〜Jenseits der Legende〜 【後編】 |
すっかり暗くなった街並を抜けて家に着くと、中からは暖かな光が漏れていた。それを灯した人物は既に夢の世界へと旅立っているはずだが、それでも誰もいない空虚な空間とは違う。玄関を開けて家に入ると、用意された食事の香りが未だふわりと漂っていた。 「……ただいま」 寝室に赴けば、そこには一人の眠り姫。廊下から差し込む明かりにうっすらと照らされている輪郭は、相も変わらず繊細で儚げだ。それを繋ぎ止めるように軽く口づけを落とすと、彼女は眠ったままでほのかに微笑んだ。 ――――ごめんなさい……。 こんなふうに過ごす事が増えてから、彼女は何度も口にした。 ――――起きていられなくて。……珪を、待っていられなくて。 自分の体質故に葉月が帰ってくる前には既に就寝している事が多い。仕事がある時はまず顔を合わす事はない。それが杉菜にとって負い目になっているのだ。 そんなこと気にしなくていい、そのたびに何度も言った。俺の為にそう思ってくれるだけで充分だから、俺の傍にいたい、そう思ってくれるだけで満足だから。 朝、目が覚めた時に隣にいてくれるだけで、充分幸せだから。 「けど、おまえも結構頑固だからな」 ベッドの縁に腰掛けて杉菜の絹のような髪を柔らかく梳きながら、葉月は苦笑して呟いた。 外見とは裏腹に、案外杉菜は頑固だ。この半年、それで言い合ったりする事がしょっちゅうある。言い合うといっても姫条や藤井のようなドツキ漫才ではないが(それもそれで面白そうだが)、お互い自己主張する事を怠らないようにした。あの初春の日の誓いを守って。 そして大抵は、互いに互いを気遣うが故の自己主張。意見が食い違ってもそれは結局嬉しさに繋がる。一層の愛しさに繋がっていく。ぶつかって、反発して、妥協して、認め合って、深くなる。だから葉月はそんな杉菜の頑固さも嫌いじゃなかった。自分に本音で相対していると解るから。信頼しているからだと、感じられるから。 甘えてくれる。頼ってくれる。笑ってくれる。……時々は怒ってもくれる。 自分だけに見せてくれる表情や感情や行動に、日ごと惹かれて魅せられる。離したく、なくなる。 何かの話のついでに「……じゃあ、結婚するか?」と切り出したのは、『それ』をいつも感じていたい欲望の発露。さりげない振りをして、その実心臓は相当バクバクいっていた。杉菜の表現を借りれば『交感神経に過度の異常を来たしていた』といったところか。数秒後に返ってきた承諾の微笑みに、思わず押し倒……いや、抱きしめてしまったのは無理もない(ないのか)。 規則正しい寝息を立ててスヤスヤと眠る杉菜につられるように、葉月の苦笑もやがて微笑みに変わる。 両親や洋子に杉菜と結婚する事を伝えた時、「まさか子供でも出来たの!?」と言われた。苦笑混じりに否定したが、それも悪くないな、とは思った。 けれど、今はまだいい。今はまだ、この笑顔を独り占めしていたいから。この幸せを味わっていたいから。 たくさんの想いを受け止めて、自分という存在の全てが愛情で満たされて、それを誰かにも分けてやりたいと思った時。 「それからでも、遅くないよな?」 確認するように彼女の手をそっと握れば、弱いながらも確かな返事が手の平に伝わってくる。 それに感謝するようなキスを一つ額に落としてから、葉月は寝室を出て行った。 秋晴れの爽やかな日差しが、朱や黄色に染まった街路樹を照らす。時折足元でさくりと音を立てる葉っぱから、天日干しにされた甘やかな薫りが立ち昇ってくる。銀杏でないのが何よりだ。 十月十六日の昼下がり。葉月と杉菜は昼休みの空き時間を利用して、はばたき市役所に来ていた。用事を済ませて建物を出て、バス停へ向かう。 「……急げば午後の特別講義、間に合うな」 日曜日ではあるが、大学ではイレギュラーな特別講義が開講されている。たまたま今日は午前中に杉菜の、午後に葉月の専攻に関する必修のそれが入っており、その隙間を縫うような行動と相成った。 「うん。ごめんね、わがまま言って」 「謝らなくていい。それに嬉しかったし、そのわがまま」 「そう……?ありがとう」 言葉の代わりに微笑みを返せば、やはり返ってくる笑顔。 「……いいなって、思ったから。珪の誕生日に、『私』も誕生日を迎えるの。お父さんとお母さんみたいに」 「ああ、いいよな、それ。嬉しいの、倍になる」 「日付変更と一緒に届け出せなかったのは、少し残念だったけど……」 「気にするな。俺の出生時刻、どうせ今くらいの時間だし。…………『誕生日』おめでとう、杉菜」 「……うん。珪も、誕生日、おめでとう」 もしこの場に友人達がいたら、彼らは確実に自身の吐いた砂に埋もれて窒息死しているであろう。事実休日のお昼時でたまたま通りがかった老若男女の各人は口をポカンと開けて二人を見守って(?)いた。現代日本に突如として蘇ったメルヒェン&ロマンチックな大気に見事KOされている。見物なのは確かだが。 葉月の誕生日たるこの日、婚姻届を守衛所経由で市民課に提出して、二人は名実共に夫婦の称号を得た。得たといってもこの二人の事、一生マイペースでバカップル化していくだけだとは思うが、そんなのは幸せ一杯の二人には余計なお世話である。 「――そうだ、渡そうと思ってた物、あるんだ」 「何?」 思い出したように葉月が切り出した、その時である。 『キキィィーーーッッ!!』 二人の進行を止めるかのように、一台のリムジンが突如道を塞いだ。後続には何やらトレーラーも見える。 「!?なんだ?」 「あれ……?このリムジンって……」 ガチャッ!という音も高らかにドアが開き、中から出て来たのは――――。 「……瑞希さん?」 「須藤?……と、三原?」 「――――お久しぶりね、東雲さん」 「やあ葉月くん、ブラン・プリマヴェラ!いたね?」 リムジンから颯爽と現れたのは、フランス留学中のはずの須藤と、海外漂泊中のはずの三原だった。なぜか二人ともドレスアップをして、長い髪に大層似つかわしいゴージャスさだ。 須藤は現れた勢いのまま、ズカズカと杉菜に歩み寄って叫んだ。 「まったくもう!東雲さん?一番のamieたるこのミズキにまでこーんな大事なことを秘密にしておくなんて、失礼よ!?藤井さんや姫条くんには言わなくたって、このミズキには真っ先に伝えるのが筋ってものでしょう!?これじゃ素直におめでとうも言えないじゃない!!」 別に秘密にしていた訳でも何でもなく単に言い忘れていただけなのだが、週一回はメールを交わす身としては直前になって知らされた事が悔しいらしい。 ただ事ならぬ須藤の形相と怒気に、杉菜はキョトンとした。 「瑞希さん……もしかして、わざわざお祝いに来てくれたの?」 「C'est naturel(当然でしょ)!ミズキがそんなに情のない人間だと思ってるの!?本当に失礼にもほどがあるわ!」 そう言うと、杉菜は驚いたように目を見開いたがすぐに表情を変えた。葉月に対するそれには遥かに及ばないが、かすかに微笑みの欠片が宿った。 「……ありがとう、瑞希さん」 「……べ、べつに、お礼を言われるために来たわけじゃなくてよ?……けど、東雲さんが、そう言うなら……」 真っ赤になって顔を背けた須藤の肩に三原が笑いながら手を掛けた。 「ハニー、もう『東雲さん』じゃないよ?――――やあ、ブラン・プリマヴェラ。今日は本当におめでとう」 「色……。ありがとう、色も」 「どういたしまして。……うん、今の君は本当に春の女神にふさわしいよ。ミューズの申し子であるこのボクでも、その美を上手く表現することができないくらいにね。葉月くんも、おめでとう。心から二人の門出を祝福するよ。ああ、遠慮しないで!それはボクの祝福を受けるのは畏れ多いかも知れないけど、ボクとキミたちの間でそんな遠慮は不要だからね?」 「あ……ああ、サンキュ……」 いきなり出てきた芸術コンビにやや戸惑った様子の葉月が答えると、須藤が柳眉を上げてキッと睨んできた。 「葉月くん!くれぐれも言っておきますけど、東雲さん――いえ、杉菜さんというべきね、彼女を苦しめるようなことがあったら、このミズキが一生許しませんからね!須藤グループの力を総動員して、杉菜さんを苦しめたことを一生かけて後悔させてやるんだから、絶対絶対ぜぇーっったいに彼女を幸せにしてあげるのよ!良いわね!?」 そう須藤が噛みつくと、葉月は思いっきり不機嫌そうな顔になる。 「おまえ、誰に言ってるんだ?」 「目の前の天然おボケな誰かさんに決まってるでしょう?どうも今一つ念を押しておかないと不安なのよ、あなたはね」 「…………おい」 「ああ、ダメだよ二人とも!こんな清々しい日にケンカするなんてナンセンスだよ。そうだね?」 一触即発の蛇とマングース(どっちがどっちだ?)に三原が頭を軽く押さえながら割り込んで止めた。 「それよりハニー、そろそろ時間だよ?」 「ハッ、そうでしたわね。葉月くんに付き合って、危なく時間を無駄にするところだったわ。――――ギャリソン!」 パチン!と須藤が指を鳴らすと、どこからともなく須藤家の黒服軍団が現れて、葉月達の回りを囲んだ。 「……?」 「……おい、何のつもりだ?」 そう言うや否や、人海戦術を喰らっていつの間にやら葉月と杉菜は離されてしまった。黒服集団の間から知った声が聞こえてくる。 「ハーイ、杉菜はこっち、葉月はあっち!まどか、葉月の方くれぐれも頼んだわよー!」 「了解了解っとな。ホレ、ボーッと突っ立っとらんと、はよ車に乗らんかい」 「姫条?藤井?……何のつもりだ、一体?」 見ればこの二人も普段の休日とは大違いの、妙に気合の入ったフォーマルな格好をしていた。姫条の場合何となくヤクザ臭いのが否めないが。 「何のつもりて、そら決まっとるやろ。自分らを祝福しに来たったんや。ま、詳しいことは中で説明するよって、とっとと乗れっちゅうねん」 押し込まれるままにリムジンに乗り込むと、続いて姫条も三原も乗り込んでドアが閉まる。乗った直後に車は静かに動き出して、そこでようやく葉月は姫条を睨んだ。 「おい、これから講義あるんだぞ!」 「そんなんどうせ履修届けは出しとるんやろ?一回くらいサボったかて、死なんやろ」 「死なないけど、必修だ。卒業かかってる」 「卒業なんて、ウェディングドレスに比べたら些細なもんやろ」 「…………ドレス?」 そう訊き返した葉月に、姫条は車に積んであったトランクから何やら取り出して突きつけた。 「……モーニング?」 しかもこれでもかと言わんばかりのホワイトカラー。ブートニアまでホワイトローズをあしらうあざとさぶりだ。 「せや。ホレ、とっとと着替えんかい。お姫様の横に立つにはそれなりの格好をせなアカンやろ、ジークフリート様?」 「……って、おまえたち……」 葉月が目を見開くと、姫条と三原は不敵な笑みを浮かべた。 「ダメだよ葉月くん、こんな記念すべき日に紙切れ一枚だけで全てを済まそうなんて美しくない。祝福というのはね、ふさわしい場所とふさわしいやり方で贈られるべきものなんだ。ましてやボクやハニー、キミたちのように美と愛の申し子として生まれた者には、それを放棄することこそ罪なんだよ。解るね?」 「せやせや。それに驚かされた分は驚かせて返さんと、どっちも後味悪いねんからなぁ。ま、サプライズパーティならぬサプライズウェディングっちゅうトコやな」 「……おまえたち」 「エエからはよ着替えんかい!杉菜ちゃんの控え室は確保しとるけど、自分のはこのリムジンしかないんやで!そうそう、オレには男を脱がす趣味はあらへんけど、脱がせ言われたらそらもう淫ら〜に脱がせるで?」 そう姫条がねっとりと言うと、ギョッとした葉月は急いで渡されたモーニングに着替え始めた。前もってカーテンを引いていたからいいものの、そうでなかったら信号待ちの時など外の通行人はかなりの眼福に恵まれたに違いない。実に残念である。 「……けど、どこに向かってるんだ?坂、上がってるみたいだけど」 慌しく着替えた葉月がシャツの襟を正しながら訊くと、訊かれた方は再びニヤリと笑った。 「そら決まっとるやろ。物語の王子と姫が永遠の愛を誓う言うたら、なぁ?」 一方女性陣の車では。 「ちょっと須藤、そのベールまだ被せないんだからよけといて!」 「わかったわ―――って、ミズキに命令しないでちょうだい!それよりあなたこそドレスの裾踏んづけてるわよ!」 「ウソッ!わわわ、汚れてないよね、大丈夫だよね?――良かった、汚れてない。遠藤ちゃん、髪の毛終わった?」 「OK!メイクも下地はやったからドレス着せて平気!仕上げは着いてからね」 「よっしゃ!あと時間どれくらい?よし、間に合うね。ハーイ杉菜、次は後ろ向いて!」 須藤家所有のドレスルーム仕様トレーラーの中で、藤井と須藤、そして元クラスメイトの遠藤(第40話参照)が、完全に放心中の杉菜に次々とデコレーションを加えていた。いくらトレーラーとはいえ、公道仕様のそれではドレスの着付けをするには些か狭い。それでも周りの三人によって杉菜のドレスアップ&メイクアップは着々と進められる。みるみる内に純白の花嫁が出来上がりだ。 「…………一体、何事?」 キョトンとしたまま、藤井達の指示に従っていた杉菜がようやく声を出した。 「何事ってそりゃアンタ、結婚式に決まってるじゃん!まさかこんな純白のドレス着てV−1チャンプ観戦に行くワケないでしょー?」 「結婚式って……私と、珪の?」 「他に誰がいるっての!先月聞かされてから、今の今まで超特急の突貫工事で準備したんだよー!驚いた?」 「……うん」 未だキョトン継続中の顔で、こくんと頷いた。珍しく本当に驚かされたようだ。 「Je l'ai fait(やったわ)!あなたを初めてビックリさせられたわね!」 「けど……このドレスとか靴とか、どうしたの?サイズ、ピッタリ」 自分の体のラインに寸分の狂いなくフィットしたドレスは、とてもレンタルで賄える代物ではない。それ以前に使われている布の上質な肌触りやさりげなくあしらわれたレースの精密さ、美しさはどう判断しても未使用のものだ。 「ふっふっふ〜。こんなこともあろうかと、パパさんママさんから花椿センセイに依頼してたらしいよ〜?もともとセンセイの方でもデザインしてたんだって。で、詳しいサイズとかをママさん経由で聞き出して、今日のこの日のために仕上げてくれたんだってさ!」 「……お父さんと、お母さん……それに、花椿先生も?」 入籍だけで式は挙げないと言った時、その究極の合理性を褒め称えてくれた両親が、まさか周りだけでなく自分達までビックリさせるつもりだったとは。これまた杉菜は驚いた。 「そうよ。ご両親と花椿せんせい、三人からの結婚祝と言ったところかしらね」 「そう…………」 「杉菜?もしかして、嬉しくなかった?」 ふと俯いて考え込んだ杉菜に藤井が訊ねたが、杉菜はそれには首を振って否定した。 「ううん、嬉しい。けど……式上げない理由、少なくとも、今上げない理由、面倒って事以外にあったから……」 「今日が仏滅だから?」 「ううん。そうじゃなくて……」 「そうじゃないって言うと……ああ、葉月のご両親?」 こくん。 急過ぎと云うほど急に決まった結婚話だったので、なかなかスケジュールが調整できず、葉月の両親が来る事は難しかった。未成年なので保護者の同意書は郵送して貰ったが、送り主の参列は見込めない。だから都合がつく時期になったら小ぢんまりした式を上げよう、そう葉月と話していたのだ。 「私は嬉しいけど……珪はどうかなって……」 「――――あのねぇ。アタシたちがそれを考慮してなかったと思う?」 「え?」 上り坂を登ってどこかの門の中に入ったトレーラーが、静かに止まった。 「……日曜だろ、今日……」 「日曜やな。見てみい、お天道さんが晴れ晴れときらめき輝いて、仏滅やらなんやらカラッと吹き飛ばしてくれるようなエエ結婚式日和にしてくれとるやないか。自分らめっちゃ幸せもんやねぇ」 「そういう問題じゃないだろ。……どうして生徒までいるんだ。しかもこんなに。部活にしては、多すぎだろ」 「文句はオッサンに言うべきやな。オレらは単に場所貸してくれ頼んだだけやで?そこを職権乱用して、生徒自由参加で派手に祝ったろ言い出したんは、杉菜ちゃんをドえらく可愛がっとるあの紅の薔薇の人や。ちょい歳食っとる薔薇の人やけど」 「…………理事長……」 「あとはアレやな。去年の学園演劇の伝説は未だに根っこ下ろしてるよって、在校生の皆サマにはもう一度それを見たいっちゅう意見が多数あってな。色々ツテやらコネやらカネやら集まった結果がこれや。人徳や人徳。エエ話やないか」 「…………」 リムジンが目的地について、一番最初に葉月の驚愕を誘ったのは、開かれた例の教会とその前に大挙して屯すはばたき学園高等部・現役生達の姿だった。教会に至る道には赤い絨毯が長々と引かれ、美しく掃除された室内には布やリボンで装飾が成されていた。 見れば神父らしき服装のダンディーな男性(天之橋に非ず)に留まらず、何故かマネージャーやカメラマンの森山に山田などもいたりして、賑やか華やかこの上ない。 そう、これは葉月と杉菜の為に急遽友人達がセッティングした手作りの結婚式だった。 「あっ、葉月せんぱーい!お久しぶりッスーッ!!」 バタバタと尻尾を振る犬のように、葉月を目ざとく見つけた日比谷が喜び勇んで駆け寄って来た。 「日比谷……。それに……鈴木まで?」 「ハッピーマリッジ!お久しぶり、葉月くん」 日比谷と同様に葉月を認めて、他の者に指示を出していたらしい鈴木が近寄って来た。一緒にいた鈴鹿や守村、蒼樹も駆けて来て葉月に祝福を述べた。 「なんで鈴木まで……学校、いいのか?」 バイタリティーとスタミナの化け物・鈴木は、平日の専門学校のみならず夜間・土日にも別の学校に通っている。本当なら今この時間もそこで講義だか講習だかを受けているはずなのだが。 「学校よりこっちの方が大事でしょ?それに、机上の空論より現場の苦労を取る人間よ、ワタシは。こういうイベントの企画進行は実際やってみた方が勉強になるしね」 進学後も変わらず駆けずり回っている鈴木らしい発言である。 「それより葉月先輩、超カッコいいッス!!やっぱり先輩はジブンの生涯でもっとも尊敬するお方ッス!ああっ、それよりも何よりも、本当に今日はおめでとうございます!!あっ、ええと、本日はお日柄も良く……って、あ、いや、暦は良いの反対なんですけど、えっと、そのッ――――」 「……落ち着け、おまえ」 何を興奮しているのか、唾を飛ばして支離滅裂に叫ばんとする日比谷を葉月は眉を顰めて制止した。 「まったくよ……日比谷おまえ、十八にもなってその落ち着きのなさはなんとかならねえのか?」 「和馬に言われたないやろ、ソレ」 「どーゆー意味だよ」 「そーゆー意味や」 「まぁまぁ、今日みたいに晴れた日にはアドレナリンも過剰分泌されるって事にして大目に見てあげましょう。それより葉月くん、東雲ちゃん……じゃなくて葉月ちゃん、か。彼女に会う前に待ち人がいるから、先にそっちに挨拶してきなよ」 「待ち人……?」 誰だろう。 そう思って鈴木の指し示す方向を見ると、天之橋と話している二人連れの男女の姿があった。 「…………!!」 「…………本当?」 「ウソついてどうするの?ちゃんとスケジュール調整して、来てくれたんだよ、葉月のお父さんとお母さん!」 「本当に……来てくださったの?」 遠藤にメイクの仕上げをしてもらいながら、藤井から聞かされた事実に杉菜は目を見開いた。 「無理かもって、言ってたのに……」 「うん。でもパパさんとママさん、それに洋子さんだっけ?葉月の従姉の。そっちの方で連絡取ってもらって頼んだんだよ。本人たちもそういうことならって絶対に行くって、頑張ってくれたんだ!」 「もちろん、須藤家の自家用ヘリと自家用ジェット機あってのことですけどね」 世界に名立たる須藤グループならばそれぐらいの便宜はお茶の子さいさいであろう。そのおかげで何とか葉月の両親を短時間ではあるが帰国させる事が可能となった。 「まったくこの件については須藤サマサマって感じ?まさか葉月のために動いてくれるとは思わなかったよ、アタシ」 「あら、誰が葉月くんのために動いたなんて言ったかしら?ミズキはね、杉菜さんのために動いたのよ?葉月くんが喜べば、結果的に杉菜さんが喜ぶからだわ。それ以外でもそれ以上でもないわね」 「とか言って、顔真っ赤じゃ〜ん?」 「なっ、なに言ってるの!大体ミズキはまだ葉月くんを認めたわけじゃないのよ!?でも、杉菜さんが彼が良いって言うなら認めないわけにはいかないじゃない!」 「アッハッハ〜、まーだ言ってるよこのお嬢サマは!」 トレーラーから教会脇の仮設テントに移動しても、藤井と須藤はギャーギャーと遊んでいて、周りの友人達の失笑を買っていた。 「あなた達、本当に今日くらいはいいかげんに止めて頂戴。しの……杉菜さんが困ってるでしょう?」 「……志穂、旧姓でかまわない。慣れないでしょ?」 「そうだけど……そういう訳にもいかないでしょ、けじめだし。それに、この機会に私もあなたを名前で呼ぶようにしたいから」 「なら、呼び捨てでいい。名前だけで呼ばれるの、好きなの、私」 「……そう?じゃあ……今日からは『杉菜』って呼ばせてもらうわ」 「うん」 「……杉菜、これ、私と桜弥くんから。今日、花嫁の手にあるべきもの」 そう言って差し出されたのは純白のウェディングドレスに極めて近い色の花々のブーケ。花弁の白と葉の緑との淡白なコントラストがかえって杉菜には相応しい。 「……ありがとう、志穂」 「どういたしまして。今の私達にできるのはこの程度だけど、気持ちはたくさん篭めたから」 「ううん。充分。充分嬉しい。ありがとう」 「……それなら、良かったわ」 伝わってくる暖かさに有沢も笑顔になる。それにつられたように、藤井達も舌戦を止めて笑った。 ぽすぽす、と天幕を叩く音がして、紺野がひょこりと顔を差し入れた。 「杉菜ちゃん、準備終わった?ご両親に入ってもらって大丈夫?」 「うん。入れて、珠美」 杉菜の答えて間もなく、寂尊と桜が悠々と(というには狭いが)テントに入って来た。入れ替わるように友人達は出て行って、しばし家族の会話である。 「これはこれは……!なんとも上手い言葉が出ないな、さすが奥さんの娘!女神の降臨という奴だな、まったく!トリ・コロールの評したブラン・プリマヴェラそのものじゃないか!」 トリ・コロールとは無論寂尊がつけた三原の呼び名である。三原本人は『・』が入っている辺りを気に入っているらしいが、あまりにも安易ではなかろうか。 「ええ。本当に綺麗よ、杉菜。――――おめでとう」 「お父さん、お母さん……ありがとう……」 「なーに、この姿を見られただけでお前の父親になった甲斐があるというものさ!いやもちろんかつての奥さんの白無垢姿にはわずかに及ばないがな!あれは俺の人生で一番美しい光景だったな」 「あら、懐かしいわね。そうね、あの時は絶対に白装束で挑もうって決めてたのよね。さんざん人生の墓場だって聞かされてたし、つい刷り込みで」 朗らかに笑う二人に、娘はふと気付いたように訊ねた。 「……尽は?」 「ああ、マイスウィートプリンスならすぐ外にいるぞ。一緒に来いと言ったのだが恥ずかしがって入って来んのだ」 「あの子ったら、一番結婚に反対してたでしょ?収拾がつかないというか、引っ込みがつかなくなって顔出し辛いんですって。本当にシスコンよね」 「ハッハッハ!それはこんなに素晴らしい姉妹を持てば仕方ないさ!奥さんを妹に持った義兄さんのようにな!」 「父ちゃん!オレをあの伯父さんと一緒にすんなっての!!」 ガバッとテントの入口を開けて、顔を真っ赤にした尽が飛び込んで来た。間髪入れずに反応するとは、一体どのような男なのであろうか、東雲桜の兄(51歳既婚・警視庁勤務)。 「おや、ようやく天の岩戸が開いたようだな!さあ尽、今こそ最愛の姉の新たなる人生の一ページへ寿ぎを贈るべき時だ!こういうタイミングを逃してしまっては、イイ男としては失格だぞ?」 「……解ってるよ」 一歩引いた寂尊らに代わって、尽が憮然とした表情で杉菜の正面に立った。しばし何とも言えない表情で視線を彷徨わせていたが、やがて観念したようにフウ、と溜息を吐いて杉菜の顔を見た。 「尽……」 「言っとくけど!」 何かを言いかけた杉菜を遮って、尽は叫ぶように口を開いた。 「オレ、別に葉月との結婚を反対してるわけじゃないからな!?単に早過ぎって思ってるだけで、相手が葉月だってことに関しては何の心配もしてないからな!?あ、いや、心配っていえば心配だけど、その辺は何とかなると思ってるし!…………けど、オレ、姉ちゃん好きだから」 「……うん」 「大事な姉ちゃんだから、心配したりするんだ。案外ボケっとしてるトコたくさんあるし、オレがフォローしてやんなきゃってずっと思って来たから、すぐに切り換えるのって無理だと思う。それまでは色々口うるさく言うかも知れないけど……その、オレなりに姉ちゃんのこと心配してるんだってことだけは、解ってて」 「……うん、解ってる。……ね、尽」 こくんと頷いて、杉菜は改めて尽を見た。 「なに?」 「……私、尽が弟でよかった。今まで私の事、一番心配してくれたの、尽。尽がいてくれて、本当に嬉しかった。……ありがとう」 その途端、かすかに微笑みが広がって、それの直撃を受けた尽は頭を抱えてしゃがみこんだ。 「……〜〜〜ねえちゃ〜ん……それ反則だよ〜……。葉月のヤツ、これをいっつも喰らっててよく正気でいられるよな〜……」 いや、既に正気じゃないですから。 「……どういう意味?」 「ハッハッハ!珪くんのおかげで俺達も幸福のおすそ分けをして貰えてるって事さ!それより尽、そんな座り方をしていると折角のスーツが皺になるぞ?――――さて、そろそろ会場側も準備が出来たと見える!花嫁を花婿のもとに導くのは花嫁の父と相場が決まっているからな、杉菜の静かな怒りによって『親父の一番長い日』を実行できなかった分、こちらのお約束は果たさせてもらうとしよう!」 「そうだ、どうせだったら尽も一緒にエスコートしてあげたら?瓜二つの美男二人に導かれる清楚な花嫁っていうのも面白そうじゃない?」 「母ちゃん……娘の結婚をつくづくオモチャにしてない?」 そう言いつつも尽はノリノリで姉の片側に立つ。一年でずいぶんと身長も伸び、小柄な姉をとうに抜かして見下ろすほど。その先にはこのはばたき市に来た時とはまったく違った表情の姉。一見無表情なくせに、たくさんの感情を心の内に持って周りを優しく満たしてくれるひと。 自分の背が姉を遥かに追い越した、その分の時間が彼女の中でも流れた。その流れを葉月が導いたのだと思うと何となく釈然としなくもなかったが、けれど杉菜の幸せそうな姿を見られた点では認めざるを得ない。 (ま、オレの人を観る目があったってことだけどな。それにどうせ、この二人じゃまだまだフォロー役は必要だろうし、オレが付いててやんないと危なっかしいしね、ウン) 実に鋭い意見を頭に浮かべて、尽は父と共に姉姫を王子の元へと導いていった。 ――――そして、教会の鐘が鳴り響く。 氷室率いる吹奏楽部の面々(一部OB含む)が晴れ晴れしくメロディーを奏で、同時に周りから大歓声と拍手が湧き起こる。 「おめでとうございますー!」 「幸せになるんだよ!」 「いつまでも仲良くしてください!」 「またメイド服見せてちょうだいねー!」 「寝る前には歯ァ磨けよー!」 時々なんか間違ってるセリフもあるが、概ね祝福を示す言葉がフラワーシャワーと共に教会の周りを満たして弾けていった。その中には高校時代の友人だけでなく、大学の友人や職場のスタッフ、そして何より互いの家族の笑顔が溶け込んでいた。 「嬉しい?珪」 「ああ……かなり。おまえは?」 「私も。とても、嬉しい」 白いドレスに包まれた白い光は、愛しさが零れるほどに葉月を照らす。 「ビックリしたけど……こういうの、いいな」 「うん。最初から、すれば良かったね」 「かもな。けど、しなかったからこそ味わえたのかも知れないしな。……卑怯?もしかして」 「……かも。ドレスもタダだし」 「だな。指輪だけか、自前」 「だね」 二人の薬指に嵌っているのは、葉月が今日の為に作り続け、届けを出したらすぐに渡そうと思っていた結婚指輪。どこから情報を得たのか葉月のポケットに入っていた一組の永遠は、姫条達によって上手く式次第に使われた。 あったからいいものの、無かったらどうするつもりだったのかと訊けば、 「それはないわ。自分はこう見えてロマンチストやからなぁ、こないな日に結婚指輪すら贈らんてことはまずないやろ。違うか?」 と返ってきた。すっかり性格を見抜かれてしまっているのに憮然としたのはさっきの事だ。 「……でも、嬉しい。嬉しいと思える自分が、とても嬉しい」 そう言って杉菜は自分に微笑む葉月の腕を取った。 「どうした?」 「うん。私から言ったこと、なかったと思って」 「ん?」 身を屈めて葉月は杉菜の口元に耳を寄せる。未だ続く祝福の喧騒の合間から、そっと聞こえて来たのは二人にとって最も尊い言葉。 「…Mein Herz ist Ihres auch, weil Sie das einzige Gluck meines Herzens sind.」 「杉菜……」 「珪がいてくれる事、珪といられる事、珪が笑ってくれる事……全部、私の心の幸いだから」 その言葉に、葉月は思わずTPOも無視して彼女を抱きしめようとした。 ――――が。 「ハイハイ、そこでいきなり見せつけられちゃったりすると純真無垢で好奇心旺盛な現役高校生たちが目のやり場に困るので!それは帰ってからのお楽しみにして、女の子だけの秘密の奥義ならぬお楽しみ、本日のメインイベント・ブーケトスいこう、杉菜!!」 半ば引っぺがす様に仙女・藤井が割り込み、無理矢理お姫様を王子様から借り受けてしまった。 「……おい」 「コラコラ、状況をわきまえんかい。愛と幸せは広がってこそなんぼやで?女神サマからの祝福を受けたブーケにどれだけ待ち焦がれてる女の子がおると思っとんのや。ちょっとくらいガマンしい」 従者・姫条がポンポンと王子様の肩を叩いて抑えた。抑えついでに葉月に耳打ちをする。 「……ま、おめでとさん。お姫さん、ホンマに大事にするんやで?」 「…………解ってる。おまえもな」 「そう来るかい。……まぁオレらはオレらでゆっくり行くわ。誰かさんを見習ってな」 ポン、と肩を軽く叩いて離れた姫条にフッと笑って、葉月は目の前に立つ杉菜を見つめる。 木洩れ日を浴びて、鮮やかに彩られた光を纏った最上の白。視線に気がついたように振り返るのと同時に届いてくる優しい風に、心からの微笑みを贈って頷く。 そして弾くように笑顔が返って、その手を離れた瑞々しい花束は蒼天の下、高く軽やかに弧を描いた。 Wahres Ende. |
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