、何て言えばいい?『私も玉緒君のこと好きよ』とか『ごめんなさい、私、そんな風に思えない』とか?それも粛然として?どっちにしても柄じゃないわね」
「うん、柄じゃないよね。柄じゃないけど、そういうところが好きなんだ。だから、頑張って欲しくって。尽の事」
 ニコニコと笑いながら言ってくる。私は何の動揺もせず。
「聞いたの?」
「ううん。でも日比谷さんの事だから、すぐに判ったよ。それに尽の変化も加われば、何言ったかくらい、検討がつく。僕は、姉さんや尽とは違うんだ」
 中の色合いを愛おしむかのように、彼はグラスをかざして続けた。
「二人のように、相手を諦められないなんて事はないんだよ。確かに好きだと思ってるけど、その人に好きな人がいたっていいんだ。その人の、真っ直ぐな姿勢が好きなんだから。人を真っ直ぐに好きになれる姿勢が、ね。手に入れたいとは思わない。手に入れたら、萎んでしまう存在だから。だったら、華やかに咲いてるところを見せてもらった方が、こっちも幸せだよ。それが、僕のやり方」
「……なんだ、意外とダークでもないじゃない」
 グラスを持つ手を下ろして、私の方を見る。
「それは嬉しい言葉だな。お返しと言ってはなんだけど、僕、日比谷さんの役に立ってあげるよ。生徒会の事もその一つ。尽、来期は会長になるって言ってたから、少しでも接触時間が長くなるように。余計なお世話だと思うなら、断って良いよ。僕の手が必要な時に、言ってくれれば。尽よりも、君の方が優先するから」
 本当に、あっさりと。いつも通りののんびりした口調で。
 私って、本当に幸せ者よね。周りにいる人が、皆こんなふうに優しいんだから。
 ほんの少しだけ、苦笑いを浮かべて、私は彼に空になったグラスを差し出した。
「それじゃ、まずは、このグラスにおかわりを注いで下さる?」
「畏まりました、陛下」
 姫、とか言ってよね、こういう場合。ま、ホントに柄じゃないけど。
 そう思いつつ、彼の注いだ二杯目の麦茶に口をつけた。口の中に広がるお茶は、ほんのり優しい味がした。
 
 
 山田が重そうな資料らしきファイルを抱えて戻ってきて、私たちの休息もお開きになった。と言っても、場所を変えて食事に繰り出しただけなんだけど。学食は閉まっているので、校外に出て昼食を摂る。その後玉緒君は図書室で勉強、山田は持って来た資料の整理だとかで、二人は学校に戻った。
 私は家への道を歩きながら、立ち並ぶ夏の樹木を見ていた。すっかり夏の色をして、梅雨の暗さを呑み込んでしまったような深緑でもって、地面に木陰を作る。ところどころ、天辺まで咲き誇った立葵が風に揺れていて、見た目に爽やかだ。
 帰ったら、今日の課外の復習をして、明日の予習。今日のノルマ分の問題集を解いてから、時間があったらランニングがてら森林公園に出かけてみようか。充実してるけど、色気ないわね、やっぱり。夏なんだからバイトでもすれば、と山田が言ってたけど、差し迫ってお金が要る事もないので、のんびりしたもんだ。そりゃ確かに、バイト無しで帰宅部(正確には華道部の幽霊部員なんだけど)となると、ちょっと寂しいイメージがあるけども。
 つらつらと、取りとめもない事を考えていると、鞄の中から携帯の呼び出し音が聞こえた。
「はい、もしもし。日比谷ですが」
 出ると、テノールの明るい響きが聞こえてきた。
『あ、日比谷?オレ、東雲』
「尽君!?どうしたの、生徒会の仕事してたんじゃなかったの?」
 少なからず、驚いた。ここのところ、お互い電話は掛けあっていなかったので。
『ようやく一段落ついたとこ。参るよなー、皆してオレの事置いて食事出てってんの。仕事持ってきたの向こうなのに、『遅いから先行くぞー』とか言って。で、今誰もいない生徒会室で、一人寂しく休憩してんの。みじめだと思わない?』
 本当にみじめそうな声色で言う。私は思わず笑ってしまった。
「それで、そのみじめさを私にも味あわせてやろうって考えたとか?そういうのは御免よ?一人で存分に味わっちゃってよ。それも青春の一コマよ」
『あ、ひでぇの。甘えていいって言ったの、そっちだろ?』
「ちょっとそういう甘えはねぇ。遠慮したいな。――何か、用事でもあったんじゃないの?」
『あ、うん。思わず今の境遇を嘆きたかったってのもホントだけどさ。日比谷、二日の日曜、空いてない?』
「二日?八月の?」
『そう。良かったら、花火大会行かない?一緒に』
 八月の第一週の日曜は、毎年臨海公園で花火大会が行われる。海水浴・遊園地のナイトパレードと並んで、はばたき市の夏の三大イベントの一つだ。私も毎年、尽君や玉緒君など、数人のグループで見に行っている。
「うん、空いてるわよ。玉緒君たちも一緒?今だと彼、多分学校の図書室にいると思うけど」
『あ、玉緒や他の奴は除外。今回は二人で。――ダメ?』
 窺うような口調だったので、何となくピンときた。
「……OK。そういう甘えは、まぁ、面倒見てあげましょう。でも、他の女の子たちの事は頼むわよ。私、また粗大ゴミ増やすの嫌ですからね」
 電話の向こうから、今度は苦笑の気配。
『了解、心して事に当たります。それじゃ二日の日曜、午後六時に新はばたき駅で待ち合わせってことで、一つよろしく』
「うん、じゃあね。せいぜい頑張って、笑顔で役員たちを迎えてやりなさいよ」
『自信ないなぁ、そっちの方は。ま、いいや。それじゃな』
 電話が切れた。
 どうやら、今、どうしたいのかが見えてきたらしい。花火大会といえば、東雲先生と葉月さんが毎年欠かさずデートコースにしている行事の一つ。そこにわざわざ自分も出向いていくという事は――。これは私も性根入れていった方が良さそうだな。ふむ。
 携帯を鞄に仕舞いこむと、私は足を速めて家に急いだ。
 今はとりあえず、鞄の中の敵と闘わなくてはね。
 
 

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