−第50話− |
世界中を満たすような光のあまりの強さに、王子は思わず目を閉じました。 そしてやがて光が穏やかになった頃、おそるおそる目を開きました。 すると、そこには暗闇のかけらすらなくなっていました。 美しい花々が咲く清らかな風の吹く森の中、そこに自分が立っていることに気がつきました。 「よく、あの呪いを解くことができましたね」 聞こえたきれいな声にふりむくと、そこには一人の美しい貴婦人が立っていました。 「あなたは?」 「私は、あなたやあの姫の父王が魔女と呼んだもの。――――あの姫の『心』を奪った者です」 王子はその言葉を聞いてとても驚きました。 目の前の貴婦人は、あまりにも清らかでまるで聖女か妖精のようだったからです。 彼女は笑って言いました。 「姫にかけられた魔法は、私には解けないものだったのですよ。 かの姫のすべてを受け入れられる心の持ち主でなくては、解くことはできなかったのです」 王子はそれを聞いてさらに驚きました。 「それはどういうことだ?」 「生まれた時、あの姫には妖精たちから数多くの祝福が贈られました。 美しい姿、優秀な頭脳、健康な体。 けれど、肝心なものを贈ったものはいませんでした」 「肝心なもの?」 「自分を律し得る『善良な心』です。 あなたがさっきまでいた暗闇は、かの姫にもともとあった心の姿、その大部分なのですよ。 目に見える祝福だけを与えられ、善良な心は奥深くへと追いやられてしまったのです。 ……あなたがたのような身分の高い人々が、善良な心を持たないこと。 それが何をもたらすか、おわかりでしょう?」 王子は悪しき心を持った権力者たちが起こした歴史を思い出しました。 「与えられる祝福には限りがあります。 私がおもむいた時には、もはや『善良な心』を贈ることができなかったのです。 このままでは、この姫は民にとってわざわいを招く存在になる。 だから、私は姫の『心』を奪うしかなかったのです」 哀しそうに話す貴婦人を見て、王子はふとここまでの旅路で出会った民たちを思い出しました。 王子を心配して止めようとしていた彼らは、しかし魔女のことを悪く言いはしなかったのです。 彼女は、権力を持つものにとってはたしかに魔女でした。 けれど本当は、民にとっては自分たちを慈しんでくれる仙女の女王だったのです。 「奪うかわりに、私は姫にひとつ魔法をかけました。 闇のような心ごと姫を真実愛してくれる者がいれば、深く眠った善き心がその翼を広げるように。 けれどそれは並みたいていの想いでは無理です。 この世界の果てまで訪れて、姫そのものである深い闇すら受け止める。 それくらいに強い想いの持ち主でなくてはね」 仙女が言うと、またたく間にまわりの風景がまったく違うものに変わっていきました。 驚きのうちに気がつけば、木立の先に教会が立っていました。 王子と姫が初めて出会った、あの森の教会でした。 「姫の真の呪いは彼女の心自身。それをあなたは見つけ出しました。 さあ、お行きなさい。 すべての責を負うと言ったあなたならば、姫の微笑みを得ることが叶いましょう」 そう微笑むと、仙女は霞のようにかきうせてしまいました。 長く闇の内にあって木洩れ日さえも目に痛くはありましたが、王子は教会へと歩いていきました。 固い地面と木々を頼りにその前にたどりつき、扉に手をかけました。 ゆっくりと扉を開けると、祭壇の前に一人の姫がひざまづいていました。 ステンドグラスから降る光に誘われるように振り向く姫の横顔。 そこには、かつての空虚さはありませんでした。 「…………姫。私はこの深い森を抜けてやってまいりました。再びめぐり会うために……あなたを迎えに来たのです」 葉月がそう言うと、杉菜はその顔に驚いたような表情を浮かべて振り向いた。 「珪……」 彼女の手元にある絵本を目に留めて、葉月はどこか何かを堪えるような微笑みを浮かべた。 「……その本のつづき、教えてやるって約束したろ?」 すると、杉菜は軽く首を傾げてやや考え込む様子を見せた。 「……どっちでもいい、かな」 「……どっちでも、いい?」 「そう。今、読んじゃったから」 …………。 「……そういやおまえ、ドイツ語出来たっけ……」 杉菜の進路は一流大学外国語学部ドイツ語学科である。年齢が一桁の頃から習っていたというなら、童話程度のドイツ語の解読は朝飯前だろう。 「うん。小さい頃は文字だって認識してなかったから画像として記憶してたし、間違ってないか判らなかったけど……けど、ちゃんと合ってた。概要も訳してたのとほとんど同じ。小さい頃に覚えた事って、結構残るものなのね、頭に」 そこまで聞いて、今度は葉月が首を傾げた。 「……ちょっと待て。おまえ……覚えてたのか?」 「何を?」 「……その……子供の頃、ここで俺と会ってた事、とか……」 言い難そうな葉月の言葉を聞くと、杉菜はキョトンとしたように瞬きをした。 そして、一言。 「え……?私、忘れてないよ?」 しばし、沈黙。 「…………なんで言わなかったんだ」 「言われなかったから」 ――――確かに言わなかった。 「入学式の日に会った時、珪、何も言わなかったから。忘れてるのかなって思って。忘れてるなら、それはそれで仕方ないし、特に言う必要もないかなって」 「忘れたことなんて、ない」 ハッキリそう言ってから、葉月はふと顔を伏せた。そしておもむろに、 「…………プッ」 と噴き出した。 「珪?」 「クッ、ハハ…アハハッ……あ、いや……迂闊だったなって、思って」 「迂闊?」 「あの時躊躇しないで言ってれば、あんなに思い悩んだりしなくて済んだのになって、そう思って」 「躊躇……思い悩んだり、したの?」 「ああ。……入学式の日、教会の前でお前を見つけた時……すぐ判った。おまえ、あの頃とちっとも変わってなかったから」 祭壇に近づいて杉菜の正面に立った葉月が言うと、杉菜は首を傾げる。 「そう……なの?」 「ああ……あの頃と同じ。一瞬で心奪われるくらいに、綺麗なままで。……まるで、この教会だけ時間が止まってるみたいだった」 「じゃあ……どうして、今まで?言っても、かまわなかったのに」 訊ねると、彼は視線を逸らし淀みがちに言う。 「……言いだせなかったんだ。俺は……あの頃の俺とは違ったから……」 あの頃はまだ普通に笑えてた。目の前の少女に喜んで欲しくて、笑って欲しくて、たどたどしいバイオリンを聴かせたり、秘密の場所だったこの教会を教えたり、『お話』を聞かせたりする積極性だってあった。 だが彼女と離れ祖父と別れ、大切な人が身近にいなくなってからそんな自分は心の奥深くへと沈み込んでいった。杉菜と再会した頃には、かつての自分が幻のようになっていた。 「だから、このまま黙っている方が、いいんじゃないかと思ったんだ……」 「そんなこと……気にしなくて、良かったのに……」 「ああ、そうだな……。けど、それでも言い出し難くて。……でも、お前は、やっぱりあの頃のままで……風みたいに、いつの間にかどんどん、俺の中に入ってきた。……あの頃のまま、俺が欲しくても手に入れられなかったものをみんな持っていて……それを少しずつ、俺に分けてくれた」 葉月が静かにそう言うと、杉菜はハッとしたように首を横に振った。 「……私、何も分けてない」 「杉菜?」 「私の方こそ、珪から色んなものたくさん貰ってるのに、何一つ返せてない。何も持ってないから、返したくても、渡したくても、何もあげられてない。珪が……そんな風に言うのは違う。何も……感じられなかった私に、色んな気持ちを渡してくれたのは、珪の方――――」 「――――違う!」 杉菜が主張しようとするのを遮るように、葉月は突然声を荒げた。 「え……?」 「それは違う!……俺、おまえに再会して、おまえに惹かれるようになってから、ずっと考えてた。心がないはずなら、どうしてこんなに惹かれるんだ?相手が空とか海とか、そういう自然物だっていうなら、それもあるかも知れない。けど、生身の人間だろ?薄っぺらで何もない人間に、どうして惹かれる事があるんだ?」 「そういう……フリをしていたから……」 「フリをされてれば判る。皆そんなにバカじゃない。それに…………」 「それに……?」 「それに……おまえ、感じた事の全てに、理由をつける癖、なかったか?」 「感じた事に……理由をつける……?」 「ああ」 このバイオリンの音が、気持ちいいから―――それは、聴覚的に不快感を及ぼさないから。 日当たりいいし、猫、いるし―――それは、睡眠に適した温度が欲しいだけ。 パーテーション、気に入ったみたいでさ―――それは、色や形が他に比べて圧迫感が少なかったから。 美味しいって言ってくれたから―――それは、褒め言葉というものに対する単なる返礼。 ありがとう―――それは、一般に『親切』と呼ばれる行為に対する、差し障りのない儀礼的な返答。 「無理矢理自分の中に、理由をつけてなかったか?俺、ずっとおまえを見てきて、おまえにそういう癖があるんじゃないかって感じてた。それがどうしてかは知らない。判らない。けど、おまえは何故かそうやって自分を型に押し込めてたんじゃないか?」 「…………」 「――――以前、須藤が言ってた。感情や感覚に理由をつけるなんて無意味だって。自分が『いい』とか『綺麗』とか思ったことに理由付けしたって、思ったっていう事実には変わりはない、ただ感じたものがあって、それを『好き』だと認めた、それ以外の理由がなにか必要なのかって。……俺もそう思う。理由なんて付ける必要ないんだ。それに……俺、前に言っただろ?余計な事、考えなくていいって」 「……わ……たし……」 葉月が紡ぐ一つ一つの言葉のピースに、杉菜の心が揺らいでいた。俯いて、それでも目を見開いて、葉月の言葉を受け止めていた。 「何もない、なんてことない。おまえの中には確かに心があって、それが周りに伝わってくる。だから、俺もそれを感じられてたんだ」 「珪、私……」 見上げた先には、森の色を宿した瞳が真摯な光で杉菜を見つめていた。 「ずっと、上手く考えがまとまらなくて……けど、ようやく解った。おまえは白い光と同じだって」 「白い、光……?」 「あらゆる光をその中に秘めているからこそ、白は何よりも輝く。綺麗な部分も、汚い部分も、何もかも持っているからこそ、その輝きは人を――俺を、惹きつけてやまない。俺は、そんなおまえを――――そんなおまえだからこそ、好きなんだ」 「…………すき……?」 復唱する杉菜に応えて、葉月はしっかりと頷いた。 「……そう。おまえの豊かな心に、俺の乏しかった心が反応して、色んな気持ちが引き出されていった。嬉しさとか、優しさとか、楽しさとか、愛しさとか。全部おまえの中にあったものだ。俺はそれを受け止めて、自分の中に繋ぎ止めていっただけなんだ。……何もないんじゃない。在り過ぎて、超越してるだけ。感情の波に押し流されるレベルなんか通り越してただけなんだ。おまえ、誰よりも強い確かな心、持ってる」 「……私、が……心を……?」 「ああ。誰よりも豊かな感情。おまえの中に、溢れてる」 葉月の言葉が杉菜に届いた、その時。 一筋、また一筋。 杉菜の見開かれた瞳から、スウッと流れ落ちる軌跡があった。 逆光の欠片を浴びて輝く、何よりも美しい流れの軌跡。 「杉菜……」 「私……泣いてるの……?」 泣いていた。 知らない内に、涙が流れていた。 今まで、泣いた事なんてなかった。それは勿論生理的な反射反応で泣いた事はあったが、こんな風に訳も判らないまま泣いた事は初めてだった。 (…………違う) 一度だけ。一度だけあった。幼い日の、あの時だけ。 「あ……っ……ごめんなさい。止める、から――――」 「止めなくて、いい」 俯いて涙を拭こうとした杉菜を止めるかのように、葉月は彼女の頬にそっと手を差し伸べて杉菜の顔を上げた。 「止めなくていいんだ。泣き顔でもなんでも、受け止めるから、俺」 「珪…………」 続く言葉の代わりに、優しさに満ちた熱が降りてきた。 流れ続ける涙を追いかけるように、溢れ出す涙を拭うように。 瞼に、頬に、……唇に。 「……珪……?」 そっと離れた小さなぬくもりに目を開くと、葉月は杉菜の瞳を見つめながら切なそうに眉を寄せていた。 「……かつて出会っていたこと、言葉にしてしまったら、また、お前が俺の前から消えてしまうような気がしてた……。だけど、今は過去なんてどうでもいい。俺……もう、お前を離したくない。『今』のおまえを。だから……」 翡翠の瞳が、一際濃くなる。 「だから……杉菜、迎えに来たんだ、俺」 静かな、震えるように囁かれた声に、杉菜は頬に添えられた彼の手に自分のそれを重ねた。 満ちてくる、内側からのぬくもり。 嬉しさという名の熱。 形のない、けれど確かなもの。 それに答えるように、杉菜は彼の瞳から視線を逸らさずに言った。 「珪……私……私も、心の中で珪が来てくれること、知ってたような気がする……。ずっと、あなたに初めて会った時から、そう感じてたのかも、知れない。だって、珪だけなの」 「……俺だけ……?」 「珪だけが、私を変えるの。動かすの。……ドイツ語も、バイオリンも、珪が教えてくれた。珪が見せてくれた世界なの。私、珪が見せてくれたもの、自分で見たかった。そんな事思ったのは、珪に会った時だけ。自分から何かをしたい、動きたいって思ったのは、動いていたのは、珪が関わっている時だけだった。……あの時泣いたのも、そう」 「あの時……?」 「珪がいなくなった、あの時。別れた後、私、泣いてた。自分でも解らないまま」 「――――杉菜……!」 「あれ、『哀しい』って気持ちだったのかも知れない。いなくなるの、嫌だった。辛かった。苦しかった。けど、解らなかった。本当に解らなくて、どうしようもできなくて……。哀しいとか、嫌だとか、そういう事すら解らなくて……」 なんて鈍いの、私。 会った瞬間から捕われていたのに。 目覚めた時に覗きこんできた、嬉しそうなあなたの笑顔に一瞬で心を奪われていたのは、私の方だったのに。 「けど……今、はっきり判ってる事、ある。私……私は珪にしか反応しない。私の何もかも、全部、珪にだけ反応してる。それだけは本当なの」 「杉菜……」 本当にあなただけだった。私の世界を揺らしたのは。扉を開いたのは。眠りから目覚めさせたのは。 私の心を満たしたのは、あなたしかいなかった。今までも、これからも。 「……今の私の気持ちが『そう』だと言うなら、多分、間違ってないんだと思う。私……珪のことが――――」 わずかに息を飲み、告げる。 「…………珪が、好き」 囁くように、けれど彼には届くように、杉菜はハッキリとそう言った。 好きとか、嫌いとか、最初に言い出したのが誰かなんて、そんなの知らない。 けど、たったこれだけの言葉にどれほどたくさんの想いが込められてるんだろう。 一息で言ってしまえるそれが、どうしてこんなに心の全てを支配するんだろう。 そう。 私は珪が、好き。 だからなんだ。珪にだけ心が動かされたのは。 固い殻に包まれていた私の感情を、一つ一つ揺り起こしてくれたのは。 そして、それに応えてくれたあなたがいたから。 だから。 だから、私は――――。 杉菜の言葉を聴いた葉月は、何かを言おうとして、けれど止めた。代わりに制服のポケットに手を入れて、小さな何かを取り出した。 「……?」 「……今のこの気持ち、きっと俺、上手く言えないから……きっと、言葉じゃ伝えられないから、これ、お前に……」 そう言って不思議そうに見返す杉菜の左手を取り、薬指にその小さな何かをそっと嵌めた。 ステンドグラスからの光を浴びて輝くそれは、聖なる銀で出来た繊細な指輪。 杉菜の白くほっそりとした指に、神聖と幸福の象徴であるそれは寸分の狂いもなく嵌っていた。 「綺麗……。……私の為に?」 「ああ、クリスマスに渡そうと思ったけど、間に合わなくて……。ごめんな、遅くなって」 「ううん……。……これ、クローバー?お話に、書いてあった……」 「ああ……。旅から戻った王子は何も持っていなかったけど……クローバーの指輪を姫に渡して、誓うんだ……。『あなたは私の心の幸い、ふたりは今、永遠に結ばれたのです』」 「永遠に……」 「永遠に」 キラキラと柔かな光を反射して、指輪の色が変わる。赤や青、紫や黄、そして――――全てを包み込む白。 「――――――愛してる」 身を屈め、杉菜と視線を合わせた葉月が囁くように言った。見つめ返したそこには、世界中で一番優しい微笑みがあった。 「愛してる、杉菜。……俺たち、お互いにまだ、曝け出してないこと、たくさんあると思う。けど、俺をおまえが受け入れてくれたように、俺もおまえを受け止める。ゆっくりでいい。少しずつ、一つずつ、色んな自分、取り戻したり、手に入れたりしていこう。そうやって、今から……ここから始めていこう――――俺たちの永遠を」 「…………うん」 涙に濡れた顔が、ゆっくりと姿を変える。 何よりも誰よりも愛おしい、唯一つの求めていたものへと。 「……私も、愛しています。あなたを――――珪を、愛してる」 世界が、白い光に満ちる。 葉月はその光を抱きしめた。抱き返される力が嬉しくて、壊れないように、けれど出来る限りの力で抱きしめる。 約束。 ――――いつか、俺、お話のつづきしてやる。 幼い頃の小さな、そして大切な約束。 ――――王子は、必ず迎えにくるから……だから、そしたらおまえ、すこしでもいいから、俺のために……笑えよ? 焦がれたものを手に入れようと足掻いた日々。 全ては、この瞬間の為だけに。 けれど、これからは。 これからは、ずっと。 いつだってすぐ傍に、おまえの、あなたの、ぬくもりがある――――。 「………………杉菜?」 気が付けば。 抱き返される力は軽くなり、不審に思った葉月が杉菜を見ると。 「…………」 腕の中の姫君は、安堵したのかそれとも泣き疲れてしまったのか、力無くこてんと眠ってしまっていた。姫君を抱き締めたまま、王子様は思わず内心頭を押さえた。 「…………このタイミングで寝るか、おい……」 思いっきり拍子抜けしたような声で呟くも、杉菜は全く起きる様子も無く気持ち良さそうな寝息を立てているときた。涙も既に止まって、心から安らかに眠っているその表情を見て、葉月は苦笑の割合を多めに微笑んだ。 「……苦労するな、これから」 杉菜の体を支えながら、こつんとおでこを合わせる。 「けど、離さないから。ずっと」 微笑みを残したままの彼女に、彼は同じ微笑みを返す。世界で唯一、彼女にだけ捧げられる優しさと愛しさを込めて。 「ずっと一緒に、同じ夢を見ていこう。俺の……ただ一人の、愛しい姫」 王子は長い間会うことのできなかった姫に、心からの笑みを浮かべて言いました。 「姫、私は深い森を抜けてやってまいりました。 再びめぐり会うために……あなたを迎えに来たのです」 しかし姫は、王子の言葉を聞くと悲しそうに顔をそらしました。 「……あなたは私の呪いを解いてくださいました。今の私にはそれがわかります。 けれど、私はあなたにはふさわしくありません。 あなたもご存知でしょう、私の心の醜さを。 あなたはすべてを受け入れるとおっしゃいましたが、私にそんな価値はありません。 どうか私などに心を留めず、ふさわしい女性へとその愛を注いでくださいませ」 姫は引き裂かれてしまうかのような心の中の苦しみを抑えてそう言いました。 仙女の魔法が解けた瞬間、姫には心が宿っていました。 そして自分がなぜ魔法をかけられたのか、わかってしまったのです。 姫は王子を愛していました。けれど、それと同時に王子を苦しめる自分もいたのです。 王子を大切に想うからこそ、姫は王子を自由にしてあげたいと思ったのです。 ですが、王子はそんな姫に言いました。 「あの深い闇の中、私はたしかに苦しみの内にありました。 しかし、その中で道行きを照らしてくれたのは、やはりあなたの心なのです。 あなたの愛が、私を導いてくれたのです。 そして今も、あなたの愛が私の心を照らしてくれているのです。 そんな心を持つあなたが、どうして醜いことがありましょう。 あなたは、私の心の幸い。私の心は、あなたのものなのです。 あなたの愛ゆえに、私はここにいるのです。今までも、これからも、ずっと――――」 王子がそう言うと、姫は涙を流しました。 それは姫が生まれてはじめて湛えた、心からの涙でした。 王子は海に投げ出された時、すべての荷物を失っていました。 それで教会の外に生えていたクローバーを編んで指輪を作り、姫にそっと差し出しました。 「今の私にはこの身ひとつしかありません。 権力も財力も、何ひとつあなたに差し上げられない。 もし、あなたが私を愛していないのならば、これは再び野に捨てましょう。 けれど私を愛しているのならば、どうかその指に捧げることをお許しください」 「私があなたを愛していないはずがありません。 あなたを留めたあの闇も、すべてはあなたへの想いゆえ。 このような指でよければ、いくらでもあなたに捧げましょう」 王子は姫の指にクローバーの指輪を嵌めました。 すると、姫はこの上なく美しい微笑みを浮かべました。 約束を果たして姫の元に戻って来た王子に応えるような、それはそれは輝かしい笑顔でした。 「あなたは私の心の幸い。ふたりは今、永遠に結ばれたのです――――」 こうして、姫と旅の王子は結ばれました。 王子の誓いどおり、ふたりはいつまでも離れることはありませんでした。 お互いを思いやり慈しむ心を忘れることなく、末永く幸せに暮らしたのでした。 Das Ende. 〜Danke für alle, die diese Geschichte lasen. |
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