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> ゆとり教育の悪いところ=「お金にならない人」をおだてたまま社会に放り出す
「おだてたまま」という言い方が、個人的にかなりしっくりきました。
そういうことだよなぁ…。
でも、ちょっと気になるのは…
その流れは「ゆとり教育」が作ってるものなのだろうか、という疑問も。
なんとなく、「ゆとり教育」が提供(?)してるのは、
「自由に使える時間」ぐらいじゃなかろうか、という印象が自分にはあって…
「勝ち負けを明確にすることを子供達の目の前から隠す」とか、
「競争心・ハングリー精神の欠如」とか、
「自分には隠れた才能がある云々の勘違い」とか、
それら問題は、また別のところから…
「ゆとり教育」の枠外というか、社会風潮とか、
そのへんから提供されてる感が。
なので個人的には、世間の、「ゆとり教育=悪」という論調に対して、
「ゆとり教育だけ悪者にしてれば解決する話じゃないような…」
という印象?がありますです。
なんていうか、
「ゲームを無くせばゲーム脳も無くなって、いい世の中に」
「エロ本を無くせば性犯罪も無くなって、いい世の中に」
みたいな話と同種の危うさを感じる…
というか、
「学力測定で国際的に下がっちゃったから、『ゆとり教育』を見直し」
という過程が、なんだか???で。
方針を決めるにあたっては必ず「理念」が存在するはずだけど、
その理念の是非や、実現方法が適してたかどうかの検証は、
どこに行っちゃったんだろう…
元々無かったのかしら。「子供が可哀相だから」等の感情論や、
「俺達が子供の頃は野山を走って遊んでたもんだ」等の老人達の郷愁で
決められた方針だったのだろうか。うーん。
…まあ、自分、教育現場に居るわけでもないし、
子供を育ててるわけでもないんで、アレなんですけど(爆)
先生や親が考えて「これで行く」と言ってるんだから、
それでいいんだろうなぁ…
> 才能を持ってるという勘違い
コレ、難しいですね…。
娯楽コンテンツ制作・提供に携わるか、
生活に必要な商品・サービスの制作・提供に携わるか、
どちらを念頭に置くかで話が変わりそうではありますが…
裾野を広げないとその分野で優れた才能は出てこないし。
そのためには、「ひょっとしたら俺も」と勘違いさせてでも
その分野への勧誘を試みないといかんのかもなぁ…と思ったり。
娯楽コンテンツって、人が生きていくうえで必須なものじゃないし。
それで飯を食おうというのだから、本来めちゃくちゃキツイ世界なはずで。
とはいえ「こんなにキツイぞ」と正直に言っちゃうと裾野は広がらない…
しかし裾野が広がったら広がったで、負けて、放置される人達が増えてくる。
うーん。難しいですな…
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