Much Ado About Nothing −1− |
高原を渡る風が実に爽やか。 木々の梢がさらさらと音を立てて、世界中をその響きで満たしてるみたい。 眩しい日差しに揺れる緑が、きらきらとその生命を謳歌している。 ヒヒ〜ンだのモォ〜だのモケケ〜だの、人の声の合間に人じゃない声が混じって、なんか間抜けた不協和音。 そしてその中をゆらゆらと漂うのは――――4本足生物の臭気。 ……おっかしいなぁ。 たった数時間前までは、はばたき市内のアタシの部屋でシーツにくるまってぬくぬくと眠ってた、はずなんだけど。 どうしてアタシはバフン風に吹かれて高原の大地に佇んでんでしょう?しかもなんか中途半端に志穂化してるし。 あ、間違った。 バフン風だけじゃなくて、牛フン風もだ。 そこそこ、いきなり変な単語が出てきたからって退かない。アタシ自身が退きたいんだから。 あぁ、そういや前に読んだ漫画でピッタリの形容があったなあ。 昼の光はキーラキラ、緑の草はサーワサワ、牛馬のニオイはプーンプン……。 「な〜にタソガレてんねん、せっかくの気持ちい〜いお天道さんの下やっちゅうのに」 ホレ、と横から出されたのは、名物の特濃ソフトクリーム。 「あんがと……って、ホンット似合わないねぇ。アンタとこの背景」 受け取って、受け取らせた人物を見上げて、アタシは思いっきり眉を顰めた。 「そらライダージャケットと牧場は合わんやろなぁ。せやけど、ツナギでも着て肥料袋でも抱えてみい。健康的に日焼けした働き者の好青年に早変わり、てなもんや」 「あ〜ハイハイ」 わざとらしくポーズを取るコイツに、アタシはさもつまんなさそうに相槌を打った。 ここははばたき市内から少し離れた、はばたき山中腹に位置する『はばたき牧場』。元々れっきとした牧場だったんだけど、都会に近い立地条件の割に爽やかな高原の雰囲気に浸れることで口コミ人気で盛り上がって、つい1ヶ月前に観光地化した観光牧場だ。 今日も平日だというのに、なかなかの人で賑わっている。子供は学校があるからそんなにいないけど、平日が休みのオトナって結構多いんだねぇ。 「ノリ悪いなぁ。エエねんエエねん、オレは都会に生きる夜のオオカミやねん。牛さん馬さんとつり合いが取れんでも、バイクとツーショット決まればそれでエエねん」 「あっそ」 「なんやなんや。かつてはば学名物と呼ばれたドツキ漫才コンビの片割れがそないでどないすんねん!そこは『働き者の好青年〜?単なる土方のにーちゃんの間違いじゃないの?』とか『オオカミってアンタ、夜のゴキブリくらいがいいとこじゃない?』とかツッコむとこやろ!」 「――――あのねぇ!」 こいつ――まどかの軽い口調に苛立って、アタシは声を荒げた。っていうか、なんでアタシが思ったコト解るんだ。付き合い長いせい?ってそれはこの際どーでもいい。 「人がせぇーーーっっっかく久々の休みで至福のまどろみ味わってるとこ朝っぱらから叩き起こされてそれでもなんか深刻そうな顔してるから何だろうと心配したらほとんど有無を言わせずバイクの後に乗せられてはばたき山周辺道路のツーリング付き合わされてその勢いではばたき牧場にまでなだれ込まされて挙句牛や馬やハムスターやウサギやカメと遊べってか!?コレで機嫌悪くなるなっつーのがムリでしょーが!!」 「おー、見事な肺活量」 「拍手する状況だと思ってんの!?」 バコッ! 「痛いわ!何すんねんいきなり!」 「それはこっちのセリフよ!!」 ぱちぱちとわざとらしく拍手をするまどかに更に苛ついて、思わず拳が炸裂する。 「まったくもう、まだ寝てたかったのに」 「葉月や杉菜ちゃんみたいなこと言うなや」 「久々の休みだって言ったでしょ!それにお昼は杉菜と一緒しようと思ってたのに、アンタのせいで予定台無しじゃん」 ムカつく勢いでソフトクリームをほぼ一気に平らげる。評判通りすっごく美味しいけど、さすがにそれくらいじゃアタシの怒りは収まらない。 「あちゃー、約束しとったん?」 「してないけど、葉月に邪魔されずに杉菜と遊べるなんて、今日っていうか今日の曜日しかないじゃん。午後イチは授業がないから時間あるって杉菜言ってたし、数ヶ月ぶりにおしゃべりがてらランチでも誘うかなって思ってたの」 はばたき学園を卒業してから数ヶ月経って、杉菜や志穂は大学、珠美は専門学校、須藤は遥か彼方のおフランス、アタシはバイト、とまあそんな感じでかつての友達とかつてのように集まって遊ぶ機会はガクンと減った。 学生連中は多少時間が取れるらしいんだけど、いかんせんアタシのスケジュールが合わない。バイト仲間のコとはよく遊びに行ったりするけど、基本的に一日のほとんどを労働に費やす生活では、そうそう学生の友だちとつるむ時間もないワケで。結果、我が愛しの親友にはなかなか会えない。 それと、も一つ。杉菜の場合、大抵おまけで葉月が付いてくる。 卒業式のあとから正式に(「今さらかよ!」ってみんな思ったけどね)付き合うようになってから、ホンットどこでも一緒いつでも一緒、スッポンかアンタはとツッコむこと数え切れない。杉菜が嫌がってないからどーしよーもないけどさ。 だから、授業の関係だとかで少しでも葉月と離れてる時間は、杉菜ラブな人間にとっては貴重だったりするのだ。大体はホケカンとやらで寝てるらしいけど、アタシが声かけるといつも付き合ってくれる。 いつかほんのり笑いながら言ってくれた「奈津実と会うの、楽しい」ってセリフは、アタシの心の中で燦然と輝く宝物だ。 「あーなるほどなぁ。せやけどオレに会うんも久々なんやから、それで我慢したってや。な?ここの入場料かてオレ持ちやし♪」 「杉菜のママさんに貰ったタダ券っつったのアンタじゃん。語尾の音符でごまかそーったってムダ」 「こらまた手厳しいこって。せやけどホラ、アイス奢ったやん」 「あったり前じゃん。杉菜とのデート潰れた分としちゃ全然足りないっての」 「……確かに。ホンマ、スマンかったわ。相手杉菜ちゃんやったらなぁ」 「わかりゃいーのよ。……あーあ、ねむ」 欲しいカメラのためにここしばらく夜昼働いてて、やっと丸々一日休みが取れた。なもんだから、予定ではもっと寝てるつもりだったんだよね。いくらチア部で鍛えた体力があるったって、やっぱ疲れてるもんで。 ところが。 朝ご飯食べたあと、部屋に戻ってダラダラ寝てたら、いきなり怒涛の呼び鈴攻撃。 あーもう平日なんだからみんな出ちゃって誰もいませんよーださっさと帰ってよ〜、と毛布被ってたら、今度は枕元のケータイがけたたましく鳴り響く。 立て続けの騒音に、電源切っときゃ良かったと心の底から舌打ちしながら出てみれば、愛車に跨ったまどか@自称夜のオオカミ、が窓の下にいるという。 慌てて着替えて顔洗って玄関から出てみれば、確かに本人がやけに深刻極まりなさそうな顔で立ってたワケ。 「実はな……」 低い低い声で、すっごく真剣そうな顔して口を開くから、なんかトラブルでもあったのかとかまさか大阪帰るんだとかまさかまさか他に好きなコできたとか言い出すんじゃないでしょうね、と思ってすっごいビクビクしてさ。心臓バクバク言っちゃうし、顔面多分蒼白になってたと思う。 そしたら。 「……実は……こないだ杉菜ちゃん家行ったらな……」 「い、行ったら……?」 杉菜ん家って、何、まさか杉菜に何か……!? 「行ったら――――桜さんに、はばたき牧場のタダ券もろてん」 「………………は?」 ……はい? 桜さんって、杉菜のママさんだよね?タダ券?はばたき牧場の?それがどしたの? てかそれってそんな深刻な顔していうコト? と思ってたら、一転してニカッと笑いやがった。 「自分、今日休みやろ?ツーリングがてら気分転換しに行くでー」 「は???」 「ホレさっさと支度せんかい」 ……とまぁ、覚醒し切らないボーッとした頭でよくワケのわかんない内に引っ張られて、このはばたき牧場まで来るハメになったワケよ。 訊けばまどかも今日バイト休みだった、らしいんだよね。……らしい、ってのは、あとから聞いたからなんだけど。 卒業してから疎遠になったのは杉菜たちだけじゃない。このドツキ漫才コンビの片割れとも、そう。 卒業した後、3月中はそうでもなかった。仲間内に進学組が結構いたから、遊べる内に遊んどこうってバイトそんなに入れなかったんだ、アタシもまどかも。 けど自宅に住んでて住宅費や光熱費をそれほど気にしなくていいアタシと違って、まどかは一人暮らしだ。生計はほぼ全部自分の肩にかかってる。持ってる大きな夢に向けても、とにかく稼がないとどうしようもない。 だから、卒業してからはあんまり会えなくなった。バイトの職種も違うし、時間帯も違う。これはもう、仕事を始めてしまえば仕方ないことなんだよね。 仕方ないことだから、少しずつ自分のペースや力の抜きどころを把握しながら、折り合いつけてくしかないねーって話したりもした。だから正直なトコ、こうやって休みの日に逢えるのは嬉しい。 嬉しいんだけど――――ただ。 ただ、さ。 ちょっと最近の奈津実さん、色々あってあんまりハイテンションじゃないんだよね、これが。 目の前のガングロ男はそれを解っているのかどうか、妙な顔でアタシを見る。 「ホンマに眠そうやな。しばらく向こうの芝生広場ででも昼寝しよか?」 「何されるかわかんないからやめとく」 「失礼な。こないにジェントルマンなオレに向かって」 「ジェントルマンは女の子拉致ったりしませーん」 「わかってへんなぁ。TPOに応じて強引になるんが真のジェントルマンなんやで」 「いやそれ冗談にしても嘘クサすぎるから」 「嘘クサイてヒドイなぁ。誠実さと義理堅さでは他の追随を許さん世にも珍しい真のイイ男掴まえて、その言葉はあんまりやと思わん?」 「アタシ守村くんも千晴くんも掴まえた記憶ないけど」 「待たんかい!なんでそこでメガネくんとちぃが出てくんねん!」 「誠実で義理堅いっていったら、アタシの知ってる中では守村くんと千晴くんしかいなーい」 「よよよ、ホンマにつれない女やで……」 「わざとらしい泣き真似は気色悪いからやめてよねー」 表情も変えずに返すと、まどかはふと首を傾げた。 「……どないしたん?」 「なにが」 「そら確かに休んどるトコ引っ張りだして悪かったなー思たけど、それにしてはめっちゃ御機嫌ナナメやんか。いつもやったらソフトクリームで直るのに、なんかあったんか?」 ……あったわよ。 あった、けど。 よりによって、アンタがそれ言う? それに大体アタシがソフトクリーム1つで機嫌が直るような安い性格だっての? ふざけんなっての。 「……べっつに」 「その割にはふてくされた顔してんで。ホレ、眉間にシワ」 軽く額を突付かれて、アタシは思わず肩をすくめる。 「似合わんのやから、そないな顔やめとき。自分はげらげら笑っとる方がずっと面白いんやから」 こんにゃろ。女に向かって笑い顔が面白いたぁよく言ったもんだ。しかも何そのイイ顔ムカつくったら。 そーよ、ムカツいてんのよアタシ? なのにアンタがそんなケロリとした顔してるから、余計ムカつく。 最近のアタシの不機嫌の原因が、ホントよく言ったもんだわ。 「そんなのアタシの勝手!大体、当人が気にもしてないんじゃツッコんだってムダなんだから。そんなことにかける労力、お疲れモードどっぷりの奈津実サマにはこれっぽっちもないんだから!だから放っといて!」 「は?……ってちょい待ちどこ行くんや」 「お・て・あ・ら・い!!」 突然怒ったアタシに戸惑ってるまどかを置いて、アタシは売店や食堂、トイレなんかが併設されてるレストハウスに向かった。 「ハアァ〜…………」 言葉通りにトイレに行って洗面台に手をついて、大きく溜息。 (ホント、ムカつく……) 全然心当たりありません、なんて顔がとにかくムカつく。未だにアタシが引っ張りまわされたこと怒ってるんだと思い込んでる。 そりゃ確かに怒ってたけど、それはね、もういいの。朝イチで誘いに来てくれたってだけで、けっこう嬉しかったりするもんだから。 けどそれ以上に、今のアタシには許せないことがある。 (普段は必要以上に気が回るくせに、なんで気付かないんだっつの。――アタシが見てなきゃ、何したっていいとか思ってんの?) このイライラの原因。 それはまさにアイツ、姫条まどかの行状によるものだ。 毎日毎日バイトで大忙しだけど、たまーにね、外で見かけることがあるワケ。ていうか目に入っちゃうんだけどさ。この辺のアンテナは一体どういう仕組みなのか自分でもサッパリわかんないけどさ、とにかく見つけちゃうワケ。 ――――アタシじゃない別の女と、それはもう楽しそう親しそうにランチ食べてるトコ、とか。 ――――アタシじゃない別の女に、それはもう嬉しそう親しそうに声かけて笑ってるトコ、とか。 そんなのこの半月の間に立て続けに見てみろってのよ、いくら寛大なアタシだって何よソレって言いたくなるから。バイト仲間っていう雰囲気じゃなかったから、なおのことだ。 「しっかもどっちも年上の、結構な美人さんだもんね〜。深読みするなってのが無理だと思わない?」 鏡の中の自分に向かって自問自答。 「無理だよねぇ、アイツの過去とアタシの性格じゃ」 ガクリと落とす首が我ながら鬱陶しくてまた溜息が出た。 あのさまどか。アタシって何? アンタにとって、アタシって何なの? そりゃさ、卒業式の日から呼ばせてくれてるよ、名前。誰にも呼んで欲しくないって言ってた、下の、アンタ自身の名前。 そんでもって、呼んでくれてるよ、名前。アタシの好きな、アタシの名前。 けど、それだけだよ? 二人きりで逢ってる時、手を繋いだこと、ない。 抱き締められたことだって、ない。 ましてやキスなんか、一度たりともあるワケない。 それ以前に――――好きって言われたこと、ない。 そりゃあ、手を繋ぎたいとか腕組みたいとか抱きしめてとかキスしてとか、そんなこと素面で素直に言える性格じゃないよアタシは。けどさ、やっぱりそういうね、言葉とか行動とかそういう類の形を見せてほしいっては思うんだよ? なのにソレって何?なんで平気で他の女と遊んだりしてるかな。なんであんな楽しそうな顔してるかな。 じゃあアタシって何? 単なる遊び相手?単なる漫才の相方?単なるトモダチ? ねえ、何なのよ。 アタシってホントに何なのよ。 外に広がるのどかな風景。こんな牧歌的な風景見せられたって、それがわかんなきゃ心なんて晴れるワケない。 「ああもう!!」 腹立たしくて腹立たしくて、でも直球で訊けない自分が情けない。「あれ誰?」って気楽に訊けない、自分の立場が情けなさ過ぎる。 ホンット、ムカつく。 「とは言っても、このままじーっとしてるワケにもいかないか……」 腹立たしいから、この際お昼ご飯はアイツ持ちでヤケ食いしてやる。 そうとりあえずの結論をつけて、アタシはレストハウスから出た。そして目に入った光景に足が止まる。 (……また逆ナンされてるし) 何度幾度見たことか、もういいかげん見慣れた光景に頭を押さえた。 二人連れの女――多分年上――に声かけられて、それはそれはにこやかにお相手してる姫条まどかの図。高校時代から遊びに行く度に見かけてスッカリ当たり前の光景になっちゃったけど、ちょっとタイミング悪過ぎじゃない? ていうかオネーサン方?アンタたちもさ、わざわざ車飛ばしてこんなココロ洗われるような景色の場所に来てまで年下の男引っ掛けなくてもいいんじゃない?いくら老けてるとはいっても、まーだ全然未成年よソレ。 ああもうウンザリ。 普段のアタシならテンション高く「なーにカタギの人間にムダにフェロモン巻き散らしてんのよこの歩く万年発情期!」とでも言って引っ張りだすところだけど、生憎そんな気分じゃない。何このコ、とかいう目で見られんの覚悟して声かけんの、結構気力も体力も要って大変なんだから。 気分そのままに重い足を引きずって、それでもまどかの所に近づくと、ようやく気が付いたのか、アイツが二人を押しのけて走って来た。 「遅かったやないか。倒れとるんちゃうか思て心配したで?」 ――――そこまでは予想内のセリフ。 けど予想外のことが次に起こった。 「…………え?」 がば、と音がして気が付いたら、なんでかまどかの胸が目の前にあった。しかもなんか背中に腕とか回ってる気がするんですけど。 ……ちょっと待って? 今アタシ、もしかしてひょっとして抱きしめられてたりする? え?え?え? ちょっと、ねえ。いきなりナニゴト?何でこんなコトになってんの? ねえちょっとなんか言ってよ。 「まど……」 「あーお姉さん方、そーゆーワケで待ち人来ましたんで、残念ですけどお誘いはお断りしますわー」 アタシのセリフを遮って、まどかが大声を上げる。 すると。 「な〜んだ、つまんないの」 と呟く声がして、遠ざかってく足音が聞こえた。 「ちょっ、まどかってば」 「ちっと黙っとけ。…………フゥ、ようやっと行ったか」 ヤレヤレと呟いたと思ったら、抱きしめられた時と同じように唐突に体を離された。 「連れがおる言うたのにしつっこいねん、あのお姉さん達。こないなトコまで来て逆ナンするなんて余程男に恵まれてないんやろか。ま、あのしつこさやったら解らんでもないけど」 参ったように、けど淡々と言う。いやそれは良いけど。アタシも同感だと思ったからあんな女たちのことはどうでもいいけど。 なんでそんなに淡々としてんの? 今、アタシに何したか解ってんの? なのになんでそんなに「いつも通り」な顔してんの? ねえ、ちょっと。ねえってば。 「さてと。自分も戻ってきたし、折角ここまで来たんや、乗馬でもして遊ぶか。ホレ、行くでー」 いやだからさ。その前に言うことあるでしょってば。 って、そんなさっさか一人で足早に歩いて行かないでよコンパス全然違うんだから。 追いつけないじゃない。 追いつけなく、なるじゃない。 →Next |