Much Ado About Nothing −2− |
久々に触るウサギは可愛かった。 小さい子供と戯れてるポニーも可愛かった。 ぼってり太った乳牛がもそもそ草食べてる姿も可愛いと言えば可愛かった。 それでもアタシの心は晴れないまま。 カワイイもの見れば浮上するはずの、ある意味単純なアタシの心。 けど今日に限ってはとことん例外みたい。 「あ〜あ、杉菜に会いた〜い……」 「なんやねんいきなり」 ポツリと呟いたアタシの独り言に、隣のまどかが返す。 「ふと思っただけ。杉菜の顔見て癒されたいな〜って」 「自分なぁ、馬に失礼やろ。重ーい人間背中に乗っけて、いつもと違ったキレイな景色を見せてくれてるっちゅうんに」 「重いのはアンタだけでしょ。アタシはそこまで重くなーい」 「50Kgもあれば十分重いやろ」 「そんなにないわよ!」 パッカラパッカラ蹄の音をさせながら、アタシたちは日頃使わない筋肉を使いながらの乗馬中。指導員に乗り方その他を教わってから、今は囲いの中をのんびり巡回していた。 まどかはもう、さっきのことなんか忘れたように笑ってる。 アタシがこんなにグルグルしてるってのに、何そんなヘラヘラ楽しそうにしてんのよ。 そんなアタシの心中を感じてか、乗ってる馬が少し苛ついたように足踏みをする。 ゴメンね、こんな状態で乗っちゃって。でもせっかく来たのにもったいないって本音もあったりするから、ちょっとの間だけ付き合って。 一通り巡って、アタシたちは馬を降りた。 「いやー、ホンマにお利口さんやなぁ。大人しいし頭エエし、ちゃーんと人間の言うことわかってんねんな」 「結構いい歳ですし、観光牧場になる前からお客さんの相手をよくしてましたからね、慣れてるんですよ。お客さんも手綱さばき上手かったですよ」 「イヤ〜、むか〜し昔に親父の知り合いの馬に乗せてもろたことあんねん。我ながらよう覚えてたわー」 「ああなるほど、それで」 アタシそっちのけで係員と歓談しちゃってさ。楽しそうで結構ですこと。 そんなことをしてたら、他の牧場の人に呼ばれて係員はしばらくこの場を離れていった。 「いやーバイクとは違うけど、乗馬ってのも面白そうやなぁ。葦毛の馬を駆って、剣を閃かせながらこう、大草原を駆け抜ける!ヒロイックファンタジーな男のロマンやねぇ」 「あっそ」 馬を優しそうに撫でながら上機嫌に話すまどかに、アタシはわざとぶっきらぼうに返事をする。ツッコミ返す気力もない。ただイライラした気分を抑えるので精一杯。 「……奈津実、ホンマどないしたん?いくら杉菜ちゃんとのデート潰れたにしても、いつもの自分やったらこれはこれで目一杯楽しむタチやないか」 「…………」 そうよね。いつものアタシだったらそうでしょうね。 でもさ、そうじゃない『アタシ』だってちゃんといんのよ。 アレコレ悩んだりグジグジ考えたり、そんなアタシだってちゃんと存在してんのよ。 さっきみたいに、その場の女除け道具に使われるような、その程度の女なのかって考え込んじゃうくらいにムカつくアタシだって確実に存在してんのよ。 いつもは必要以上に鋭いくせに、何でアタシが怒ってる原因が思い当たらないのか。 「ホンマは何かあったんやろ?オレがなんかしたんやったら謝るし、バイトでムカつくことあったんやったら愚痴聞いたるから、言うてみ?」 ――――ムカつく。 どのツラ下げてそういうこと言う?『なんかした』?したに決まってんじゃない。 だからアタシがこんなにウダウダしてんじゃない! 「だったら訊きますけどね――――アタシって、まどかの何?」 気がついたらアタシはまどかを睨みつけて、そう訊いていた。 「へ?」 「そりゃ、名前は呼んでくれるけど、呼ばせてくれるけど。だからって恋人みたいなことしてるワケじゃないし、してくれるワケじゃないし、アタシって一体なんなんだろって思っちゃうんだよ。アタシはアンタのこと、好きなのに」 「……奈津実……」 「別にさ、好きになれないって言うなら、それでもいいんだよ?今みたいに中途ハンパなトコにいるの、そっちの方がよっぽどイヤ。アタシって、まどかにとって何者?」 止まんない。ぐるぐる回る。頭の中、グチャグチャして変な感じ。 止まれ止まれ止まれ。こんなこと言うアタシなんてアタシじゃない。こんな『その辺の女』みたいなことするアタシ、アタシのなりたいアタシじゃない。 だけど。 だけどだけどだけど! も、ダメ。 止まんないよ。 「こんなこと悩むの、イヤなんだから。ウジウジしててさ、女々しくってさ、子供っぽくてさ、全然したくないんだから。それでもさ、良いって言ってくれたから、我慢してたけど。杉菜が言ってくれるから、我慢できた、けどっ!」 杉菜に会いたい。そう思ったのは、そのせい。 いつかあのコが言ってくれたから。 ――自分のこと、汚いって、浅ましいって、認めるの、勇気要ると思う。奈津実、そういうの真正面から認めて立ち向かおうとしてる。それが伝わってくるの。だから、価値がないなんてこと、ない――。 いつもあのコが言ってくれるから。 だから考えすぎないで、アタシはアタシでいられた。いようって思えた。 でも、卒業しちゃったから。あんまり会えなくなっちゃったから。 杉菜にも、まどかにも、あんまり会えなくなっちゃったから。 一人でグルグル考える時間だけが、増えていって。 「あんな……っ、年上の美人と遊んでるアンタ見たら、とてもじゃないけどそんな、我慢なんてできなくなったりするんだから!!」 そこまで言うと、まどかは眉を顰めて不思議そうにアタシを見る。 「年上の美人……?なんや、それ」 「とぼけないでよ!モールのレストランで食事してたトコとか、駅前で歓談してたトコとか、しっかり目撃してんだから!」 「へ?……あ、あ〜あれか。って、自分、ソレは……」 この後に及んでのん気そうに思いだしてるまどかに、アタシは今度こそ完全にキレた。 「でもそんなコトもうどうだっていいわよ!アンタにこれ以上振り回されるなんて、そんな馬鹿げたコト、もうたくさんなんだからーーーッ!!」 『ヒヒーーーンッ!!』 力の限りに叫んだ瞬間、すぐ近くにいた馬が突然けたたましく鳴いた。 「――ッ、このアホ!!」 「――――えっ!?」 振り向いたと同時に高々と掲げられた蹄が目に映る。 「奈津実――――!!」 光が遮られて、目の前が褐色で満ちて行く――と思った時には、ドン、と大きな衝撃を受けて押し倒される感覚。 「なっ!?」 状況を把握する間もなく聞こえて来たのは。 遠ざかる蹄の音とそれを追いかける係員の足音、それから、大丈夫かと安否を気遣う周りの人の声。 …………何が起こった、の。 えっと、……蹄が頭上に見えたってコトは、アタシひょっとして……。 ……馬に、踏み潰されるトコ、だった……? けど、潰されてる様子はない、っていうか痛いトコなんて全然ないし、どうして、何が。 って思ったら、横たわったアタシの下で、呻き声が聞こえた。 「……っと……イテテテテ。はぁ……大丈夫か、奈津実?」 無理矢理意識を現実に戻してから、アタシは声の持ち主を見る。 アタシを抱きすくめるようなその体勢から、どうやらまどかが咄嗟にアタシを庇ってくれたのだと解った。 「まど、か?」 ゆっくり体を起こしてから、まどかは少し離したアタシの体を上から下までジーッと検分する。 そして異常がないようだと判ると、大きな溜息をついた。 「見た目は大丈夫そうやけど、どっかケガしてへんか?ん?」 重ねて問われてアタシはハッと我に帰った。 「ウン……――って、アンタは!?アンタの方こそケガしてんじゃないの!?」 今になってやっと気付く。自分がかなり危険な状況だったってこと。数百キロはある巨体に踏み潰されたら、人間なんてひとたまりもない。いくら、いくらコイツだって。 胸倉をつかむ勢いで訊ね返すアタシに、まどかは笑って言った。 「あー平気平気、踏まれてへん。ライダージャケットの防御力をなめたらアカンで。……あー、せやけどこら帰ったら洗濯機直行やなぁ。ドロだらけやん」 冷静に自分の服を検分する様子から、確かにケガはなさそうだ。蹄の跡もない。 「まぁ牛フンやなかっただけマシか。にしても自分、馬ってのはめっちゃデリケートなんやで?近くで大声出したり驚かせたりしたらアカンのや。次からは気をつけるんやで、ホンマに」 子供に諭すみたいにアタシの頭に手をポンポン乗せながら、まどかが言う。 ちょっとやめてよ、子供じゃないんだから。そんなコトされたって落ち着かないっての。ドキドキして落ち着くどころじゃなくなるんだから、やめてよねホント。 それなのに、何してんのアタシの心臓。何そんなにまったりペースになってんのよ。勘弁してよそんな解りやすく安心したりしないでよアタシってばもう。 普段なら軽く触れられるだけで飛び上がる心臓が、この時ばかりは落ち着いたようにリズムを整えてく。つくづく今日は例外みたいだ、アタシの心。 だって、ホラ。 なんでか目から涙が出てくるし。 ウソでしょ?何で泣くかなアタシ。 自分でも解らないその感情を悟ってか、まどかは力を抜いたように笑った。 「……多少落ち着いたようやから、先に誤解を正しとくわ」 「……へ?」 何言いだすのかと思って、アタシはまどかを見上げた。 「さっきの『年上の女とデートしとった』云々の件や」 ムカ。思い出したらまた腹が立ってきた。 顰められた顔に、だけどまどかは首を振る。 「とりあえず大人しく聞かんかい。まず年上のオネーサンその1。あれは洋子さん言うて、葉月の従姉や」 「…………は?」 葉月の従姉、の「洋子さん」? 「名前は聞いとるやろ?葉月の保護者っちゅうか後見人みたいな人で、雑誌の編集やっとる」 「聞いた……こと、ある。杉菜が言ってた」 「せや。そない言うたら自分は直接会うたことなかったんやな。せやけどオレはホレ、はばたき市一人暮らし高校生同盟の盟主やさかい、葉月家食生活調査の時やらで何度か会うてるんや。その上、4月頃にそのツテでバイト先紹介してもろたし」 「バイト先……」 そういや編集部の雑用のバイト始めたとかなんとかって、ちょっと前に言ってたような。 「そ、洋子さんの会社の編集部でやっとんねん。で、たまたまこないだは時間あるから世間話がてら昼飯でもってことになったんや。ちなみに話題といえばアレしか出んかった、葉月の食生活」 「……色気な〜……。で、でもそれは判ったけど。じゃあ、もう一人の方はなんなのよ」 「年上のオネーサンその2やな。あのお方はな……」 「『お方』?」 妙にタメを作ってから、すっごく真剣な顔に変わって口を開く。 「あのお方は……聞いて驚け!その名も高き『バイト番長』やねん!!」 え。 今一瞬なんかすごい単語を聞いた気がする、けど。 …………え? 「………………っ、って、あの……、あの『バイト番長』ぉーーッ!!?」 バイト番長。はばたき市だけでなく、ひびきの市やきらめき市、並びにこの界隈でフリーターとして生きる者なら一度は聞いたことのあるその名前。 様々なバイトを掛け持ち、その情報量と行動力には一目置かれ、フリーター内で目に余る振る舞いをしている者には仲間の番長たちと共にその制裁であるヨーヨーの一撃を食らわせるという、謎極まりない人物らしい。 「せや」 「ウソ!アタシ初めて見たよ!?てか噂だけはやたら流れてくるけど、本人見た人ってほとんどいないって!あんな美人なの!?てかそれ以前に、女の人なのーーーッ!?」 ポニーテールの快活そうな美女。『番長』という単語と大きく外れた、思いっきり表世界の住人に見えたんだけど。 「せや。あれがバイト番長ご当人や。オレがこっち来た時エライ世話になってな〜。久々にはばたき市でのバイトがメインで入ってるらしくて、ホンマに偶然見かけたんや。それで近況報告がてら声かけたワケで」 ちなみにその時出た話題は、近隣の良さ気なバイト情報エトセトラ、だったらしい。しかもアタシが潜り込めそうな撮影スタジオのバイト募集情報まで入手して来た、だって。 「ウッソォ……アタシてっきり、アンタがまた女遊び始めたのかと思って、そりゃもうムカツいてたのに……」 「失礼なやっちゃな〜」 そう言う割にはなんで嬉しそうな顔してアタシの頭撫でるかなコイツ。だから子供じゃないんだってばアタシは。 「そらさっきみたいに向こうから声かけられたりはするで?これだけのイイ男やし、それはしゃーないやろ。せやけど、自分からはしとらん。する暇ないし、必要もないやろ。こないに面白いお姫さんおるんやから」 面白いってアンタ。 「手はかかるわ容赦なくツッコむわちっとも甘えてくれへんわ、ホンマどうしてこないな厄介なんにとっ掴まったかなー思てるけど」 「厄介……ってアンタ喧嘩売ってんの!?」 「イヤイヤイヤ。せやけどな、それでも泣かしてみたい、思う女は自分だけやからなぁ」 「……泣かしてみたい……って」 何そのサドな発言。そんでもって何その笑顔。 「……ようやく、言うたな」 ポン、とまた手が頭に置かれた。大きな手。大きすぎて、全然届かない手。 「……なに、ようやくって」 「さっきの。自分そういうこと言わへんから。いつも強がってるし」 さっきの……っていうと、あのキレっぷり……のコト、だよね。 あまりの醜態を思い出して恥ずかしくなって、アタシは顔を背けた。 「……当たり前じゃん。弱い女になんてなりたくないもん」 「強がるイコール強い女、とは言い切れんで?たまには泣いたらエエんや。泣いて泣いて、叫び散らせばエエんや。そらま、馬の耳元ではやめた方がエエけど」 ふわり、と。 引き寄せられて、気がついたら。 「オレの前でやったら、いくらでもOKやから」 耳元で静かに響く、甘い声。 「せやから、杉菜ちゃんトコにばっか行くなや、アホ」 ちょっとだけ、拗ねたような。 だけど脳天直撃の甘さで。 (……何言ってんのアンタ) アンタに言えないから杉菜のトコに行くんだってば。ていうか大体アタシ杉菜の前で泣いたコトなんて1回こっきりしかないんだから、そんなこと言われる筋合いないってば。 そんな何杉菜に嫉妬したようなセリフ吐いてんのよ男のクセに情けないったら。 って、思ったんだけど。 なんかジャケット越しの体温が気持ちよくて、涙がほんわり引いてきた。 呼吸とか、鼓動とか、そういうのが完全に全部ゆったりしたいつものリズムに戻ってきて、なんか、すごく安心してきた。 こんなのイヤだったはずなのに。泣き落としみたいでイヤだったはずなのに。 受け止められてる、抱きしめられてるって思ったら。 弱い自分がなんだかちょっと楽に思えて。ちょっと、笑えた。 こんなアタシ、変なのに。 変で情けなくて、しょうがないのに。 「あのな……過去の例でアレなんやけど、オレが杉菜ちゃんを好きやった時、杉菜ちゃんに告白できたんは自覚してからどれくらい経っとったか、自分知ってるか?」 いきなりまどかが呟く。耳元に響く声は、やっぱりちょっと心臓に悪い。 「杉菜……に?……って、1年半くらいだったっけ?」 「そんなとこや。しかも、フラレるの判ってて、フラレるために告白したんや。そん時の己の瞬間勇気パワーをパラメータ表示したら、軽く容量MAX超えてるで」 「……で?」 「で、ってつまりやな、あー、そのー。……ウン、まぁその、な、冗談混じりで言うのと違うやろ?そういうんは」 「そうだけど」 「せやから、そのな。いきなり軽々しく言えへんねん」 「…………えっと、それってつまり」 「あー!まぁそういうことや!今んトコまだ勇気パラメータが足らへんねん。どうもそういうタチみたいやし、その辺ちーっとばかし大目に見たってや」 「大目に見るって……つまり、アタシはアレコレ悩まなくていい身分にはなってるワケ?」 アンタの中で。 まどかの顔を真正面から見つめて訊くと、 「あったり前やろ。それ以外のなんやっちゅうねん」 という怒ったような返事が返って来た。 「単なるドツキ漫才の相方とか」 「まぁそれも込みやけど。今まで散々遊びまくってて今更っちゅうのは重々承知してんねんけど、やっぱこう、好きとか何とか言うんはな、照れるやん」 「……アンタ、精神年齢中学生?」 「ほっとけ」 そう言って真っ赤な顔でプイと顔を逸らしたから、アタシなんかおかしくなっちゃってさ。思わず吹き出して笑ってしまった。 「あーあーもう好きなだけ笑っとけ!…………ところで奈津実サン?」 と、まどかは不意に何やら思いついたような企んでるような顔をしてアタシを見つめてきた。 「……なに?いきなりサン付けして」 「オレも一つ二つ言いたいことあんねんけど、訊いてエエ?」 「言いたいこと?な、なによ」 剣呑な視線にちょっと怯んでると、ニヤリ、と皮肉ったような表情をする。何なのよ一体。 「先週の水曜日の夜やけどー、なかなかステキな若い男と二人でカラオケから出てきたんはなんでかな〜?」 「へ?」 先週の水曜?先週の水曜…………あ、そうそう。 「先週の水曜は、確かバイト先の先輩に誘われて、数人でカラオケ行ったんだけど」 で、時間遅くなるとヤバイし先に帰ろうと思ってタクシー呼んだら、繁華街だし夜は危ないからって、その誘ってくれた先輩がタクシー来るまで一緒に待っててくれたんだよね。 「フムフム。ほな、4日前にウィニングバーガー勤務中、カウンターでそらもうエライ親しそうに応対しとった大学生くらいの男は誰やったんかな〜?」 「大学生くらいの男?……あー、あれは志穂の同期生。志穂と出かけた時に偶然街で会って知り合ったんだけど、これがノリ良くってさー、一発で話が合っちゃって。近くに住んでるって言うから売上に貢献してよって頼んだらさっそく来てくれたんだよねー」 「……ほほぉ〜」 「……なにそのジト目」 「いや、オレより自分の方がよっぽどアレなんちゃうかな〜って」 「アレってなに」 「さぁ?自分の胸に訊いてみたらどや?」 「訊くも何もないじゃん。――――って、アンタなんか誤解してない?どっちも彼女持ちでラブラブよ?」 一瞬何言ってんのと思ったけど、ふと気がついてアタシがそう言うと、まどかは何とも微妙な表情になった。 「……ホンマに?」 「ホンマもホンマ。バイトの先輩はねー、なんっていうか万人に優しくて気配りストでマメでさ、一部じゃ菩薩サマってあだ名があるとかないとかなのよ。その日はさ、前に彼女が急病になった時にいきなり休んで迷惑かけたことに対するお詫びで、皆して奢ってもらっちゃったんだわ。そんで、次。志穂の同期生だけど、こっちは初対面の時がまさに相手デート中だったのよね。見てるこっちが呆れるほどのお気楽のほほんバカップル。ありゃ10年後も同じノリでイチャこいてるだろうね〜。…………ん?なにまどか、アンタもしかして、気にしてたとか?」 もしかしてだから、アタシがそれらのオトコたちの所に行ったりしないように、朝から連れ出したワケ? つまりそれって。 ヤキモチ、ってヤツ? 「……べっつに?」 ねえちょっと何その態度。 いくら判りにくいったって今まで散々アンタのこと見つめてきたこのアタシが、そんな真っ赤っかな顔色に気付かないとでも思ってんの?顔逸らしたってバレバレなんですけど? 「……ちょっと姫条サン?照れなくっても良いんですのよ?誤解してて恥ずかしいなら恥ずかしいとおっしゃってもヨロシイんですのよー?」 「あーら藤井サンこそ、誤解してた照れ隠しに相方に話振って誤魔化そうなんて、そんな姑息な真似しなくてもヨロシイんですのよー?」 「ウフフフフフフフフ」 「オホホホホホホホ」 「………………」 「………………」 しばしの沈黙の後。 「「ハアァ〜…………」」 今日何度目かわからない溜息が同時に零れた。 「……アレだね、なるべく話す時間作った方がいいね」 「せやな。誤解で腹立てるんはお互い時間のムダや」 「うん、ムダムダ」 「おお、そういうことで」 そういうことで、ひとまずこれで手打ちにすることにした。 またの名を、仲直り、ともいうけれど。 何とかいつも通りに笑うことが出来たので、それはホントに安心した。 「――――まったくもう」 帰り道、交通量の少ない道路をのんびり歩きながら、アタシは呆れ声で言った。 「ホンット、恥ずかしいやら情けないやらないっつの」 「しゃーないやろ、不可抗力てなモンや。それにあの場は別に公序良俗に反するコトしとったのと違うんやから今更気にすんなて」 「衆人環視で気にしないほど恥知らずじゃないの、アンタと違って」 あのさ。よくよく考えたらあの場って結構周りに人がいたのよね。 つまりバッチリ痴話ゲンカしてるのを聞かれるわ見られるわで、なかなか恥ずかしい状況だったワケよ。何で気付かなかったかなアタシ。よっぽどキレてたんだなぁ。 しかも仲直り後、なんでか周りの拍手喝采を受けてしまい、逃げるようにしてその場を退散して来たのは良いんだけど、今度は足――つまりバイクが不調と来た。 仕方なく最寄のガソリンスタンドまでバイクを引きずりつつとぼとぼと歩く羽目になってしまった。ああ、なんかもう何もかもが情けないやら恥ずかしいやら。 「ヒドイなぁ。オレかて十分ナイーブでデリケートで繊細なハートの持ち主やで?」 「いやだからソレ冗談にしても嘘クサ過ぎて始末に終えないから」 「……ホンマあんまりなお姫さんやで、誰かさんは」 「アラ、素直で何よりでしょ」 「イヤそれ素直っちゅうより口が減らんちゅうねん」 「誰かさんにだけは言われたくないでーす。それよりさ、アンタ次の休みいつなのよ」 「ん?せやなー、丸一日は空いてへんけど、さ来週の月曜の午後なら完全フリーやで」 「あ、アタシもその日空いてんだ。カメラ買いついでに映画観に行こうと思ってたんだけど、行く?」 「ひょっとしてこないだ封切りしたアレか?あれやったら割引券持ってんで」 「また杉菜のママさん経由?」 「桜さん、セールスから巻きあげんの上手やからなー。もうほとんど趣味や言うてたで」 「さっすがママさん。アンタも見習ったら?洗剤くらいは自力で稼ぎなって」 「いやこれが男相手やと敵も出し惜しみすんねん。やっぱ美人主婦相手やとセールスマンの口も懐もすべりが良うなってなー」 まぶしい夕陽に照らされながら、くだらないことをベラベラ喋って。 市内までまだまだある道のりをてれてれ歩いて。 髪や服に付いたニオイがちょっと気にはなったけど。 (ま、いっか) と思ったから。 「ね、まどか」 「おう、なんや?」 「好きよ?」 がこっ。 「あーあーもう何コケてんのよ。これ以上バイク壊れたらどーすんの」 「自分なぁ……」 んな恨みがましい目で睨んだってムダ。 勇気溜まるまで待ってやるんだから、これくらいはいいじゃん。 「…………おおきに」 返って来た返事が、ふてくされながらも満更じゃないって顔だったから、「ま、こんなバタバタもたまにはいっか」と思った。現金なもんよね、アタシってば。 とりあえず、杉菜に会いに行くのはしばらく先になりそうだ。少なくともコイツ絡みの癒され目的ではね。 それにしても、昔自分が好きだったコにまでヤキモチ焼く彼氏がいると苦労する、と言ったら。 もんのすご〜くムスッとしたような声で 「アホ」 の一言が返って来て。 アタシはそれはそれは大きな声を上げて、通り過ぎるトラックの爆音と張り合うくらいに笑い転げたのだった。 Fin. |